2014年10月 アーカイブ
2014年10月30日 23時22分09秒 (Thu)
1950年代~「ザ・ビートルズ」登場頃までの「UKポップス」
1950年代前半のイギリスじゃぁ”レコード・プレイヤー”よりも”ピアノ”の方が普及していたみたいで、そうした背景から、楽譜(シート・ミュージック)の売り上げがレコードの売り上げをかなり上回っていて、ミリオンセラーを記録する楽譜も多かったんでゲス。
なので、コノ頃の庶民が音楽を楽しむ場といえばラジオやダンス・ホール、バラエティ・シアター(ミュージック・ホール)等で、家庭でダンスを楽しむ人々の為に、
「ヴィクター・シルヴェスター・オーケストラ」

のダンス・ミュージックのレコードが売れていたみたいですナ。
勿論、アメリカから「リズムンブルーズ」や「カントリー・ミュージック」、「ジャズ」なんかも流入していて、それなりにチャートを賑わせていて、ソノ他にもキューバの「マンボ」、ジャメイカの「カリプソ」等も人気があったみたいでゲス。
そんな中、1956年頃になると「UKポップス」シーンに”キーワード”となる3つが登場するんですナ。
1つは、アメリカからの「エルヴィス」人気爆発、1つは「スキッフル」ブームによる、
「ロニー・ドネガン」

が大人気で、もう1つは、
「トミー・スティール」

のデビューでゲス。
「ドネガン」と「スティール」っていう”「UKロック」史”に残る2人の原点は、ソーホーのクラブ・シーンにあったんですナ。
ロンドンの繁華街の一角の約1マイル四方の歓楽街ソーホーは1920年代から”芸術家”達が集まる地域だったんだけど、WW2が終了して数年経つと、近隣のアート・スクールの学生等ボヘミアン的な生き方を指向する若者達が集まる先鋭的な場所となっていたんでゲス。
彼等はコーヒー・バー(後のカフェとも呼ばれる)に集まってコーヒーを飲みながら語らう様になって、”ソコ”で演奏をする連中が登場していって、そんな中に「ドネガン」もいたんですナ。
「ヴァイパーズ・スキッフル・グループ」
なんかもそうでゲス。
こうした「スキッフル」ブームの中、ロンドン生まれの”貿易船員”だった「トーマス・ヒックス」ってな十代の若者がソーホーのコーヒー・バーで歌い始めているんですナ。
”ソノ”「ヒックス」が後の「トミー・スティール」でゲス。
翌57年、国営放送「BBC」TVのエンターテインメントのバラエティ・ショーの「6・5スペシャル」の放送がスタートしますナ。
番組のハウス・バンドに起用されたのは、
「ドン・ラング&ザ・フランティック・ファイヴ」
で、他にも、
「ザ・キング・ブラザーズ」
なんかが出演していてヒット番組になっていったんでゲス。
「6・5・・・」をプロデュースした「ジャック・グッド」は、翌58年に「BBC」TVを退社して民放の「ITV」局に移って、新しいTVショーの「オー・ボーイ!」をスタートして、”ココ”で、
「クリフ・リチャード」

「ビリー・フューリー」

「ディッキー・プライド」

なんかが登場して、特に「クリフ・リチャード」の人気が大爆発しましたナ。
そんな「クリフ」はバックに「ザ・ドリフターズ(後の「ザ・シャドウズ」)」を引き連れて、本当の意味での”「UKロックンロール」の登場”と呼べるステージ・マナーと演奏を披露したんでゲス。
さてさて、1950年代も終わりの59年になるとロンドン生まれでロサンジェルス育ちの17歳の、
「ヴィンス・テイラー」

が結成した「ヴィンス・テイラー&ザ・プレイボーイズ」を、ロンドン生まれで18歳の「フレデリック・ヒース」が、
「ジョニー・キッド」

って改名して率いた「ザ・パイレーツ」等がデビューするんですナ。
んで、1960年に入ると”プロデューサー”「ジョー・ミーク」は、自らのレコード・レーベル「トライアンフ」を設立して、”コノ”「トライアンフ」はUKにおける”「ロック」系インディペンデント・レーベル”のハシリとなったんでゲス。
「ミーク」がプロデュースしたのは、
「ジョン・レイトン」

「ザ・トーネイドーズ」

等で、彼等の活躍も忘れる訳にゃぁイカンですナ。
当時”トップ・アイドル・シンガー”だった先出の「クリフ・リチャード」のバック・バンドとしての活動と単独での活動の両方で活躍を続けていた、
「ザ・シャドウズ」

の「ハンク・マーヴィン」は、独特のクリーンなトーンのギター・サウンドで、ソノ後の「UKロック」シーンで活躍する”ギタリスト”達に大きな影響を与えているでゲス。
そしてコノ年、西ドイツで、
「トニー・シェリダン」

が「トニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ」として活動する様になるんですナ。
コノ「ザ・ビート・ブラザーズ」ってのが後の、
「ザ・ビートルズ」

ってのは有名でゲス。
まぁ、そんなこんなな感じですが、未だ漏れているのがあるのでUpしますネ。(順不動)
「トニー・コロンビ」

「ジョン・バリー・セヴン」

「ウィ・ウィリー・ハリス」

そうそう、当時のコーヒー・バーの様子が解る動画でゲス。
ハイ、今回はココ迄ですナ。
んじゃぁ、又。





なので、コノ頃の庶民が音楽を楽しむ場といえばラジオやダンス・ホール、バラエティ・シアター(ミュージック・ホール)等で、家庭でダンスを楽しむ人々の為に、
「ヴィクター・シルヴェスター・オーケストラ」

のダンス・ミュージックのレコードが売れていたみたいですナ。
勿論、アメリカから「リズムンブルーズ」や「カントリー・ミュージック」、「ジャズ」なんかも流入していて、それなりにチャートを賑わせていて、ソノ他にもキューバの「マンボ」、ジャメイカの「カリプソ」等も人気があったみたいでゲス。
そんな中、1956年頃になると「UKポップス」シーンに”キーワード”となる3つが登場するんですナ。
1つは、アメリカからの「エルヴィス」人気爆発、1つは「スキッフル」ブームによる、
「ロニー・ドネガン」

が大人気で、もう1つは、
「トミー・スティール」

のデビューでゲス。
「ドネガン」と「スティール」っていう”「UKロック」史”に残る2人の原点は、ソーホーのクラブ・シーンにあったんですナ。
ロンドンの繁華街の一角の約1マイル四方の歓楽街ソーホーは1920年代から”芸術家”達が集まる地域だったんだけど、WW2が終了して数年経つと、近隣のアート・スクールの学生等ボヘミアン的な生き方を指向する若者達が集まる先鋭的な場所となっていたんでゲス。
彼等はコーヒー・バー(後のカフェとも呼ばれる)に集まってコーヒーを飲みながら語らう様になって、”ソコ”で演奏をする連中が登場していって、そんな中に「ドネガン」もいたんですナ。
「ヴァイパーズ・スキッフル・グループ」
なんかもそうでゲス。
こうした「スキッフル」ブームの中、ロンドン生まれの”貿易船員”だった「トーマス・ヒックス」ってな十代の若者がソーホーのコーヒー・バーで歌い始めているんですナ。
”ソノ”「ヒックス」が後の「トミー・スティール」でゲス。
翌57年、国営放送「BBC」TVのエンターテインメントのバラエティ・ショーの「6・5スペシャル」の放送がスタートしますナ。
番組のハウス・バンドに起用されたのは、
「ドン・ラング&ザ・フランティック・ファイヴ」
で、他にも、
「ザ・キング・ブラザーズ」
なんかが出演していてヒット番組になっていったんでゲス。
「6・5・・・」をプロデュースした「ジャック・グッド」は、翌58年に「BBC」TVを退社して民放の「ITV」局に移って、新しいTVショーの「オー・ボーイ!」をスタートして、”ココ”で、
「クリフ・リチャード」

「ビリー・フューリー」

「ディッキー・プライド」

なんかが登場して、特に「クリフ・リチャード」の人気が大爆発しましたナ。
そんな「クリフ」はバックに「ザ・ドリフターズ(後の「ザ・シャドウズ」)」を引き連れて、本当の意味での”「UKロックンロール」の登場”と呼べるステージ・マナーと演奏を披露したんでゲス。
さてさて、1950年代も終わりの59年になるとロンドン生まれでロサンジェルス育ちの17歳の、
「ヴィンス・テイラー」

が結成した「ヴィンス・テイラー&ザ・プレイボーイズ」を、ロンドン生まれで18歳の「フレデリック・ヒース」が、
「ジョニー・キッド」

って改名して率いた「ザ・パイレーツ」等がデビューするんですナ。
んで、1960年に入ると”プロデューサー”「ジョー・ミーク」は、自らのレコード・レーベル「トライアンフ」を設立して、”コノ”「トライアンフ」はUKにおける”「ロック」系インディペンデント・レーベル”のハシリとなったんでゲス。
「ミーク」がプロデュースしたのは、
「ジョン・レイトン」

「ザ・トーネイドーズ」

等で、彼等の活躍も忘れる訳にゃぁイカンですナ。
当時”トップ・アイドル・シンガー”だった先出の「クリフ・リチャード」のバック・バンドとしての活動と単独での活動の両方で活躍を続けていた、
「ザ・シャドウズ」

の「ハンク・マーヴィン」は、独特のクリーンなトーンのギター・サウンドで、ソノ後の「UKロック」シーンで活躍する”ギタリスト”達に大きな影響を与えているでゲス。
そしてコノ年、西ドイツで、
「トニー・シェリダン」

が「トニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ」として活動する様になるんですナ。
コノ「ザ・ビート・ブラザーズ」ってのが後の、
「ザ・ビートルズ」

ってのは有名でゲス。
まぁ、そんなこんなな感じですが、未だ漏れているのがあるのでUpしますネ。(順不動)
「トニー・コロンビ」

「ジョン・バリー・セヴン」

「ウィ・ウィリー・ハリス」


そうそう、当時のコーヒー・バーの様子が解る動画でゲス。
ハイ、今回はココ迄ですナ。
んじゃぁ、又。






2014年10月29日 20時19分11秒 (Wed)
「SERIOUS CHARGE」
高校生の頃に購入した「Be50’s」ってな本にUpされていて、ズ~ッと気になっていた映画の、
「SERIOUS CHARGE」1959年(邦題「若き非行の群れ」)
がやっと観れたのでUpするでゲス。

監督は、「テレンス・ヤング」
出演は、「アンソニー・クェイル」、「サーラ・チャーチル」、「アンドリュー・レイ」、「アイリーン・ブラウン」、「ペシー・ハーバート」、「クリフ・リチャード」等など。

・・・従軍牧師だった「フィリップス(アンソニー・クェイル)」はベリグトンの町の教会に赴任したんですナ。
町に非行青少年の多い事を知って、教会附属のクラブを開放して彼等を善導しようとしたんでゲス。
前牧師の娘「ピータス(サラー・チャーチル)」は、彼の真摯な態度に次第に愛情を感じる様になったんでしたナ。
そんなある日、非行青少年のリーダー格「トンプソン(アンドリュー・レイ)」の弟「カーリー(クリフ・リチャード)」が事件を起して拘引されて、「フィリップス」は早速「カーリー」の弁護に立って身柄を引き受けたんでゲス。
んでも、兄「トンプソン」の非行は止まなかって・・・。
判る人にゃぁ判る事だけど、
”イギリス作”の「JD映画」でゲス。
んで、どうやら「クリフ・リチャード」が映画に初出演した作品みたいですナ。

とはいえ主演は「アンソニー・クェイル」でゲス。

内容はというと・・・・・別に”コレ”といって・・・・・ってな感じだったなぁ。
只ネ、作品中に登場する”不良少年”&”不良少女”達のコスチュームが良かった(好かった)でゲス。


ウ~ン、”コレ”といってUpする事がもう無いなぁ。
なので、作品中で「クリフ」が唄っているシーンのUpでゲス。

んじゃぁ、コレにて。
では、では。
「SERIOUS CHARGE」1959年(邦題「若き非行の群れ」)
がやっと観れたのでUpするでゲス。

監督は、「テレンス・ヤング」
出演は、「アンソニー・クェイル」、「サーラ・チャーチル」、「アンドリュー・レイ」、「アイリーン・ブラウン」、「ペシー・ハーバート」、「クリフ・リチャード」等など。

・・・従軍牧師だった「フィリップス(アンソニー・クェイル)」はベリグトンの町の教会に赴任したんですナ。
町に非行青少年の多い事を知って、教会附属のクラブを開放して彼等を善導しようとしたんでゲス。
前牧師の娘「ピータス(サラー・チャーチル)」は、彼の真摯な態度に次第に愛情を感じる様になったんでしたナ。
そんなある日、非行青少年のリーダー格「トンプソン(アンドリュー・レイ)」の弟「カーリー(クリフ・リチャード)」が事件を起して拘引されて、「フィリップス」は早速「カーリー」の弁護に立って身柄を引き受けたんでゲス。
んでも、兄「トンプソン」の非行は止まなかって・・・。
判る人にゃぁ判る事だけど、
”イギリス作”の「JD映画」でゲス。
んで、どうやら「クリフ・リチャード」が映画に初出演した作品みたいですナ。

とはいえ主演は「アンソニー・クェイル」でゲス。

内容はというと・・・・・別に”コレ”といって・・・・・ってな感じだったなぁ。
只ネ、作品中に登場する”不良少年”&”不良少女”達のコスチュームが良かった(好かった)でゲス。


ウ~ン、”コレ”といってUpする事がもう無いなぁ。
なので、作品中で「クリフ」が唄っているシーンのUpでゲス。

んじゃぁ、コレにて。
では、では。
2014年10月14日 14時01分36秒 (Tue)
「ADRIANO CELENTANO」
イタリーの”歌手”の中でも、特に好きな、
「アドリアーノ・チェレンターノ」

のUpでゲス。
イタリーを代表する往年の”「ロック」シンガー”で、“イタリーの「エルビス」”、“イタリーのキング・オブ・ロック”なんて呼ばれている人物ですナ。
1938年1月6日ミラノ生まれで、”時計修理工”等、様々な職業に就いたあとに、1957年に歌手デビューするんでゲス。
1960年「フェデリコ・フェリーニ」監督作品の映画「甘い生活」に本人役で出演して、「レディ・テディ」を唄ってますナ。

俺が「アドリアーノ」を知ったのはコノ「甘い・・・」だったでゲス。
1961年に”サンレモ音楽祭”に出場して「2万4千回のキス」で準優勝を飾りましたナ。
んで、ソノ後も数多くのヒット曲を出して、CDの売り上げは1億5000万枚を超える程なんでゲス。
70歳を過ぎてなお現役で、「アドリアーノ」がメインで”司会”して唄うTV番組も持ってますゼ。
”歌手”以外にも、”映画監督”、”俳優”、”司会”等、多彩な活躍をしているでゲス。
”コレ”ん中に「スカ・ジャン」着て唄っているシーンがあるでゲス。
とはいえ、俺が好きなのは1960年代前半迄の「アドリアーノ」なので、ソノ後の活躍にゃぁ全く関心が無いですナ。

スナップを見てもらうと、
”悪い奴そうだなぁ。”
って思ったのは俺だけじゃぁないと思うでゲス。(笑)
んでも、そんな”風貌”がタマランのですヨ。
所謂、
”チンピラ加減”
がネ。
”見た目好き”なので、他は詳しく知らないんでゲス。
まぁ、そんなこんなで、以上ですヨ。
では、では。




「アドリアーノ・チェレンターノ」

のUpでゲス。
イタリーを代表する往年の”「ロック」シンガー”で、“イタリーの「エルビス」”、“イタリーのキング・オブ・ロック”なんて呼ばれている人物ですナ。
1938年1月6日ミラノ生まれで、”時計修理工”等、様々な職業に就いたあとに、1957年に歌手デビューするんでゲス。
1960年「フェデリコ・フェリーニ」監督作品の映画「甘い生活」に本人役で出演して、「レディ・テディ」を唄ってますナ。

俺が「アドリアーノ」を知ったのはコノ「甘い・・・」だったでゲス。
1961年に”サンレモ音楽祭”に出場して「2万4千回のキス」で準優勝を飾りましたナ。
んで、ソノ後も数多くのヒット曲を出して、CDの売り上げは1億5000万枚を超える程なんでゲス。
70歳を過ぎてなお現役で、「アドリアーノ」がメインで”司会”して唄うTV番組も持ってますゼ。
”歌手”以外にも、”映画監督”、”俳優”、”司会”等、多彩な活躍をしているでゲス。
”コレ”ん中に「スカ・ジャン」着て唄っているシーンがあるでゲス。
とはいえ、俺が好きなのは1960年代前半迄の「アドリアーノ」なので、ソノ後の活躍にゃぁ全く関心が無いですナ。

スナップを見てもらうと、
”悪い奴そうだなぁ。”
って思ったのは俺だけじゃぁないと思うでゲス。(笑)
んでも、そんな”風貌”がタマランのですヨ。
所謂、
”チンピラ加減”
がネ。
”見た目好き”なので、他は詳しく知らないんでゲス。
まぁ、そんなこんなで、以上ですヨ。
では、では。





2014年10月13日 12時39分49秒 (Mon)
2人の”イタロ・アメリカン女声シンガー”
大好きな、
「CONNIE FRANCIS」

と、
「ROSEMARY CLOONEY」

のUpでゲス。
先ず、
「コニー・フランシス」

からですヨ。
「コニー」は大好き過ぎて、何度目のUpなのか自分でも?ですナ。
1938年12月12日ニュージャージー州ニューアーク生まれで、本名「コンチェッタ・ローサ・マリア=フランコネロ」っていって、如何にも”イタリー移民”ってな名前でゲス。
んネ、アノ唄い口がサ、所謂”泣き節”ってやつですかネ。
ってか、声量が素晴らしい!!!!!
”説得力”あるもんなぁ。
タマランでゲス。
続いて、
「ローズマリー・クルーニー」

ですヨ。
「ロージー」も大好きなので何度目かのUpになるでゲス。
1928年5月23日ケンタッキー州メイズヴィル生まれで、幼い頃は妹「ベティ」と共に祖父の市長選挙運動(市長選に3回当選している)で歌を披露する事もあって、姉妹はシンシナティのラジオ局オーディションに合格して、1945年に「THE CLOONEY SISTERS」として歌手デビューを果たすんですナ。
んでも数年後、姉妹は別々に活動する様になって、「ロージー」は21歳の時にニューヨークに渡るんでゲス。
1951年に「COME ONーA MY HOUSE」がビルボード・チャートで全米第1位になる大ヒットとなって、ソノ後も「MAMBO ITALIANO」等の世界的な大ヒット曲を連発するんですヨ。

「ロージー」の事はそれこそ”子供の頃から知っていた”んだけど、20歳中頃に購入したレコードの、
「CLAP HANNDS! HERE COMES ROSIE!」

のオープニングに入っているタイトル曲の、
が、カッチョ良くって、以降大好きになったんでゲス。
「ロージー」も先出の「コニー」と同じく”声量”がサ、あと”唄いっぷり”もカッチョイイもんなぁ。
タマランでゲス。
そうそう、弟「ニック」の息子で「ロージー」にとっての甥は”ハリウッド・スター”の、
「ジョージ・クルーニー」

ですナ。
さて、こんなところですかネ。
いつもの如く、唐突にオシマイでゲス。
んじゃぁ、又。









「CONNIE FRANCIS」

と、
「ROSEMARY CLOONEY」

のUpでゲス。
先ず、
「コニー・フランシス」

からですヨ。
「コニー」は大好き過ぎて、何度目のUpなのか自分でも?ですナ。
1938年12月12日ニュージャージー州ニューアーク生まれで、本名「コンチェッタ・ローサ・マリア=フランコネロ」っていって、如何にも”イタリー移民”ってな名前でゲス。
11歳の頃からショーに出演していて1955年に「FREDDY」で歌手デビューしたんだけど、暫くはヒット曲が出なかったんでしたナ。
1958年にリリースされた「WHO’S SORRY NOW?」が大ヒットしてからは、1960年代前半にかけてヒット曲を連発していったんでゲス。
1961年にゃぁ「TOGETHER」がヒットして、「ビルボード」誌の”アダルト・コンテンポラリー”のシングルチャートで女性として初めて1位を獲得しましたナ。

んネ、アノ唄い口がサ、所謂”泣き節”ってやつですかネ。
ってか、声量が素晴らしい!!!!!
”説得力”あるもんなぁ。
タマランでゲス。
続いて、
「ローズマリー・クルーニー」

ですヨ。
「ロージー」も大好きなので何度目かのUpになるでゲス。
1928年5月23日ケンタッキー州メイズヴィル生まれで、幼い頃は妹「ベティ」と共に祖父の市長選挙運動(市長選に3回当選している)で歌を披露する事もあって、姉妹はシンシナティのラジオ局オーディションに合格して、1945年に「THE CLOONEY SISTERS」として歌手デビューを果たすんですナ。
んでも数年後、姉妹は別々に活動する様になって、「ロージー」は21歳の時にニューヨークに渡るんでゲス。
1951年に「COME ONーA MY HOUSE」がビルボード・チャートで全米第1位になる大ヒットとなって、ソノ後も「MAMBO ITALIANO」等の世界的な大ヒット曲を連発するんですヨ。

「ロージー」の事はそれこそ”子供の頃から知っていた”んだけど、20歳中頃に購入したレコードの、
「CLAP HANNDS! HERE COMES ROSIE!」

のオープニングに入っているタイトル曲の、
が、カッチョ良くって、以降大好きになったんでゲス。
「ロージー」も先出の「コニー」と同じく”声量”がサ、あと”唄いっぷり”もカッチョイイもんなぁ。
タマランでゲス。
そうそう、弟「ニック」の息子で「ロージー」にとっての甥は”ハリウッド・スター”の、
「ジョージ・クルーニー」

ですナ。
さて、こんなところですかネ。
いつもの如く、唐突にオシマイでゲス。
んじゃぁ、又。










2014年10月12日 17時31分15秒 (Sun)
”MM”・・・・・んで”BB”、”CC”、”DD”
”MM”・・・「MARILYN MONROE」(アメリカ)

1926年6月1日カリフォルニア州ロサンゼルス生まれの”女優”(んな事ったぁ承知ですネ。)でゲス。
兎に角”世界的に大人気”なんだけど、俺は”そんなに・・・。”ですナ。
んでも「マリリン」の出演作品はイッパイ観ているでゲス。
ってのは、幾つか観ているうちに、
”どれかは気に入るかも。”
って思って観たんですナ。
さて、結果はというと、
”作品”は好きだけど、やっぱ「マリリン」自体は・・・。
でしたヨ。
んで、そんな「マリリン」が出演している作品の中で”好き”なのはというと、
「NIAGARA」1953年(邦題「ナイアガラ」

「RIVER OF NO RETURN」1954年(邦題「帰らざる河」)

「BUS STOP」1956年(邦題「バス停留所」)

の3作品でゲス。
以上。
”BB”・・・「BRIGITTE BARDOT」(フランス)

1934年9月28日パリ出身の”女優”、”ファッション・モデル”、”動物保護活動家”で、頭文字が” B.B.”なので、同じ発音で”赤ん坊”を意味するフランス語の ”BEBE”とかけて「ベベ」が愛称となりましたナ。
猫の様な目にポテッとした唇が愛らしく”フランスの「マリリン・モンロー」”とも形容されているでゲス。
んで、
”「ベベ」は1950年代に限る!”
が持論の俺が好きな作品はというと、
「UNE PARISIENNE」1956年(邦題「裸で御免なさい」)

「VOULEZ-VOUS DANSER AVEC MOI?」1959年(邦題「気分を出してもう一度」)

の2作品ですナ。
んネ、カワイイでしょ。
やっぱ、コノ頃の「ベベ」はタマランでゲス。
”CC”・・・「CLAUDIA CARDINALE」(イタリー)

1938年4月15日父親はイタリー人、母親はフランス人の間に北アフリカのチュニジアで生まれた”女優”で、19歳の時に美人コンテストで優勝しましたナ。
んで、ヴェネチア映画祭に招待されて、イタリーの”プロデューサー”の目に留まって翌年イタリーで映画デビューするんでゲス。
んで、俺が「クラウディア」出演作品の中で大好きなのは、
「LA RAGAZZA CON LA VALIGIA」1961年(邦題「鞄を持った女」)

がダントツに好きですナ。
何だろう?
”アーモンド・アイ”って言われてる”眼”かなぁ。
イヤ、
”ムッチリ”
してるから好きなのかも・・・・・まぁ、”好き”に理由は無いけどネ。
”DD”・・・「DIANA DORS」(イギリス)

1931年10月23日イングランドのスウィンドンで生まれた”女優”で、”イギリスの「マリリン・モンロー」”なんて言われていたでゲス。
WW2中は父が組織したコンサートで軍隊を慰問したり、14歳の時に両親を説得して「ロンドン・アカデミー・オブ・ミュージック・アンド・ドラマティック・アート(LAMDA)」に史上最年少で入学しましたナ。
イギリスにおける”ハリウッドの悩殺的ブロンド美女”に相当すると見なされていた「ダイアナ」は、かなりの演技力の持ち主で、”ソノ”人気は20歳ってなイギリスで最も若い年齢で”ロールス・ロイス”の所有者になった事でも窺い知れるでゲス。
さて、そんな「ダイアナ」の出演作品の中で好きなのは・・・実は・・・。
1作も観た事が無いんですヨ。
なので、”観たい作品”のUpでゲス。
「THE UNHOLY WIFE」1957年(邦題「金髪の悪魔」)

「THE LONG HAUL」1957年(邦題「やくざ特急」)

の2作品ですナ。
まぁ、こんなところかなぁ。
唐突ですか、今回はコレにて。
では、では。
























1926年6月1日カリフォルニア州ロサンゼルス生まれの”女優”(んな事ったぁ承知ですネ。)でゲス。
兎に角”世界的に大人気”なんだけど、俺は”そんなに・・・。”ですナ。
んでも「マリリン」の出演作品はイッパイ観ているでゲス。
ってのは、幾つか観ているうちに、
”どれかは気に入るかも。”
って思って観たんですナ。
さて、結果はというと、
”作品”は好きだけど、やっぱ「マリリン」自体は・・・。
でしたヨ。
んで、そんな「マリリン」が出演している作品の中で”好き”なのはというと、
「NIAGARA」1953年(邦題「ナイアガラ」

「RIVER OF NO RETURN」1954年(邦題「帰らざる河」)

「BUS STOP」1956年(邦題「バス停留所」)

の3作品でゲス。
以上。
”BB”・・・「BRIGITTE BARDOT」(フランス)

1934年9月28日パリ出身の”女優”、”ファッション・モデル”、”動物保護活動家”で、頭文字が” B.B.”なので、同じ発音で”赤ん坊”を意味するフランス語の ”BEBE”とかけて「ベベ」が愛称となりましたナ。
猫の様な目にポテッとした唇が愛らしく”フランスの「マリリン・モンロー」”とも形容されているでゲス。
んで、
”「ベベ」は1950年代に限る!”
が持論の俺が好きな作品はというと、
「UNE PARISIENNE」1956年(邦題「裸で御免なさい」)

「VOULEZ-VOUS DANSER AVEC MOI?」1959年(邦題「気分を出してもう一度」)

の2作品ですナ。
んネ、カワイイでしょ。
やっぱ、コノ頃の「ベベ」はタマランでゲス。
”CC”・・・「CLAUDIA CARDINALE」(イタリー)

1938年4月15日父親はイタリー人、母親はフランス人の間に北アフリカのチュニジアで生まれた”女優”で、19歳の時に美人コンテストで優勝しましたナ。
んで、ヴェネチア映画祭に招待されて、イタリーの”プロデューサー”の目に留まって翌年イタリーで映画デビューするんでゲス。
んで、俺が「クラウディア」出演作品の中で大好きなのは、
「LA RAGAZZA CON LA VALIGIA」1961年(邦題「鞄を持った女」)

がダントツに好きですナ。
何だろう?
”アーモンド・アイ”って言われてる”眼”かなぁ。
イヤ、
”ムッチリ”
してるから好きなのかも・・・・・まぁ、”好き”に理由は無いけどネ。
”DD”・・・「DIANA DORS」(イギリス)

1931年10月23日イングランドのスウィンドンで生まれた”女優”で、”イギリスの「マリリン・モンロー」”なんて言われていたでゲス。
WW2中は父が組織したコンサートで軍隊を慰問したり、14歳の時に両親を説得して「ロンドン・アカデミー・オブ・ミュージック・アンド・ドラマティック・アート(LAMDA)」に史上最年少で入学しましたナ。
イギリスにおける”ハリウッドの悩殺的ブロンド美女”に相当すると見なされていた「ダイアナ」は、かなりの演技力の持ち主で、”ソノ”人気は20歳ってなイギリスで最も若い年齢で”ロールス・ロイス”の所有者になった事でも窺い知れるでゲス。
さて、そんな「ダイアナ」の出演作品の中で好きなのは・・・実は・・・。
1作も観た事が無いんですヨ。
なので、”観たい作品”のUpでゲス。
「THE UNHOLY WIFE」1957年(邦題「金髪の悪魔」)

「THE LONG HAUL」1957年(邦題「やくざ特急」)

の2作品ですナ。
まぁ、こんなところかなぁ。
唐突ですか、今回はコレにて。
では、では。
























プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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