2010年8月 アーカイブ
2010年8月25日 9時43分16秒 (Wed)
「BILL HALEY & THE COMETS」
何度Upした事でしょうかネ。
今日も又、大好きな、
「BILL HALEY & THE COMETS」

のUpでゲス。
どうなんだろう?
正しくは、
「BILL HALEY & HIS COMETS」
なのかもしれないですけどネ。
1925年7月6日、ミシガン州ハイランドパークに生まれた「ビル・ヘイリー」こと、「ウイリアム・ジョン・クリフトン・ヘイリー」は、17歳の頃から”ヨーデル歌手”として活動するようになり、「ヒルビリー・ミュージック」や「カントリー・ミュージック」のバンドで歌い旅回りをしていたそうでゲス。
1948年には自らのバンドを結成して、ペンシルヴァニア州のチェスターでラジオのDJとしても活躍して、色々なジャンルの音楽を聴きながら、次第に黒人達の間でブームになっていた「リズムンブルーズ」の影響を受けるようになるんですナ。

元々、彼のバンドは「フォー・エイセズ・オブ・ウエスタン・スウィング」という名で活動する「カントリー・ミュージック」系のバンドだったんだけど、サウンドを思考錯誤しているうちにバンド名を「サドルメン」に変えて、ソノ後に「ビル・ヘイリーと彼のコメッツ」と改めて、本格的に「ロックンロール」バンドとして活動するようになったんでゲス。
ソノ最初のヒットが、
「CRAZY MAN, CRAZY」
で、コノ曲は「ロックンロール」ナンバーとして初めて全米チャートの15位迄上昇して、ソノ後も「ジョー・ターナー」のナンバーの、
「SHAKE, RATTLE AND ROLL」

をカバーヒットさせる等、着実に人気を獲得していきましたナ。
そんな中、1955年5月に「ビル」達の曲の、
「ROCK AROUND THE CLOCK」
が使用された、映画の「暴力教室 」が公開されたんでゲス。

監督&脚本は「リチャード・ブルックス」で、彼は社会派の監督として、後に「冷血」(出た!!!)や「ミスター・グッド・バーを探して」等を撮る実力派として評価されていきますナ。
主役の教師役には「グレン・フォード」が、反抗的な生徒達のリーダー役に「シドニー・ポワチエ」や、他に「ヴィック・モロー」や「ポール・マザースキー」(後に映画監督)も出演していたでゲス。
んで、コノ作品は教師と不良学生が対決する学園ドラマの原点であると同時に「ロックンロール」ナンバーをテーマに用いた”最初の映画”でもありましたナ。
コノ「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、シングルのB面として1954年既に発表されていたんだけど、全くヒットせづに終わっていたんでゲス。
んが、コノ映画のテーマ曲として使われ再発された途端に、コノ曲は大ヒットを記録したんでしたナ。
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」にとって、映画「暴力教室」は、長尺の”ミュージック・ビデオ”の役割を果たして、ソレ自体が「ロックンロール」という音楽自体のイメージ・ビデオとなって社会全体に強烈なインパクトを与える事になったんでゲス。
んで、映画が公開されると映画館では若者達が通路で踊り出したり、暴動が起きる等、ソレ迄になかった、
”若者達の反抗”
が噴出してきて、アメリカ全土で問題視される様になりましたナ。
更にコノ年にゃぁ「エリア・カザン」の名作「エデンの東」と「理由なき反抗」が公開されて、翌年、遺作となった「ジャイアンツ」を残してコノ世を去る事になる永遠の青春スター「ジェームス・ディーン」が登場して、更にゃぁ”真打ち”とも言える「エルビス・プレスリー」が登場するんでゲス。
「エルビス」は歌だけじゃぁ無くダンス・パフォーマンスや生き方も含めて、全ての面で黒人音楽を自分のモノにしていて、白人青年の新しい文化を見事に体現する存在として活躍する事になりますナ。
元祖”「ロックンロール」ヒーロー”こと、「ビル」の活躍はどうだったのかというと、残念な事に、彼が「エルビス」のライバルになる事は、チョイと無理だったんでゲス。
卵形の頭のオデコにスピット・カールの前髪、日本で今じゃぁ「ねずっち」でスッカリ有名になっちゃったチェック柄のボディにショール・カラーの”タキシード”、早くも中年太り気味のお腹でしょ。
「ロック・アラウンド・ザ・・・」を発表した時は、既に32歳だったんですヨ。
そんな彼に若者達の反乱のイメージを抱く事は難しかったんでゲス。
勿論「ロックンロール」ブームの流れに乗って、彼らも一時はアイドル的人気を得る事が出来て、遂には「ロック・アラウンド・ザ・クロック」というタイトルの映画迄作られて、「アラン・フリード」や「リトル・リチャード」と共に彼達は主役を務めましたナ。


更に1956年迄は次々とヒット曲も出して、当時としては決して一発屋じゃぁ無かったんだけど、いかんせん彼達には「ロックンロール」以後のスタイルについて行くだけの若さは残されていなかったんでゲス。
ってな訳で、彼達はそれなりに「ロックンロール」バンドとして活躍し続けるものの、次第に人気のあるイギリスへのツアーか懐メロバンドとしての海外ツアーでしか稼げなくなって行きましたナ。
正直なところ残念ながら、長い目で見ると彼達もまた一発屋の1人ってな事になってしまうのかもしれないでゲス。
見た目も何も関係なく良い曲だから流行る・・・考えてみると”ソレ”は音楽にとって”実に健全な時代”だったのかもしれませんナ。
ってな事を書き連ねてみたものの、俺の”「ビル」達に対する思い”は彼等のサウンドに出会ってから現在迄、全く揺ぎ無く”大変に重要な位置”にあるんでゲス。
とにかく大好きな「ビル」達「サドルメン」、「ザ・コメッツ」、”ソコ”から枝分かれしていった「ザ・ジョディマース」にはタマラナイ魅力を感じずにゃぁいられないんですヨ。




ってな訳で、今日はココ迄でゲス。
では、では。
今日も又、大好きな、
「BILL HALEY & THE COMETS」

のUpでゲス。
どうなんだろう?
正しくは、
「BILL HALEY & HIS COMETS」
なのかもしれないですけどネ。
1925年7月6日、ミシガン州ハイランドパークに生まれた「ビル・ヘイリー」こと、「ウイリアム・ジョン・クリフトン・ヘイリー」は、17歳の頃から”ヨーデル歌手”として活動するようになり、「ヒルビリー・ミュージック」や「カントリー・ミュージック」のバンドで歌い旅回りをしていたそうでゲス。
1948年には自らのバンドを結成して、ペンシルヴァニア州のチェスターでラジオのDJとしても活躍して、色々なジャンルの音楽を聴きながら、次第に黒人達の間でブームになっていた「リズムンブルーズ」の影響を受けるようになるんですナ。

元々、彼のバンドは「フォー・エイセズ・オブ・ウエスタン・スウィング」という名で活動する「カントリー・ミュージック」系のバンドだったんだけど、サウンドを思考錯誤しているうちにバンド名を「サドルメン」に変えて、ソノ後に「ビル・ヘイリーと彼のコメッツ」と改めて、本格的に「ロックンロール」バンドとして活動するようになったんでゲス。
ソノ最初のヒットが、
「CRAZY MAN, CRAZY」
で、コノ曲は「ロックンロール」ナンバーとして初めて全米チャートの15位迄上昇して、ソノ後も「ジョー・ターナー」のナンバーの、
「SHAKE, RATTLE AND ROLL」

をカバーヒットさせる等、着実に人気を獲得していきましたナ。
そんな中、1955年5月に「ビル」達の曲の、
「ROCK AROUND THE CLOCK」
が使用された、映画の「暴力教室 」が公開されたんでゲス。

監督&脚本は「リチャード・ブルックス」で、彼は社会派の監督として、後に「冷血」(出た!!!)や「ミスター・グッド・バーを探して」等を撮る実力派として評価されていきますナ。
主役の教師役には「グレン・フォード」が、反抗的な生徒達のリーダー役に「シドニー・ポワチエ」や、他に「ヴィック・モロー」や「ポール・マザースキー」(後に映画監督)も出演していたでゲス。
んで、コノ作品は教師と不良学生が対決する学園ドラマの原点であると同時に「ロックンロール」ナンバーをテーマに用いた”最初の映画”でもありましたナ。
コノ「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、シングルのB面として1954年既に発表されていたんだけど、全くヒットせづに終わっていたんでゲス。
んが、コノ映画のテーマ曲として使われ再発された途端に、コノ曲は大ヒットを記録したんでしたナ。
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」にとって、映画「暴力教室」は、長尺の”ミュージック・ビデオ”の役割を果たして、ソレ自体が「ロックンロール」という音楽自体のイメージ・ビデオとなって社会全体に強烈なインパクトを与える事になったんでゲス。
んで、映画が公開されると映画館では若者達が通路で踊り出したり、暴動が起きる等、ソレ迄になかった、
”若者達の反抗”
が噴出してきて、アメリカ全土で問題視される様になりましたナ。
更にコノ年にゃぁ「エリア・カザン」の名作「エデンの東」と「理由なき反抗」が公開されて、翌年、遺作となった「ジャイアンツ」を残してコノ世を去る事になる永遠の青春スター「ジェームス・ディーン」が登場して、更にゃぁ”真打ち”とも言える「エルビス・プレスリー」が登場するんでゲス。
「エルビス」は歌だけじゃぁ無くダンス・パフォーマンスや生き方も含めて、全ての面で黒人音楽を自分のモノにしていて、白人青年の新しい文化を見事に体現する存在として活躍する事になりますナ。
元祖”「ロックンロール」ヒーロー”こと、「ビル」の活躍はどうだったのかというと、残念な事に、彼が「エルビス」のライバルになる事は、チョイと無理だったんでゲス。
卵形の頭のオデコにスピット・カールの前髪、日本で今じゃぁ「ねずっち」でスッカリ有名になっちゃったチェック柄のボディにショール・カラーの”タキシード”、早くも中年太り気味のお腹でしょ。
「ロック・アラウンド・ザ・・・」を発表した時は、既に32歳だったんですヨ。
そんな彼に若者達の反乱のイメージを抱く事は難しかったんでゲス。
勿論「ロックンロール」ブームの流れに乗って、彼らも一時はアイドル的人気を得る事が出来て、遂には「ロック・アラウンド・ザ・クロック」というタイトルの映画迄作られて、「アラン・フリード」や「リトル・リチャード」と共に彼達は主役を務めましたナ。


更に1956年迄は次々とヒット曲も出して、当時としては決して一発屋じゃぁ無かったんだけど、いかんせん彼達には「ロックンロール」以後のスタイルについて行くだけの若さは残されていなかったんでゲス。
ってな訳で、彼達はそれなりに「ロックンロール」バンドとして活躍し続けるものの、次第に人気のあるイギリスへのツアーか懐メロバンドとしての海外ツアーでしか稼げなくなって行きましたナ。
正直なところ残念ながら、長い目で見ると彼達もまた一発屋の1人ってな事になってしまうのかもしれないでゲス。
見た目も何も関係なく良い曲だから流行る・・・考えてみると”ソレ”は音楽にとって”実に健全な時代”だったのかもしれませんナ。
ってな事を書き連ねてみたものの、俺の”「ビル」達に対する思い”は彼等のサウンドに出会ってから現在迄、全く揺ぎ無く”大変に重要な位置”にあるんでゲス。
とにかく大好きな「ビル」達「サドルメン」、「ザ・コメッツ」、”ソコ”から枝分かれしていった「ザ・ジョディマース」にはタマラナイ魅力を感じずにゃぁいられないんですヨ。




ってな訳で、今日はココ迄でゲス。
では、では。
2010年8月22日 11時08分55秒 (Sun)
「BEAT」感覚に出来ている「ジミー」ドキュ作品
今日Upするのは、
「THE JAMES DEAN STORY」1957年(邦題「ジェイムス・ディーン物語」)

で、コノ作品は「ジェームズ・ディーン」の生涯を、彼の主演作・関係者の証言など交えて、彼の所属していた「ワーナー・ブラザーズ」社がドキュメンタリーとして製作した、いわば”公的バイオグラフィ”でゲス。
監督は、「ジョージ・W・ジョージ」、「ロバート・アルトマン」
出演は、勿論「ジミー」、「デニス・ホッパー」、「ロック・ハドソン」、「ジェーン・マンスフィールド」、「クリント・ウォーカー」、「クリスティーン・ホワイト」、「クラーク・ゲイブル」、「ナタリー・ウッド」等など。
「ジミー」が亡くなったのが55年9月なので、素早い対応と言えますナ。
劇的な夭折を遂げたとはいえ(彼は死んでから真のスターになったと言っていいでゲス。)、「ジミー」の当時の人気の絶大さを物語る作品でゲス。

.jpg)
「G・W・ジョージ」と、本作で発揮した手腕がハリウッドに買われ、TVシリーズ演出の売れっ子となった「アルトマン」(後にニュー・シネマ以降のアメリカ映画希望の星となる)が監督して、スチールを巧みに取り入れた構成は今観ても斬新で「BEAT」的な表現ですナ。
端役での出演作品や交通安全のPR映画等、駆け出し時代の映像も使用されていて、なかなかイイでゲス。
.jpg)
元々82分の長編なんだけど、日本公開時は50分程度の中編として、「ジミー」作品のリバイバルの併映作とされていたみたいですが、俺が観たビデオは82分の方でしたナ。


ってな訳で、今日はココ迄でゲス。
んじゃぁ、又。
「THE JAMES DEAN STORY」1957年(邦題「ジェイムス・ディーン物語」)

で、コノ作品は「ジェームズ・ディーン」の生涯を、彼の主演作・関係者の証言など交えて、彼の所属していた「ワーナー・ブラザーズ」社がドキュメンタリーとして製作した、いわば”公的バイオグラフィ”でゲス。
監督は、「ジョージ・W・ジョージ」、「ロバート・アルトマン」
出演は、勿論「ジミー」、「デニス・ホッパー」、「ロック・ハドソン」、「ジェーン・マンスフィールド」、「クリント・ウォーカー」、「クリスティーン・ホワイト」、「クラーク・ゲイブル」、「ナタリー・ウッド」等など。
「ジミー」が亡くなったのが55年9月なので、素早い対応と言えますナ。
劇的な夭折を遂げたとはいえ(彼は死んでから真のスターになったと言っていいでゲス。)、「ジミー」の当時の人気の絶大さを物語る作品でゲス。

.jpg)
「G・W・ジョージ」と、本作で発揮した手腕がハリウッドに買われ、TVシリーズ演出の売れっ子となった「アルトマン」(後にニュー・シネマ以降のアメリカ映画希望の星となる)が監督して、スチールを巧みに取り入れた構成は今観ても斬新で「BEAT」的な表現ですナ。
端役での出演作品や交通安全のPR映画等、駆け出し時代の映像も使用されていて、なかなかイイでゲス。
.jpg)
元々82分の長編なんだけど、日本公開時は50分程度の中編として、「ジミー」作品のリバイバルの併映作とされていたみたいですが、俺が観たビデオは82分の方でしたナ。


ってな訳で、今日はココ迄でゲス。
んじゃぁ、又。
2010年8月17日 7時52分38秒 (Tue)
「ROCK INSTRUMENTALS」 & 「SURFIN’ & HOT ROD」
「ロックンロール」誕生とほぼ同じくして、
”歌の無い器楽演奏のみの「ロック」=「インストゥルメンタル・ロック」”
も誕生しましたナ。
ソノ多くはダンスのバック演奏の発展形だったんだけど、”エレキ・ギター”の普及によって”主役”にも成り得たんでゲス。
最初のスターは、
「DUANE EDDY」

で、1958年にトレード・マークの”トゥワンギー・ギター”をフィーチャーした、
「REBEL ROUSER」
を大ヒットさせて、”「ギター・ロック」”の時代を宣言しましたナ。
あと、
「THE FIREBALLS」

や、4人組コンボ・バンドとしてヒットを連発した、
「THE VENTURES」(出た!!!)

や、
「THE ASTRONAUTS」

等なども続いて登場したんでゲス。
こういった少人数編成のバンドの成功によって、アメリカ全土(大袈裟じゃぁ無くって)に無数の10代による”ギター・バンド”が誕生しましたナ。
って事は、当然”エレキ・ギター”も飛躍的に普及していって、週末のダンス・パーティの主な活躍場所に「ギター・インスト」は”無くてはならない存在”となったんでゲス。
1960年代初頭の南カリフォルニアに起こった”「ギター・インスト」ブーム”が、ソノ顕著な例で、後年”ソレ”は、
「サーフィン・ミュージック」
って呼ばれる様になりますナ。
んで、突き詰めてみるとコノ「サーフィン・ミュージック」ってのは南カリフォルニア在住の10代の白人による「インスト」の事って定義出来るんでゲス。
んで、コノ「サーフィン・ミュージック」で最も有名な、
「THE BEACHBOYS」

も当然当てはまるんだけど、唯一彼等だけが”コノ”サウンドを出発点に世界的ポップ・バンドに成り得たんでしたナ。
1950年代後半から”エレキ・ギター”の爆発的普及によって未曾有のアマチュア・バンドが誕生した中で、特にロサンジェルス地区は、
「DICK DALE」(出た!!!)

っていう革新的”ギタリスト”の出現で、
”彼の様なサウンド=サーフィンをしている感覚をエレキ・ギターで表現する事”
がバンドの目的となっていったんでゲス。
とはいえ、ソノ多くはインディーズ・レーベルからシングル・レコードを数枚出す程度で消えていってしまいましたナ。
ソノ意味で「サーフィン・ミュージック」は”非商業的”だったんだけど、ソノ一方で「ザ・ビーチボーイズ」の成功をなぞる様に、「ゲーリー・アッシャー」、「ブルース・ジョンストン」、「ジャン・ベリー」等が大手レコード会社と結び付いて、あまたの”「サーフィン・ミュージック」的”な、優れた”商業音楽”を生み出したんでゲス。

ってな訳で、今日はココ迄ですナ。
では、では。
”歌の無い器楽演奏のみの「ロック」=「インストゥルメンタル・ロック」”
も誕生しましたナ。
ソノ多くはダンスのバック演奏の発展形だったんだけど、”エレキ・ギター”の普及によって”主役”にも成り得たんでゲス。
最初のスターは、
「DUANE EDDY」

で、1958年にトレード・マークの”トゥワンギー・ギター”をフィーチャーした、
「REBEL ROUSER」
を大ヒットさせて、”「ギター・ロック」”の時代を宣言しましたナ。
あと、
「THE FIREBALLS」

や、4人組コンボ・バンドとしてヒットを連発した、
「THE VENTURES」(出た!!!)

や、
「THE ASTRONAUTS」

等なども続いて登場したんでゲス。
こういった少人数編成のバンドの成功によって、アメリカ全土(大袈裟じゃぁ無くって)に無数の10代による”ギター・バンド”が誕生しましたナ。
って事は、当然”エレキ・ギター”も飛躍的に普及していって、週末のダンス・パーティの主な活躍場所に「ギター・インスト」は”無くてはならない存在”となったんでゲス。
1960年代初頭の南カリフォルニアに起こった”「ギター・インスト」ブーム”が、ソノ顕著な例で、後年”ソレ”は、
「サーフィン・ミュージック」
って呼ばれる様になりますナ。
んで、突き詰めてみるとコノ「サーフィン・ミュージック」ってのは南カリフォルニア在住の10代の白人による「インスト」の事って定義出来るんでゲス。
んで、コノ「サーフィン・ミュージック」で最も有名な、
「THE BEACHBOYS」

も当然当てはまるんだけど、唯一彼等だけが”コノ”サウンドを出発点に世界的ポップ・バンドに成り得たんでしたナ。
1950年代後半から”エレキ・ギター”の爆発的普及によって未曾有のアマチュア・バンドが誕生した中で、特にロサンジェルス地区は、
「DICK DALE」(出た!!!)

っていう革新的”ギタリスト”の出現で、
”彼の様なサウンド=サーフィンをしている感覚をエレキ・ギターで表現する事”
がバンドの目的となっていったんでゲス。
とはいえ、ソノ多くはインディーズ・レーベルからシングル・レコードを数枚出す程度で消えていってしまいましたナ。
ソノ意味で「サーフィン・ミュージック」は”非商業的”だったんだけど、ソノ一方で「ザ・ビーチボーイズ」の成功をなぞる様に、「ゲーリー・アッシャー」、「ブルース・ジョンストン」、「ジャン・ベリー」等が大手レコード会社と結び付いて、あまたの”「サーフィン・ミュージック」的”な、優れた”商業音楽”を生み出したんでゲス。

ってな訳で、今日はココ迄ですナ。
では、では。
2010年8月10日 11時24分12秒 (Tue)
「ロッキン肺炎ブギウギ流感」
ニューオリンズのカーニヴァル、”マルディ・グラ”のドンチャン騒ぎが、
”ソノまま音になった”
かの様な、
「HUEY ”PIANO” SMITH」

の「リズムンブルーズ」ネ。
よく跳ねる”ピアノ”の腕前、屈託の無い”ノヴェルティ・ソング”に織り込まれた朗らかなセンスは、 ”唯一無二” でゲス。
んでも、ソノ奥にゃぁ「ルイ・ジョーダン」の庶民的な感覚が影響されている事も解かるところが嬉しいですナ。
「HIS CLOWNS」
ってなバンドを率いていながら「ヒューイ」自身は唄わない事もあって、コノ「クラウンズ」にゃぁ何人かの”シンガー”が出入りしていたみたいでゲス。
そんな中でもヒットした、
「ROCKIN’ PNEUMONIA AND THE BOOGIE WOOGIE FLE」(邦題「ロッキン肺炎ブギウギ流感」)
「DON’T YOU JUST KNOW IT」
等に参加した「ボビー・マーシャン」のトボケ具合が最高で、ステージじゃぁ女装して登場していたってな事らしいですナ。
後に「インペリアル」、「インスタント」っていったレーベルへも作品を残すんだけど、何といっても1950年代後半の”黄金期”「エイス」レーベルでの、
”底抜けに陽気なニューオリンズ・サウンド”
を楽しんで欲しいでゲス。

あと、 「フランキー・フォード」 の、
「SEA CRUISE」(大好き!!!)

での”ピアノ”も「ヒューイ」なので、”いかにも”な「ニューオリンズ・ブーギ・ウーギ」がカッチョイイですナ。
ってな訳で、今日はココ迄でゲス。
では、では。
”ソノまま音になった”
かの様な、
「HUEY ”PIANO” SMITH」

の「リズムンブルーズ」ネ。
よく跳ねる”ピアノ”の腕前、屈託の無い”ノヴェルティ・ソング”に織り込まれた朗らかなセンスは、 ”唯一無二” でゲス。
んでも、ソノ奥にゃぁ「ルイ・ジョーダン」の庶民的な感覚が影響されている事も解かるところが嬉しいですナ。
「HIS CLOWNS」
ってなバンドを率いていながら「ヒューイ」自身は唄わない事もあって、コノ「クラウンズ」にゃぁ何人かの”シンガー”が出入りしていたみたいでゲス。
そんな中でもヒットした、
「ROCKIN’ PNEUMONIA AND THE BOOGIE WOOGIE FLE」(邦題「ロッキン肺炎ブギウギ流感」)
「DON’T YOU JUST KNOW IT」
等に参加した「ボビー・マーシャン」のトボケ具合が最高で、ステージじゃぁ女装して登場していたってな事らしいですナ。
後に「インペリアル」、「インスタント」っていったレーベルへも作品を残すんだけど、何といっても1950年代後半の”黄金期”「エイス」レーベルでの、
”底抜けに陽気なニューオリンズ・サウンド”
を楽しんで欲しいでゲス。

あと、 「フランキー・フォード」 の、
「SEA CRUISE」(大好き!!!)

での”ピアノ”も「ヒューイ」なので、”いかにも”な「ニューオリンズ・ブーギ・ウーギ」がカッチョイイですナ。
ってな訳で、今日はココ迄でゲス。
では、では。
2010年8月6日 13時25分32秒 (Fri)
仲間うちで流行の兆しアリ。
未だ至って少数なんだけど、俺の周りの仲間の間で流行っているシャツでゲス。

正式な名称は?
俺達は勝手に、
「アカン人(ひと)シャツ」
って呼んでいますヨ。
単なる、
”東南アジアの土産物シャツ”
なんだけど俺みたくな、
”どうにもアカン奴”
が着ると、ヤタラメッタラと似合ってしまうから困ったもんでゲス。
最初に手に入れたのは20年位前にアメリカへ古着の仕入れに行った人が、シャツを見るなり、
「JOEヤ!!!」
ってな事で、ソノ場で購入してホントに土産で貰った物なんですヨ。
どうにも大変に気に入ってよく着ていたなぁ。
んで、俺が着始めた直ぐ後に「空」っていうブランドが”コピー物”を製作して販売していたでゲス。(俺ん店でも販売していた。)
今思えば、ソレはソレで購入して持っていても良かった様な・・・。

元々地域に関係が無く何処のモノでも”ネイティヴ”な雰囲気がする服が好きな「BEAT」な仲間連中の所へ俺が着て行ってから周りも購入し始めたみたいでゲス。
最近じゃぁ”金銭的”な事もあって以前程、
”血眼になってモノを探す。”
ってな事はやらなくなって、
”ご縁があったら出会えるかも・・・。”
って考えている所為か、メッキリ見なくなってしまったのがト・ホ・ホ・・・でゲス。(サイズが大きいのは見かけるけどネ。)

現在は3着しか持ってないので、未だ安価なうちに集めたい気持ちも少々あったりもしていますナ。
そんな俺達が現在、
”熱くなっているシャツ”
は、コノ「アカン人シャツ」と、
「バティック・シャツ」
で、以前にバンド「上々颱風」の”ベーシスト”でマイミクの「にしやん」殿にもオリジナルとして製作した”アレ”でゲス。

ソノ後も”スーパー・ウルトラ超常連”の「tea」君なんかからもオーダーを受けたりして製作していますナ。(正直、”自分用”のも製作したいでゲス。)


とは言え、ヤッパ”夏のシャツ”っていったら、
「ハワイアン・シャツ」
なんでしょうが、こんなに暑いと”レーヨン”素材はキツイので、コノ手のシャツが”大活躍”しますナ。
仲間うちじゃぁ流行っていても、今後一般にゃぁ、
”流行なんか絶対にしそうも無い”
こんなシャツがタマラナク大好きな今日コノ頃でゲス。
ってな訳で、今日はココ迄ですナ。
では、では。

正式な名称は?
俺達は勝手に、
「アカン人(ひと)シャツ」
って呼んでいますヨ。
単なる、
”東南アジアの土産物シャツ”
なんだけど俺みたくな、
”どうにもアカン奴”
が着ると、ヤタラメッタラと似合ってしまうから困ったもんでゲス。
最初に手に入れたのは20年位前にアメリカへ古着の仕入れに行った人が、シャツを見るなり、
「JOEヤ!!!」
ってな事で、ソノ場で購入してホントに土産で貰った物なんですヨ。
どうにも大変に気に入ってよく着ていたなぁ。
んで、俺が着始めた直ぐ後に「空」っていうブランドが”コピー物”を製作して販売していたでゲス。(俺ん店でも販売していた。)
今思えば、ソレはソレで購入して持っていても良かった様な・・・。

元々地域に関係が無く何処のモノでも”ネイティヴ”な雰囲気がする服が好きな「BEAT」な仲間連中の所へ俺が着て行ってから周りも購入し始めたみたいでゲス。
最近じゃぁ”金銭的”な事もあって以前程、
”血眼になってモノを探す。”
ってな事はやらなくなって、
”ご縁があったら出会えるかも・・・。”
って考えている所為か、メッキリ見なくなってしまったのがト・ホ・ホ・・・でゲス。(サイズが大きいのは見かけるけどネ。)

現在は3着しか持ってないので、未だ安価なうちに集めたい気持ちも少々あったりもしていますナ。
そんな俺達が現在、
”熱くなっているシャツ”
は、コノ「アカン人シャツ」と、
「バティック・シャツ」
で、以前にバンド「上々颱風」の”ベーシスト”でマイミクの「にしやん」殿にもオリジナルとして製作した”アレ”でゲス。

ソノ後も”スーパー・ウルトラ超常連”の「tea」君なんかからもオーダーを受けたりして製作していますナ。(正直、”自分用”のも製作したいでゲス。)


とは言え、ヤッパ”夏のシャツ”っていったら、
「ハワイアン・シャツ」
なんでしょうが、こんなに暑いと”レーヨン”素材はキツイので、コノ手のシャツが”大活躍”しますナ。
仲間うちじゃぁ流行っていても、今後一般にゃぁ、
”流行なんか絶対にしそうも無い”
こんなシャツがタマラナク大好きな今日コノ頃でゲス。
ってな訳で、今日はココ迄ですナ。
では、では。
プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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