2023年10月 アーカイブ
2023年10月21日 9時10分38秒 (Sat)
「MADIGAN」
今回Upするのは映画の、
「MADIGAN」1968年(邦題「刑事マディガン」)

でゲス。
監督は、「ドン・シーゲル」
出演は、「リチャード・ウィドマーク」、「ヘンリー・フォンダ」、「インガー・スティーヴンス」、「ハリー・ガーディノ」、「ジェームズ・ホイットモア」、「スーザン・クラーク」、「スティーヴ・イーナット」、「シェリー・ノース」等など。

・・・「ダニエル・マディガン(リチャード・ウィドマーク)」と「ロコ・ボナーロ(ハリー・ガーディノ)」は、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレム第23分署の敏腕刑事なんですナ。
或る日「マディガン」と「ボナーロ」の2人はブルックリン地区のヤクザ「ベネッシュ(スティーヴ・イーナット)」のアパートに踏み込んだんだけど、チョイとした隙に逃げられてしまった挙句に拳銃も奪われてしまったんでゲス。
署に帰った2人は逃げた「ベネッシュ」が殺人容疑者だと聞かされて驚いたが、”ソレ”以上に気になったのが奪われた拳銃を使って第2、第3の殺人をしないかという事でしたナ。
常に”仕事第一”の刑事「マディガン」の妻「ジュリア(インガー・スティーヴンス)」は、いつも不満だらけの日々を送っていたでゲス。
一方、警視総監の「ラッセル(ヘンリー・フォンダ)」は「マディガン」の失敗に頭を抱えたモノの自分にも色々と面倒な問題が降りかかっていたんですナ。
っていうのは、「ラッセル」の親友「ケイン(ジェームズ・ホイットモア)」警部が売春汚職に巻き込まれたり、関係を持つ上流婦人から別れ話を持ち出されたり、黒人指導で高名な牧師から抗議される等、悩みは尽きなかったんでゲス。
さて、「マディガン」と「ボナーロ」は”72時間以内”に「ベネッシュ」を逮捕せよってな厳命を受けたので躍起になって聞き込みを始めましたナ。
「ジュリア」の不満が爆発点に達していると悟った「マディガン」は勤務中ではあったんだけど「ジュリア」を連れて警察官のパーティーに出かけたんでゲス。
んが、殆ど時を同じくして街頭で「ベネッシュ」を発見した2人の警官が「ベネッシュ」に撃たれたんですナ。
1人は即死、1人は重傷となって、しかも凶器となった拳銃は「マディガン」達から奪った物だったんでゲス。
必死の聞き込みで「ベネッシュ」の隠れ家が分かり多数の警官で非常線を張って「マディガン」と「ボナーロ」が踏み込む為に体当たりで室内に入ろうとした時に「マディガン」は「ベネッシュ」の放った弾を受けて・・・。





スパニッシュ・ハーレム地区を舞台に拳銃を奪われた刑事と相棒の必死の捜査と、様々な問題を抱えた警視総監と主任警部の友情を並行して描いたリアリスティックな刑事ドラマでゲス。
作品中に映された当時のスパニッシュ・ハーレム地区の風景がイイなぁ。(街中のゴミも含めてネ。)










後に、
「COOGAN’S BLUFF」1968年(邦題「マンハッタン無宿」)

を経て、
「DIRTY HARRY」1971年(邦題「ダーティハリー」)

へと繋がるアクション監督「ドン・シーゲル」(大好き!!!!!)の骨格が既にココにあるでゲス。
お気に入りの「リチャード・ウィドマーク」と「ハリー・ガーディノ」のコンビがイイですナ。

「ヘンリー・フォンダ」

や、「マディガン」の妻「ジュリア」役の、
「インガー・スティーヴンス」

は、もう1つピンとこなかったなぁ。
とはいえ、大好きな「ドン・シーゲル」監督作品なのでお気に入りでゲス。(DVD購入済)
そうそう、作品中の「ウィドマーク」達が乗った警察車両に電話が付いていたなぁ。

1968年にゃぁ既にあったんですネ。
あと、1972年~73年にアメリカ「NBC」局にて90分全6話としてTV版が放映されて、日本じゃぁ「鬼刑事マディガン」のタイトルで1979年10月13日より「東京12チャンネル(現「テレビ東京」)」局にて放映されていたでゲス。

こんなところですかネ。
んじゃぁ、又。



「MADIGAN」1968年(邦題「刑事マディガン」)

でゲス。
監督は、「ドン・シーゲル」
出演は、「リチャード・ウィドマーク」、「ヘンリー・フォンダ」、「インガー・スティーヴンス」、「ハリー・ガーディノ」、「ジェームズ・ホイットモア」、「スーザン・クラーク」、「スティーヴ・イーナット」、「シェリー・ノース」等など。

・・・「ダニエル・マディガン(リチャード・ウィドマーク)」と「ロコ・ボナーロ(ハリー・ガーディノ)」は、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレム第23分署の敏腕刑事なんですナ。
或る日「マディガン」と「ボナーロ」の2人はブルックリン地区のヤクザ「ベネッシュ(スティーヴ・イーナット)」のアパートに踏み込んだんだけど、チョイとした隙に逃げられてしまった挙句に拳銃も奪われてしまったんでゲス。
署に帰った2人は逃げた「ベネッシュ」が殺人容疑者だと聞かされて驚いたが、”ソレ”以上に気になったのが奪われた拳銃を使って第2、第3の殺人をしないかという事でしたナ。
常に”仕事第一”の刑事「マディガン」の妻「ジュリア(インガー・スティーヴンス)」は、いつも不満だらけの日々を送っていたでゲス。
一方、警視総監の「ラッセル(ヘンリー・フォンダ)」は「マディガン」の失敗に頭を抱えたモノの自分にも色々と面倒な問題が降りかかっていたんですナ。
っていうのは、「ラッセル」の親友「ケイン(ジェームズ・ホイットモア)」警部が売春汚職に巻き込まれたり、関係を持つ上流婦人から別れ話を持ち出されたり、黒人指導で高名な牧師から抗議される等、悩みは尽きなかったんでゲス。
さて、「マディガン」と「ボナーロ」は”72時間以内”に「ベネッシュ」を逮捕せよってな厳命を受けたので躍起になって聞き込みを始めましたナ。
「ジュリア」の不満が爆発点に達していると悟った「マディガン」は勤務中ではあったんだけど「ジュリア」を連れて警察官のパーティーに出かけたんでゲス。
んが、殆ど時を同じくして街頭で「ベネッシュ」を発見した2人の警官が「ベネッシュ」に撃たれたんですナ。
1人は即死、1人は重傷となって、しかも凶器となった拳銃は「マディガン」達から奪った物だったんでゲス。
必死の聞き込みで「ベネッシュ」の隠れ家が分かり多数の警官で非常線を張って「マディガン」と「ボナーロ」が踏み込む為に体当たりで室内に入ろうとした時に「マディガン」は「ベネッシュ」の放った弾を受けて・・・。





スパニッシュ・ハーレム地区を舞台に拳銃を奪われた刑事と相棒の必死の捜査と、様々な問題を抱えた警視総監と主任警部の友情を並行して描いたリアリスティックな刑事ドラマでゲス。
作品中に映された当時のスパニッシュ・ハーレム地区の風景がイイなぁ。(街中のゴミも含めてネ。)










後に、
「COOGAN’S BLUFF」1968年(邦題「マンハッタン無宿」)

を経て、
「DIRTY HARRY」1971年(邦題「ダーティハリー」)

へと繋がるアクション監督「ドン・シーゲル」(大好き!!!!!)の骨格が既にココにあるでゲス。
お気に入りの「リチャード・ウィドマーク」と「ハリー・ガーディノ」のコンビがイイですナ。

「ヘンリー・フォンダ」

や、「マディガン」の妻「ジュリア」役の、
「インガー・スティーヴンス」

は、もう1つピンとこなかったなぁ。
とはいえ、大好きな「ドン・シーゲル」監督作品なのでお気に入りでゲス。(DVD購入済)
そうそう、作品中の「ウィドマーク」達が乗った警察車両に電話が付いていたなぁ。

1968年にゃぁ既にあったんですネ。
あと、1972年~73年にアメリカ「NBC」局にて90分全6話としてTV版が放映されて、日本じゃぁ「鬼刑事マディガン」のタイトルで1979年10月13日より「東京12チャンネル(現「テレビ東京」)」局にて放映されていたでゲス。

こんなところですかネ。
んじゃぁ、又。



2023年10月7日 7時06分00秒 (Sat)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (おまけ)
1957年12月20日「エルヴィス」に徴兵命令が届くのネ。
んで、翌58年3月に入隊しましたナ。

1956年に全米に華々しく登場して翌57年に「ポップ・チャート」、「カントリー・ミュージック・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」3部門1位が3曲もあったのに、ソノ年の暮れにゃぁ徴兵命令が来たんでゲス。
つまり「エルヴィス」のメジャーでの実働は”たった2年間”だったんですナ。
1958年3月から丸2年「エルヴィス」は音楽界にゃぁ”不在”だったんでゲス。
レコードはリリースされていて”ソレ”はヒットしていたんだけど、以前にレコーディングされていたモノで、演奏活動もTV出演も、映画出演も入隊中は一切ありませんでしたナ。
ヤッパ「エルヴィス」が不在って事で「ロックンロール」シーンにゃぁポッカリと穴が空いたってのは否めない事実だったと思うでゲス。
んでネ、1958年夏以降に”3部門制覇”ってな記録が突然途絶えちゃうんですナ。
翌59年にゃぁ”ゼロ”でゲス。
「エルヴィス」の入隊だけが「ロックンロール」退潮全ての原因だとは思わないんだけど、「ポップス」系アーティストが大挙して登場してきた事と「エルヴィス」入隊が同じ1958年だったんですナ。
こういった「ロックンロール」から「ポップス」へ流れていく前兆は実は「ハートブレイク・ホテル」が登場した1956年の頃からあったんでゲス。
”ココ”でいよいよ、
「パット・ブーン」

の登場ですナ。
「パット」は「エルヴィス」よりも1年前に「ポップ・チャート」に登場しているので本来なら先に取り上げる人物なんだけど、流れ的に”ココ”での登場となるんですヨ。
エッと、1953年5月が「パット」最初のレコーディングでゲス。
場所はナッシュヴィルの「ブラッドリー・スタジオ」で「ゴスペル」のメロディーに自分で詞を付けたって曲で、「ビング・クロスビー」調の”クルーナー”の「パット」だったんですナ。
生まれはフロリダなんだけど2歳の時にナッシュヴィルに引っ越してきたんでゲス。
つまり「エルヴィス」と同じテネシー育ちですナ。
んで、1954年にレコード会社と契約したんでゲス。
ナッシュヴィルより少し北のギャラティンにある「ドット」レーベルですナ。
コノ頃にゃぁ「エルヴィス」は「サン」レーベルからレコードをリリースしているでゲス。
さて、「パット」が契約した「ドット」レーベルの社長は、
「ランディ・ウッド」

っていって、元レコード店のオーナーで、1955年2月に「パット」のデビュー曲を探してくるんですナ。
んでネ、ソノ曲を電話で「パット」に聴かせるのネ。
「”コレ”がお前のデビュー曲だゾ!」
ってサ。
「パット」は”ソレ”を聴いて今迄聴いた事が無いサウンドだったみたいでゲス。
んでも社長の「ランディ・ウッド」は、
「絶対に売れるから。」
っていう一言を信じて一晩で覚えてレコーディングに臨んだという事ですナ。
「パット」に託された「リズムンブルーズ」曲ってのが、
「TWO HEARTS」
「ザ・チャームズ」

の曲でゲス。
本当に「パット」が唄えんのかって思うんだけど「ランディ・ウッド」は絶対”コレ”なんだって事で、ナッシュヴィルじゃぁ「リズムンブルーズ」はレコーディング出来ないって事で態々シカゴへ行ってカヴァーさせたんでゲス。
何かサ、そういった背景を知っちゃうと何だか本当に必死で唄っている感じで、何とか「リズムンブルーズ」の雰囲気を自分の中に取り入れようと必死で覚えたみたいですナ。
社長の「ランディ・ウッド」の予言?通りコノ曲は1955年4月に登場して16位にランクされて「パット」と社長は手を取り合って喜んだそうでゲス。
「エルヴィス」よりも前に「パット」がナショナル・チャートに登場したという事になりますナ。
続いてリリースされたのが、
「AIN'T THAT A SHAME」
でゲス。
「ポップ・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」14位で、
「ビル・ヘイリー」

に続く「ロックンロール」アーティストとして脚光を浴びたんですナ。
コノ曲が当時の「リズムンブルーズ」ファンからも受け入れられていたっていう事はチャートで14位ってのが物語っていて驚きでゲス。
俺なんか、後の”クルーナー”の「パット」を知っているから、なかなかコノ1955年時点での受け入れられ方っていうのはチョイと理解し難いんだなぁ。
んでもネ、冷静に考えてみると、コノ時点で”男声シンガー”で誰と比較するかというと、
「ペリー・コモ」

や、
「エディ・フィッシャー」

だった訳だから、彼等に比べりゃぁ「パット」は、
”十二分にワイルド”
な「ロックンロール」シンガーだったんでゲス。
「ビル・ヘイリー」に続いて若者達は「パット」に熱中した、
”新たなロックンローラー”
だったんですナ。
1955年夏の時点じゃぁ「エルヴィス」は全米にゃぁ登場してないし、「リズムンブルーズ」のオリジナル・アーティスト達も「ポップ・チャート」にゃぁ出てきてない頃の事でゲス。
なので、”コレ”でも充分に衝撃的だったんですナ。
さて、1955年のロックンローラー「パット・ブーン」は、
”No.1シンガー”
なので、こうなると社長も「パット」も”イケイケ状態”となる訳で、次のシングル盤として準備された曲も「リズムンブルーズ」曲のカヴァーでアップテンポ曲の、
「TUTTI FRUTTI」
で、恐らく1956年1月リリースじゃぁなかったらトップ10にゃぁ入っていたでしょうネ。
イヤァ、運悪く「エルヴィス」の登場と時期が重なったんでゲス。
「トゥッティ・・・」は「ポップ・チャート」12位止まりでしたナ。
つまり、コノ上にゃぁ「ハートブレイク・ホテル」があったんでゲス。
前にリリースした「エイント・ザット・・・」が14位迄上がった「リズムンブルーズ・チャート」でコノ「トゥッティ・・・」は100位にすら入ってなくって、つまりコノ時点で「パット」の対象が「ペリー・コモ」から「エルヴィス」に変わったって事ですナ。
「トゥッティ・・・」リリース前にゃぁこんな状況になるとは全く読めなかった訳でゲス。
そんな時に”珍事”っていうか、”時代のイタズラ”が起きたんですナ。
ラジオのDJが「トゥッティ・・・」のB面を流し出したんでゲス。
そうしたらアレよアレよって間にチャートを上がっていって、何と「ポップ・チャート」4位迄なったんですナ。
”ソレ”が、
「I’LL BE HOME」
で、
「ザ・フラミンゴズ」

のカヴァーなんだけど、事の発端はDJがレコードのAB面を間違えて流したところ「エルヴィス」のカウンターとなったという事でゲス。
結果的な事なんだけど、「エルヴィス」登場が「パット」本来の”クルーナー”シンガーに戻したって訳ですナ。
「エルヴィス」が登場しなきゃぁ「ドット」レーベル社長の「ランディ・ウッド」は「パット」の「リズムンブルーズ」路線を続けていたと考えられるんでゲス。
っていうのは、次にリリースするシングル盤も「リトル・リチャード」のカヴァーなんですナ。
「ポップ・チャート」じゃぁ8位迄になったんだけど「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁチャートにすら上がらずだったでゲス。
コノ後、
”「エルヴィス」VS「パット」”
ってな”対立構図”で言われる様になったんだけど、むしろ「パット」は「エルヴィス」の対抗馬じゃぁなくって”先導役”を務めたって事になったんですナ。
コノ後「パット・ブーン」は「バラード」のNo.1ヒットが続いて、いよいよ映画出演になって、
「BERNARDINE」1957年(邦題「バーナディーン」)

の挿入歌として選ばれたのが1931年に出版された古いスタンダード曲で、”コレ”が「パット」の”代表曲”となったんでゲス。
「LOVE LETTERS IN THE SAND」(邦題「砂に書いたラヴレター」)
で、「ポップ・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」でも12位でしたナ。
「リズムンブルーズ」ファンも”クルーナー”としての「パット」を受け入れたんですネ。
ところで、「パット」のサウンドなんだけど、「ドット」レーベルでデビューした時から支えてきた人物がいて、
「ビリー・ヴォーン」

なんだけど、「ビリー・ヴォーン」っていったら、
「SAIL ALONG SILVERY MOON」(邦題「波路はるかに」)
が有名でゲス。
「ポール・アンカ」の陰に「ドン・コスタ」がいた様に「パット・ブーン」の成功のにゃぁ「ビリー・ボーン」がいた訳ですナ。
「ロックンロール」の流れはコノ辺りで弱まっていって以降「シックスティーズ・ポップス」に繋がっていく土台が出来ていくんでゲス。
長らく続いた、
”「エルヴィス」登場の影響と波及”
は今回で終了ですナ。
長らく有難うございました。
では、コレにて。



んで、翌58年3月に入隊しましたナ。

1956年に全米に華々しく登場して翌57年に「ポップ・チャート」、「カントリー・ミュージック・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」3部門1位が3曲もあったのに、ソノ年の暮れにゃぁ徴兵命令が来たんでゲス。
つまり「エルヴィス」のメジャーでの実働は”たった2年間”だったんですナ。
1958年3月から丸2年「エルヴィス」は音楽界にゃぁ”不在”だったんでゲス。
レコードはリリースされていて”ソレ”はヒットしていたんだけど、以前にレコーディングされていたモノで、演奏活動もTV出演も、映画出演も入隊中は一切ありませんでしたナ。
ヤッパ「エルヴィス」が不在って事で「ロックンロール」シーンにゃぁポッカリと穴が空いたってのは否めない事実だったと思うでゲス。
んでネ、1958年夏以降に”3部門制覇”ってな記録が突然途絶えちゃうんですナ。
翌59年にゃぁ”ゼロ”でゲス。
「エルヴィス」の入隊だけが「ロックンロール」退潮全ての原因だとは思わないんだけど、「ポップス」系アーティストが大挙して登場してきた事と「エルヴィス」入隊が同じ1958年だったんですナ。
こういった「ロックンロール」から「ポップス」へ流れていく前兆は実は「ハートブレイク・ホテル」が登場した1956年の頃からあったんでゲス。
”ココ”でいよいよ、
「パット・ブーン」

の登場ですナ。
「パット」は「エルヴィス」よりも1年前に「ポップ・チャート」に登場しているので本来なら先に取り上げる人物なんだけど、流れ的に”ココ”での登場となるんですヨ。
エッと、1953年5月が「パット」最初のレコーディングでゲス。
場所はナッシュヴィルの「ブラッドリー・スタジオ」で「ゴスペル」のメロディーに自分で詞を付けたって曲で、「ビング・クロスビー」調の”クルーナー”の「パット」だったんですナ。
生まれはフロリダなんだけど2歳の時にナッシュヴィルに引っ越してきたんでゲス。
つまり「エルヴィス」と同じテネシー育ちですナ。
んで、1954年にレコード会社と契約したんでゲス。
ナッシュヴィルより少し北のギャラティンにある「ドット」レーベルですナ。
コノ頃にゃぁ「エルヴィス」は「サン」レーベルからレコードをリリースしているでゲス。
さて、「パット」が契約した「ドット」レーベルの社長は、
「ランディ・ウッド」

っていって、元レコード店のオーナーで、1955年2月に「パット」のデビュー曲を探してくるんですナ。
んでネ、ソノ曲を電話で「パット」に聴かせるのネ。
「”コレ”がお前のデビュー曲だゾ!」
ってサ。
「パット」は”ソレ”を聴いて今迄聴いた事が無いサウンドだったみたいでゲス。
んでも社長の「ランディ・ウッド」は、
「絶対に売れるから。」
っていう一言を信じて一晩で覚えてレコーディングに臨んだという事ですナ。
「パット」に託された「リズムンブルーズ」曲ってのが、
「TWO HEARTS」
「ザ・チャームズ」

の曲でゲス。
本当に「パット」が唄えんのかって思うんだけど「ランディ・ウッド」は絶対”コレ”なんだって事で、ナッシュヴィルじゃぁ「リズムンブルーズ」はレコーディング出来ないって事で態々シカゴへ行ってカヴァーさせたんでゲス。
何かサ、そういった背景を知っちゃうと何だか本当に必死で唄っている感じで、何とか「リズムンブルーズ」の雰囲気を自分の中に取り入れようと必死で覚えたみたいですナ。
社長の「ランディ・ウッド」の予言?通りコノ曲は1955年4月に登場して16位にランクされて「パット」と社長は手を取り合って喜んだそうでゲス。
「エルヴィス」よりも前に「パット」がナショナル・チャートに登場したという事になりますナ。
続いてリリースされたのが、
「AIN'T THAT A SHAME」
でゲス。
「ポップ・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」14位で、
「ビル・ヘイリー」

に続く「ロックンロール」アーティストとして脚光を浴びたんですナ。
コノ曲が当時の「リズムンブルーズ」ファンからも受け入れられていたっていう事はチャートで14位ってのが物語っていて驚きでゲス。
俺なんか、後の”クルーナー”の「パット」を知っているから、なかなかコノ1955年時点での受け入れられ方っていうのはチョイと理解し難いんだなぁ。
んでもネ、冷静に考えてみると、コノ時点で”男声シンガー”で誰と比較するかというと、
「ペリー・コモ」

や、
「エディ・フィッシャー」

だった訳だから、彼等に比べりゃぁ「パット」は、
”十二分にワイルド”
な「ロックンロール」シンガーだったんでゲス。
「ビル・ヘイリー」に続いて若者達は「パット」に熱中した、
”新たなロックンローラー”
だったんですナ。
1955年夏の時点じゃぁ「エルヴィス」は全米にゃぁ登場してないし、「リズムンブルーズ」のオリジナル・アーティスト達も「ポップ・チャート」にゃぁ出てきてない頃の事でゲス。
なので、”コレ”でも充分に衝撃的だったんですナ。
さて、1955年のロックンローラー「パット・ブーン」は、
”No.1シンガー”
なので、こうなると社長も「パット」も”イケイケ状態”となる訳で、次のシングル盤として準備された曲も「リズムンブルーズ」曲のカヴァーでアップテンポ曲の、
「TUTTI FRUTTI」
で、恐らく1956年1月リリースじゃぁなかったらトップ10にゃぁ入っていたでしょうネ。
イヤァ、運悪く「エルヴィス」の登場と時期が重なったんでゲス。
「トゥッティ・・・」は「ポップ・チャート」12位止まりでしたナ。
つまり、コノ上にゃぁ「ハートブレイク・ホテル」があったんでゲス。
前にリリースした「エイント・ザット・・・」が14位迄上がった「リズムンブルーズ・チャート」でコノ「トゥッティ・・・」は100位にすら入ってなくって、つまりコノ時点で「パット」の対象が「ペリー・コモ」から「エルヴィス」に変わったって事ですナ。
「トゥッティ・・・」リリース前にゃぁこんな状況になるとは全く読めなかった訳でゲス。
そんな時に”珍事”っていうか、”時代のイタズラ”が起きたんですナ。
ラジオのDJが「トゥッティ・・・」のB面を流し出したんでゲス。
そうしたらアレよアレよって間にチャートを上がっていって、何と「ポップ・チャート」4位迄なったんですナ。
”ソレ”が、
「I’LL BE HOME」
で、
「ザ・フラミンゴズ」

のカヴァーなんだけど、事の発端はDJがレコードのAB面を間違えて流したところ「エルヴィス」のカウンターとなったという事でゲス。
結果的な事なんだけど、「エルヴィス」登場が「パット」本来の”クルーナー”シンガーに戻したって訳ですナ。
「エルヴィス」が登場しなきゃぁ「ドット」レーベル社長の「ランディ・ウッド」は「パット」の「リズムンブルーズ」路線を続けていたと考えられるんでゲス。
っていうのは、次にリリースするシングル盤も「リトル・リチャード」のカヴァーなんですナ。
「ポップ・チャート」じゃぁ8位迄になったんだけど「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁチャートにすら上がらずだったでゲス。
コノ後、
”「エルヴィス」VS「パット」”
ってな”対立構図”で言われる様になったんだけど、むしろ「パット」は「エルヴィス」の対抗馬じゃぁなくって”先導役”を務めたって事になったんですナ。
コノ後「パット・ブーン」は「バラード」のNo.1ヒットが続いて、いよいよ映画出演になって、
「BERNARDINE」1957年(邦題「バーナディーン」)

の挿入歌として選ばれたのが1931年に出版された古いスタンダード曲で、”コレ”が「パット」の”代表曲”となったんでゲス。
「LOVE LETTERS IN THE SAND」(邦題「砂に書いたラヴレター」)
で、「ポップ・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」でも12位でしたナ。
「リズムンブルーズ」ファンも”クルーナー”としての「パット」を受け入れたんですネ。
ところで、「パット」のサウンドなんだけど、「ドット」レーベルでデビューした時から支えてきた人物がいて、
「ビリー・ヴォーン」

なんだけど、「ビリー・ヴォーン」っていったら、
「SAIL ALONG SILVERY MOON」(邦題「波路はるかに」)
が有名でゲス。
「ポール・アンカ」の陰に「ドン・コスタ」がいた様に「パット・ブーン」の成功のにゃぁ「ビリー・ボーン」がいた訳ですナ。
「ロックンロール」の流れはコノ辺りで弱まっていって以降「シックスティーズ・ポップス」に繋がっていく土台が出来ていくんでゲス。
長らく続いた、
”「エルヴィス」登場の影響と波及”
は今回で終了ですナ。
長らく有難うございました。
では、コレにて。



プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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