2010年5月 アーカイブ
2010年5月30日 14時08分30秒 (Sun)
映画に観る”ヘブライ人”
んで、コノ”ヘブライ人”はオリエント世界じゃぁ長い間貧しい遊牧民だったんだけど当時から、
”強固な民族意識”
を持っていて、自らのアンデンティティを確保する為に聖典を纏めたんでゲス。
”ソレ”がヘブライ語で”ミクラー”(詠むべきモノ=”コーラン”と同義語)って呼ばれる「聖書」なんですナ。(”ユダヤ人”は「新約聖書」を認めないので”旧約”とは呼ばないでゲス。)
さて、コノ「聖書」の中の世界の始まりや、お馴染みの”ノアの箱舟”っていった有名な故事を映像化したのが映画の、
「THE BIBLE...IN THE BIGINNING」1966年(邦題「天地創造」)
等などで、ソノ後にオリエント東部を放浪していた”ヘブライ人”は飢饉を逃れて、当時の先進国のエジプトに定着するんだけど、ココでも迫害されたので指導者「モーゼ」の元でカナン(後のパレスチナ)に又々逃れたんでゲス。
んで、”コレ”が、
「THE TEN COMMANDMENTS」1923年(邦題「十誡」)、1956年(邦題「十戒」)
の元になった「聖書」の「出エジプト記」なんですナ。 コノ頃、”ヘブライ人”が神「ヤーヴェ」と契約を交わしてカナンを”約束の地”として与えられたんだけど、”ソコ”にゃぁ既に住んでいる者がいて、ソノ先住民の中でも”ヘブライ人”の宿敵となったのが、ヨーロッパからの移民の”ペリシテ人”だったんでゲス。
何しろ神意によって共存なんか論外で、皆殺しにしないと”疫病”や”災害”ってな形で天罰が下ったりするんだから戦い以外の選択なんか無いんですナ。
当初は映画の、
「SAMSON AND DELILAH」1949年(邦題「サムソンとデリラ」)

の様に、進んだ鉄の武器を持っている”ペリシテ人”が優勢だったんだけど、やがて紀元前10世紀頃になると、神「ヤーヴェ」に選ばれた英雄の「ダビデ」が”ヘブライ人”を統合してカナンを制服するんでゲス。
イスラエル王国建国の父でもある「ダビデ」なんだけど、女性関係にダラシナイ”好色一代男”みたくなところもあって映画の、
「DAVID AND BATHSHEBA」1951年(邦題「愛欲の十字路」)

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じゃぁ悩める人なんだけど、
「KING DAVID」1985年(邦題「キング・ダビデ / 愛と闘いの伝説」)
だと、只の”困ったチャン”(懐かしい表現でゲス。)にしか見えない色々な意味で人間臭い人物でしたナ。
んで、ソノ息子が映画の、
「SOLOMON AND THE SHEBA」1959年(邦題「ソロモンとシバの女王」)
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での名君「ソロモン」王でゲス。
「ソロモン」の時代は、オリエントの2大勢力のエジプトとメソポタミアが混乱していた時期で、”ソノ”間にあったイスラエルは、マンマと”漁夫の利”を占める事が出来たんですナ。
んでも、王国の繁栄とは逆に国民は貧富の差が広がっていって不満も充満していくんでゲス。
カリスマだった「ソロモン」が亡くなると王国は北のイスラエルと南のユダに分裂してしまうんですナ。
”コノ”事態は「聖書」じゃぁ人々が「ヤーヴェ」の神意に逆らった為の”神罰”って見なしているんだけど、”ソレ”は専ら異民族(異教徒)との共存だったりする訳で、
”異なる者は抹殺せよ。”
ったぁ随分血生臭い神様でゲス。
カナン侵入から王国時代の”ヘブライ人”の歴史は、”神罰”が下ると悔い改めるんだけど、直ぐに喉元過ぎて熱さを忘れて、又”神罰”ってな事の繰り返しで、傍から見ているとまるで、
”カミナリ親父とダメ息子”
みたくですナ。
んで、紀元前6世紀迄に南北王国は滅ぼされて、異民族支配の中で”ヘブライ人”の間には”メシア”(神に選ばれた者=救世主)待望論が広がるんでゲス。
ってな訳で、今日はココ迄ですナ。
んじゃぁ、又。
2010年5月18日 15時02分47秒 (Tue)
「白戸二郎」の母君
「若尾文子」さん

って知っているかと尋ねたら、一体どれ位の人が知っているんだろう?
「ソフトバンク」社のCMで犬の「カイ」君演じる「白戸二郎」の”お母様”(「上戸彩」ちゃんの”お祖母様”)役を演っている女優さんで、俺達が子供の頃にゃぁ「吉浜人形」のCMに出演していたでゲス。
昭和8年(1933年)11月8日東京市生まれで、昭和26年(1951年)に「大映」社に入社して、
「死の街を脱れて」昭和27年(1952年)
でデビューしましたナ。
翌年の、
「十代の性典」昭和28年(1953年)
から始まった”性典”シリーズで人気を得て、同年の、
「祇園囃子」昭和28年(1953年)
で注目されたんでゲス。
「赤線地帯」昭和31年(1956年)
で、本格的に女優として認められて、以降、日本映画を代表する”正統派美人女優”の1人となって、「京マチ子」さん、「山本富士子」さんと並ぶ「大映」社の”看板女優”として君臨しましたナ。

「女は二度生まれる」昭和36年(1961年)
「雁の寺」昭和37年(1962年)
「しとやかな獣」昭和37年(1962年)(出た!!!名作!!!)
「刺青」昭和41年(1966年)
「不信のとき」昭和43年(1968年)
「千羽鶴」昭和44年(1969年)
等などに主演して、数々の”演技賞”を受賞したんでゲス。
んでサ、”160本以上の作品に主演”していたみたいで、そんなに沢山の映画に出演していたのにゃぁビックリでしたナ。

俺は、先出の「しとやかな・・・」や、「赤い天使」、「最高殊勲夫人」が大好きでゲス。
あと、コレは以前から度々Upしている未観作品の、
「女は抵抗する」昭和35年(1960年)
ってのがあって、どうしても観たい作品ですゼ。

昭和60年(1985年)に”建築家”の「黒川紀章」殿と結婚してビックリしたでゲス。
和服姿の艶やかな美貌から海外での人気も高いそうですネ。
以上、今日はココ迄でゲス。
では、では。

2010年5月17日 6時33分40秒 (Mon)
「日活」社”銀幕のヒーロー”達
”「日活」社のスター達”
「裕次郎」、「トニー」、「旭」、「ジョー」・・・みんな「日活」社出身でゲス。
何故なのか。
”ソレ”は「日活」社が他の映画会社よりも”若い企業”だった為に、専属の大スターが不在で、若い俳優を次々と起用せざるを得なかったからでしたナ。
波止場のバーや浜のキャバレーで酷い目にあっている少女や爺さんを、勝手にやって来ては大活躍の末に助けて、それで又勝手に去って行く・・・。
ってな「日活」社ならではのストーリー展開とも相まって、彼等は、 ”眩くも若々しい世界” を築き上げたんでゲス。
んで、”ソノ”「日活」社作品の”ヒーロー第1号”っていえば、ヤッパ、
「石原裕次郎」殿

ですナ。
「太陽の季節」昭和31年(1956年)
でデビューして、
「狂った果実」昭和31年(1956年)
の主役として既成の社会やモラルに反抗する若者を演じて一躍スターダムへ駆け上って行きましたナ。
「嵐を呼ぶ男」昭和33年(1958年)

じゃぁ、1館で6日間の観客動員数38000人ってなトンデモナイ記録を達成して、劇場のドアが閉まらなかったっていうんだから凄い話でゲス。
翌34年迄の4年間で34本もの作品に出演してるんですナ。(ってか、「日活」社さん制作し過ぎ。)
180cmってな当時の男性平均身長を15cm以上も上回る長身で、明るい青年から屈折した”ミュージシャン”迄、数々のヒーロー像を演じたんでゲス。

んが、次第に路線が「浅丘ルリ子」さんとの”恋愛モノ”中心へ移行してしまって、そんな「日活」社側の姿勢に反抗してか自ら監督した”シリアスモノ”へと突っ走っていって別の世界へと旅立ってしまいましたナ。
そんな「裕次郎」殿と比べて21歳の若さでコノ世を去ってしまった、「トニー」こと、
「赤木圭一郎」殿

は、正に、 ”「日活」社のアクション映画スター” を真っ当したって言えるかもネ。
昭和33年に入社した「トニー」の魅力は何といっても他の俳優に無い ”日本人離れした都会的センス” でゲス。
ソノ陰りある役柄にピッタリ嵌ったルックスは、多くの女性ファンを虜にしましたナ。

昭和36年2月に、撮影所内でゴーカート事故によって帰らぬ人となってしまったでゲス。
「トニー」の出演作は15本程に過ぎないんだけど、「日活」社全盛期の「アクション映画」と共にこれからも語り継がれていく事でしょうナ。
さて、続いての登場は、
「小林旭」殿

所謂、 ”「無国籍アクション映画」の王道を極めた男” でゲス。
昭和34年からスタートした「旭」殿主演作品の、 「渡り鳥」シリーズ は、ソノ後9作迄続いて「日活」社の代表作ともなりましたナ。
どんな街にも”ギター”を背負って現れて、あらゆる困難を解決して、カン高い声で唄って去っていく”スーパー・ヒーロー”でゲス。
彼の行く先々のキャバレーにゃぁ必ず”踊り子”の「白木マリ」さんがいて、悩ましいダンスをしていたなぁ。
昭和の良き時代背景と、アメリカ文化や「西部劇」の影響をストレートに受けた、 ”コノ世のモノとは思えないパラダイス” でゲス。
当時は誰しも「旭」殿が演ずる主人公”渡り鳥”「滝伸次」に己の姿を重ね合わせて、浮き世のウサをはらしたんでしたナ。
「旭」殿・・・ってきて、コノ人を出さない訳にゃぁいかないでゲス。
俺にとって、”別格の人”の、
「宍戸錠」殿

アンチ・ヒーローの中で、コレ程人気を掴んだスターも他にゃぁいないですナ。
とにかく、どの作品にも「コルトのジョー」が出てこないきゃぁ魅力が半減(イヤ、もっとかも)しちゃうもんなぁ。

他にも、 ”超1級イケメン” カッチョ良過ぎの、
「岡田真澄」殿、
や、「長門博之」殿、「津川雅彦」殿、「佐山良二」殿・・・等などでゲス。



社会の風潮も変化していってか、 昨日Upした「吉永小百合」さん主演以降の「日活」社作品には、彼等の様なイカス、夜霧に消えた銀幕のヒーローはいなくなってしまったんでしたナ。






ってな訳で、今日はココ迄でゲス。
んじゃぁ、又。
2010年5月16日 7時48分30秒 (Sun)
昭和・・・イヤ、あえて1960年代の”邦画”って言おう。(その2)
昨日の続きでゲス。
1960年代の邦画での主人公は大抵”貧乏”か”お金持ち”のどっちかだったですナ。
滅多に無かったけど”中流”の場合は必ず両親いずれかに何らかの問題があったでゲス。
無きゃぁストーリーが成り立たなかったからネ。
”高校生モノ”だったら定時制に通って授業中に居眠りをしちゃって先生に指されてても答えられないってのが彼等にとって共通の運命だったでゲス。
昼間は工場でのハードワークで、職場は方言の見本市ネ。
んでも、主役格は流暢な標準語で、
「職工哀し、民主主義とは・・・。」
なんて演説をぶってたでゲス。
45度上を見つめて拳を握ってリキむのがポーズでしたナ。
悩みを打ち明けたり、口論したりするのは鉄橋の近くの川原で、家に帰りゃぁまるで似てない兄弟が大勢いたり、兄弟中に病気の子がいたりしていたでゲス。
んでも、救い様の無い悲劇や、遣り切れない程の暗さに満ちた作品はそれ程多く無かったですナ。

一方、”大学生モノ”の場合はチョットばかり立場が違うんでゲス。
大学に行ける人達は、もう”ソレ”だけで”お金持ち”だから、スポーツやらクルマやら遊びもハイカラなんだなぁ。
んだからストーリーも明るくて軽い・・・って思ったら大間違いでゲス。
昨日登場した「若大将」みたくな設定は極々1部で、例えば”生まれの悲劇”、”恋した人との立場の違い”、ハタマタなまじ頭がイイ為に”政治絡み”や”殺人絡み”等などネ。 結構、ツボに入って行き易い設定が多かったでゲス。
日本国民の多くが中流の途上にあった為、貧しい人には感情移入出来手も、お金持ち一般にゃぁヤッカミが優先しちゃうんでしたナ。
制作者がバランスを考えたからってな訳じゃぁ無いだろうけど、結果的には高学歴者向けの「青春映画」の増加も、観客の劇場離れに一役買うってな結果を齎したでゲス。
「貧乏人映画」(イヤな表現でゲス。)はマンネリと同時に”差別的”ってな観点からも減少の一途を辿っていったんだけど、んでも、コレ等一連の作品が幾人かの大スターを産みだした事を忘れちゃぁイカンですナ。
代表格って言やぁ「吉永小百合」さん、「浜田光夫」殿ネ。
若くして労働に勤しむ中卒の人だとか、集団就職組だとかのティーンエイジャーはトキメいたんでゲス。
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次第に「浜田」殿は「小百合」さんの影に埋れてしまうけど、”真面目な工員”から”気さくな学生”、”町のチンピラ”と幅広く役柄をこなして、当時の青春を盛り上げた”ソノ”実績は不滅ですナ。
他にも「松竹」社の「倍賞千恵子」さんも当時から”美しくも悩む下町娘”でイイ味を出していたし、「橋幸夫」殿、「舟木一夫」殿、「坂本九」殿達も真面目な工員や学生を演じて、働く若者達の共感を得て、人気を不動のモノにしたんでゲス。
ってな”青春モノ”を、”ライトサイド”ってするならば、嘗て深夜TVでチョイとしたブームを巻き起こした「新東宝」社(出た!!!タマラン!!!)の作品は、当時の”ダークサイド”の代表格って言えるでしょうネ。
当時から十数年を経た1980年代に”カルト・ムーブメント”が起こった際に、”ソノ”究極の姿の1つが「新東宝」社だと持て囃されたりもしましたナ。
」コノ「新東宝」社の代名詞は、”エロ”、”グロ”、”シュール”のコレに尽きるでゲス。
最もソノ初期にやぁ「溝口」、「黒澤」の両監督によるマトモな作品が幾らもあったんだけど、1955年に元”活弁士”で”興業主”の「大蔵貢」殿(歌手「近江敏郎」殿の実兄)が”社長”になってから「新東宝」社は、 ”邦画の魔境” と化すんですゼ。
社長就任後間も無く「大蔵」殿は「軍神山本元帥と連合艦隊」で、戦後10年目にして初めて日本軍の勝利話を高らかに礼讃した一方で、「女真珠王の復讐」で”エロ路線”をスタートさせるんでゲス。
右翼的路線の極めつけは「明治天皇と日露戦争」で、日本映画最高観客動員数記録の2000万人を達成して、コノ作品を独断で成功させた事で「大蔵」殿は「新東宝」社の”絶対的権力者”となって、殆ど独裁的な映画制作体制を可能にするんですナ。
大作以外は予算を極端に切り詰めて、”スタッフ”、”キャスト”共、新人を次から次へと登用して、節約のシワヨセは使用したフィルムに顕著に現れていて、最低限のあらすじと、あらかじめ分っている見せ場だけを繋いでギリギリの長編内容に纏めるっていった具合だったでゲス。
”ソレ”も、作られるモノは”モノクロ作品”ばかりだったですナ。
プログラム・ピクチャーの大半は「大蔵」殿の趣味一色に染まった作品で、”ソノ”趣味が”超アブノーマル”だったからこそ、今尚「新東宝」社が語り草となっている訳で、ズバリ”フリークスのオンパレード”的「見世物映画」が週毎に新作として劇場公開されていたんでゲス。
「中川信夫」殿、「石井輝男」殿達お抱え監督陣が描き出す世界は、”超次元的個性”でマニアのみの恍惚の境地へと誘って行ったんですナ。
「大蔵」殿の”妾”って言われていた「高倉みゆき」さん、更に”2大バンプ女優”の「三原葉子」さん、「万里昌代」さん達が肉欲丸出しでスクリーンから迫ってきて、後年ハードボイルドで成らした「天知茂」殿が白目を剥いて惨殺されるってのが定番だったでゲス。
前者の代表作は「白線秘密地帯」、「黒線地帯」、「黄線地帯」等の”「ライン」シリーズ”で、後者だと「東海道四谷怪談」、「地獄」が挙げられるんだけど、いずれも作品のレベルが高いとの評判(俺は未観もある。)ですナ。




尚、「新東宝」社は1961年に倒産して、後は同社名のみ残して「成人映画」を製作し、「ピンク映画」の「大蔵映画」社として名前を売る事となるでゲス。
んでも、「新東宝」社が遺した作品を観ると、ソノ”インパクト”は増すばかりで、「日活」社より”無国籍”で、「大映」社より”陰湿”なのに、ソレでいて観終わった時の妙な爽快感があって、全く不思議な感じだったですナ。
そして、1964年に大手映画会社が軒並み制作本数を減らしていく中で、もう1つの突出シネマの流れが急浮上するんでゲス。
超低予算で普通のシーンはモノクロなのに、お目当てのシーンとなるといきなりカラーになっちゃう、所謂「ピンク映画」ですナ。
っていっても、中身は只”エロ”なだけじゃぁ無くって、「若林孝二」殿は代表作「赤い犯行」で当時のモラルにアンチを唱えたし、「武智鉄二」殿はアヴァンギャルドともおもえる映像手法を駆使したんでゲス。
ソノ殆どが”エロ”を求めてやって来た人達に違い無かったんだけど、とにかく「ピンク映画」の上映館は盛況を極めていましたナ。
大手の作品が減っていった為に上映する作品が無くなった場末の映画館の多くが、続々と「ピンク映画」に乗り換えていったのも盛者必衰のことわりでしょうネ。
以上、今日はココ迄ですナ。
では、では。
2010年5月15日 20時53分33秒 (Sat)
昭和・・・イヤ、あえて1960年代の”邦画”って言おう。(その1)
”無責任男”や”若大将”、「小百合」さん、”「松竹」ヌーヴェルバーグ”なんかが持て囃された1960年代は、よしんば”邦画の絶頂期”と錯覚しがちなんだけど、現実には”産業”としてのピークは1950年代迄だったんでゲス。
「黒澤明」監督が「羅生門」で”アカデミー賞”他の各国映画賞を獲得したのが1951年だし、”コレ”に続いて「衣笠貞之助」監督、「溝口健二」監督達が相次いで世界的な名声を得たんですナ。

TVが娯楽の実権を握る以前だったので、観客は無闇やたらと映画館へ足を運んでいたんでゲス。
「東宝」、「松竹」、「東映」、「大映」、「日活」、「新東宝」の6社が毎週2本立て興業の封切り作量産システムを強引に確立していって、単純計算しても”年間100本以上”を放映していましたナ。
TVドラマ感覚なので、ウケりゃぁシリーズ化するし、ウケているかどうかさえ判らないうちに続編の撮影に入る様な作品もザラだったでゲス。
各社専属俳優(当時はプロダクション=映画会社)はフル稼働で、主役だろうが脇役だろうが、年がら年中似た様な顔ぶれが、作品ごとにある程度組み換えられただけで出演していましたナ。
そんな折、重宝がられていたのが「渡辺邦男」監督をはじめとする”早撮り監督”達だったんでゲス。
「渡辺」門下の「古沢憲吾」監督(「無責任」シリーズ)達の、”B級派”ないしは”コメディ派”がコノ”得意技”をもってポピュラリティを掴むんですヨ。
っていっても、”監督で映画を観る”観客は1960年代に入っても未だ一般的じゃぁ無かった時代でゲス。
「黒澤」、「溝口」、「小津安二郎」、「木下恵介」、「五所平之助」、「成瀬巳喜男」監督達は例外的に認知された監督だったんでしたナ。
出演者が厳選されていた事もあって、ソノ名前が”良心作の保証書”としての役割を果たしていたんでゲス。


そんな名匠達も大半は”代表作”、”最高傑作”を1950年代迄に作り上げてしまっていましたナ。
惜しくも1960年を境に日本映画界は周落の一途を辿っていくんだけど、「小津」監督は1963年「秋刀魚の味」を最後に亡くなったし、「黒澤」監督は”プロデューサー”の意向があって「時代劇」路線に乗って1961年「用心棒」、翌62年「椿三十郎」をヒットさせて結果的に立場を保ったんでゲス。
んでも、大会社の体制基盤は次第に揺らぎ始めて、大監督の重厚な作品が制作し難い時代が訪れる事になっていったんですナ。
それでも映画は”庶民の娯楽”の座から急激に落ちる事は無かったんでゲス。
確かに1960年代初期においてはTVの急速な普及が映画界に大きな打撃を与えたんだけど、TVは直ぐに100%普及した訳じゃぁ無かったし、映画スターもそうそう易々とTV出演しなかったでしたナ。
銀幕のスターは依然として輝いていたんでゲス。
1960年代過ぎにゃぁ確かに娯楽中心の作品が多くなったんだけど、”繁栄していく時代の香り”を随所に散りばめた、それなりのエナジーのある作品が制作されていたんですナ。
んで、そんな1960年代作品の中で、いつも話題になるのが「東宝」社の”無闇に明るいシリーズ物”でゲス。
「東宝」社っていって先ず思い出すのが「ゴジラ」と「クロサワ」の”日本映画2大怪物”ですナ。
あと、”ソレ”に勝るとも劣らないインパクトを持っていたのが、”無責任男”「平均(たいらひとし)」と、”若大将”「田沼雄一」の”2大超人”だったでゲス。


「無責任」シリーズ(1962年~64年)は一般的に「クレージーキャッツ」出演作品全てと受け取られがちなんだけど、実際は”C調出世話”で「植木等」殿のキャラクターをフィーチャーしたモノのみが「無責任」で、「ハナ肇」殿や「谷啓」殿が「植木」殿と同等の立場で主役を演じている「クレージー」シリーズや「作戦」モノ(1963年~69年)は”コレ”に含まれないですナ。
タイトルのまんまズバリ!不真面目な主人公が出世していく「無責任」に対して、真面目な青年の爽やかなキャラクターがウケたのが、「若大将」シリーズ(1961年~81年)でゲス。
コノ両作品は好対称を見せる反面、スタッフ面じゃぁ殆どダブっているんですヨ。
脚本は「田波靖男」殿と「笠原良三」殿、監督は「古沢憲吾」殿と「杉江敏男」殿ネ。
特に「笠原」&「杉江」コンビは1950年代末から各社がこぞって作り始めた「サラリーマン喜劇」モノの中でも”最長”、”最高”シリーズだった「東宝」社「社長」シリーズ(1956年~71年)の主要スタッフとしても名を連ねているでゲス。
「社長」シリーズが、ライバル会社に対する「森繁久彌」殿、「小林桂樹」殿、「加東大介」殿の”三位一体”攻撃だったのに対して、正反対の”個人プレイ”単独出世型の「無責任」シリーズがほぼ同時期に連作され続けていたのも何だか感慨深いですナ。
同「笠原」&「杉江」コンビは他にも「若大将」に先駆けた”都会派青春コメディ”の「お姐ちゃん」シリーズ(1959年~63年)も手掛けていたでゲス。
何といってもコレ等「東宝」社の「コメディ映画」で目を引いたのは、ハリウッドの作品を意識しまくった豪華(に見える)セットで展開する”歌”と”踊り”で、セットじゃぁ無かったんだけど、ラスベガスの大通りで「クレージーキャッツ」が歌いまくる「クレージー黄金大作戦」ってな作品もあったですナ。
ん? 何だか「東宝」社についてばかりになっちゃったゾ。
まぁイイでゲス。
次回に続きますヨ。
ってな訳で、今日はココ迄でゲス。
んじゃぁ、又。
プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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