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2012年2月 アーカイブ

2012年2月27日 12時29分43秒 (Mon)

’50sのアメ車



俺の周りにゃぁ、結構”車好き”の人達がいるんだけど、俺自身は正直なところ”あんまり興味が無い”んでゲス。

イヤ、”あんまり”なので勘違いしないでほしいんだけど、”嫌い”じゃぁないんですヨ。

それぞれに”好きなモノ”があって、俺は”映画”と”音楽”、そして”衣服”が好きなだけでゲス。
 


そんな俺でも、所謂”’50sカー”にゃぁ、

何だか”ワクワクする”感覚

があるんですヨ。(単に1950年代が好きだからかも。)

んで、以前に、

「雑誌広告にみるアメリカングラフィティ ザ・フィフティーズ 1 クルマ」

っていう当時の”アドバダイジング”を集めた本を見ていたんでゲス。

んで、”ソコ”にとっても楽しくなる”文面”があったので、ココにUpしようと思いましたナ。(プラス俺なりの解釈で。)



”1950年代のアメリカ車の外見的特徴は、何といってもアノ跳ね上がった”テールフィン”ですナ。

コノ”テールフィン”は、1948年型「キャディラック」で初めて採用され、当初は「GM」社でも”批判的意見”の方が多かったらしいでゲス。

ところが、一般ユーザーには”大好評”を博したんですヨ。

”WW2”と、ソレに続く”朝鮮戦争”を乗り切って、名実共に世界一の超大国に伸し上ったアメリカの”高揚した国民的意識”と、アメリカ人一般にある”俗悪趣味”にピッタリとマッチしたんでしょうナ。

コノ為、”フィン”は毎年のモデル・チェンジの度毎に大きく、過激になっていき、1959年型「キャディラック」に至ってソノ”極み”に達したんでゲス。
 


しかも、1955年頃からライバル各車が一斉に”テールフィン”スタイルを模倣して、「キャデイラック」に追随した為、1950年代中期以降の”アメリカ車の殆ど”が”テールフィン”スタイルになってしまったんですナ。

”テールフィン”と並んで1950年代のアメリカ車を特徴付けるのが、ピカピカの”クロームメッキ”の飾りでゲス。

アメリカ車の”過剰装飾性”の傾向は1920年代から表れていたんだけど、1950年代に入ると、ソノ”物質的繁栄”の中で一挙に”顕在化”したモノだったんですナ。
 


ボディー・カラーも更に”赤”、”黄”、”青”といった派手な原色が”大流行”だったみたいでゲス。

あと、もう1つの特徴は”エンジンの大型化”でしょうナ。

1950年、アメリカ車の中で「V8」エンジン搭載車の割合は”40%強”に過ぎなかったんでゲス。

「V8」エンジンは”高級車”のモノで、”中級車”、”大衆車”は「V6」っていうのが常識だったみたいですナ。
 


んでも、”テールフィン”の巨大化に歩調を合わせてエンジンの大型化も急速に進んで、1953年には全体の”50%”が「V8」搭載車になって、更に1957年には”80%”に達したんでゲス。

一方、エンジンの大型化は必然的に”ボディの大型化”となって表れて、”全長5m”を超す車も珍しくなくなったんですナ。

因みに1959年型「キャディラック」の”主要諸元”は次の通りでゲス。

全長 5.72m
全幅 2.06m
軸距 3.3m
車両重量 2.31t
エンジン V8 6393cc
出力 325馬力

ですと。

ドンダケェ~ッ!(もう古いですナ。)巨大な車だったか、現在の日本車と比べてみれば、よく分かりますナ。
 


んで、1950年代のアメリカでは、車は単なる”輸送手段”じゃぁなくって、乗る人の”ステイタス”や、キャラクターの”代弁者”って言われていたんでゲス。

なので車には銘柄によって、それぞれ独特のイメージがあって、ユーザーは”車を買う”っていうよりも、その”イメージを買う”んだってされていたんですナ。

例えば、「キャディラック」や「インペリアル」は”事業経営者”とか、「ビューイック」や「パッカード」は”医師”、”弁護士”、”大学教授”等の知的職業者、「ポンティアック」は”教師”、「ナッシュ」は”ミセス”等と言われていたんでゲス。

”社会的地位”が上がると、車も”より高いグレード”に乗り換える様になったんですナ。
 


コレは当時の話なんだけど(現在は違うヨ。)、1950年代の終わりに、アメリカに留学していた人が、アメリカ人の教授にこんな事を言われたんだって、

「コノ国で人を判断する方法は、たった1つしか無い。
それは、ソノ人物が乗っている車を見るんだ。
”高級車”に乗っている奴が必ずしも”高級な人種”だとは限らないが、”下等”な車に乗っている奴は、間違いなく”下等な人種”だ。
気を付けろ!」

だってサ。

「悪かったネ。”下等”で。」

って思うのは俺だけかなぁ。
 


話は戻って、1957年頃から、栄光のアメリカにも少しづつ深刻な変化の兆しが表れ始めてきたんでゲス。

1957年のソ連の人工衛星「スプートニク」打ち上げや、1958年の景気後退、国際収支の赤字転落、ヨーロッパの台頭等、アメリカにとっては”暗いニュース”が続きましたナ。

ソレ等は”パックス・アメリカーナ時代”の終わりが近づいている事を思わせるモノでゲス。

自動車の世界にも、やがて”明らかな変化”が表れてきて、”華美”で”いささか俗悪”なオーバー・デザインが嫌われ始めて、またガソリンをバラ撒いて走る様な”燃費の悪い”浪費性が敬遠される様になったんですナ。

んで、人々の関心は次第に”燃費がイイ”経済的な”ヨーロッパ製小型車”に向かい始めていたいたんでゲス。

1955年にゃぁ殆ど統計には表れなかった輸入小型車が、1957年には”21万台”、翌1958年には”38万台”、1959年にゃぁ”61万台”っていう具合に着実に増加していって、1950年代末にゃぁ”全米新車登録台数”の”10%”を占める迄になったんですナ。

コノ”10%”の中にゃぁ、未だ”ネグリジブル”な数だったんだけど、「トヨタ」、「日産」の日本からの小型車が含まれていた事は勿論でゲス。

んで、1960年代、70年代と時が経つにつれて、日本車は序々にシェアを広げていって、やがて”輸入車マーケットの殆ど全部”を支配する様になってしまうんですナ。

ソノ事が今日の日米間の”貿易戦争”を生む要因になった事は言う迄もないでゲス。”

って書いてあったヨ。
 


1950年代のアメリカの栄光を象徴した”「V8」アメリカン・カー”の姿は、完全に歴史のかなたに消え去り(あくまで”一般大衆向けの新車の事)、当時の車の”愛好家”の手によって、大切に乗り継がれていることは、アル意味での、

”ドキュメンタリー”

でゲス。
 


俺の周りの、そういった車が好きな人達は嬉しい事に”みんなイイ人”なので、大好きでゲス。

今回はコレで。

では、では。

(尚、文中に差し込んである車のスナップは直接文面とは関係ありません。)





































2012年2月24日 22時24分58秒 (Fri)

”「テレ」弾き”が好きなんだからショウガナイんでゲス。

大変にクドイ様だけど、俺は「フェンダー」社の「テレキャスター」が”大好き”なんですナ。



何度も言うけど、”見た目”も”音”もでゲス。

んで、当然の如く「テレキャスター」を弾いてる”アーティスト”も好きで”誰が1番”って事も無く結構いるんでゲス。

「スティーヴ・クロッパー」



「ジェームズ・バートン」



「アルバート・リー」
 


「ミッキー・ジー」
 


「ウィルコ・ジョンソン」
 


「エイモス・ギャレット」

「クラレンス”ゲイトマウス”ブラウン」



「アルバート・コリンズ」
 


「キース・リチャーズ」
 


「ジェフ・ベック」

等など・・・。

あと、名前は分らないんだけど「グランド・オール・オープリー」で「テレキャスター」を弾いてる人ネ。

勿論、ココにUpした人達は”「テレキャスター」だけを使用している訳じゃぁ無く”って、ソノ他の”ギター”も使っている人が殆どでゲス。(ン?「アルバート・コリンズ」は「テレキャスター」のみか?)

当然、「マディ・ウォーターズ」も「ジミー・ブライアント」、「ルーサー・パーキンス」、「ダニー・ガットン」、「ロイ・ブキャナン」、「ピート・タウンゼント」、「アイク・ターナー」、「ヒルトン・ヴァレンタイン」等など・・・も、「テレキャスター」を使用している大好きな”アーティスト”なんだけど、そんな事言ってたらキリが無いのでコノ辺にしておきますナ。
 








別に、

”「テレキャスター」弾きが好きって事が言いたかっただけ”

なので、コレといってUpする事が他に無いので終わりにしますナ。

んじゃぁ、又。













2012年2月11日 20時48分46秒 (Sat)

「MONTGOMERY CLIFT」

大好きな、

「MONTGOMERY CLIFT」



でゲス。

当時「マーロン・ブランド」の”良きライバル”とされていて、当人同士も大変仲良しだったらしいですナ。



「モンティ」を”1言”で表すのは難しいでゲス。

”清らか”

”神経が細やか”

”やさしい”

”気が弱い”

こんなところかなぁ。

勿論、”コレ”は「モンティ」自身じゃぁなくって、”演じたキャラ”の事ですヨ。
 


WW2後のアメリカは「ゲーリー・クーパー」や「ジェームズ・スチュアート」、「グレゴリー・ペック」の様な”明るい”イメージが必要だったところに”突如”「モンティ」が登場してきたんだけど、製作側としちゃぁもう1つ乗り気じゃぁなかったんだけど観客は「モンティ」を求めたんでゲス。

おそらく「モンティ」にゃぁ”アメリカの若さ(青さ)”があったからだと俺は思うネ。(ココんところを「ジミー」は真似たし「ジミー」自身も認めているでゲス。)
 


んで、好きな作品はというと、

「A PLACE IN THE SUN」1951年(邦題「陽のあたる場所」)





「I CONFESS」1953年(邦題「私は告白する」)






「FROM HERE TO ETERNITY」1953年(邦題「地上より永遠に」)





がダントツにイイですナ。

「陽のあたる・・・」と「地上より・・・」では”ハワイアン・シャツ”を着ているシーンがあるんだけど、カッチョイイでゲス。
 


1957年、そんな「モンティ」に突然”不幸”がやってくるんですヨ。

自分で運転していた車で、しかもロケ先で交通事故をしてしまったんでゲス。

役者として”最も大事”な顔のクラッシュだったんですヨ。

大手術の後、幾分は良くはなったものの所謂”人相”は変わってしまってソノ後の作品は”ソノ出来事(現実)を引きずっている”演技にしか見えないんでゲス。

俺なんか、コレっぽっちもイイ男でもないのに、”今迄付き合ってきたコノ顔”が変わってしまったら・・・。

あまり考えたくないですナ。

「モンティ」はどちらかというと”綺麗系”なので余計にネ。

「モンティ」も「ポール・ニューマン」と一緒で、作品に恵まれているから先出の3作以外も大変良いので、もし「モンティ」に興味を持った方は是非映画を観てくださいナ。



今回はコレにて。

では、では。















2012年2月8日 12時27分08秒 (Wed)

彼女の”個性”って・・・。

大好きなハリウッドの女優さんでゲス。

コノ人の事をどう形容していいのか全く思いつかない程、

”アクが無い”

のがイイんですヨ。

「LEE REMICK」



でゲス。

1937年12月14日ボストンの生まれで、父親がデパートの経営者だったため、ぼちぼち豊かな家庭で育ったみたいですナ。

16歳でブロードウェイの舞台に立って、ソノ後「アクターズ・スタジオ」で修行を積んでTVドラマ等に単発出演していたんでゲス。

監督の「エリア・カザン」に認められて映画、

「A FACE IN THE CROWD」1957年(邦題「群集の中の一つの顔」)
 


で映画のデビューをするんですナ。

コノ作品は未観なので、かなり以前から大変興味があった作品でゲス。

ソノ後、

「THE LONG、HOT SUMMER」1957年(邦題「長く熱い夜」)



「ANATOMY OF A MURDER」1959年(邦題「或る殺人」)



「THE DAYS OF WINE AND ROSES」1962年(邦題「酒とバラの日々」)
 


「BABY THE RAIN MUST FALL」1964年(邦題「ハイウェイ」
 


「THE HALLELUJAH TRAIL」1965年(邦題「ビッグトレイル」)
 


等などに出演していましたナ。

ソノ後もコンスタントに映画には出演していたんだけど、何せ”アク”があまりにも無い為か、日本では「レミック」を”忘れかけていた”時に突如としてと言ってもいいインパクトで、

「THE OMEN」1976年(邦題「オーメン」)



にて”悪魔の子”「ダミアン」の母親役で登場したんでゲス。

ソノ後の出演作品は正直知りません。(ゴメンナサイ。)

とにかく”確実な演技力”がある女優さんですナ。

只、アノ”パーソナリティーの為”か、若い頃は”全く無垢な明るい地方の娘”的な役が多かったような気がするんだなぁ。

ウ~ン、どう言えばいいんだ?

”カワイイ人”でゲス。

そうとしか俺は表現出来ないなぁ。



古くだと「テレサ・ライト」かなぁ。

ちょっと違うなぁ。

今だと、どうなんだろう?

コノ路線の女優っているのかなぁ。

まぁ、そんなこんなで今回はコレにてでゲス。

では、では。












2012年2月6日 12時25分47秒 (Mon)

同じ名前の人を3人知ってるでゲス。

あのサ、

「ジーン・シモンズ」って知ってますかネ。

アル人にはバンド「キッス」の”ベーシスト”で”ヴォーカル”の「ジーン・シモンズ」を思い出すでしょうし、アル人は「ロカビリー」シンガーの「ジーン・シモンズ」だったりするでしょうかネ。

先出の2人は、

「GENE SIMMONS」

で”男性”なんだけど、今回Upするのは、

「JEAN SIMMONS」
 


って”女優さん”でゲス。

1929年1月31日にロンドンの出身で、本名は「ジーン・マリリン・シモンズ」って言いますナ。

「HAMLET」1948年(邦題「ハムレット」)
 


の「オフィーリア」役(「ヴェネツィア国際映画祭」で ”女優賞”を受賞)等で認められて、ハリウッドに招かれるんでゲス。

ハリウッドでは「史劇映画」の、

「THE ROBE」1953(邦題「聖衣」)
 


や、「ミュージカル映画」の、

「GUYS AND DOLLS」1955年(邦題「野郎どもと女たち」)
 


ソレから「西部劇」の、

「THE BIG COUNTRY」1958年(邦題「大いなる西部」)
 


等などの幅広い分野で活躍しましたナ。

1950年に俳優の「スチュワート・グレンジャー」と結婚したんだけど、1960年に離婚して、同年”映画監督”の「リチャード・ブルックス」と再婚して、1977年に離婚しているんでゲス。
 


俺の印象だと出演している作品はどれも、

”彼女が登場する事で重みが増す”

様な気がするんですヨ。

コノ感覚は、”全盛期時”の「チャールトン・ヘストン」や「ヘンリー・フォンダ」にも”同じ感覚”があるんだけど、”女優”だと、「ジーン」以外には無いですナ。

んで、そんな「ジーン」が出演している作品では、先出の「聖衣」と「大いなる西部」以外にも、

「ELMER GANTRY」1960年(邦題「エルマー・ガントリー/魅せられた男」)
 


「SPARTACUS」1960年(邦題「スパルタカス」)
 


での「ジーン」が好きでゲス。

そういやぁ、2003年に”大英帝国勲章”を授与されていますナ。

あと、先出のバンド「キッス」の「ジーン・シモンズ」と”同姓同名(カタカナだとネ。)だった事から、某新聞の彼の紹介記事に彼女の顔写真が誤って掲載されるというネタが「VOW」に掲載されていたでゲス。

ってなところで、今回はコレにて。

んじゃぁ、又。
 










プロフィール

プロフィール画像
自己紹介
WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、

”「BEAT」野郎”

で、特に1950年代が大好物でゲス。

岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)

他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)

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