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2011年11月 アーカイブ

2011年11月30日 19時50分40秒 (Wed)

「BLUES」 (ソノ1)

「ブルーズ」・・・っていう”音楽”

俺が、大それて言う事も無いんだろうけど、まぁご了承くださいませ、ませ。

”コレ”サ、単に”心の状態”とか、特定の”音楽スタイル”を指すっていうよりも、もっと相対的な、”もっと土着的”な音楽を指すモノって”黒人達”には考えられてきたんでゲス。



アル本に面白い事がUpしてあったんだけど、”ソレ”はネ、

・・・「マイケル・ジャクソン」にしてみれば当然「ジョニー・テイラー」辺りは”「ブルーズ」シンガー”って事になるでしょうナ。

んでも、ソノ「ジョニー・テイラー」にとっちゃぁ”「ブルーズ」シンガー”は「ボビー・ブランド」や「アルバート・キング」だという事にもなるでゲス。

イヤ、ウンと年配に言わせれば「ボビー・ブランド」は”「リズムンブルーズ」シンガー”で、”「ブルーズ」シンガー”は、もっと田舎の「ライトニン・ホプキンス」みたくな人達って事になるのかもしれないですナ。・・・
 
ですと。

こう言ってしまうと、「ブルーズ」って音楽の幅が、あまりにも広がってしまうので、「リズムンブルーズ」とか「ソウル・ミュージック」に、もっと広い意味を与えて「ブルーズ」っていう場合は、もっと限定して使う使う事の方が現在は多いでゲス。

つまり、「リズムンブルーズ」へと形を変えていく以前の、

「ジャンプ・ブルーズ」

「クラブ・ブルーズ」

南部の田舎の、

「ダウン・ホーム・ブルーズ」

から、

「シティ・ブルーズ」

へと流れて、更に

「モダン・ブルーズ」

へと行き着く流れが”ソレ”ですナ。

只、”コレ”だけでも、楽に2冊や3冊の本が書けてしまう位の”豊富な中身”を持っているので、ココじゃぁ「リズムンブルーズ」、「ソウル・ミュージック」に関係の深いところでの”「ブルーズ」の流れ”に触れてみたいでゲス。

「ブルーズ」は独自の”伝統”と”流れ”を持っているんだけど、「リズムンブルーズ」界で話題になった作品、つまり「リズムンブルーズ/ソウル・ミュージック」チャートの上位になった曲を見てみると、ヤッパリ”ダンス”に結び付いた曲が多い事に気付くんですヨ。

WW2後、「ダウン・ホーム・ブルーズ」畑から生まれた”最初の大ヒット曲”は、1949年の「ジョン・リー・フッカー」の、

「BOOGIE CHILLEN」

って言われているんだけど、”コレ”も言う迄も無く”ダンス・ナンバー”でゲス。
 


南部の田舎のパーティ等では”ごく在りふれた「ギター・ブーギ」”を「ジョン・リー」流の独特なリズムでデトロイトっていう都会にマッチさせたのがコノ曲でしたナ。

”ダウン・ホーム・ブルーズマン”の名前が正しくピッタリの様に「ジョン・リー」は”クルード(野性的)”な「南部ブルーズ」をそのままデトロイトに持ち込んで”ギター”の弾き語りで”数々の名作”を残したんだけど、”ビッグ・ヒット”っていやぁ大抵こうした”ダンス・ナンバー”だったんでゲス。

1951年の大ヒット曲の、

「I’M IN THE MOOD」

も洗練された「ブーギ」ビートが”ソノ”ヒットの秘密だったし、「ヴィー・ジェイ」レーベル時代の、

「BOOM BOOM」

も、1960年代初期の”ダンス・ブーム”に便乗したヒットとなりましたナ。

シカゴでも状況は似た様なモノだったんでゲス。

「マディ・ウォーターズ」、「ハウリン・ウルフ」が1950年前後に「アリストクラット/チェス」レーベルから早くもヒット曲を出して、「ダウン・ホーム・ブルーズ」に対するレコード会社の目が向けられる様になったってな話は有名ですナ。

こうした「ダウン・ホーム・ブルーズ」畑から出て来た”最大ヒット曲”は、1952年の「リトル・ウォルター」の、

「JUKE」

だったんでゲス。



「ウォルター」は”ハーモニカ”に”マイク”をくっ付けて電気増幅する”アンプリファイド・ハープ”を発明したんだけど、”ソノ”リズムは言う迄もなく「ブーギ」で、”「シカゴ・ブルーズ」サウンド”と、”ハーモニカ(ハープ)”の見事な調和が、ソノ曲を一層優れた”ダンス・ナンバー”にしていましたナ。

とは言え、「シカゴ・ブルーズ」界において”一番影響力”を持ったのは、勿論、先出の「マディ・ウォーターズ」だったんだけど、「マディ」の売り物は何と言っても”ボトルネック”を使った「スロー・ブルーズ」で、”ダンス的な面”をカヴァーしていたのが、「ウォルター」であり、「ジミー・ロジャース」だったと言ってもイイでゲス。

「ジミー」には、

「CHICAGO BOUND」

の様な”傑作”があるんだけど、先出の「ジューク」と、コノ「シカゴ・バウンド」の2曲共に”リズム”を付けたのは「マディ」の”ギター”だったんだけどネ。

メンフィスじゃぁ1953年に、「リトル・ジュニア・パーカー」が「サン」レーベルから、

「FEELIN’GOOD」

のヒットをカッ飛ばしたんだけど、彼のコノ曲から、

「MYSTERY TRAIN」

等の”「ブーギ」ビート”は、ハッキリと「ブギ・チレン」にヒントを得たモノで、ソノ”バンド・サウンド”がダンスに好適な”ウキウキ感”を余計際立たせていたんでゲス。
 


んじゃぁ、続きは次回に。

では、では。








2011年11月29日 20時24分50秒 (Tue)

謎の”ゲテモノ映画”作家

1950年代の「ユニヴァーサル」社で”B級映画の傑作”(イヤ、C級?D級?・・・Z級か?)をえらく沢山プロデュースした、

「ALBERT ZUGSMITH」

って...知らないでしょうネ。

イヤ、知らないってのが普通でゲス。(普通じゃぁない俺もあんまり知らないからなぁ。)

ウ~ン、先ず俺が「ザグスミス」を最初に知ったのは、大好きな女優さんの、「メイミー・ヴァン・ドーレン」が出演している映画のビデオを色々と集めていたら、何本かの結構面白い作品(そう思うのは俺だけかもネ。)の”プロデューサー”が「ザグスミス」だったんでゲス。

”ソレ”がキッカケで興味を持っちゃって色々調べてみたら、日本じゃぁ中々情報が無くって”往生コキ”ましたナ。

んでネ、何処からにしようかなぁ。

そうそう、「リチャード・マシスン」脚本の”哲学SF”の傑作の、

「INCREDIBLE SHRINKING MAN」1957年(邦題「縮みゆく男」)
 




あと、

「HIGHSCOOL CONFIDENTIAL」1958年(邦題「性愛の曲がり角」)
 


上の2作は「ジャック・アーノルド」監督の作品でゲス。

”ソレ”と、「オーソン・ウェルズ」監督作品の、

「TOUCH OF EVIL」1958年(邦題「黒い罠」)
 




ですナ。

こんな”マトモ”な作品をプロデュースしている人物が、当時流行していた「BEAT風俗映画」の、

「BEAT GENERATION」1959年(日本未公開)
 




辺りから、どうしたモノか突然”メジャー映画会社”を離れて、

「御代は観てのお帰りでゲス。」

みたくな所謂「エクスプロイテーション映画」を自ら”監督”迄し始めるんですナ。

”ソレ”は、

「COLLEGE CONFIDENTIAL」1960年(日本未公開)
 




に始まって、

「PRIVATE LIVES OF ADAM & EVE」1960年(日本未公開)
 


「SEX KITTENS GO TO COLLEGE」1960年(日本未公開)
 




「CONFESSIONS OF AN OPIUM EATERS」1962年(邦題「女を売る街」)
 




「LSD I HATE YOU」1966年(邦題「LSDなんか大嫌い」)
 


っていった具合にタイトルを見ただけで”頭が悪くなる”様な(俺はこんなのが大好きで今となっては...トホホ。)”性教育”?、”反ドラッグ”?のドキュメント?、ドラマばかり製作してましたナ。

キャスティングが、またハチャメチャで、「ルイ・アームストロング」や「メル・トーメ」等の”ミュージシャン”でしょ。

”元祖ロッキー”こと「ロッキー・マルシアーノ」、「ブリジット・バルドー」の妹(名前は知らない。)、「ハロルド・ロイド」や「チャップリン」の息子(こちらも名前は知らない。)、「ヴァンパエラ」ネ。

んで先出の「マリリン・モンロー」の”B級版”「ジェーン・マンスフィールド」(好きでゲス。)の、さらに”モドキ扱い”の「メイミー・ヴァン・ドーレン」(本当に大好きでゲス。)が彼の作品に多く”主演”しているんでゲス。

俺ネ、「HIGHSCHOOL・・・」と、「COLLEGE・・・」と、「SEX KITTENS・・・」はビデオを持っていて(「ヴァン・ドーレン」が出演しているので。)、「HIGHSCHOOL・・・」は良かったんだけど、残りの2作は正直なところ、

”骨の髄までお馬鹿で面白い”

作品だったなぁ。

んでもネ、本当に、

「コノ人の”脳みそ”は大丈夫なのかぁ?」

って思う程なのに、「ザグスミス」の最初の作品は”容共的”で”リベラル”なインテリ達が”マンハッタンを核攻撃される夢”を見て”共産主義”の恐ろしさを知るっていうような”反共宣伝映画”の、

「INVASION USA」1952年(邦題「原爆下のアメリカ」)



だったりするんで、まぁ、解る様な気がしますナ。

あのネ、「〇〇映画祭り」っていうのがあるでしょ。

例えば「ゴジラ映画祭り」、「クレージー・キャッツ映画祭り」、「ブルース・リー映画祭り」、「裕次郎映画祭り」、「ヘプバーン映画祭り」とかサ。

何処かで「ザグスミス映画祭り」って演ってくれないかなぁ。(誰も観ないかも。)
 
まぁイイでゲス。

んじゃぁ、今回はコレで。

では、では。
 











2011年11月29日 12時44分00秒 (Tue)

「マクィーン」が唄う映画

今回Upするのは、

「BABY, THE RAIN MUST FALL」1964年(邦題「ハイウェイ」)
 


っていう映画でゲス。

監督は、「ロバート・マリガン」

出演は、「リー・レミック」、「スティーブ・マクィーン」、「ドン・マレー」等など。
 
「又、マクィーンかい。」

って言われても、大好きなんだからショウガナイでゲス。

「マクィーン」としては、コノ前後に「大脱走」、「シンシナティ・キッド」といった名作があって、彼としては”ノリに乗っていた時期の作品郡の1作”ですナ。

とはいっても、かなりシリアスな人生ドラマの所為もあって、名作ではあっても”小品”っぽいイメージは否めないでゲス。
 


んで、作品中での「マクィーン」は”歌手”役なので、歌を唄うシーンがあってチャンと自分で唄っているっていう話ですナ。(因みに「ロック」と「フーテナー」を唄ってるでゲス。)
 


あと、設定が当時(1960年代)のテキサスなので、ファッション的にもナカナカ楽しめれますナ。

「マクィーン」が「ラングラー」社のダンガリー・シャツ(「27MW」?)に「リーヴァイ」社のダンガリーズ(ジーパン「501」)を着用していてイイ感じですナ。



中学生の頃に買った「マクィーン」の写真集にコノ作品のスナップも載っていて、ギター抱えて唄っている「マクィーン」の姿を見てからズ~と観たくって観たくってしょうがなかった(ソノ後もビデオ化もされていなかった。)んだけど、数年前にやっとDVDを手に入れる事が出来て、満足しましたナ。

最近迄ビデオ化もされていなかったっていう事は、作品としての評価が低い作品なのかなぁ。

俺は結構好きでゲス。

んじゃぁ、コレで。

では、では。












2011年11月29日 1時22分05秒 (Tue)

「KING」っていうレコード・レーベルの話



「キング」レーベルってのは「キング」は勿論、傘下に「クィーン」、「デラックス」、「フェデラル」、「ロッキン」、「グローリ」、「ベツレヘム」、「オーディオ・ラヴ」、「スターディ=キング」が属していて、1950年代には”独立レコード会社”として最も幅広く、最も順調なレーベルでしたナ。

「SYD NATHAN」



が1944年にシンシナティで「フォーク・ミュージック」と「カントリー・ミュージック」のレーベルとして「キング」レーベルを設立(ソレより1年前に「マール・トラヴィス」と「グランパ・ジョーンズ」のセッションを録音している。)し、

「デルモア・ブラザーズ」



「ホークショウ・ホーキンズ」



「ムーン・マリカン」



「カウボーイ・コーパス」



っていった顔ぶれを揃えていましたナ。

1950年代には「ポピュラー・ミュージック」部門も出来て、

「スティーヴ・ロレンス」

「ルービー・ライト」

を加入させる事となるんでゲス。

少し遡るけど1947年には「ヘンリー・グラヴァ」が”A&Rマネージャー”としてソノ後25年に亘る付き合いを始め、「リズムンブルーズ」アーティストの大半をプロデュースしたり、当時としちゃぁ他に例のなかった「リズムンブルーズ」と「カントリー・ミュージック」の”曲”、”スタイル”、”シンガー”を混合したりしていたんですナ。

んで、

「ラッキー・ミリンダ」

「ブルムース・ジャクソン」

のバンドや”歌手”の、

「ロイ・ブラウン」



「ワイノニ・ハリス」



を手がけて沢山のヒット曲を作り出していく事となるんでゲス。

「ロックンロール」が”発展”していった1950年代を通じては”黒人音楽”(レイス・ミュージック)の全分野に亘って活躍していきますナ。

「BLOODSHOT EYES」(「ワイノニ・ハリス」)

「GOOD ROCKIN’ TONIGHT」(「ロイ・ブラウン」)

「THE TRAIN KEPT A’ROLLIN」(「タイニー・ブラッドショウ」)



「HEARTS OF STONE」(「ザ・チャームズ」)

「WALKING THE BLUES」(「ジャック・デュプリー&ミスター・ベア」)

「WORK WITH ME ANNIE 」(「ザ・ミッドナイターズ」)



「HONKY TONK」(「ビル・ドゲット」)



等など。

本当にヒット・メイカーなレーベルでしたナ。

んでも、”コレ”だけに終わらず後の”BIGネーム”2人を発見し、開拓する事となるんでゲス。

1人は、

「FEVER」

の”ウルトラ・スマッシュ・ヒット”を出す、

「リトル・ウィリー・ジョン」



で、もう1人は、

「PLEASE, PLEASE, PLEASE」

以降、実質的にこのレーベル全体を支えていき、ある意味で”黒人音楽の世界を塗り替えた”、

「ジェームズ・ブラウン」
 


だったんですナ。

他にも、

「ザ・5ロイヤルズ」



「フレディー・キング」

「ジョニー・ギター・ワトソン」



なんかも在籍していましたナ。

オーナーの「シド・ネイザン」は、1950年代初期から、以後持病となる心臓病にみまわれて、1968年3月5日に心臓病に肺炎を併発して他界をしてしまうんでゲス。

ソノ年の10月に「キング」レーベルはナッシュビルの「スターディ」レーベル(元は「キング」傘下だった。)に買収されて、ソノ直ぐ後に「スターディ」レーベルは「リン・ブロードキャスティング」社に買収されて、コノ会社は3年後に「テネシー・レコーディング&パブリッシング」社に買収されていきますナ。

ハイ、今回はコレにて。

では、では。
 















2011年11月28日 12時20分19秒 (Mon)

何とも無理のない唄い口

今回Upするのは、

「PATTI PAGE」
 


でゲス。

1927年11月8日オクラホマ州タルサ生まれで、本名を「クララ・アン・ファーラー」って言うんですヨ。

皆さんご存知アメリカの「スタンダード・ポップス」を代表する女性歌手の一人でゲス。

彼女は、”絵”を習う傍ら”唄っていた”りしていたら、地元の放送局で”歌手”が病気で休んだ時に”代役”で唄ったのが認められて、そのまま唄い続ける事になったんですヨ。

当初は「ヒルビリー・ミュージック」を唄っていたんだけど、1945年に「ジミー・ジョーイ」楽団の”専属歌手”になってからは”スタンダード・ミュージック”を唄うようになっていったんでゲス。



1950年の秋に”マルチ・トラック・ヴォイス録音”をした、

「TENNESSEE WALTZ」

が”ミリオン・セラー”になって一躍スターとなりましたナ。

”コノ曲”によって彼女は1950年代に女性アーティストとして最も多くのレコード売り上げ枚数を記録したし、「ポピュラー・ミュージック」から「カントリー・ミュージック」への”クロスオーバー”を果たした先駆者の1人でもあるんでゲス。

かなり以前にTV番組の「エド・サリバン・ショウ」で、「天使のハンマー」を唄っていたのを観て感動したし、「バート・ランカスター」主演映画の、

「ELMER GANTRY」1960年(邦題「エルマー・ガントリー魅せられた男」)

にも出演していたりした事を思い出したでゲス。



とにかく、

”無理のない唄い口”

っていうのが俺の印象で、彼女が唄った曲の中では、

「CHANGEING PARTNER」

が、ダントツで好きでゲス。

そんなに詳しく知らないのでコノ辺迄にしますネ。

では、では。








プロフィール

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自己紹介
WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、

”「BEAT」野郎”

で、特に1950年代が大好物でゲス。

岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)

他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)

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