2011年10月 アーカイブ
2011年10月31日 20時18分29秒 (Mon)
「BILLY ”THE” KID」
”「ビリー・ザ・キッド」”・・・・・って聞いた事あるでしょ。

んでも、「ビリー・ザ・・・」って”通称”なんだよネ。
なので、今日はコノ「ビリー」について少々Upしますナ。
えっと、「ビリー・ザ・キッド」は、1859年11月23日ニューヨーク生まれで南部で育ったと言われているんでゲス。
本名は「HENRY McCARTY」(「ヘンリー・マッカーティー」)とされるんだけど、”偽名”として「HENRY ANTRIM」(「ヘンリー・アントリム」)、「WILLAM H. BONNY」(「ウィリアム・H・ボニー」)という名前も残っていて、後者の「ウィリアム・・・」の方は有名ですナ。(「ウィリアム・・・」の名はサインに使われて、知事に恩赦を求めて本人が書いた手紙等が残っているですヨ。)
南北戦争期でも特に知られた殺人者で、伝説では12歳の時に母親を侮辱した男を殺して”アウトロー”となったとされるんだけど、実際には家を出たのが母が死んだ15歳の時で、最初の殺人を犯したのが17歳の時らしいでゲス。
10歳代に殺人を犯してから死ぬ迄に21人を殺害した(メキシカンやネイティブ・アメリカンは含まない)っていうんですナ。
んでも、ソノ実数は恐らく9人(自分1人で4人、他の助けを得て5人)なんじゃぁないかとも言われているんでゲス。
日頃はアリゾナやテキサス、更にメキシコ国境で牛泥棒、強盗や殺人を重ねていたらしいですヨ。
目は青く、ソノ時代のアメリカ西部の”無法者”としては”口が達者”で、異様に親しみやすい態度の持ち主であったみたいでゲス。
1880年12月に友人でもあった保安官の「パット・ギャレット」によって仲間と共に逮捕されるんですナ。
翌81年4月18日に刑務所を脱走して、同年7月14日、「ギャレット」に射殺されるんでゲス。
ソノ時「ビリー」は”丸腰”で寝室から食べ物を取りに部屋を出たところを闇討ちされたと言われていますナ。
寸前に発した最後の言葉は、
「¿QUIEN ES?」(スペイン語で「誰だ」の意)
とも言われているんでゲス。
「ビリー」の墓彼の墓石は有名人にありがちな事に、度々記念品として削られて持ち帰られちゃう為に、現在は檻の中に仕舞われてしまっているんですナ。
んで、墓石にはこんな墓碑銘が刻まれているだけど、
TRUTH AND HISTORY.
21 MAN.
THE BOY BANDIT KING
HE DIED AS HE LIVED
WILLAM H. BONNEY ”BILLY THE KID”
(真実と経歴
21人を殺した
少年悪漢王
彼は彼らしく生きて死んだ
ウィリアム・H・ボニー ”ビリー・ザ・キッド”)
んで、こんな”キャラ”なので、映画の題材にゃぁ持って来いなんだよネ。
古くは1930年から制作されていて、ざっと羅列すると、
「BILLY THE KID」1930年(邦題「ビリー・ザ・キッド」)

「THE OUTLAW」1943年(邦題「ならず者」)

「THE KID FROM TEXAS」1950年(邦題「テキサスから来た男」)

「THE LEFT HANDED GUN」1958年(邦題「左ききの拳銃」)

「BILLY THE KID VS. DRACULA」1965年(邦題「ビリー・ザ・キッド対ドラキュラ」)

「PAT GARRETT AND BILLY THE KID」1973年(邦題「ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯」)

「YOUNG GUNS」1988年(邦題「ヤングガン」)

「YOUNG GUNS Ⅱ」1990年(邦題「ヤングガン2」)

等ですかねェ。
コノ中で、俺が好きな作品は、「ならず者」、「左ききの・・・」、「ビリー・ザ・キッド/21歳の・・・」で、そんな中でも「ポール・ニューマン」が「ビリー」を演じた「左ききの・・・」がダントツに」好きでゲス。

そう言えば、1879年3月に「ビリー」はニューメキシコ準州知事の「ルー・ウォレス」と極秘に会見していて、説得された上で翌80年に投降したんだけど期待していた恩赦は受けられそうになくて、4月に留置所を脱走するんだけど、コノ時に会見した準州知事の「ルー・ウォレス」ってのが”小説家”として有名な、大作映画「ベン・ハー」の原作者なんですヨ。
まぁ、こんなところでしょうかネ。
んじゃぁコレで。





んでも、「ビリー・ザ・・・」って”通称”なんだよネ。
なので、今日はコノ「ビリー」について少々Upしますナ。
えっと、「ビリー・ザ・キッド」は、1859年11月23日ニューヨーク生まれで南部で育ったと言われているんでゲス。
本名は「HENRY McCARTY」(「ヘンリー・マッカーティー」)とされるんだけど、”偽名”として「HENRY ANTRIM」(「ヘンリー・アントリム」)、「WILLAM H. BONNY」(「ウィリアム・H・ボニー」)という名前も残っていて、後者の「ウィリアム・・・」の方は有名ですナ。(「ウィリアム・・・」の名はサインに使われて、知事に恩赦を求めて本人が書いた手紙等が残っているですヨ。)
南北戦争期でも特に知られた殺人者で、伝説では12歳の時に母親を侮辱した男を殺して”アウトロー”となったとされるんだけど、実際には家を出たのが母が死んだ15歳の時で、最初の殺人を犯したのが17歳の時らしいでゲス。
10歳代に殺人を犯してから死ぬ迄に21人を殺害した(メキシカンやネイティブ・アメリカンは含まない)っていうんですナ。
んでも、ソノ実数は恐らく9人(自分1人で4人、他の助けを得て5人)なんじゃぁないかとも言われているんでゲス。
日頃はアリゾナやテキサス、更にメキシコ国境で牛泥棒、強盗や殺人を重ねていたらしいですヨ。
目は青く、ソノ時代のアメリカ西部の”無法者”としては”口が達者”で、異様に親しみやすい態度の持ち主であったみたいでゲス。
1880年12月に友人でもあった保安官の「パット・ギャレット」によって仲間と共に逮捕されるんですナ。
翌81年4月18日に刑務所を脱走して、同年7月14日、「ギャレット」に射殺されるんでゲス。
ソノ時「ビリー」は”丸腰”で寝室から食べ物を取りに部屋を出たところを闇討ちされたと言われていますナ。
寸前に発した最後の言葉は、
「¿QUIEN ES?」(スペイン語で「誰だ」の意)
とも言われているんでゲス。
「ビリー」の墓彼の墓石は有名人にありがちな事に、度々記念品として削られて持ち帰られちゃう為に、現在は檻の中に仕舞われてしまっているんですナ。
んで、墓石にはこんな墓碑銘が刻まれているだけど、
TRUTH AND HISTORY.
21 MAN.
THE BOY BANDIT KING
HE DIED AS HE LIVED
WILLAM H. BONNEY ”BILLY THE KID”
(真実と経歴
21人を殺した
少年悪漢王
彼は彼らしく生きて死んだ
ウィリアム・H・ボニー ”ビリー・ザ・キッド”)
んで、こんな”キャラ”なので、映画の題材にゃぁ持って来いなんだよネ。
古くは1930年から制作されていて、ざっと羅列すると、
「BILLY THE KID」1930年(邦題「ビリー・ザ・キッド」)

「THE OUTLAW」1943年(邦題「ならず者」)

「THE KID FROM TEXAS」1950年(邦題「テキサスから来た男」)

「THE LEFT HANDED GUN」1958年(邦題「左ききの拳銃」)

「BILLY THE KID VS. DRACULA」1965年(邦題「ビリー・ザ・キッド対ドラキュラ」)

「PAT GARRETT AND BILLY THE KID」1973年(邦題「ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯」)

「YOUNG GUNS」1988年(邦題「ヤングガン」)

「YOUNG GUNS Ⅱ」1990年(邦題「ヤングガン2」)

等ですかねェ。
コノ中で、俺が好きな作品は、「ならず者」、「左ききの・・・」、「ビリー・ザ・キッド/21歳の・・・」で、そんな中でも「ポール・ニューマン」が「ビリー」を演じた「左ききの・・・」がダントツに」好きでゲス。

そう言えば、1879年3月に「ビリー」はニューメキシコ準州知事の「ルー・ウォレス」と極秘に会見していて、説得された上で翌80年に投降したんだけど期待していた恩赦は受けられそうになくて、4月に留置所を脱走するんだけど、コノ時に会見した準州知事の「ルー・ウォレス」ってのが”小説家”として有名な、大作映画「ベン・ハー」の原作者なんですヨ。
まぁ、こんなところでしょうかネ。
んじゃぁコレで。




2011年10月31日 7時05分41秒 (Mon)
又々懲りずに「RHYTHM & BLUES」

つい少し前に長々とUpしたけど大好きなので未だ懲りずにUpするでゲス。
”「R & B」”は、
「アール・アンド・ビー」じゃぁ無くって、あくまでも、
”「リズムンブルーズ」 ”
である。 ・・・・・って、何んかの本にUpされてましたナ。
”黒人流行歌”だった「ブルーズ」、そして、一部の「ジャズ」を押しのけて1950年代に、
”黒人流行歌”~”大衆音楽の主流”
になっていって、1960年代の「ソウル・ミュージック」興隆の”下地”となった「リズムンブルーズ」ネ。
.jpg)
案外、コイツは厄介で、又、面白味タップリの”未開地”でもありますナ。
そもそも、「リズムンブルーズ」ったぁ何なのか。
「ブルーズ」と、どう違うのか。
「ゴスペル・ミュージック」も”躍動感”そのものじゃぁないのか。
「ロックンロール」との関係は?
”「ブルーズ」マン”から見たら、ソノ名の通り”新世代”の”リズム=ビート”を持った”黒人音楽”で、1970年代、80年代の”「ソウル」マン”から見れば”古き良き音楽”でゲス。
WW2後に生まれた”黒人音楽”・・・”ソレ”をひっくるめて「リズムンブルーズ」って呼んでもイイかもしれないですナ。
「ジャンプ・ブルーズ」も「ヴォーカル・グループ」も、まして「B.B.キング」や「マディ・ウォーターズ」だって、「リズムンブルーズ」だったんでゲス。




イヤイヤ、能書きは要らんですナ。
「チャック・ベリー」、「ボ・ディドリー」、「リトル・リチャード」の”御三家”から、「ソウル・ミュージック」期への”橋渡し役”ともなる”巨人”「ジェームズ・ブラウン」迄、1950年代から60年代にかけて、”黒人音楽”業界は、史上例を見ない活況ぶりを見せているんでゲス。


.jpg)

”アーティスト数”、”発表レコード数”、そして”音楽的充実”は、底なし沼の魅力を持っていたんですナ。
本当に、
”時代の音”
なんでゲス。

まぁ、こんなところですナ。
んじゃぁ、今回はココ迄でゲス。
では、では。







2011年10月30日 17時42分44秒 (Sun)
「大脱走」の10年も以前に・・・。
あのサ、WW2の映画が大好きなんでゲス。
勿論、こんな性格なんで、”ドンパチ”の殺し合いがイイんじゃぁなくって、兵隊達のコスチュームが好きなんですヨ。
一時、そんなで「戦争映画」ばかりレンタルして観ていた中の1本に”とんでもない”コノ作品があったんでゲス。
「STALAG 17」1953年(邦題「第十七捕虜収容所」)

ですナ。
監督は、「ビリー・ワイルダー」
出演は、「ウィリアム・ホールデン」、「ドン・テイラー」、「オットー・プレミンジャー」、「ロバート・ストラウス」、「ハーヴェイ・レンベック」、「ネヴィル・ブランド」、「ピーター・グレイブス」、「シグ・ルーマン」、「リチャード・アードマン」等など。
1955年「七年目の浮気」、1959年「お熱いのがお好き」、1960年「アパートの鍵貸します」等の”コメディ”を得意とする監督の”ソレ以前”の作品でゲス。
んで、観てみて、ビックリ!
ソレ以前にもう何度かTVで観ていた「大脱走」は、コノ映画の”パクリ”?と言ってしまいたくなる程同じようなところが多々あるんですナ。(勿論「大脱走」の方がスケールがデカイ。)

いつもの如く、映画なのでストーリーについてはUpしませんヨ。
アッ、”コレ”ネ、捕虜の話なので陰湿かと思ったら、”ソコ”は巨匠の「ビリー・ワイルダー」でゲス。
明るい「コメディー映画」ですゼ。
観終わって、何だかイイ気分になったのを覚えているでゲス。


んでサ、主演の「ウィリアム・ホールデン」の「B-3」姿がイカス!んだなぁ。
大変に細かい話なんだけど、「ホールデン」が着用している「B-3」は、WW2以前に生産されて軍に納入された「フィリップスタンニング」社の物で、ソノ特徴はフロントのファスナー・エンドのコットン・テープ部分がメタル・プレートで補強してあって表からは”ハトメ”が判るって事と、通常「B-3」といえば背中部分が”3パネル縫い合わせ”に対して、”コレ”は”2パネル縫い合わせ”だし、腰部分のサイズ・アジャスタ個所も”逆V”になっているんでゲス。

他にも「ピーター・グレイブス」が「D-1」を着用していたり、「ドン・テイラー」が「M-444」を着用しているのも嬉しいですゼ。
.jpg)
Stalag_17_1[1](1).jpg)
原作がイイ所為か、舞台劇にもなっていて、評判良しとの事ですナ。
殆ど男ばっかり出ている作品なんだけど、”コレ”は観てほしい作品でゲス。
んじゃ、コレにて。


[1](1).jpg)


.jpg)

勿論、こんな性格なんで、”ドンパチ”の殺し合いがイイんじゃぁなくって、兵隊達のコスチュームが好きなんですヨ。
一時、そんなで「戦争映画」ばかりレンタルして観ていた中の1本に”とんでもない”コノ作品があったんでゲス。
「STALAG 17」1953年(邦題「第十七捕虜収容所」)

ですナ。
監督は、「ビリー・ワイルダー」
出演は、「ウィリアム・ホールデン」、「ドン・テイラー」、「オットー・プレミンジャー」、「ロバート・ストラウス」、「ハーヴェイ・レンベック」、「ネヴィル・ブランド」、「ピーター・グレイブス」、「シグ・ルーマン」、「リチャード・アードマン」等など。
1955年「七年目の浮気」、1959年「お熱いのがお好き」、1960年「アパートの鍵貸します」等の”コメディ”を得意とする監督の”ソレ以前”の作品でゲス。
んで、観てみて、ビックリ!
ソレ以前にもう何度かTVで観ていた「大脱走」は、コノ映画の”パクリ”?と言ってしまいたくなる程同じようなところが多々あるんですナ。(勿論「大脱走」の方がスケールがデカイ。)

いつもの如く、映画なのでストーリーについてはUpしませんヨ。
アッ、”コレ”ネ、捕虜の話なので陰湿かと思ったら、”ソコ”は巨匠の「ビリー・ワイルダー」でゲス。
明るい「コメディー映画」ですゼ。
観終わって、何だかイイ気分になったのを覚えているでゲス。


んでサ、主演の「ウィリアム・ホールデン」の「B-3」姿がイカス!んだなぁ。
大変に細かい話なんだけど、「ホールデン」が着用している「B-3」は、WW2以前に生産されて軍に納入された「フィリップスタンニング」社の物で、ソノ特徴はフロントのファスナー・エンドのコットン・テープ部分がメタル・プレートで補強してあって表からは”ハトメ”が判るって事と、通常「B-3」といえば背中部分が”3パネル縫い合わせ”に対して、”コレ”は”2パネル縫い合わせ”だし、腰部分のサイズ・アジャスタ個所も”逆V”になっているんでゲス。

他にも「ピーター・グレイブス」が「D-1」を着用していたり、「ドン・テイラー」が「M-444」を着用しているのも嬉しいですゼ。
.jpg)
Stalag_17_1[1](1).jpg)
原作がイイ所為か、舞台劇にもなっていて、評判良しとの事ですナ。
殆ど男ばっかり出ている作品なんだけど、”コレ”は観てほしい作品でゲス。
んじゃ、コレにて。


[1](1).jpg)


.jpg)

2011年10月30日 12時36分47秒 (Sun)
観たい!
未観の作品でゲス。
「FACE IN THE CROWD」1957年(邦題「群衆の中の一つの顔」)

ですナ。
監督は、「エリア・カザン」
出演は、「パトリシア・ニール」、「アンディ・グリフィス」、「アンソニー・フランシオサ」、「ウォルター・マッソー」、「リー・レミック」等など。
マスコミによって人気者になった青年の悲劇を描いた作品でゲス。

ラジオ「KGRK」局のアナウンサーの「マーシャ・ジェフリーズ」は、自分の担当する番組の「群衆の中の一つの顔」の取材で、アーカンサス州ビケットの拘置所に行ったんですナ。

ココに収容されている”酔っ払い”、”ホームレス”等の声をマイクにのせる積もりだったんだけど、ソノ中に「ロンサム・ローズ」っていう”ギター”を弾き「民謡(多分「ブルーズ」?)」を唄う若者を発見したんでゲス。
彼の素朴な味のある唄に魅かれた彼女は、”ソレ”を録音にとって帰ったんですナ。
ところがコノ録音を聞いた「マーシャ」の伯父で放送局を経営する「J・B・ジェフリーズ」は、すっかり「ロンサム・ローズ」に惚れ込んで、「マーシャ」に口説かせて契約をとったんでゲス。

「ロンサム・ローズ」のヴォリュームある”声”と魅力ある”ギター”の音はラジオの電波に乗って忽ち大旋風をまき起こして大衆の”ヒーロー”に祭り上げられちゃうんですナ。
彼の声は家庭の主婦、田舎の青少年にぴったりで、隣州のテネシー州メンフィスのTV局から好条件で引抜きにあったんでゲス。
.png)
んでも、”ソレ”と共に「ロンサム・ローズ」の人間性は失われていってしまって、「マーシャ」は、”富”と”名声”を追う「ロンサム・ローズ」に失望して、独断で、大衆の愚かさをあざ笑う「ロンサム・ローズ」の”素顔の声”を無断で放送してしまう・・・。

アメリカで”社会派の映画人”の中でも「カザン」は”最も乾いた作家”と言ってもイイでしょ。
コノ作品にも、そんな「カザン」監督の特徴が伺える作品らしいでゲス。
んで、コノ作品以前に制作した「波止場」と同じ”脚本”、”監督”のコンビの”狙い”は、
”マスコミ社会の暴露”
と、
”群集の頼りなさ”
そして、”ソレ”ゆえの、
”恐ろしさ”
で、一口に”民主主義”ってな奇麗事では片付けられないモノが”ソコ”にはある事を訴えている作品らしいでゲス。

かなり以前にある映画の本でコノ作品について知ったんだけど、日本ではビデオ化もDVD化もされていないので、観る手段は海外で発売されているDVDを購入する以外に方法が無いので、国内でのDVD化を願ってますナ。
ウ~ン、観たい!
んじゃぁ、又。

「FACE IN THE CROWD」1957年(邦題「群衆の中の一つの顔」)

ですナ。
監督は、「エリア・カザン」
出演は、「パトリシア・ニール」、「アンディ・グリフィス」、「アンソニー・フランシオサ」、「ウォルター・マッソー」、「リー・レミック」等など。
マスコミによって人気者になった青年の悲劇を描いた作品でゲス。

ラジオ「KGRK」局のアナウンサーの「マーシャ・ジェフリーズ」は、自分の担当する番組の「群衆の中の一つの顔」の取材で、アーカンサス州ビケットの拘置所に行ったんですナ。

ココに収容されている”酔っ払い”、”ホームレス”等の声をマイクにのせる積もりだったんだけど、ソノ中に「ロンサム・ローズ」っていう”ギター”を弾き「民謡(多分「ブルーズ」?)」を唄う若者を発見したんでゲス。
彼の素朴な味のある唄に魅かれた彼女は、”ソレ”を録音にとって帰ったんですナ。
ところがコノ録音を聞いた「マーシャ」の伯父で放送局を経営する「J・B・ジェフリーズ」は、すっかり「ロンサム・ローズ」に惚れ込んで、「マーシャ」に口説かせて契約をとったんでゲス。

「ロンサム・ローズ」のヴォリュームある”声”と魅力ある”ギター”の音はラジオの電波に乗って忽ち大旋風をまき起こして大衆の”ヒーロー”に祭り上げられちゃうんですナ。
彼の声は家庭の主婦、田舎の青少年にぴったりで、隣州のテネシー州メンフィスのTV局から好条件で引抜きにあったんでゲス。
.png)
んでも、”ソレ”と共に「ロンサム・ローズ」の人間性は失われていってしまって、「マーシャ」は、”富”と”名声”を追う「ロンサム・ローズ」に失望して、独断で、大衆の愚かさをあざ笑う「ロンサム・ローズ」の”素顔の声”を無断で放送してしまう・・・。

アメリカで”社会派の映画人”の中でも「カザン」は”最も乾いた作家”と言ってもイイでしょ。
コノ作品にも、そんな「カザン」監督の特徴が伺える作品らしいでゲス。
んで、コノ作品以前に制作した「波止場」と同じ”脚本”、”監督”のコンビの”狙い”は、
”マスコミ社会の暴露”
と、
”群集の頼りなさ”
そして、”ソレ”ゆえの、
”恐ろしさ”
で、一口に”民主主義”ってな奇麗事では片付けられないモノが”ソコ”にはある事を訴えている作品らしいでゲス。

かなり以前にある映画の本でコノ作品について知ったんだけど、日本ではビデオ化もDVD化もされていないので、観る手段は海外で発売されているDVDを購入する以外に方法が無いので、国内でのDVD化を願ってますナ。
ウ~ン、観たい!
んじゃぁ、又。

2011年10月30日 6時53分35秒 (Sun)
イタリー映画の「マエストロ」達
イタリーじゃぁ普通、映画の”プロデューサー”達や”監督”、”俳優”達を広く”映画人”っていう意味で、
「チネアスタ(CINEASTA)」
って呼んでいるんでゲス。
”ソレ”とは別に、
「チネマトグラファーロ(CINEMATOGRAFARO)」
っていう言葉があって、”コレ”は基本的に”大衆向け娯楽映画専門”の”プロデューサー”達を意味するイタリー語ですナ。
もっとも、”ソコ”にゃぁ「チネアスタ」とは一線を画した”映画屋”とか”映画ゴロ”ってな”侮辱的”な意味合いが込められているんでゲス。
WW2後にイタリー映画界は”リアリズム”を強調した、
”「ネオ・リアリズモ」運動”
が盛んになって、「ロベルト・ロッセリーニ」、「ピエトロ・ジェルミ」、「ルキノ・ヴィスコンティ」、「ヴィットリオ・デ・シーカ」っていった”監督”達が一躍注目を集めましたナ。
イタリー映画に格別の興味や関心が無い人でも、
「PAISA PAISAN」1946年(邦題「戦火のかなた」)
.jpg)
「LADRI DI BICICLETTE」1948年(邦題「自転車泥棒」)
.jpg)
「RISO AMARO」1949年(邦題「にがい米」)
.png)
「LA STRADA」1954年(邦題「道」)
.jpg)
「IL FERROVIERE」1956年(邦題「鉄道員」)
.jpg)
ってな作品のタイトル位は聞いた事があると思うでゲス。
んで、コレ等の諸作は日本でも公開されて、”イタリー映画史”のみならず”世界映画史”でも”重要な作品”として位置付けられて、今日に至っていますナ。
ソノ一方では、「剣戟」や「史劇スペクタクル」、「コメディ」等、大衆の為の”純然たる娯楽映画”の当然作られていたんでゲス。
WW2で疲弊して、心身共に傷ついた人々を慰めるには、こうした”方の凝らない映画”の方が喜ばれるのは言う迄も無いですナ。
WW2後間も無くのイタリー映画については、日本じゃぁ”判で押した様に”「ネオ・リアリズモ」作品ばっかり語られて、イタリー映画全体から見ると”ソレ”は、あくまで”微々たるモノ”で、数的には”大衆娯楽”作品が圧倒的に多かったんでゲス。
んな中で最初に”興行的な成功”を見たのは、”ギリシャ神話”の英雄を主人公に制作された、
「LE FATICHE DI ERCOLE」1957年(邦題「ヘラクレス」)
.jpg)
でしたナ。
アメリカから「スティーヴ・リーブス」を招いて作った、コノ”怪力英雄話”は翌年に公開されて大ヒットとなって、直ぐに続編が制作されて1作目を上回る興収を記録したんでゲス。
コノ成功で”映画が確実に商売になる事”を知った「チネマトグラファーロ」達は、我も我もと多くの”亜流映画”を量産しましたナ。
1960年代に入ると”怪力英雄話”以外にも「グラディエーター」モノや「海賊」モノが、コレでもか!とばかりに制作されて、ソレ等はイタリーの”娯楽映画”を代表するジャンルとなって海外へも多く”輸出”されたんでゲス。
コノ間、「チネアスタ」達の活動も続くんだけど(例えば”プロデューサー”の「カルロ・ポンティ」や「ディーノ・デ・ラウレンティス」、”監督”の「フェデリコ・フェリーニ」、「ロベルト・ロッセリーニ」、「ミケランジェロ・アントニオーニ」、あるいは本来”詩人”、”小説家”の「ピエル・パオロ・パゾリーニ」等)、”娯楽映画専門”の「チネマトグラファーロ」達の勢いも又、増すばかりだったんですヨ。
先出の”怪力英雄話”や”史劇”のブームが終わったと悟るや、彼等は有ろう事か、今度はハリウッドの”独壇場”と信じられていた「西部劇」作りに血道を上げるんでゲス。
並行する形で「スパイ・アクション」にも熱中していましたナ。
ソノ”映画制作”の特質は、一言で言うなら、
”一丁戴き!”
ってなところで、自国製であれ、他国製であれ、何か1つの作品が大ヒットすると、ソレッとばかりに類似した作品を”臆面も無くマーケットに提供する”事だったでゲス。
「西部劇」の量産のキッカケになったのは、
「PER UN PUGNO DI DOLLARI」1964年(邦題「荒野の用心棒」)
.jpg)
で、「スパイ」モノは、イギリスの「007」シリーズの世界的な成功だったんですナ。
「荒野の・・・」は、そもそもが日本映画の、
「用心棒」昭和36年(1961年)
からの”一丁戴き!”で、人々を映画館に呼び込む為に彼等は手段を選ばなかったんでゲス。
「チネマトグラファーロ」が一般に蔑称とされる所以で、彼等が自らそう称している訳じゃぁ無いんだけど、そういった「チネマトグラファーロ」達の要求に応えたのが多くの”監督”達で、何よりも”映画好き”で、”ソレ”が作りたくってコノ道に入った彼等は利潤を追い求める”プロデューサー”達の”商業主義”に”異論”を唱える事しないで、限られた”予算”と”撮影日数”に少なくとも面と向かっては文句も言わず愚痴も溢さず、ソノ”無節操さ”にも反発せず、ソレどころか、一緒になって大衆の為の”娯楽映画”を何年にも亘って飽く事無く作り続けていきましたナ。
そういう意味合いからイタリーじゃぁ、こうした”ディレクター”達も二義的に、あるいは広い意味で「チネマトグラファーロ」の範疇に加わるでゲス。
最初の方で”プロデューサー”としての彼等を”映画ゴロ”なんて品の悪い形容をしたんだけど、”監督”の場合はイササカ古い表現なんだけど”活動屋”とでも訳すべきかもネ。
ところで、イタリーで映画のジャンルをおよそ20種類に分けている(細分化すれば30種類以上)んだけど、彼等はソノ内の、
AZIONE(アクション、現代活劇)
ORRORE(ホラー、怪奇作品)
BELLICO(戦争作品)
PEPLUM(史劇、神話)
COMMEDIA(喜劇)
WESTERN(西部劇)
SPIONAGGO(スパイ作品)
GIALLO(犯罪、推理作品)
AVVENTURA(中世、近世の剣戟、海賊、冒険作品)
っていった”娯楽映画”の重要なジャンルに手を染めて(得手、不得手、成功、失敗は別にして。)イササカ大げさに言えば、
”何でもござれ!”
ってばかりに”職人肌”を発揮して”プロデューサー”達の注文に応えて、各々の”フィルモブラフィア”に作品を刻んでいったでゲス。
1950年代から、およそ半世紀以上に亘って「スペクタクル史劇」から血みどろの「ゾンビ作品」や、果てには「カニバリズム(人肉食い)作品」迄を次々に放っていくんだけど、ソノ”バイタリティ”と”エナジー”には見習うべきモノがあって、ソノ”担い手”は紛れも無く”彼等”だったんでしたナ。
日本の”映画ジャーナリズム”は、ソノ”亜流性”から、とかくオリジナリティに欠けるイタリーの”ディレクター”達を、あまり評価していないのが実状なんだけど、ひたすら”大衆娯楽”び徹して、時に”強烈な個性”を発揮した”彼等”の”存在”と”業績”は一際異彩を放つモノで、やがて失われていくであろう記憶の中にのみ留めておいてイイものじゃぁ決してないと考えるんでゲス。
まぁ、こんなところでしょうかネ。
んじゃぁ、コレにて。
では、では。
.jpg)


「チネアスタ(CINEASTA)」
って呼んでいるんでゲス。
”ソレ”とは別に、
「チネマトグラファーロ(CINEMATOGRAFARO)」
っていう言葉があって、”コレ”は基本的に”大衆向け娯楽映画専門”の”プロデューサー”達を意味するイタリー語ですナ。
もっとも、”ソコ”にゃぁ「チネアスタ」とは一線を画した”映画屋”とか”映画ゴロ”ってな”侮辱的”な意味合いが込められているんでゲス。
WW2後にイタリー映画界は”リアリズム”を強調した、
”「ネオ・リアリズモ」運動”
が盛んになって、「ロベルト・ロッセリーニ」、「ピエトロ・ジェルミ」、「ルキノ・ヴィスコンティ」、「ヴィットリオ・デ・シーカ」っていった”監督”達が一躍注目を集めましたナ。
イタリー映画に格別の興味や関心が無い人でも、
「PAISA PAISAN」1946年(邦題「戦火のかなた」)
.jpg)
「LADRI DI BICICLETTE」1948年(邦題「自転車泥棒」)
.jpg)
「RISO AMARO」1949年(邦題「にがい米」)
.png)
「LA STRADA」1954年(邦題「道」)
.jpg)
「IL FERROVIERE」1956年(邦題「鉄道員」)
.jpg)
ってな作品のタイトル位は聞いた事があると思うでゲス。
んで、コレ等の諸作は日本でも公開されて、”イタリー映画史”のみならず”世界映画史”でも”重要な作品”として位置付けられて、今日に至っていますナ。
ソノ一方では、「剣戟」や「史劇スペクタクル」、「コメディ」等、大衆の為の”純然たる娯楽映画”の当然作られていたんでゲス。
WW2で疲弊して、心身共に傷ついた人々を慰めるには、こうした”方の凝らない映画”の方が喜ばれるのは言う迄も無いですナ。
WW2後間も無くのイタリー映画については、日本じゃぁ”判で押した様に”「ネオ・リアリズモ」作品ばっかり語られて、イタリー映画全体から見ると”ソレ”は、あくまで”微々たるモノ”で、数的には”大衆娯楽”作品が圧倒的に多かったんでゲス。
んな中で最初に”興行的な成功”を見たのは、”ギリシャ神話”の英雄を主人公に制作された、
「LE FATICHE DI ERCOLE」1957年(邦題「ヘラクレス」)
.jpg)
でしたナ。
アメリカから「スティーヴ・リーブス」を招いて作った、コノ”怪力英雄話”は翌年に公開されて大ヒットとなって、直ぐに続編が制作されて1作目を上回る興収を記録したんでゲス。
コノ成功で”映画が確実に商売になる事”を知った「チネマトグラファーロ」達は、我も我もと多くの”亜流映画”を量産しましたナ。
1960年代に入ると”怪力英雄話”以外にも「グラディエーター」モノや「海賊」モノが、コレでもか!とばかりに制作されて、ソレ等はイタリーの”娯楽映画”を代表するジャンルとなって海外へも多く”輸出”されたんでゲス。
コノ間、「チネアスタ」達の活動も続くんだけど(例えば”プロデューサー”の「カルロ・ポンティ」や「ディーノ・デ・ラウレンティス」、”監督”の「フェデリコ・フェリーニ」、「ロベルト・ロッセリーニ」、「ミケランジェロ・アントニオーニ」、あるいは本来”詩人”、”小説家”の「ピエル・パオロ・パゾリーニ」等)、”娯楽映画専門”の「チネマトグラファーロ」達の勢いも又、増すばかりだったんですヨ。
先出の”怪力英雄話”や”史劇”のブームが終わったと悟るや、彼等は有ろう事か、今度はハリウッドの”独壇場”と信じられていた「西部劇」作りに血道を上げるんでゲス。
並行する形で「スパイ・アクション」にも熱中していましたナ。
ソノ”映画制作”の特質は、一言で言うなら、
”一丁戴き!”
ってなところで、自国製であれ、他国製であれ、何か1つの作品が大ヒットすると、ソレッとばかりに類似した作品を”臆面も無くマーケットに提供する”事だったでゲス。
「西部劇」の量産のキッカケになったのは、
「PER UN PUGNO DI DOLLARI」1964年(邦題「荒野の用心棒」)
.jpg)
で、「スパイ」モノは、イギリスの「007」シリーズの世界的な成功だったんですナ。
「荒野の・・・」は、そもそもが日本映画の、
「用心棒」昭和36年(1961年)
からの”一丁戴き!”で、人々を映画館に呼び込む為に彼等は手段を選ばなかったんでゲス。
「チネマトグラファーロ」が一般に蔑称とされる所以で、彼等が自らそう称している訳じゃぁ無いんだけど、そういった「チネマトグラファーロ」達の要求に応えたのが多くの”監督”達で、何よりも”映画好き”で、”ソレ”が作りたくってコノ道に入った彼等は利潤を追い求める”プロデューサー”達の”商業主義”に”異論”を唱える事しないで、限られた”予算”と”撮影日数”に少なくとも面と向かっては文句も言わず愚痴も溢さず、ソノ”無節操さ”にも反発せず、ソレどころか、一緒になって大衆の為の”娯楽映画”を何年にも亘って飽く事無く作り続けていきましたナ。
そういう意味合いからイタリーじゃぁ、こうした”ディレクター”達も二義的に、あるいは広い意味で「チネマトグラファーロ」の範疇に加わるでゲス。
最初の方で”プロデューサー”としての彼等を”映画ゴロ”なんて品の悪い形容をしたんだけど、”監督”の場合はイササカ古い表現なんだけど”活動屋”とでも訳すべきかもネ。
ところで、イタリーで映画のジャンルをおよそ20種類に分けている(細分化すれば30種類以上)んだけど、彼等はソノ内の、
AZIONE(アクション、現代活劇)
ORRORE(ホラー、怪奇作品)
BELLICO(戦争作品)
PEPLUM(史劇、神話)
COMMEDIA(喜劇)
WESTERN(西部劇)
SPIONAGGO(スパイ作品)
GIALLO(犯罪、推理作品)
AVVENTURA(中世、近世の剣戟、海賊、冒険作品)
っていった”娯楽映画”の重要なジャンルに手を染めて(得手、不得手、成功、失敗は別にして。)イササカ大げさに言えば、
”何でもござれ!”
ってばかりに”職人肌”を発揮して”プロデューサー”達の注文に応えて、各々の”フィルモブラフィア”に作品を刻んでいったでゲス。
1950年代から、およそ半世紀以上に亘って「スペクタクル史劇」から血みどろの「ゾンビ作品」や、果てには「カニバリズム(人肉食い)作品」迄を次々に放っていくんだけど、ソノ”バイタリティ”と”エナジー”には見習うべきモノがあって、ソノ”担い手”は紛れも無く”彼等”だったんでしたナ。
日本の”映画ジャーナリズム”は、ソノ”亜流性”から、とかくオリジナリティに欠けるイタリーの”ディレクター”達を、あまり評価していないのが実状なんだけど、ひたすら”大衆娯楽”び徹して、時に”強烈な個性”を発揮した”彼等”の”存在”と”業績”は一際異彩を放つモノで、やがて失われていくであろう記憶の中にのみ留めておいてイイものじゃぁ決してないと考えるんでゲス。
まぁ、こんなところでしょうかネ。
んじゃぁ、コレにて。
では、では。
.jpg)


プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
最近の記事一覧
カテゴリー
アーカイブ
携帯用QRコード
- アクセス数

- ページビュー数
