2023年8月 アーカイブ
2023年8月21日 15時32分20秒 (Mon)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート13)
お袋ちゃんが退院してきてスーパーマーケットへ買い物に連れて行って、ソノ時にこんなのを発見したので購入したでゲス。

以前にもUpした事があった380g(1個)ってな大容量の”アレ”ですナ。
大変食べ応えがあって大好きでゲス。
さぁ、本題に入るとしますナ。
「ロックンロール」登場以前のウエストコーストの音楽状況はどうだったのかというと、1950年代前半は「ウエストコースト・ジャズ」ってのがブームになっていて、1951年に「コンテンポラリー・レコード」レーベルを、
「レスター・ケニッヒ」

がLAで設立して、
「アート・ペッパー」

「シェリー・マン」

「バーニー・ケッセル」

等が在籍していたでゲス。
1952年にゃぁ「パシフィック・ジャズ」レーベルを、
「リチャード・ボック」

と、ドラマーの、
「ロイ・ハート」

の2人によって設立して、
「ジェリー・マリガン」

「チェット・ベイカー」

「ポール・デスモンド」

等が在籍していたんだけど、徐々に時代が進むにつれて「ウエストコースト・ジャズ」の中から「ロックンロール」のセッションに参加する人が出てきたんですナ。
以前の、
”「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート8)”
でUpした、「リッキー・ネルソン」のレコーディングで「バーニー・ケッセル」が「ロックンロール」のセッションに参加したり、ドラマーの、
「ジョニー・オーティス」

が、「リズムンブルーズ」のプロデュースやレコーディングに参加する様になって、んで彼がプロデュースしてドラムを叩いていたのが、
「ビッグママ・ソーントン」

「HOUND DOG」
でゲス。
作者は、
「リーバー & ストーラー」

で、リリースされたのは中部の「ピーコック」レーベルなんだけど、レコーディングしたのはLAの「ラジオ・レコーダーズ・スタジオ」でしたナ。
さて作者の「リーバー & ストーラー」の話を少ししますネ。
2人共生まれたのは東海岸で、西海岸に引っ越しをしてきて1950年に2人は出会って、もうソノ頃から「リズムンブルーズ」のアーティストに曲を提供して、先出の「ハウンド・ドッグ」が1953年に「リズムンブルーズ・チャート」で1位の大ヒットしたもんだから、さぞかし大金が入り込むだろうと待っていたのに一銭も入ってこなかったみたいでゲス。
こりゃぁ自分達でレコード会社を作るしかないってな風に考えて「スパーク」レーベルを設立したんですナ。
んで、宣伝担当に、
”「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート12)”
で登場した「レスター・シル」を引き入れたんでゲス。
そんな3人で1954年3月から始めて22枚のシングル盤をリリースしたんだけど1枚もヒットが出なかったですナ。
アーティストとしては1949年から地元で活動をしていた、
「ザ・ロビンズ」

で、彼等が中心のレーベルだった様でゲス。
「リーバー & ストーラー」が「ザ・ロビンズ」に最初に作った曲は、
「RIOT IN CELL BLACK #9」(邦題「第9監房の反乱」)
で、当時実際に刑務所で起きた事件を題材にして作った曲らしいですナ。
次は「エルヴィス」がカヴァーしてヒットした、
「LOVE ME」
オリジナルは、
で、「ウィリー&ルース」っていう男女デュオでゲス。
全くヒットが出ない「スパーク」レーベルは結局1年半位で辞めちゃうんだけど、最後にレーベルの中心アーティストだった「ザ・ロビンズ」に作った曲が、
「SMOKEY JOE’S CAFE」
で、”ココ”に「アトランティック」レーベルの、
「アーメット・アーティガン」と弟「ネスヒー」

が、「スモーキー・ジョーズ・カフェ」を是非「アトランティック」レーベルからリリースしたいって事で「リーバー & ストーラー」の所へやって来て、彼等を専属のプロデューサーになってもらって、宣伝担当の「レスター・シル」も一緒にどうかという事で3人は「アトランティック」レーベルと契約を交わしたんですナ。
1955年秋に「ザ・ロビンズ」の「スモーキー・ジョーズ・カフェ」は「アトランティック」レーベル傘下に出来たばかりの「アトコ」レーベルの10枚目のシングル盤としてリリースされたでゲス。

丁度コノ頃「パーカー」大佐が「エルヴィス」を「アトランティック」レーベルに売り込んでいたんだけど断られた時期ですナ。
先程登場した「アーメット」の弟「ネスヒー・アーティガン」っていう人物は、元々に西海岸に住んでいて1940年代にゃぁ「ジャズ」専門の「クレセント」レーベルを設立していたんでゲス。
んが、兄「アーメット」から「アトランティック」レーベルの「ジャズ」や「リズムンブルーズ」の担当になってくれと頼まれて「クレセント」レーベルを売り払って「アトランティック」レーベルにやって来て「クライド・マクファター」が抜けた後の、
「ザ・ドリフターズ」

のプロデュースをやってましたナ。
1955年9月に「ネスヒー」は「リーバー & ストーラー」に「ザ・ドリフターズ」にも曲を作ってくれと頼んで出来たのが、
「RUBY BABY」
レコーディング後直ぐにはリリースされなかったけど、リード・シンガーの「ジョニー・ムーア」がイイでゲス。(大好き!!!!!)
さて、「ザ・ロビンズ」はメンバー交代等の問題から「ザ・コースターズ」と改名しましたナ。
”西海岸人”(ウエストコースター)から「ザ・コースターズ」と名付けたとの事でゲス。
「ザ・コースターズ」としてのデビュー曲は1956年3月にリリースされた、
「DOWN IN MEXICO」
で、「リズムンブルーズ・チャート」8位と順調な滑り出しでしたナ。
「ダウン・イン・メキシコ」と同時に先出の「ルビー・ベイビー」もリリースされて「リズムンブルーズ・チャート」10位だったので、2曲同時にトップ10入りして「リーバー & ストーラー」は「スパーク」レーベルで全くヒットが出なかったから相当嬉しかったとの事でゲス。
1956年5月の事で、彼等のチャートの上にゃぁ「エルヴィス」の「ハートブレイク・ホテル」があって「リーバー & ストーラー」は自分達が作った曲の上にいた「エルヴィス」が3ヶ月後に昔作った「ハウンド・ドッグ」を大ヒットさせるとはコノ頃は思ってもいなかったでしょうネ。

さて「ザ・コースターズ」はコノ頃から大ヒットを連発するんでゲス。
3月にリリースされた3枚目のシングル盤は「リズムンブルーズ・チャート」で両面1位になりましたナ。
「YOUNG BLOOD」
「SEARCHIN’」
で、「リズムンブルーズ・チャート」では2曲共1位で、「ポップ・チャート」だと「ヤング・ブラッド」は8位「サーチン」は3位って大ヒットの大人気なんでゲス。
ココ迄Upした「ダウン・イン・メキシコ」、「ヤング・ブラッド」、「サーチン」の音質は「ザ・ロビンズ」の頃と殆ど同じなんですナ。
ソレも其の筈「スパーク」レーベルの頃に使っていたLAの「マスターズ・サウンド・スタジオ」でレコーディングしているんでゲス。
演っているミュージシャンも以前と全く同じですナ。
「アトランティク」レーベルに移籍したから、てっきりニューヨークでのレコーディングかと思っていたらLAだったんでゲス。
理由はコレ又以前に、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話 (パート15)”
でもUpした、1957年の「エルヴィス」は1年間ハリウッド暮らしで、「エルヴィス」が出演している映画の主題歌等を「リーバー & ストーラー」が担当していた為に2人はLAから離れられなくって、「ザ・コースターズ」改名後もニューヨークに行けずLAでのレコーディングになったんですナ。
そんな原因は全て「エルヴィス」だったっていう訳でゲス。
1957年暮れになって、ようやく解放された「リーバー & ストーラー」は待ちに待った「アトランティック」レーベルのあるニューヨークに行きますナ。
翌58年3月に「ザ・コースターズ」のニューヨークでのレコーディングが始まるんでゲス。
「YAKETY YAK」
で、「ポップ・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」共に1位と大人気で、「エルヴィス」から解放された「リーバー & ストーラー」としては「ザ・コースターズ」に集中して作曲活動が出来ましたナ。
サックスは、
「キング・カーティス」

ココからニューヨークでの”「ザ・コースターズ」サウンド”が始まったんでゲス。
「CHARLIE BROWN」
「ALONG CAME JONES」
「POISON IVY」
先出の「ヤケティ・ヤック」、そして「チャーリー・ブラウン」、「アロング・ケイム・ジョーンズ」、「ポイズン・アイヴィ」と「アトランティック」レーベルのエンジニア「トム・ダウド」の音ってのはクリアーですナ。
コノ頃は”8チャンネル・レコーダー”を使っていたみたいでゲス。
「リーバー & ストーラー」がニューヨークに行ったので、次回はニューヨークの話になりますナ。
ってな感じで今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ又。











(「レスター・シル」を中心に「ザ・コースターズ」のメンバーと。)


以前にもUpした事があった380g(1個)ってな大容量の”アレ”ですナ。
大変食べ応えがあって大好きでゲス。
さぁ、本題に入るとしますナ。
「ロックンロール」登場以前のウエストコーストの音楽状況はどうだったのかというと、1950年代前半は「ウエストコースト・ジャズ」ってのがブームになっていて、1951年に「コンテンポラリー・レコード」レーベルを、
「レスター・ケニッヒ」

がLAで設立して、
「アート・ペッパー」

「シェリー・マン」

「バーニー・ケッセル」

等が在籍していたでゲス。
1952年にゃぁ「パシフィック・ジャズ」レーベルを、
「リチャード・ボック」

と、ドラマーの、
「ロイ・ハート」

の2人によって設立して、
「ジェリー・マリガン」

「チェット・ベイカー」

「ポール・デスモンド」

等が在籍していたんだけど、徐々に時代が進むにつれて「ウエストコースト・ジャズ」の中から「ロックンロール」のセッションに参加する人が出てきたんですナ。
以前の、
”「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート8)”
でUpした、「リッキー・ネルソン」のレコーディングで「バーニー・ケッセル」が「ロックンロール」のセッションに参加したり、ドラマーの、
「ジョニー・オーティス」

が、「リズムンブルーズ」のプロデュースやレコーディングに参加する様になって、んで彼がプロデュースしてドラムを叩いていたのが、
「ビッグママ・ソーントン」

「HOUND DOG」
でゲス。
作者は、
「リーバー & ストーラー」

で、リリースされたのは中部の「ピーコック」レーベルなんだけど、レコーディングしたのはLAの「ラジオ・レコーダーズ・スタジオ」でしたナ。
さて作者の「リーバー & ストーラー」の話を少ししますネ。
2人共生まれたのは東海岸で、西海岸に引っ越しをしてきて1950年に2人は出会って、もうソノ頃から「リズムンブルーズ」のアーティストに曲を提供して、先出の「ハウンド・ドッグ」が1953年に「リズムンブルーズ・チャート」で1位の大ヒットしたもんだから、さぞかし大金が入り込むだろうと待っていたのに一銭も入ってこなかったみたいでゲス。
こりゃぁ自分達でレコード会社を作るしかないってな風に考えて「スパーク」レーベルを設立したんですナ。
んで、宣伝担当に、
”「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート12)”
で登場した「レスター・シル」を引き入れたんでゲス。
そんな3人で1954年3月から始めて22枚のシングル盤をリリースしたんだけど1枚もヒットが出なかったですナ。
アーティストとしては1949年から地元で活動をしていた、
「ザ・ロビンズ」

で、彼等が中心のレーベルだった様でゲス。
「リーバー & ストーラー」が「ザ・ロビンズ」に最初に作った曲は、
「RIOT IN CELL BLACK #9」(邦題「第9監房の反乱」)
で、当時実際に刑務所で起きた事件を題材にして作った曲らしいですナ。
次は「エルヴィス」がカヴァーしてヒットした、
「LOVE ME」
オリジナルは、
で、「ウィリー&ルース」っていう男女デュオでゲス。
全くヒットが出ない「スパーク」レーベルは結局1年半位で辞めちゃうんだけど、最後にレーベルの中心アーティストだった「ザ・ロビンズ」に作った曲が、
「SMOKEY JOE’S CAFE」
で、”ココ”に「アトランティック」レーベルの、
「アーメット・アーティガン」と弟「ネスヒー」

が、「スモーキー・ジョーズ・カフェ」を是非「アトランティック」レーベルからリリースしたいって事で「リーバー & ストーラー」の所へやって来て、彼等を専属のプロデューサーになってもらって、宣伝担当の「レスター・シル」も一緒にどうかという事で3人は「アトランティック」レーベルと契約を交わしたんですナ。
1955年秋に「ザ・ロビンズ」の「スモーキー・ジョーズ・カフェ」は「アトランティック」レーベル傘下に出来たばかりの「アトコ」レーベルの10枚目のシングル盤としてリリースされたでゲス。

丁度コノ頃「パーカー」大佐が「エルヴィス」を「アトランティック」レーベルに売り込んでいたんだけど断られた時期ですナ。
先程登場した「アーメット」の弟「ネスヒー・アーティガン」っていう人物は、元々に西海岸に住んでいて1940年代にゃぁ「ジャズ」専門の「クレセント」レーベルを設立していたんでゲス。
んが、兄「アーメット」から「アトランティック」レーベルの「ジャズ」や「リズムンブルーズ」の担当になってくれと頼まれて「クレセント」レーベルを売り払って「アトランティック」レーベルにやって来て「クライド・マクファター」が抜けた後の、
「ザ・ドリフターズ」

のプロデュースをやってましたナ。
1955年9月に「ネスヒー」は「リーバー & ストーラー」に「ザ・ドリフターズ」にも曲を作ってくれと頼んで出来たのが、
「RUBY BABY」
レコーディング後直ぐにはリリースされなかったけど、リード・シンガーの「ジョニー・ムーア」がイイでゲス。(大好き!!!!!)
さて、「ザ・ロビンズ」はメンバー交代等の問題から「ザ・コースターズ」と改名しましたナ。
”西海岸人”(ウエストコースター)から「ザ・コースターズ」と名付けたとの事でゲス。
「ザ・コースターズ」としてのデビュー曲は1956年3月にリリースされた、
「DOWN IN MEXICO」
で、「リズムンブルーズ・チャート」8位と順調な滑り出しでしたナ。
「ダウン・イン・メキシコ」と同時に先出の「ルビー・ベイビー」もリリースされて「リズムンブルーズ・チャート」10位だったので、2曲同時にトップ10入りして「リーバー & ストーラー」は「スパーク」レーベルで全くヒットが出なかったから相当嬉しかったとの事でゲス。
1956年5月の事で、彼等のチャートの上にゃぁ「エルヴィス」の「ハートブレイク・ホテル」があって「リーバー & ストーラー」は自分達が作った曲の上にいた「エルヴィス」が3ヶ月後に昔作った「ハウンド・ドッグ」を大ヒットさせるとはコノ頃は思ってもいなかったでしょうネ。

さて「ザ・コースターズ」はコノ頃から大ヒットを連発するんでゲス。
3月にリリースされた3枚目のシングル盤は「リズムンブルーズ・チャート」で両面1位になりましたナ。
「YOUNG BLOOD」
「SEARCHIN’」
で、「リズムンブルーズ・チャート」では2曲共1位で、「ポップ・チャート」だと「ヤング・ブラッド」は8位「サーチン」は3位って大ヒットの大人気なんでゲス。
ココ迄Upした「ダウン・イン・メキシコ」、「ヤング・ブラッド」、「サーチン」の音質は「ザ・ロビンズ」の頃と殆ど同じなんですナ。
ソレも其の筈「スパーク」レーベルの頃に使っていたLAの「マスターズ・サウンド・スタジオ」でレコーディングしているんでゲス。
演っているミュージシャンも以前と全く同じですナ。
「アトランティク」レーベルに移籍したから、てっきりニューヨークでのレコーディングかと思っていたらLAだったんでゲス。
理由はコレ又以前に、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話 (パート15)”
でもUpした、1957年の「エルヴィス」は1年間ハリウッド暮らしで、「エルヴィス」が出演している映画の主題歌等を「リーバー & ストーラー」が担当していた為に2人はLAから離れられなくって、「ザ・コースターズ」改名後もニューヨークに行けずLAでのレコーディングになったんですナ。
そんな原因は全て「エルヴィス」だったっていう訳でゲス。
1957年暮れになって、ようやく解放された「リーバー & ストーラー」は待ちに待った「アトランティック」レーベルのあるニューヨークに行きますナ。
翌58年3月に「ザ・コースターズ」のニューヨークでのレコーディングが始まるんでゲス。
「YAKETY YAK」
で、「ポップ・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」共に1位と大人気で、「エルヴィス」から解放された「リーバー & ストーラー」としては「ザ・コースターズ」に集中して作曲活動が出来ましたナ。
サックスは、
「キング・カーティス」

ココからニューヨークでの”「ザ・コースターズ」サウンド”が始まったんでゲス。
「CHARLIE BROWN」
「ALONG CAME JONES」
「POISON IVY」
先出の「ヤケティ・ヤック」、そして「チャーリー・ブラウン」、「アロング・ケイム・ジョーンズ」、「ポイズン・アイヴィ」と「アトランティック」レーベルのエンジニア「トム・ダウド」の音ってのはクリアーですナ。
コノ頃は”8チャンネル・レコーダー”を使っていたみたいでゲス。
「リーバー & ストーラー」がニューヨークに行ったので、次回はニューヨークの話になりますナ。
ってな感じで今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ又。











(「レスター・シル」を中心に「ザ・コースターズ」のメンバーと。)

2023年8月16日 12時47分52秒 (Wed)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート12)
今年の”お盆”は仕事が沢山あって、まともに休みが取れなかったんだけど今日の午後からは休みにする事にしたでゲス。
っていうのも、実は・・・お袋ちゃんが”乳がん”になって今月の8日から県立病院に入院して翌9日に手術をして、今日の午前中に退院してきたんですナ。
取り敢えず術後の経過はイイみたいなんだけど、当分の間は週1回の通院でゲス。
んで、”退院祝い”ってな訳じゃぁないんだけど、”鰻弁当”を買ってきて食べましたナ。

本題に入りましょうネ。
「ザ・チャンプス」の「テキーラ」が1958年2月に登場して「ポップ・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」の両方で1位になったってところ迄、前回にUpしたでゲス。
コノ「テキーラ」の1ヶ月後に登場したのが、
「デュエイン・エディ」

の、
「MOVIN’ N’ GROOVIN」
イントロが、
「チャック・ベリー」

の
「BROWN EYED HANDSOME MAN」
からの引用でしたナ。
えっとネ、LAから大体600km弱位東にフェニックスってな町があって、”ココ”にも「サム・フィリップス」や「ノーマン・ペティ」と並んで有名なプロデューサーがいたんでゲス。
「リー・ヘイゼルウッド」

っていって、ディスク・ジョッキーなんかもやっていて、ソノ時にバンドと知り合ってレコーディングの手伝いとかプロデュースをやったりとかしていたんですナ。
そんな中に高校生の「デュエイン・エディ」がいて、最初「デュエイン」はヴォーカルをしていたんだけどギタリストに転身したらどうかって「リー・ヘイゼルウッド」に勧められてギタリストになったらしいでゲス。
”低音弦”の・・・”アレ”をフィーチャーした奏法を提案したのも「リー・ヘイゼルウッド」だったみたいですナ。
デビュー曲は1958年3月にリリースされたんだけど「ポップ・チャート」72位って、あんまり振るわなかったので「リー・ヘイゼルウッド」と「デュエイン」は第2弾をリリースしたところ大ヒットしたんでゲス。
「REBEL ROUSER」
で、「ポップ・チャート」6位、「リズムンブルーズ・チャート」8位ってな大ヒットとなって、コノ後次々とヒットをリリースして、
”ギター・インストの王者”
の座を獲得したんですナ。
コーラスとサックスが入っていて「ゴールドスター・スタジオ」でダビングされて、エコーも「ゴールドスター・スタジオ」のエコーでゲス。
因みに”コノ”エコーは、
”ドラム缶エコー”
っていって、ドラム缶の底を抜いて横に倒して、底を演者側に向けて、缶の口側にマイクを置いて録音するってな方法だそうですナ。
コーラスってか”騒いでいる”のは、
「ザ・シャープス」

っていって、レコードもリリースしているグループでゲス。
んでネ、「デュエイン・エディ」にゃぁ「リー・ヘイゼルウッド」と、もう1人プロデューサーがいて、
「レスター・シル」

っていって、「レスター・シル」は以前に「ザ・シャープス」をプロデュースしていたのでソノ関係からの起用だと思いますナ。
あとサックスの、
「ジル・バーナル」

も「レスター・シル」関係で使用されたんじゃぁないかなぁ。
「デュエイン・エディ」のバンドにゃぁコノ後「スティーヴ・ダグラス」、「ラリー・ネクテル」、「ジム・ホーン」等、後の”ウエストコースト・サウンド”の中核となるミュージシャンが沢山集まってくる訳なんだけど、正に「リー・ヘイゼルウッド」はメンフィスの「サム・フィリップス」やニューメキシコの「ノーマン・ペティ」と同じ様な存在だったといえるでゲス。
コノ曲は「デュエイン・エディ」の「レベル・ラウザー」でサックスを吹いている「ジル・バーナル」の曲で、1954年LAの「スパーク」レーベルからリリースされて、「レスター・シル」が共同経営者だったレーベルで、中心人物は、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話 (パート15)”
でUpした、
「ジェリー・リーバー」と「マイク・ストラー」の「リーバー & ストラー」のコンビでしたナ。
今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ、コレにて。



(左から「デュエイン・エディ」、「レスター・シル」、「リー・ヘイゼルウッド」、バンド・メンバー3人)
っていうのも、実は・・・お袋ちゃんが”乳がん”になって今月の8日から県立病院に入院して翌9日に手術をして、今日の午前中に退院してきたんですナ。
取り敢えず術後の経過はイイみたいなんだけど、当分の間は週1回の通院でゲス。
んで、”退院祝い”ってな訳じゃぁないんだけど、”鰻弁当”を買ってきて食べましたナ。

本題に入りましょうネ。
「ザ・チャンプス」の「テキーラ」が1958年2月に登場して「ポップ・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」の両方で1位になったってところ迄、前回にUpしたでゲス。
コノ「テキーラ」の1ヶ月後に登場したのが、
「デュエイン・エディ」

の、
「MOVIN’ N’ GROOVIN」
イントロが、
「チャック・ベリー」

の
「BROWN EYED HANDSOME MAN」
からの引用でしたナ。
えっとネ、LAから大体600km弱位東にフェニックスってな町があって、”ココ”にも「サム・フィリップス」や「ノーマン・ペティ」と並んで有名なプロデューサーがいたんでゲス。
「リー・ヘイゼルウッド」

っていって、ディスク・ジョッキーなんかもやっていて、ソノ時にバンドと知り合ってレコーディングの手伝いとかプロデュースをやったりとかしていたんですナ。
そんな中に高校生の「デュエイン・エディ」がいて、最初「デュエイン」はヴォーカルをしていたんだけどギタリストに転身したらどうかって「リー・ヘイゼルウッド」に勧められてギタリストになったらしいでゲス。
”低音弦”の・・・”アレ”をフィーチャーした奏法を提案したのも「リー・ヘイゼルウッド」だったみたいですナ。
デビュー曲は1958年3月にリリースされたんだけど「ポップ・チャート」72位って、あんまり振るわなかったので「リー・ヘイゼルウッド」と「デュエイン」は第2弾をリリースしたところ大ヒットしたんでゲス。
「REBEL ROUSER」
で、「ポップ・チャート」6位、「リズムンブルーズ・チャート」8位ってな大ヒットとなって、コノ後次々とヒットをリリースして、
”ギター・インストの王者”
の座を獲得したんですナ。
コーラスとサックスが入っていて「ゴールドスター・スタジオ」でダビングされて、エコーも「ゴールドスター・スタジオ」のエコーでゲス。
因みに”コノ”エコーは、
”ドラム缶エコー”
っていって、ドラム缶の底を抜いて横に倒して、底を演者側に向けて、缶の口側にマイクを置いて録音するってな方法だそうですナ。
コーラスってか”騒いでいる”のは、
「ザ・シャープス」

っていって、レコードもリリースしているグループでゲス。
んでネ、「デュエイン・エディ」にゃぁ「リー・ヘイゼルウッド」と、もう1人プロデューサーがいて、
「レスター・シル」

っていって、「レスター・シル」は以前に「ザ・シャープス」をプロデュースしていたのでソノ関係からの起用だと思いますナ。
あとサックスの、
「ジル・バーナル」

も「レスター・シル」関係で使用されたんじゃぁないかなぁ。
「デュエイン・エディ」のバンドにゃぁコノ後「スティーヴ・ダグラス」、「ラリー・ネクテル」、「ジム・ホーン」等、後の”ウエストコースト・サウンド”の中核となるミュージシャンが沢山集まってくる訳なんだけど、正に「リー・ヘイゼルウッド」はメンフィスの「サム・フィリップス」やニューメキシコの「ノーマン・ペティ」と同じ様な存在だったといえるでゲス。
「EASYVILLE」
コノ曲は「デュエイン・エディ」の「レベル・ラウザー」でサックスを吹いている「ジル・バーナル」の曲で、1954年LAの「スパーク」レーベルからリリースされて、「レスター・シル」が共同経営者だったレーベルで、中心人物は、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話 (パート15)”
でUpした、
「ジェリー・リーバー」と「マイク・ストラー」の「リーバー & ストラー」のコンビでしたナ。
今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ、コレにて。



(左から「デュエイン・エディ」、「レスター・シル」、「リー・ヘイゼルウッド」、バンド・メンバー3人)
2023年8月7日 17時10分33秒 (Mon)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート11)
今日は月に2度の仕事休みの日だったんだけど、急ぎが80個入荷してきたので午前中は仕事してましたナ。
んで午後は休むでゲス。
残りの作業は明日にしますナ。
んで、本題でゲス。
LA出身の、
「リッチー・ヴァレンス」

が1958年に登場しましたナ。
「LA BAMBA」
イントロの”6弦ベース”が印象的で、弾いていたのはギタリストの、
「ルネ・ホール」

でゲス。
んじゃぁ、ギターを弾いていたのは誰?って事なんだけど、
「キャロル・ケイ」

だったみたいですナ。
元々LAはスペイン領だったので中南米文化の色濃い地域なんでメヒーコとかそういった所の曲の”「ロックンロール」アレンジ”が登場するのは充分にあったでしょうネ。
そうそう、ドラムは以前から登場している「アール・パーマー」でゲス。
んで、「ラ・バンバ」と全く同じミュージシャンで作られたのが、
「チャン・ロメーロ」

の、
「HIPPY HIPPY SHAKE」
で、コノ曲じゃぁ「キャロル・ケイ」がギター担当だったみたいですナ。
んでも、コノ時ギターを弾いていた「キャロル・ケイ」後に次の曲のイントロでベース(6弦ベース)を弾いたんですヨ。
「DANCE, DANCE, DANCE」
「ザ・ビーチ・ボーイズ」

ですナ。
こんな感じで徐々に、
”ウエストコースト・サウンド”
が出来上がっていったんでゲス。
さてさて、話は変わって以前「RCA」レーベルで「カントリー・ミュージック」を唄っていた、
「トミー・サンズ」

ってな歌手がいるんだけど、「キャピトル」レーベルに移籍して「ロックンロール」路線に転向したんですナ。
「THE WORRYIN’ KIND」
ですが、何だか「エディ・コクラン」の「サマータイム・ブルーズ」っぽい曲だなぁ。
バックのドラムは、
「ハル・ブレイン」

でゲス。
続いて登場するのは、
「アーニー・フリーマン」

の、
「RAUNCHY」
で以前に、
”「エルヴィス」の登場の影響と波及 (パート7)”
のところで「サン」レーベルの「ビル・ジャスティス」がオリジナルで、”3部門制覇”した曲って事をUpしたんだけど、実はコノ「アーニー・フリーマン」のカヴァー盤も、「ポップ・チャート」4位、「カントリー・ミュージック・チャート」11位、「リズムンブルーズ・チャート」1位ってな、
”3部門制覇”
しちゃったんですナ。
オリジナルとカヴァーの両方が”3部門制覇”っていうのはチョイと例が無いでゲス。
なので、コノ曲はコノ時代にどれだけの大ヒットだったかが判りますナ。
んでネ、「アーニー・フリーマン」ってのは「ジャズ」の人なんだけど、オリジナル「ロンチー」が余りのヒット曲だったので、こうゆうインストゥルメンタル曲をリリースするってな傾向もコノ辺りから出てきたんでゲス。
コノ曲のドラムは「アール・パーマー」ですナ。
続いては、
「アーニー・フィールズ」

の、
「IN THE MOOD」
で、1959年のリリースで6弦ベースは「ルネ・ホール」、ドラムは「アール・パーマー」って事で、「リッチー・ヴァレンス」の時と同じミュージシャンなので、同じサウンドでゲス。
「エディ・コクラン」、「リッチー・ヴァレンス」、「チャン・ロメーロ」、「アーニー・フリーマン」の「ロンチー」、「アーニー・フィールズ」の「イン・ザ・ムード」と、ココら辺の”ウエストコースト・サウンド”はニューオリンズの「アール・パーマー」が作っていたって事ですナ。
レコーディングされたスタジオは「ゴールドスター・スタジオ」でゲス。
次も又「ゴールドスター・スタジオ」から飛び出したヒット曲で、最初はB面でのリリースだったんですナ。
んが、あれよあれよっていう間にNo.1ヒットになったんでゲス。
「THE CHAMPS」

の、
「TEQUILA」
ですナ。
1957年に設立した「チャレンジ」レーベルから翌58年2月にリリースして「ポップ・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」両方1位ってな事だったんだけど、B面でのリリースだった「チャレンジ」レーベルは余程自信が無かったんでしょうネ。
んが、”コレ”が1位になったんで、
「何だヨ、こんなんで1位になるのかぁ。」
ってな事で、ジャンジャン色んなミュージシャンがインストゥルメンタル曲をリリースする様になったんでゲス。
翌59年にゃぁ”一大ブーム”となって物凄い数のインストゥルメンタル・バンドが登場する事になりますナ。
ハイ、ってなところで今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ又。






んで午後は休むでゲス。
残りの作業は明日にしますナ。
んで、本題でゲス。
LA出身の、
「リッチー・ヴァレンス」

が1958年に登場しましたナ。
「LA BAMBA」
イントロの”6弦ベース”が印象的で、弾いていたのはギタリストの、
「ルネ・ホール」

でゲス。
んじゃぁ、ギターを弾いていたのは誰?って事なんだけど、
「キャロル・ケイ」

だったみたいですナ。
元々LAはスペイン領だったので中南米文化の色濃い地域なんでメヒーコとかそういった所の曲の”「ロックンロール」アレンジ”が登場するのは充分にあったでしょうネ。
そうそう、ドラムは以前から登場している「アール・パーマー」でゲス。
んで、「ラ・バンバ」と全く同じミュージシャンで作られたのが、
「チャン・ロメーロ」

の、
「HIPPY HIPPY SHAKE」
で、コノ曲じゃぁ「キャロル・ケイ」がギター担当だったみたいですナ。
んでも、コノ時ギターを弾いていた「キャロル・ケイ」後に次の曲のイントロでベース(6弦ベース)を弾いたんですヨ。
「DANCE, DANCE, DANCE」
「ザ・ビーチ・ボーイズ」

ですナ。
こんな感じで徐々に、
”ウエストコースト・サウンド”
が出来上がっていったんでゲス。
さてさて、話は変わって以前「RCA」レーベルで「カントリー・ミュージック」を唄っていた、
「トミー・サンズ」

ってな歌手がいるんだけど、「キャピトル」レーベルに移籍して「ロックンロール」路線に転向したんですナ。
「THE WORRYIN’ KIND」
ですが、何だか「エディ・コクラン」の「サマータイム・ブルーズ」っぽい曲だなぁ。
バックのドラムは、
「ハル・ブレイン」

でゲス。
続いて登場するのは、
「アーニー・フリーマン」

の、
「RAUNCHY」
で以前に、
”「エルヴィス」の登場の影響と波及 (パート7)”
のところで「サン」レーベルの「ビル・ジャスティス」がオリジナルで、”3部門制覇”した曲って事をUpしたんだけど、実はコノ「アーニー・フリーマン」のカヴァー盤も、「ポップ・チャート」4位、「カントリー・ミュージック・チャート」11位、「リズムンブルーズ・チャート」1位ってな、
”3部門制覇”
しちゃったんですナ。
オリジナルとカヴァーの両方が”3部門制覇”っていうのはチョイと例が無いでゲス。
なので、コノ曲はコノ時代にどれだけの大ヒットだったかが判りますナ。
んでネ、「アーニー・フリーマン」ってのは「ジャズ」の人なんだけど、オリジナル「ロンチー」が余りのヒット曲だったので、こうゆうインストゥルメンタル曲をリリースするってな傾向もコノ辺りから出てきたんでゲス。
コノ曲のドラムは「アール・パーマー」ですナ。
続いては、
「アーニー・フィールズ」

の、
「IN THE MOOD」
で、1959年のリリースで6弦ベースは「ルネ・ホール」、ドラムは「アール・パーマー」って事で、「リッチー・ヴァレンス」の時と同じミュージシャンなので、同じサウンドでゲス。
「エディ・コクラン」、「リッチー・ヴァレンス」、「チャン・ロメーロ」、「アーニー・フリーマン」の「ロンチー」、「アーニー・フィールズ」の「イン・ザ・ムード」と、ココら辺の”ウエストコースト・サウンド”はニューオリンズの「アール・パーマー」が作っていたって事ですナ。
レコーディングされたスタジオは「ゴールドスター・スタジオ」でゲス。
次も又「ゴールドスター・スタジオ」から飛び出したヒット曲で、最初はB面でのリリースだったんですナ。
んが、あれよあれよっていう間にNo.1ヒットになったんでゲス。
「THE CHAMPS」

の、
「TEQUILA」
ですナ。
1957年に設立した「チャレンジ」レーベルから翌58年2月にリリースして「ポップ・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」両方1位ってな事だったんだけど、B面でのリリースだった「チャレンジ」レーベルは余程自信が無かったんでしょうネ。
んが、”コレ”が1位になったんで、
「何だヨ、こんなんで1位になるのかぁ。」
ってな事で、ジャンジャン色んなミュージシャンがインストゥルメンタル曲をリリースする様になったんでゲス。
翌59年にゃぁ”一大ブーム”となって物凄い数のインストゥルメンタル・バンドが登場する事になりますナ。
ハイ、ってなところで今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ又。






プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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