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2009年12月 アーカイブ

2009年12月31日 16時37分46秒 (Thu)

今年も色々と・・・。

今年も色々と・・・。今年も色々と大変にお世話になりましたでゲス。
どうぞ、来年もヨロシクお願いしますネ。
正直なところ、一体今年は、もう1つ何だったのかよく解からなかった1年だったでゲス。
ところで、今現在、俺が住んでいる岐阜は”雪”が降ってるでゲス。
皆さんの所はいかがでしょうかネ。
さてさて、今夜は毎年参加している「晦日LIVE」でゲス。
今年は”11バンド”参加ってな事らしいんだけど、楽しみでしかたがないですナ。
チョット、”ブチかましてやろう”って思っているでゲス。
アァ、ワクワクしてきたゾ!!!
ってな訳で、今年はココ迄でゲス。
んじゃぁ、良い(好い)お年をお迎えくださいませ、ませ。

2009年12月29日 14時49分17秒 (Tue)

大好き「DAVID NIVEN」

大好き「DAVID NIVEN」古くはハリウッド男優で”お気楽男”のイメージがあるのは、「ジェームズ・スチュアート」かなぁ。
「ゲイリー・クーパー」や「ケーリー・グラント」にも、そんな面を感じる時があるでゲス。
もう少し後の時代だと「ディーン・マーティン」、「ジャック・レモン」何かがそうですナ。
”コレ”がイギリスともなると今日Upする、
「DAVID NIVEN」
が、真っ先に思い浮かんでくるんでゲス。
そんなに多くの出演作を観た訳じゃぁ無いんだけど好きだなぁ。
本名「ジェームズ・デヴィッド・グラハム・ニーヴン」は、1910年3月1日イギリスのロンドンに生まれて、父親の「ウィリアム・ニーヴン」は”軍人”で、「デヴィッド」が幼少の頃にWW1のガリポリの戦いで戦死しているんでゲス。
ヒーザーダウン、サウスシー、バックスの学校を転々として、ストウ・パブリック・スクール卒業時に正規軍の入隊が許可される3人の学生の筆頭に選ばれて、”ソコ”でサンドハースト士官学校卒業後に、ハイランド軽歩兵師団に入隊して、マルタ島駐屯が多くって、軍人になったものの”ソノ”任務に満足が出来ず除隊するんですナ。
んで、カナダに渡って職を転々とした後に、近衛歩兵第1連隊の元中佐の援助を受けて、アメリカへ向かうんでゲス。
ニューヨークでもパーティーの”給仕”、”セールスマン”等の様々な職に就いて、「アメリカン・ポニー・エクスプレス競技協会」の設立に参加するんだけど、コノ計画は途中で頓挫してしまったんでしたナ。
んで、映画の仕事に在りつこうとカリフォルニアに向かって、エキストラ協会に登録するんでゲス。(最初に与えられたエキストラの仕事はメキシコ人の役だった。)
1934年に「エドマンド・グールディング」監督と知り合った事から、大物”プロデューサー”の「サミュエル・ゴールドウィン」に拾われて、
「WITHOUT REGRET」1935年(邦題「過去から来た男」)
で、初めてセリフのある役を与えられたんですナ。
ソノ後は1949年に契約が切れる迄「ゴールドウィン」のもとで”第2の「ロナルド・コールマン」”として大いに売り出していったんだけど、全く演技素養が無い事が災いして次第に伸び悩むんでゲス。
1939年~45年のWW2中は、イギリス陸軍に大佐として従軍していたんですヨ。(因みに「デヴィッド」が応召した最初の”ハリウッド・スター”だったそうでゲス。)
WW2後は再びアメリカに活動の中心を移して、知的でありながらユーモア・センスも併せ持つ独特の雰囲気から人気が出始め、1970年代迄、安定した人気を保っていましたナ。
1952年に「ディック・パウエル」、「シャルル・ボワイエ」、「アイダ・ルピノ」と共に「フォー・スター・テレビジョン・カンパニー」を設立して、TV番組を制作して、1956年に権利を1000万ドルで売却したでゲス。
「AROUND THE WORLD IN EIGHTY DAYS」1956年(邦題「八十日間世界一周」)
で、気高いイギリス紳士役を演じ好評を得ましたナ。
ソノ後にゃぁ、
「EPARATE TABLES」1958年(邦題「旅路」)
で、”アカデミー主演男優賞”を受賞するんでゲス。
ソノ他に、
「THE PINK PANTHER」1962年(邦題「ピンクの豹」)
 じゃぁ怪盗「ファントム」役で出演して、いかにも”イギリス紳士”らしい”気品”と”ユーモア”溢れる演技で好評を博しましたナ。
んで、ソノ後に何作か出演した後に、
「CASINO ROYALE」1967年(邦題「007/カジノロワイヤル」)
に出演して、コノ作品で彼は「ジェームズ・ボンド」を演じているでゲス。
因みに”原作者”の「イアン・フレミング」が「イオンプロ」制作の最初の「ボンド」役に最も望んだのが彼だったんですヨ。
「イアン・フレミング」が「ボンド」を創作する際に、「デヴィッド」をイメージして書いたとも言われていて、「ボンド」の少年時代~青年時代の設定が「デヴィッド」の生い立ちと似ているのもソノ為なんでゲス。
鼻の下(口の上とも言える)の”コールマン髭”が同じ様にある「クラーク・ゲーブル」程も”威厳”が無くって、「ロバート・テイラー」程”男前”でも無いでしょ。
どっちかと言やぁ、オコガマシイ様ですが”俺に近いキャラ”に思えるところに”親近感”を覚えずにゃぁいられないですナ。



ってな訳で、今日はココ迄ですナ。
んじゃぁ、又。

2009年12月28日 15時38分00秒 (Mon)

”時期限定”で好きでゲス。

”時期限定”で好きでゲス。コレっぽっち”も美人とは思わないんだけど、好きなフランスの女優さんの、
 「MAGALI NOEL」
でゲス。
しかも、”1950年代~60年代初期”迄の彼女”限定”ネ。
彼女は、俺の中じゃぁ、男優でいうところの「ジャン・ギャバン」、「アラン・ドロン」、「ジャン=ポール・ベルモンド」的な”位置”よか、先日Upした「リノ・ヴァンチェラ」や、「ロベール・オッセン」、「アンリ・ヴィダル」っぽい”位置”の人でゲス。
なので、「ブリジット・バルドー」、「フラソワーズ・アルヌール」、「シモーヌ・シニョレ」程の”位置”じゃぁ無いんですヨ。
イヤ、”好き度”からすると、「バルドー」、「アルヌール」、「シニョレ」よか、
”断然、好き”
でゲス。
何かさぁ、こんな言い方は大変に失礼かとは思うんだけど、 ”安い” ってか、 ”高級感が無い” ってかネ。
イイんでゲス。
彼女が作品中に登場すると、何だか、 「ウン、ウン。」 って”納得”っていうか、作品自体を”イイ評価”しちゃうんだよなぁ。(”ご贔屓さん”に対しては、こんなモンでゲス。)




んでサ、同じ感がある「ドーン・アダムス」っていう女優さんがいて、コノ2人にコレ又、好きなイタリーの女優さんの「ロッサナ・ポデスタ」を加えた3人が出演している、
「TEMPTATION L’ILE DU BOUT DU MONDE」1958年(邦題「狂った本能」)
ってな映画があるんですヨ。
んで、コレ”未観”なんだよなぁ。
もうネ、邦題からしてヤバイでしょ。
”狂った本能”だもんネ。
監督は、「エドモン・T・グレヴィル」
出演は、先出の3人「マガリ」、「ドーン」、「ロッサナ」、「クリスチャン・マルカン」
・・・3人の女性と1人の男性を乗せたボートが世界の果ての島(何処?)に流れついたんでゲス。
女性達は”看護士”で、イギリス生れの「ビクトリア(ドーン・アダムス)」、イタリア生れの「カテリーナ(ロッサナ・ポデスタ)」、カナダ生れの「ジャーヌ(マガリ・ノエル)」の3人だったんですナ。
男性は”従軍記者”で、フランス生れの「パトリック(クリスチャン・マルカン)」でゲス。
 島には、誰もいなかったんだけど、小屋があって、”銃”や”道具”類が残されていたんでしたナ。
あと、洞窟もあったんでゲス。
「パトリック」が「ビクトリア」と湖へ水浴びに行ったのを見て、「ジャーヌ」は激しく嫉妬して、彼と湖へ行く機会を得ると、彼女は男に挑んでいって、2人はソノ夜を洞窟で過したんですナ。
ある夜、不寝番の「ビクトリア」が浜に乗り上げた難破船を発見して、船には無線装置があったんでゲス。
「ジャーヌ」が秘かに”ソレ”を壊そうとして、「パトリック」には不思議な行動に思えて彼女を殴ったんですナ。
んで、彼は徐々に清純な「カテリーナ」にひかれていくんだけど、彼女は彼を受けつけなかったんでゲス。
春になって、彼は釣の帰途で浜に流れついた舵を発見したんですヨ。
”ソレ”は、「カテリーナ」がボートを漕ぎだして、嵐の為に浪にのまれた事を告げていたんでゲス。
「パトリック」は悲しみに閉ざされて、1人で難破船に寝起きする様になったんでしたナ。
「ビクトリア」は「ジャーヌ」のヒステリーに恐れをなしていて、ソノ姿は”狂った本能そのもの”で、前から時々そんな風に狂うんだそうでゲス。
「ビクトリア」は「パトリック」に船に連れていってと頼んだんですナ。
途中、彼が怪我をして、彼女が看護したんでゲス。
 ソノ事が2人を結ばせましたナ。
そんなある夜、飛行機が飛来したんでゲス。
3人は狂喜したんだけど、、機は飛び去って行ってしまったんですナ。
ソノ直後、「ビクトリア」の姿が見えなくなったんでゲス。
崖下に、頭の砕けた死体が発見されて、”ソレ”は「ビクトリア」以外には考えられ無かったんですナ。
「パトリック」は「ジャーヌ」と2人で暮す他は無くって・・・。
アァ、観たい!!!
こんなストーリーじゃぁ、観たくってタマランでゲス。
誰か持っていないかなぁ。(ダビングして俺にくださいませ、ませ。)
(ドーン・アダムス)
(ロッサナ・ポデスタ)
ハイ、てな訳で今日は以上でゲス。
んじゃぁ、又。

2009年12月27日 16時05分36秒 (Sun)

「LINDY-HOP」

「LINDY-HOP」”ダンス”スタイルの、
「LINDY-HOP」
の話でゲス。
「スウィング・ジャズ」で踊る”カップル・ダンス”で、今じゃぁ”世界中”で熱狂的に踊られていますナ。
元々は1920年代後半から1940年代頃迄踊られていて、ソノ後”パタッ”っと踊られなくなっていたんだけど、1980年代後半から、 ”「スウィング・ジャズ」の復活”(所謂”「ネオ・スウィング」ブーム”ネ。) ってな事と共に、1920年代~30年代の”ファッション”(服装)も含めてリヴァイヴァルしたでゲス。
いつ頃だったろう?(1998年頃?)TVじゃぁ「GAP」のCMで取り上げられたりなんかして、一般の人達の目にも留まる様になりましたナ。
又、ソノ頃の「MTV」での”MUSIC AWARDS”でトリを務めた「ブライアン・セッツァー・オーケストラ」のステージで、華麗な「リンディ・ホップ」が踊られて、世界中の「MTV」ネットワークで放映されたんでゲス。
更に、”スーパー・ボウル”のハーフタイム・ショーじゃぁ「ビッグ・バッド・ヴードゥー・ダディ」が”トップ・バッター”を務めて、「リンディ・ホップ」と共に全米ならびに全世界に”生中継”されたんですナ。
さてさて、”コノ”「リンディ・ホップ」について、もう少々Upしてみるでゲス。
1920年代後半、ニューヨークのハーレムの黒人ティーンエイジャー達は、”時の音楽”「スウィング・ジャズ」で、ごく自然に踊っていたんですナ。
”タップ”や”チャールストン”等の色々なダンスが組み合わされいたんでゲス。
”ソレ”が、とっても楽しいダンスだったので白人の間にも直ぐに広がっていって、当時としちゃぁ”人種を越えた”ダンスとして大変ユニークな側面があったんですヨ。
特にハーレムにあったダンスホールの「サヴォイ・ボールルーム」じゃぁ、「チック・ウェッブ」等、当時”最高のビッグ・バンド”でダンスの”技”が磨かれていたんでゲス。
当時(1927年)「チャールズ・リンドバーグ(LINDY)」が、大西洋の飛行機単独横断に成功したんだけど、先出の「サヴォイ・・・」の”スター・ダンサー”「ショーティ・ジョージ・スノーデン」が、”記者”に”ソノ”ダンスの名前は何かと尋ねられた時に、ダンスに”ホップ”のアクションが含まれていた事もあって、「リンディ」が大西洋を横断(ホップ)した事に因んで、ソノ時に「リンディ・ホップ」って言ったのが、名前の由来らしいですナ。
”カウント”は「ジャズ」の”8カウント”で踊るのが基本だそうでゲス。
1、2、3 & 4、5、6、7 & 8
ってな感じで”&カウント”が2箇所入って、「ジャズ」シンコペーションで踊るんですナ。
”ステップ”は、ユックリした曲のテンポじゃぁ”社交”として踊れるんだけど、”ショー”や”ジャム・セッション”、”競技”だと、速いテンポで踊る事が多いでゲス。
”エア(空中)ステップ”って呼ばれている派手な技が入ってきて、”コレ”は1930年頃にニューヨークで「フランキー・マニング」(出た!!!)っていう”天才ダンサー”が考案したモノで、ソノ後の「ジタバグ(ジルバ)」に取り入れていたりした経緯がありますナ。




 んでも、時代はWW2に突入となって、「マニング」も従軍して太平洋戦線へ行くんでゲス。
多くの”バンド・ミュージシャン”も戦争へ行く事になって、「サヴォイ・・・」等のホールには戦争遂行の為の課税がなされて客足は遠のいていきましたナ。
更に、WW2が終った頃になると「ジャズ」そのものが、どちらかというと”聴く専門”の「ビ・バップ」に移っていって、ダンスとの相性が良く無くなっていったんでゲス。(極端に”悪い”訳じゃぁ無いんだけど。)
更に”エレキ・ギター”に代表される”電気楽器”が一般的になって、1950年代、60年代は所謂”オールディーズ”って後に呼ばれる「ロックンロール」の時代になっていったんですナ。
そんな状況で「リンディ・ホップ」を踊る人は殆どいなくなって、誰もが「リンディ・ホップ」を忘れてしまっていた1984年にサンフランシスコの、とある”ダンサー”が古い映画のなかで「マニング」と「リンディ・ホップ」を発見したんでゲス。
時をほぼ同じくしてスウェーデンの”ダンサー”達も同じ思いを抱いていて”「マニング」探し”が始まったんですナ。
んで、ナント、ニューヨークの電話帳で「マニング」の名前を見つけて、最初は踊る事を拒絶していた「マニング」の自宅で”「リンディ・ホップ」復刻”の努力が始まったんでゲス。
40年近くも前の(イヤ、”全盛期”は50年位前)ダンスを蘇らせるのは並大抵の努力じゃぁ無かった事でしょうナ。
んで、ソノ後にニューヨーク、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、シアトル・・・ロンドン、ストックホルム・・・って「スウィング」のコミュニティが広がっていったんでゲス。

ってな訳で、今日はココ迄ですナ。
んじゃぁ、又。

2009年12月26日 19時20分41秒 (Sat)

「ORFEU NEGRO」

「ORFEU NEGRO」ギリシア神話の”オルペウスとエウリュディケ”の物語の舞台を、カーニバルで盛り上がる公開当時のブラジルのリオ・デ・ジャネイロに移している映画の、
 「ORFEU NEGRO」1959年(邦題「黒いオルフェ」)
のUpでゲス。
監督は、「マルセル・カミュ」
出演は、「ブレノ・メロ」、「マルペッサ・ドーン」、「マルセル・カミュ」、「ファウスト・グエルゾーニ」、「ルルデス・デ・オリベイラ」、「レア・ガルシア」、「アデマール・ダ・シルバ」等など。
・・・つきまとう”謎の男”から逃れて「ユリディス(マルペッサ・ドーン)」はリオ・デ・ジャネイロにやって来たんでゲス。
カーニバルを明日にひかえて、人々はウキウキしていましたナ。
「ユリディス」が乗った電車の”運転手”「オルフェ(ブレノ・メロ)」は仕事を終えると、”質屋”から”ギター”を受け出したんでゲス。
彼の”ギター”と”歌”は、”婚約者”の「ミラ」や近所の子供達を、いつもウットリさせましたナ。
丘の上の従姉の家に着いた「ユリディス」は、聴こえてくる美しい歌声に誘われてテラスへ出たんでゲス。
んで、”ソレ”が2人の、
”運命の再会”
でしたナ。
こうして愛し合う様になった「オルフェ」と「ユリディス」は、仮装カーニバルの当日に、「サンバ」の群舞の輪に加わったんでゲス。
陶酔の2人を、仮面を付けた”謎の男”と嫉妬に狂った「ミラ」が追って来て・・・。
熱狂の「サンバ」のリズムに町中が興奮の坩堝と化する強烈なクライマックスに達したシーンが”凄い!!!”ですナ。
んで、コノ作品は、”カンヌ映画祭グランプリ”、”アカデミー外国映画賞”等の多くを受賞した”異色作”でゲス。


 ハイ、今日は以上でゲス。
 んじゃぁ、又。

プロフィール

プロフィール画像
自己紹介
WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、

”「BEAT」野郎”

で、特に1950年代が大好物でゲス。

岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)

他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)

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