2023年9月 アーカイブ
2023年9月21日 13時35分13秒 (Thu)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート15)
ココをご覧になっている皆さんは”レトルト・カレー”って食べますか?
俺ネ、
「オリエンタル マースカレー」(中辛)

を食べているんだけど、”コレ”に”応募ハガキ”が入っていて、送ると何かしらのグッズが貰えるんでゲス。
通常はパッケージ左上の「マース坊や」を切り取って3つハガキに貼って送るパターンなんだけど、時々稀に”当たりハガキ”が入っていて”ソレ”だと何も貼らずに送れるんですナ。
んで、先日”当たりハガキ”が入っていたので送ったところ、

(写真はネットにUpされていたモノを引用しました。)
”ゴールド・スプーン”(24金メッキ)
が送られてきたんでゲス。
案外、こうゆうのって嬉しいもんですネ。
なので、今後もジャンジャン送っちゃおうって思ってますナ。(単純でしょ。笑)
さてさて、本題にしましょうネ。
前回に引き続いてニューヨークの話でゲス。
1956年「エルヴィス」が「ハートブレイク・ホテル」で全米に登場した頃、全く同時期ニューヨークの「デッカ」レーベルからデビューした新人がいましたナ。
「SILLY WILLY」
「ボビー・ダーリン」

でゲス。
作詞は、
「ドン・カーシュナー」

作曲は「ボビー」の自作曲で、デビューの頃は「フォーク・ソング」(「ROCK ISLAND LINE」)や「カリプソ」を唄っていたんですナ。
そんな「ボビー」ってレコード・デビュー前はCMのジングル等を制作していて、”ソコ”で同じ仕事をしていた、
「コニー・フランシス」

と知り合うんでゲス。
んで、「ボビー」と「ドン・カーシュナー」が「コニー」に曲を贈りましたナ。
「MY FIRST REAL LOVE」
で、「コニー」4枚目のシングル盤としてリリースされたんだけど、バック・コーラスは「ボビー」が1人で演っていたそうでゲス。
コノ後「ボビー」は「アトランティック」レーベルと契約するんだけど、兎に角器用な「ボビー」は何でも唄えるので、
”「ボビー・ダーリン」をどの路線で売り出すか”
ってな事で、最初はヤッパ
”「エルヴィス」路線”
を考えた様ですナ。
んで、移籍最初のレコーディング場所がナッシュビルの「ブラッドリー・スタジオ」で行われたんでゲス。

「I FOUND A MILLION DOLLAR」
なんだけど、「ロックンロール」タイプじゃぁなくって「ビング・クロスビー」なんかも唄っていた古い「ジャズ」の新しい解釈ってのが如何にも「アトランティック」レーベルらしいですナ。
とは言ってもスタジオは「ブラッドリー・スタジオ」で、更にバック・コーラスは、
「ザ・ジョーダネアーズ」

って事で、やっぱ”「エルヴィス」路線”を考えていたんだと思われるでゲス。
んで、”コノ”「ジャズ」路線は、後に「ボビー」が新境地を開拓する事となるんだけど、”コレ”は別の機会にUpしますネ。
さて、「ボビー」を「ジャズ」で売り出すのか「ロックンロール」で売り出すのか「アトランティック」レーベル内で分裂があって、「アトコ」レーベル責任者の、
「ハーブ・アブラムソン」

とプロデューサーの、
「ジェリー・ウェックスラー」

は「ロックンロール」路線に大反対でしたナ。
”ソコ”を押し切ったのは社長の、
「アーメット・アーティガン」

で、”天の声”で振り切ったって事だそうでゲス。
”ロックンローラー「ボビー・ダーリン」誕生”
ですナ。
「SPLISH SPLASH」
イントロのSE後の”アレ”は、「火の玉ロック」のイントロと一緒でゲス。
「ロックンロール」としちゃぁ”初めてのステレオ盤”としてリリースされたみたいですナ。
「ポップ・チャート」3位だったんだけど「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ1位でゲス。
やっぱ「アトランティック」レーベルはコノ分野での販売力が強かったからですかネ。
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話 (パート6)”
のところでもUpした様に「アトランティック」レーベルは「エルヴィス」を買わなかった(買えなかった)事を後悔して、”ソノ”答えが「ボビー・ダーリン」の”コレ”だったと思われるでゲス。
「アトランティック」レーベル初の”白人ロックンローラー”となった「ボビー・ダーリン」は、
”ニューヨーク初の白人ロックンローラー”
にもなったと言ってもよくって、っていうのもニューヨークの音楽産業は”超巨大”で、「エルヴィス」登場以降続々とロックンローラーが出てきてもニューヨークの音楽産業から見れば極一部なんですナ。
「ルーレット」とか「ケイデンス」なんかのレーベルがニューヨークにあるんだけど原盤は地方で制作された物で、ニューヨークで作った「ロックンロール」レコードは殆ど無かったみたいでゲス。
更にコノ頃はニューヨークに「ロックンロール」を演るギタリストがいなかったんですナ。
「エルヴィス」から解放された「リーバー & ストーラー」が1958年にニューヨークにやって来たって事もニューヨークの「ロックンロール」シーンにゃぁ大きかったと言われているでゲス。
さて、次の曲が「ボビー・ダーリン」をロックンローラーとして決定付けた曲となったんですナ。
ギターを弾いていたのは、
「アル・カイオラ」

でゲス。
「QUEEN OF THE HOP」
サックスは、
「キング・カーティス」

1958年10月「ポップ・チャート」9位でしたが「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ6位ってな具合で、相変わらず「リズムンブルーズ」の方が受けが良かった様でゲス。
コノ頃「アル・カイオラ」は、
「バディ・ホリー」

の、
「RAVE ON」
でも弾いてますナ。
「バディ・ホリー」のニューヨークでのレコーディング曲で、「アル・カイオラ」は、
”ニューヨークに於ける最初の白人「ロックンロール」ギタリスト”
ってな事でゲス。
1958年になってようやくニューヨーク生まれの「ロックンロール」サウンドが登場したんだけど、”ソレ”以前のニューヨークは、
”「コーラス・グループ」花盛り”
で、”ソノ”火種になったのは1954年にリリースされた、
「SHーBOOM」
「ザ・クリューカッツ」

ですナ。
「ザ・コーズ」

のカバー曲なんだけど、白人グループがカバーして「ポップ・チャート」1位になったんですナ。
あのネ、”1位”ってのがキーポイントなんでゲス。
っていうのもココ迄大ヒットすると業界も無視出来ないんですナ。
んで、続々と「リズムンブルーズ」をカバーする白人グループが登場してくるんでゲス。
「ザ・フォンテーン・シスターズ」

「HEARTS OF STONE」
オリジナルは、
「オーティス・ウィリアムズ & ザ・チャームズ」

や、
「ザ・マクガイヤ・シスターズ」

「SINCERELY」
オリジナルは、
「ザ・ムーングロウズ」

なんかも登場してきましたナ。
そんな中、白人グループでも「ドゥー・ワップ」スタイルでデビューを飾るグループが出てくるんでゲス。
「ザ・トーケンズ」

「WHILE I DREAM」
で、リード・シンガーは、
「ニール・セダカ」

ですナ。
「ニール・セダカ」も1956年デビューなんですネ。
初ヒットが出るのが58年12月なので「ニール」も2~3年の潜伏期間があったという事でゲス。
コノ流れに”新星”が登場しますナ。
チャートに登場したのが「ハートブレイク・ホテル」と同じ1月の事でゲス。
「WHY DO FOOLS FALL IN LOVE」
「ザ・ティーンネイジャーズ」

「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ当然の如く1位、「ポップ・チャート」でも6位を記録しましたナ。
エッと、「ハートブレイク・ホテル」は「リズムンブルーズ・チャート」で3位だったので、ニューヨークじゃぁコチラの方に人気があった様でゲス。
「コーラス・グループ」についてはコレ又別の機会にUpしますネ。
話は変わって先出の「バディ・ホリー」は結婚して1958年秋頃にゃぁニューヨークに移り住んでいたんですナ。
「ザ・クリケッツ」のメンバーはテキサスのラボックを離れたくないって事で、「バディ」と「ザ・クリケッツ」は別々となって、「バディ」はソロで活動をしていくんでゲス。
1958年10月ニューヨークでレコーディングされたのが、
「IT DOESN’T MATTER ANY MORE」
で、「バディ」の良さが上手く出てますネ。
作ったのは「ポール・アンカ」でゲス。
よく、
”「バディ・ホリー」が死んで「ロックンロール」も死んだ。”
なんて言われているんだけど、58年暮れに「バディ」自身も路線変更の兆しがあったんですナ。
てなところで、今回はココ迄でゲス。
んじゃぁコレにて。
では、では。









俺ネ、
「オリエンタル マースカレー」(中辛)

を食べているんだけど、”コレ”に”応募ハガキ”が入っていて、送ると何かしらのグッズが貰えるんでゲス。
通常はパッケージ左上の「マース坊や」を切り取って3つハガキに貼って送るパターンなんだけど、時々稀に”当たりハガキ”が入っていて”ソレ”だと何も貼らずに送れるんですナ。
んで、先日”当たりハガキ”が入っていたので送ったところ、

(写真はネットにUpされていたモノを引用しました。)
”ゴールド・スプーン”(24金メッキ)
が送られてきたんでゲス。
案外、こうゆうのって嬉しいもんですネ。
なので、今後もジャンジャン送っちゃおうって思ってますナ。(単純でしょ。笑)
さてさて、本題にしましょうネ。
前回に引き続いてニューヨークの話でゲス。
1956年「エルヴィス」が「ハートブレイク・ホテル」で全米に登場した頃、全く同時期ニューヨークの「デッカ」レーベルからデビューした新人がいましたナ。
「SILLY WILLY」
「ボビー・ダーリン」

でゲス。
作詞は、
「ドン・カーシュナー」

作曲は「ボビー」の自作曲で、デビューの頃は「フォーク・ソング」(「ROCK ISLAND LINE」)や「カリプソ」を唄っていたんですナ。
そんな「ボビー」ってレコード・デビュー前はCMのジングル等を制作していて、”ソコ”で同じ仕事をしていた、
「コニー・フランシス」

と知り合うんでゲス。
んで、「ボビー」と「ドン・カーシュナー」が「コニー」に曲を贈りましたナ。
「MY FIRST REAL LOVE」
で、「コニー」4枚目のシングル盤としてリリースされたんだけど、バック・コーラスは「ボビー」が1人で演っていたそうでゲス。
コノ後「ボビー」は「アトランティック」レーベルと契約するんだけど、兎に角器用な「ボビー」は何でも唄えるので、
”「ボビー・ダーリン」をどの路線で売り出すか”
ってな事で、最初はヤッパ
”「エルヴィス」路線”
を考えた様ですナ。
んで、移籍最初のレコーディング場所がナッシュビルの「ブラッドリー・スタジオ」で行われたんでゲス。

「I FOUND A MILLION DOLLAR」
なんだけど、「ロックンロール」タイプじゃぁなくって「ビング・クロスビー」なんかも唄っていた古い「ジャズ」の新しい解釈ってのが如何にも「アトランティック」レーベルらしいですナ。
とは言ってもスタジオは「ブラッドリー・スタジオ」で、更にバック・コーラスは、
「ザ・ジョーダネアーズ」

って事で、やっぱ”「エルヴィス」路線”を考えていたんだと思われるでゲス。
んで、”コノ”「ジャズ」路線は、後に「ボビー」が新境地を開拓する事となるんだけど、”コレ”は別の機会にUpしますネ。
さて、「ボビー」を「ジャズ」で売り出すのか「ロックンロール」で売り出すのか「アトランティック」レーベル内で分裂があって、「アトコ」レーベル責任者の、
「ハーブ・アブラムソン」

とプロデューサーの、
「ジェリー・ウェックスラー」

は「ロックンロール」路線に大反対でしたナ。
”ソコ”を押し切ったのは社長の、
「アーメット・アーティガン」

で、”天の声”で振り切ったって事だそうでゲス。
”ロックンローラー「ボビー・ダーリン」誕生”
ですナ。
「SPLISH SPLASH」
イントロのSE後の”アレ”は、「火の玉ロック」のイントロと一緒でゲス。
「ロックンロール」としちゃぁ”初めてのステレオ盤”としてリリースされたみたいですナ。
「ポップ・チャート」3位だったんだけど「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ1位でゲス。
やっぱ「アトランティック」レーベルはコノ分野での販売力が強かったからですかネ。
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話 (パート6)”
のところでもUpした様に「アトランティック」レーベルは「エルヴィス」を買わなかった(買えなかった)事を後悔して、”ソノ”答えが「ボビー・ダーリン」の”コレ”だったと思われるでゲス。
「アトランティック」レーベル初の”白人ロックンローラー”となった「ボビー・ダーリン」は、
”ニューヨーク初の白人ロックンローラー”
にもなったと言ってもよくって、っていうのもニューヨークの音楽産業は”超巨大”で、「エルヴィス」登場以降続々とロックンローラーが出てきてもニューヨークの音楽産業から見れば極一部なんですナ。
「ルーレット」とか「ケイデンス」なんかのレーベルがニューヨークにあるんだけど原盤は地方で制作された物で、ニューヨークで作った「ロックンロール」レコードは殆ど無かったみたいでゲス。
更にコノ頃はニューヨークに「ロックンロール」を演るギタリストがいなかったんですナ。
「エルヴィス」から解放された「リーバー & ストーラー」が1958年にニューヨークにやって来たって事もニューヨークの「ロックンロール」シーンにゃぁ大きかったと言われているでゲス。
さて、次の曲が「ボビー・ダーリン」をロックンローラーとして決定付けた曲となったんですナ。
ギターを弾いていたのは、
「アル・カイオラ」

でゲス。
「QUEEN OF THE HOP」
サックスは、
「キング・カーティス」

1958年10月「ポップ・チャート」9位でしたが「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ6位ってな具合で、相変わらず「リズムンブルーズ」の方が受けが良かった様でゲス。
コノ頃「アル・カイオラ」は、
「バディ・ホリー」

の、
「RAVE ON」
でも弾いてますナ。
「バディ・ホリー」のニューヨークでのレコーディング曲で、「アル・カイオラ」は、
”ニューヨークに於ける最初の白人「ロックンロール」ギタリスト”
ってな事でゲス。
1958年になってようやくニューヨーク生まれの「ロックンロール」サウンドが登場したんだけど、”ソレ”以前のニューヨークは、
”「コーラス・グループ」花盛り”
で、”ソノ”火種になったのは1954年にリリースされた、
「SHーBOOM」
「ザ・クリューカッツ」

ですナ。
「ザ・コーズ」

のカバー曲なんだけど、白人グループがカバーして「ポップ・チャート」1位になったんですナ。
あのネ、”1位”ってのがキーポイントなんでゲス。
っていうのもココ迄大ヒットすると業界も無視出来ないんですナ。
んで、続々と「リズムンブルーズ」をカバーする白人グループが登場してくるんでゲス。
「ザ・フォンテーン・シスターズ」

「HEARTS OF STONE」
オリジナルは、
「オーティス・ウィリアムズ & ザ・チャームズ」

や、
「ザ・マクガイヤ・シスターズ」

「SINCERELY」
オリジナルは、
「ザ・ムーングロウズ」

なんかも登場してきましたナ。
そんな中、白人グループでも「ドゥー・ワップ」スタイルでデビューを飾るグループが出てくるんでゲス。
「ザ・トーケンズ」

「WHILE I DREAM」
で、リード・シンガーは、
「ニール・セダカ」

ですナ。
「ニール・セダカ」も1956年デビューなんですネ。
初ヒットが出るのが58年12月なので「ニール」も2~3年の潜伏期間があったという事でゲス。
コノ流れに”新星”が登場しますナ。
チャートに登場したのが「ハートブレイク・ホテル」と同じ1月の事でゲス。
「WHY DO FOOLS FALL IN LOVE」
「ザ・ティーンネイジャーズ」

「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ当然の如く1位、「ポップ・チャート」でも6位を記録しましたナ。
エッと、「ハートブレイク・ホテル」は「リズムンブルーズ・チャート」で3位だったので、ニューヨークじゃぁコチラの方に人気があった様でゲス。
「コーラス・グループ」についてはコレ又別の機会にUpしますネ。
話は変わって先出の「バディ・ホリー」は結婚して1958年秋頃にゃぁニューヨークに移り住んでいたんですナ。
「ザ・クリケッツ」のメンバーはテキサスのラボックを離れたくないって事で、「バディ」と「ザ・クリケッツ」は別々となって、「バディ」はソロで活動をしていくんでゲス。
1958年10月ニューヨークでレコーディングされたのが、
「IT DOESN’T MATTER ANY MORE」
で、「バディ」の良さが上手く出てますネ。
作ったのは「ポール・アンカ」でゲス。
よく、
”「バディ・ホリー」が死んで「ロックンロール」も死んだ。”
なんて言われているんだけど、58年暮れに「バディ」自身も路線変更の兆しがあったんですナ。
てなところで、今回はココ迄でゲス。
んじゃぁコレにて。
では、では。









2023年9月7日 5時14分51秒 (Thu)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート14)
5月の大型連休頃から今期秋冬物を製作し始めたんだけど、7月位から通常の仕事時間じゃぁ出荷に間に合わない程の仕事量になってきたので夜遅く迄やろうと思って実行してみたんだけど、どうにもこうにも疲れて効率良く進まないんでゲス。
んで、んじゃぁ朝早くからにしてみようって事で朝6時からやってみたんですナ。
そうしたら、何か上手くやれたので今でも朝6時から仕事しているんでゲス。
そんな毎日を過ごしていると仕事休みの日も早く目が覚めちゃうんですナ。
なので今回はこんな時間のUpという事でゲス。
さて、本題ですネ。
1952年にニューヨークで設立した「ケイデンス」レーベルから始めるでゲス。
TVのタレント・スカウト・ショーでバンド・リーダーをしていた、
「アーチー・ブレイヤー」

が作ったレーベルで、コノ「ケイデンス」レーベルでヒットした曲にゃぁこういうのがありましたナ。
「MR. SANDMAN」
で、
「ザ・コーデッツ」

でゲス。
「アンディ・ウィリアムス」

の最初のヒットも「ケイデンス」レーベルからですナ。
「BUTTERFLY」
で、1957年春にヒットして、カバー曲なんだけどオリジナルは、
「チャーリー・グレイシー」

で、オリジナルもカバーも「ポップ・チャート」1位ってな大ヒット曲でゲス。
んで、「ケイデンス」レーベルは「カントリー・ミュージック」部門にも力を入れる事になって、
”「ELVIS」登場の影響と波及 (パート3)”
のところで、「コロンビア」レーベルに「チェット・アトキンス」が、
「ジ・エバリー・ブラザーズ」

を連れて来たのに社長の「ドン・ロー」は契約しなかったって事はUpしたんだけど、ソノ後「エバリー・・・」は2年間沈黙していて、んで「ケイデンス」レーベルと契約をするんですナ。
再起をかけた「エバリー・・・」は、「ブードロウ」と「フェリス」の、
「ブライアント」夫妻

が作った曲で「エバリー・・・」は再起を賭けていたのに、ソノ話を聞いた、
「ウェッブ・ピアス」

が先にレコーディングしてリリースして、んでヒットさせちゃうんでゲス。
ソノ曲は、
「BYE BYE LOVE」
で、トップ10入りのヒットになっちゃうんで「エバリー・・・」は再デビューが心配になるんですナ。
そんな不安状態でリリースをするんでゲス。
んが、そんな心配は他所に1957年5月20日チャート・インして「ポップ・チャート」2位、「カントリー・ミュージック・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」5位ってな、
”3部門制覇”
の”メガ・ヒット”となった訳ですナ。
「エバリー・・・」も漸く”スターの仲間入り”を果たしたんでゲス。
恐らく「ケイデンス」レーベルが「カントリー・ミュージック」専門じゃぁなくって「ポップ」のフィールドの会社だったって事が非常に大きいと思うんですナ。

続いては、
「WAKE UP LITTLE SUSIE」
で、「バイ・バイ・・・」以上の大ヒットで、「ポップ・チャート」、「カントリー・ミュージック・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」で全て1位!!!!!
”トリプル・クラウン”
でゲス。
”コノ”記録は「エルヴィス」以外誰も達成していなかったので「エバリー・・・」は2人目となったんですナ。
「エバリー・・・」と「ブライアント」夫妻との強力なタッグが出来上がって、”名曲”が次々と誕生するんでゲス。
3枚目のシングル盤はカバーの挑戦となって、しかも「リズムンブルーズ」を挑戦しますナ。
選ばれたのは、
「リトル・リチャード」

の、
「KEEP A KNOCKIN’」
で、迫力のある「リズムンブルーズ」を「エバリー・・・」は独特の調理法でカバーをしたんでゲス。
「リズムブルーズ」のシャウトする曲は同じようにシャウトするとか、あるいは気の抜けた白人的なカバーといった2通りしか当時は無かったところに”第3の道”として、ニュアンスを保ちながら「リズムンブルーズ」の雰囲気を出してコーラス、ハーモニーでカバーするって事を演ったんですナ。
さて、1958年4月に”第4弾”としてリリースした曲は、「ロック」史だけじゃあなくって、
”「アメリカン・ポップス」永遠の名曲”
となったんでゲス。
「ALL I HAVE TO DREAM」
何というイイ曲だろう。
大好き!!!!!
イントロのギターは、
「チェット・アトキンス」

コノ曲も”トリプル・クラウン”の3部門1位で「エバリー・・・」としては2曲目ですナ。
”3部門1位”ってのは、そうそう無いモノで「エルヴィス」が1956年2曲、57年3曲ってな”5曲”もあるんだけど、”コレ”って物凄い事で、「エバリー・・・」も2曲って事で、「アメリカン・ポップス」史上においてコノ偉業を成し遂げたのは7曲だけなんでゲス。
恐らくこういった事は将来的に起こらないと思うのは俺だけでしょうかネ。
「エバリー・・・」はナッシュヴィルの「ロックンロール」をニューヨークの「ケイデンス」レーベルで孤軍奮闘、守り続けていたんでゲス。
今回はココ迄ですナ。
では又。





んで、んじゃぁ朝早くからにしてみようって事で朝6時からやってみたんですナ。
そうしたら、何か上手くやれたので今でも朝6時から仕事しているんでゲス。
そんな毎日を過ごしていると仕事休みの日も早く目が覚めちゃうんですナ。
なので今回はこんな時間のUpという事でゲス。
さて、本題ですネ。
1952年にニューヨークで設立した「ケイデンス」レーベルから始めるでゲス。
TVのタレント・スカウト・ショーでバンド・リーダーをしていた、
「アーチー・ブレイヤー」

が作ったレーベルで、コノ「ケイデンス」レーベルでヒットした曲にゃぁこういうのがありましたナ。
「MR. SANDMAN」
で、
「ザ・コーデッツ」

でゲス。
「アンディ・ウィリアムス」

の最初のヒットも「ケイデンス」レーベルからですナ。
「BUTTERFLY」
で、1957年春にヒットして、カバー曲なんだけどオリジナルは、
「チャーリー・グレイシー」

で、オリジナルもカバーも「ポップ・チャート」1位ってな大ヒット曲でゲス。
んで、「ケイデンス」レーベルは「カントリー・ミュージック」部門にも力を入れる事になって、
”「ELVIS」登場の影響と波及 (パート3)”
のところで、「コロンビア」レーベルに「チェット・アトキンス」が、
「ジ・エバリー・ブラザーズ」

を連れて来たのに社長の「ドン・ロー」は契約しなかったって事はUpしたんだけど、ソノ後「エバリー・・・」は2年間沈黙していて、んで「ケイデンス」レーベルと契約をするんですナ。
再起をかけた「エバリー・・・」は、「ブードロウ」と「フェリス」の、
「ブライアント」夫妻

が作った曲で「エバリー・・・」は再起を賭けていたのに、ソノ話を聞いた、
「ウェッブ・ピアス」

が先にレコーディングしてリリースして、んでヒットさせちゃうんでゲス。
ソノ曲は、
「BYE BYE LOVE」
で、トップ10入りのヒットになっちゃうんで「エバリー・・・」は再デビューが心配になるんですナ。
そんな不安状態でリリースをするんでゲス。
んが、そんな心配は他所に1957年5月20日チャート・インして「ポップ・チャート」2位、「カントリー・ミュージック・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」5位ってな、
”3部門制覇”
の”メガ・ヒット”となった訳ですナ。
「エバリー・・・」も漸く”スターの仲間入り”を果たしたんでゲス。
恐らく「ケイデンス」レーベルが「カントリー・ミュージック」専門じゃぁなくって「ポップ」のフィールドの会社だったって事が非常に大きいと思うんですナ。

続いては、
「WAKE UP LITTLE SUSIE」
で、「バイ・バイ・・・」以上の大ヒットで、「ポップ・チャート」、「カントリー・ミュージック・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」で全て1位!!!!!
”トリプル・クラウン”
でゲス。
”コノ”記録は「エルヴィス」以外誰も達成していなかったので「エバリー・・・」は2人目となったんですナ。
「エバリー・・・」と「ブライアント」夫妻との強力なタッグが出来上がって、”名曲”が次々と誕生するんでゲス。
3枚目のシングル盤はカバーの挑戦となって、しかも「リズムンブルーズ」を挑戦しますナ。
選ばれたのは、
「リトル・リチャード」

の、
「KEEP A KNOCKIN’」
で、迫力のある「リズムンブルーズ」を「エバリー・・・」は独特の調理法でカバーをしたんでゲス。
「リズムブルーズ」のシャウトする曲は同じようにシャウトするとか、あるいは気の抜けた白人的なカバーといった2通りしか当時は無かったところに”第3の道”として、ニュアンスを保ちながら「リズムンブルーズ」の雰囲気を出してコーラス、ハーモニーでカバーするって事を演ったんですナ。
さて、1958年4月に”第4弾”としてリリースした曲は、「ロック」史だけじゃあなくって、
”「アメリカン・ポップス」永遠の名曲”
となったんでゲス。
「ALL I HAVE TO DREAM」
何というイイ曲だろう。
大好き!!!!!
イントロのギターは、
「チェット・アトキンス」

コノ曲も”トリプル・クラウン”の3部門1位で「エバリー・・・」としては2曲目ですナ。
”3部門1位”ってのは、そうそう無いモノで「エルヴィス」が1956年2曲、57年3曲ってな”5曲”もあるんだけど、”コレ”って物凄い事で、「エバリー・・・」も2曲って事で、「アメリカン・ポップス」史上においてコノ偉業を成し遂げたのは7曲だけなんでゲス。
恐らくこういった事は将来的に起こらないと思うのは俺だけでしょうかネ。
「エバリー・・・」はナッシュヴィルの「ロックンロール」をニューヨークの「ケイデンス」レーベルで孤軍奮闘、守り続けていたんでゲス。
今回はココ迄ですナ。
では又。





プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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