2024年3月 アーカイブ
2024年3月31日 18時44分55秒 (Sun)
当時のフィラデルフィアは・・・。 (パート6)
シリーズ最初の、
”当時のフィラデルフィアは・・・。 (パート1)”
でUpした、「カメオ」レーベルは、
「チャーリー・グレイシー」

の、
「BUTTERFLY」
が「ポップ・チャート」1位こそ獲得したものの以降全くヒットが出なくって、然も同じ地元の「スワン」レーベルや「チャンセラー」レーベルからは次々にヒット曲が出てますナ。
先頭を走っていた筈の「カメオ」レーベルは後塵を拝していた訳でゲス。
んでも、ココへきて漸く「カメオ」レーベルからも”ティーン・アイドル”が生まれましたナ。
「ボビー・ライデル」

でゲス。
「KISSIN’ TIME」
何だか、
「チャック・ベリー」

の、
「SWEET LITTLE SIXTEEN」
を思わせる曲でゲス。
B面だったんだけど、「ポップ・チャート」11位にランクされて「ボビー・ライデル」の初ヒットになりましたナ。
あのネ、1曲ヒットが出ると歌唱力がダントツにあるので次々にヒットを連発するんでゲス。
「WILD ONE」
コノ曲は「ポップ・チャート」2位で、サウンドは前回に登場した、
「フレディ・キャノン」

の感じをモロ戴きですナ。
ってな訳で、
”フィラデルフィア戦争”
に突入したんでゲス。
同時期にリリースした”本家”「フレディ”ブーンブーン”キャノン」の、
「CHATTANOOGA SHOE SHINE BOY」
は「ポップ・チャート」34位ってところで、「ボビー・ライデル」の勝ち!!!!!
次のリリースも「フレディ・キャノン」路線を突っ走りますナ。
「SWINGIN’ SCHOOL」
「ポップ・チャート」5位の大ヒットで、「フレディ・キャノン」は、
「JUMP OVER」
をリリースしたんだけど「ポップ・チャート」28位だったでゲス。
「フレディ・キャノン」はコレから低迷期が続くんだけど、「ボビー・ライデル」は更なる変化を遂げますナ。
1958年にイタリーの歌手の、
「ドメニコ・モドゥーニョ」

が唄って全米「ポップ・チャート」1位になった、
「VOLARE」
を、2年後に「ボビー・ライデル」がカヴァーして堂々の「ポップ・チャート」4位にランクされたんでゲス。
振り返ってみると今回のフィラデルフィア・シリーズに登場したのって殆どイタロ・アメリカンだったなぁ。
1957年から始まった”新しい「ポップ・ミュージック」の聖地フィラデルフィア”の話はココ迄でオシマイでゲス。
1960年代に入ると新たな戦いが待っている様で、”ソコ”ら辺については又機会があったらUpしますネ。
んじゃぁ、コレにて。




”当時のフィラデルフィアは・・・。 (パート1)”
でUpした、「カメオ」レーベルは、
「チャーリー・グレイシー」

の、
「BUTTERFLY」
が「ポップ・チャート」1位こそ獲得したものの以降全くヒットが出なくって、然も同じ地元の「スワン」レーベルや「チャンセラー」レーベルからは次々にヒット曲が出てますナ。
先頭を走っていた筈の「カメオ」レーベルは後塵を拝していた訳でゲス。
んでも、ココへきて漸く「カメオ」レーベルからも”ティーン・アイドル”が生まれましたナ。
「ボビー・ライデル」

でゲス。
「KISSIN’ TIME」
何だか、
「チャック・ベリー」

の、
「SWEET LITTLE SIXTEEN」
を思わせる曲でゲス。
B面だったんだけど、「ポップ・チャート」11位にランクされて「ボビー・ライデル」の初ヒットになりましたナ。
あのネ、1曲ヒットが出ると歌唱力がダントツにあるので次々にヒットを連発するんでゲス。
「WILD ONE」
コノ曲は「ポップ・チャート」2位で、サウンドは前回に登場した、
「フレディ・キャノン」

の感じをモロ戴きですナ。
ってな訳で、
”フィラデルフィア戦争”
に突入したんでゲス。
同時期にリリースした”本家”「フレディ”ブーンブーン”キャノン」の、
「CHATTANOOGA SHOE SHINE BOY」
は「ポップ・チャート」34位ってところで、「ボビー・ライデル」の勝ち!!!!!
次のリリースも「フレディ・キャノン」路線を突っ走りますナ。
「SWINGIN’ SCHOOL」
「ポップ・チャート」5位の大ヒットで、「フレディ・キャノン」は、
「JUMP OVER」
をリリースしたんだけど「ポップ・チャート」28位だったでゲス。
「フレディ・キャノン」はコレから低迷期が続くんだけど、「ボビー・ライデル」は更なる変化を遂げますナ。
1958年にイタリーの歌手の、
「ドメニコ・モドゥーニョ」

が唄って全米「ポップ・チャート」1位になった、
「VOLARE」
を、2年後に「ボビー・ライデル」がカヴァーして堂々の「ポップ・チャート」4位にランクされたんでゲス。
振り返ってみると今回のフィラデルフィア・シリーズに登場したのって殆どイタロ・アメリカンだったなぁ。
1957年から始まった”新しい「ポップ・ミュージック」の聖地フィラデルフィア”の話はココ迄でオシマイでゲス。
1960年代に入ると新たな戦いが待っている様で、”ソコ”ら辺については又機会があったらUpしますネ。
んじゃぁ、コレにて。





2024年3月27日 18時58分43秒 (Wed)
当時のフィラデルフィアは・・・。 (パート5)
そろそろ入荷してきて製作に取り掛かれる筈のパーツが未だ届かない為、今日も仕事を早く終わる事になったでゲス。
そりゃぁ来季秋冬物なので慌ててはいないんだろうけど、俺としちゃぁ作れる内に作っちゃいたいんだなぁ。
まぁ、そんな事言ってても出来ないモノはショウガナイでゲス。
明日にゃぁ届くとイイんだけどネ。
祈るばかりでゲス。
本題にしましょうネ。
シリーズ1回目の、
”当時のフィラデルフィアは・・・。 (パート1)”
のところで、「シルエッツ」、「ラ・ディ・ダ」、「ラッキー・レディバグ」ってなヒットを出していた、
「フランク・スレイ」と「ボブ・クリュー」

(左が「ボブ・クリュー」、右が「フランク・スレイ」)
は、ソノ後どうなったのかというと、「スワン」レーベルの依頼で”新人探し”をしていたんでゲス。
ボストンのDJが送って来たレコードの中にボストンのグループで「ザ・スピンドリフツ」ってのがあって、「フランク・スレイ」と「ボブ・クリュー」の目に留まったんでしたナ。
レコード自体は「ABCパラマウント」レーベルが原盤を買い取ってリリースされたんだけど、直ぐにグループが解散しちゃったんでゲス。

んでも、コノ曲のリード・シンガーが新しいグループを作ったんですヨ。
グループ名は「フレディー・カーモン & ザ・ハリケーンズ」で、曲のタイトルは「ROCK’N’ROLL BABY」っていうので、”ソレ”を聴いた「スレイ」と「クリュー」は、タイトルを変える様に言って、2人でボストンに行ってレコーディングをしたんでゲス。
変えたタイトルは、
「TALLAHASSEE LASSIE」
リーダーも名前を変えて、
「フレディ・キャノン」

となったんですナ。
ナント、「ポップ・チャート」6位の大ヒットでゲス。
途中に出てくる”バス・ドラム”が印象的ですナ。
実はコノ”バス・ドラム”は後でダビングしたモノなんでゲス。
然も足で踏んでいるじゃぁなくって”マレット”で叩いているんですナ。
あとネ、ハイ・トーンで「フーッ」って言ってる掛け声と「アゥー」ってなコーラス、更に手拍子も、全部後から足したモノなんでゲス。
つまり、印象的なモノは全て”後処理”によるモノだったんですナ。
なので元のオリジナルにゃぁアレ等は全部無かったので、何処のレコード・レーベルも買ってくれなかったところ、「ディック・クラーク」が”バス・ドラム”を入れてみたらってなアイデアを出してきて、「スレイ」と「クリュー」がコーラスと手拍子を足して、ああいった”ボンピング・サウンド”が出来上がったんでゲス。
どういった理由なのか?なんだけど、ニューヨークに行って「タラハッシー・ラッシー」を再レコーディングしましたナ。
”ステレオ”になっているでゲス。
第3弾の後に再レコーディングしたらしいですナ。
んで、”ソノ”第3弾ってのが「フレディ・キャノン」の新しいスタイルになった、
”「ビッグ・バンド・ロックンロール」”
でゲス。
「WAY DOWN YONDER IN NEW ORLEANS」
「ポップ・チャート」3位の大ヒットでしたナ。
コノ後も「フランク・スレイ」と「ボブ・クリュー」は「フレディ・キャノン」の曲をプロデュースし続けたという事でゲス。
何だか疲れたので今回はココ迄にしますネ。
「フレディ”ブーンブーン”キャノン」の事しかUp出来なくてゴメンナサイ。
では、では。



そりゃぁ来季秋冬物なので慌ててはいないんだろうけど、俺としちゃぁ作れる内に作っちゃいたいんだなぁ。
まぁ、そんな事言ってても出来ないモノはショウガナイでゲス。
明日にゃぁ届くとイイんだけどネ。
祈るばかりでゲス。
本題にしましょうネ。
シリーズ1回目の、
”当時のフィラデルフィアは・・・。 (パート1)”
のところで、「シルエッツ」、「ラ・ディ・ダ」、「ラッキー・レディバグ」ってなヒットを出していた、
「フランク・スレイ」と「ボブ・クリュー」

(左が「ボブ・クリュー」、右が「フランク・スレイ」)
は、ソノ後どうなったのかというと、「スワン」レーベルの依頼で”新人探し”をしていたんでゲス。
ボストンのDJが送って来たレコードの中にボストンのグループで「ザ・スピンドリフツ」ってのがあって、「フランク・スレイ」と「ボブ・クリュー」の目に留まったんでしたナ。
レコード自体は「ABCパラマウント」レーベルが原盤を買い取ってリリースされたんだけど、直ぐにグループが解散しちゃったんでゲス。

んでも、コノ曲のリード・シンガーが新しいグループを作ったんですヨ。
グループ名は「フレディー・カーモン & ザ・ハリケーンズ」で、曲のタイトルは「ROCK’N’ROLL BABY」っていうので、”ソレ”を聴いた「スレイ」と「クリュー」は、タイトルを変える様に言って、2人でボストンに行ってレコーディングをしたんでゲス。
変えたタイトルは、
「TALLAHASSEE LASSIE」
リーダーも名前を変えて、
「フレディ・キャノン」

となったんですナ。
ナント、「ポップ・チャート」6位の大ヒットでゲス。
途中に出てくる”バス・ドラム”が印象的ですナ。
実はコノ”バス・ドラム”は後でダビングしたモノなんでゲス。
然も足で踏んでいるじゃぁなくって”マレット”で叩いているんですナ。
あとネ、ハイ・トーンで「フーッ」って言ってる掛け声と「アゥー」ってなコーラス、更に手拍子も、全部後から足したモノなんでゲス。
つまり、印象的なモノは全て”後処理”によるモノだったんですナ。
なので元のオリジナルにゃぁアレ等は全部無かったので、何処のレコード・レーベルも買ってくれなかったところ、「ディック・クラーク」が”バス・ドラム”を入れてみたらってなアイデアを出してきて、「スレイ」と「クリュー」がコーラスと手拍子を足して、ああいった”ボンピング・サウンド”が出来上がったんでゲス。
どういった理由なのか?なんだけど、ニューヨークに行って「タラハッシー・ラッシー」を再レコーディングしましたナ。
”ステレオ”になっているでゲス。
第3弾の後に再レコーディングしたらしいですナ。
んで、”ソノ”第3弾ってのが「フレディ・キャノン」の新しいスタイルになった、
”「ビッグ・バンド・ロックンロール」”
でゲス。
「WAY DOWN YONDER IN NEW ORLEANS」
「ポップ・チャート」3位の大ヒットでしたナ。
コノ後も「フランク・スレイ」と「ボブ・クリュー」は「フレディ・キャノン」の曲をプロデュースし続けたという事でゲス。
何だか疲れたので今回はココ迄にしますネ。
「フレディ”ブーンブーン”キャノン」の事しかUp出来なくてゴメンナサイ。
では、では。



2024年3月26日 19時44分22秒 (Tue)
当時のフィラデルフィアは・・・。 (パート4)
今日は仕事の流れで早く切り上げましたナ。
ソレと珍しくコチラにコメントを頂いたので返事というか・・・をUpする為に立ち上げた次第でゲス。
んじゃぁ、本題にしましょうネ。
1957年に「チャンセラー」レーベルのプロデューサー「ボブ・マルクーチ」が、
「フランキー・アヴァロン」

を何とか説き伏せてレコーディング迄持ち込んだってところで前回は終わりましたナ。
んで、今回は続きでゲス。
アレンジとセッション・リーダーは”ギタリスト”の、
「アル・カイオラ」

で、バックのメンバーは”一流どころ”を揃えて待ってましたナ。
んが、「アメリカン・ポップス」史上開闢以来のスンゲェ歌唱力だったんでゲス。
まぁ、聴いてみてくださいナ。
「THE ONE I LOVE」
どうですかネ。
確かに”自信がない”って断るだけの事ぁあるでゲス。
ソレにしても凄い!!!!!
流石のスタッフも、こんなんじゃぁ・・・って頭を抱えたと思いきや、天下の「ボブ・マルクーチ」ですナ、こんな事じゃぁ凹垂れないんですヨ。
兎に角コレからは”TV”ダ! ”見た目”が重要ダ! 歌なんかどうでもイイ! 絶対に売れる!!!!!
ってな訳で、スローな曲だと下手がバレるから、今は「ロックンロール」の時代だし、「ロックンロール」路線で行こう!!!
ってな事になって、
「SHORT FAT FUNNY」
ガッハッハ・・・・・。
「ロックンロール」でも充分下手クソでゲス。
俺も結構下手クソやけど、「アヴァロン」頼むヨ・・・って感じですナ。
デビューさせたんだけど、当然全く売れなかったでゲス。

んで、「ボブ・マルクーチ」は単純な「ロックンロール」路線じゃぁなくって、”二枚目半”ってか、「コミカル」路線に変更して、下手を逆手に取った戦略なんだけど、何と”コレ”が功を奏してヒットしたんですナ。
「DE DE DINAH」
「ポップ・チャート」7位、「リズムンブルーズ・チャート」8位だったでゲス。
ソレ行け!!!!!
ってなモンで、続いてリリースされた曲も同じく”二枚目半”路線の、
「GINGERBREAD」
「ポップ・チャート」9位、「リズムンブルーズ・チャート」10位ってな大ヒットで、こうなってくると「アヴァロン」も”欲”が出てきて、丁度ソノ頃前回登場した、
「アル・マティーノ」

の為に出来上がって来た曲を聴いたところ、
「コレ頂戴、僕が唄うヨ。」
ってな感じでレコーディングしてリリースされたのが、
「VENUS」
で、本来なら「アル・マティーノ」が唄ってたかもしれないんですナ。
ナント、
「ポップ・チャート」1位!!!!!
「アヴァロン」としちゃぁ勿論、「チャンセラー」レーベルとしても、
”初No.1”
どう考えても”歌”よか”アレンジ”のお陰でしょ。
「マルクーチ」の相棒「ピーター・デ・アンジェリス」のアレンジ無しじゃぁこんな大ヒットは無かったでしょうナ。
若くって歌が上手くない「アヴァロン」が唄う事によって、まぁ”ティーン歌謡”っていうか、そういったジャンルが出てきて”ソレ”が1960年代の「ポップス」に繋がっていく1つの流れとなっていくんでゲス。
サァ、「ABCパラマウント」の、
「ドン・コスタ」

が”コノ”サウンドを無視する筈もなく、又々「ABCパラマウント」のサウンドとして仕立て上げたんでしたナ。
「PRETTY BLUE EYES」
唄っていたのは、
「スティーヴ・ローレンス」

で、「ABCパラマウント」に移籍後初ヒットだったんでゲス。
アレンジの原点は「ピーター・デ・アンジェリス」のサウンドだったんですナ。
んで、”コレ”が後に「アルドン」出版社の”トレードマーク”となるんでゲス。
さて、今回はココ迄ですネ。
んじゃぁ、又。




ソレと珍しくコチラにコメントを頂いたので返事というか・・・をUpする為に立ち上げた次第でゲス。
んじゃぁ、本題にしましょうネ。
1957年に「チャンセラー」レーベルのプロデューサー「ボブ・マルクーチ」が、
「フランキー・アヴァロン」

を何とか説き伏せてレコーディング迄持ち込んだってところで前回は終わりましたナ。
んで、今回は続きでゲス。
アレンジとセッション・リーダーは”ギタリスト”の、
「アル・カイオラ」

で、バックのメンバーは”一流どころ”を揃えて待ってましたナ。
んが、「アメリカン・ポップス」史上開闢以来のスンゲェ歌唱力だったんでゲス。
まぁ、聴いてみてくださいナ。
「THE ONE I LOVE」
どうですかネ。
確かに”自信がない”って断るだけの事ぁあるでゲス。
ソレにしても凄い!!!!!
流石のスタッフも、こんなんじゃぁ・・・って頭を抱えたと思いきや、天下の「ボブ・マルクーチ」ですナ、こんな事じゃぁ凹垂れないんですヨ。
兎に角コレからは”TV”ダ! ”見た目”が重要ダ! 歌なんかどうでもイイ! 絶対に売れる!!!!!
ってな訳で、スローな曲だと下手がバレるから、今は「ロックンロール」の時代だし、「ロックンロール」路線で行こう!!!
ってな事になって、
「SHORT FAT FUNNY」
ガッハッハ・・・・・。
「ロックンロール」でも充分下手クソでゲス。
俺も結構下手クソやけど、「アヴァロン」頼むヨ・・・って感じですナ。
デビューさせたんだけど、当然全く売れなかったでゲス。

んで、「ボブ・マルクーチ」は単純な「ロックンロール」路線じゃぁなくって、”二枚目半”ってか、「コミカル」路線に変更して、下手を逆手に取った戦略なんだけど、何と”コレ”が功を奏してヒットしたんですナ。
「DE DE DINAH」
「ポップ・チャート」7位、「リズムンブルーズ・チャート」8位だったでゲス。
ソレ行け!!!!!
ってなモンで、続いてリリースされた曲も同じく”二枚目半”路線の、
「GINGERBREAD」
「ポップ・チャート」9位、「リズムンブルーズ・チャート」10位ってな大ヒットで、こうなってくると「アヴァロン」も”欲”が出てきて、丁度ソノ頃前回登場した、
「アル・マティーノ」

の為に出来上がって来た曲を聴いたところ、
「コレ頂戴、僕が唄うヨ。」
ってな感じでレコーディングしてリリースされたのが、
「VENUS」
で、本来なら「アル・マティーノ」が唄ってたかもしれないんですナ。
ナント、
「ポップ・チャート」1位!!!!!
「アヴァロン」としちゃぁ勿論、「チャンセラー」レーベルとしても、
”初No.1”
どう考えても”歌”よか”アレンジ”のお陰でしょ。
「マルクーチ」の相棒「ピーター・デ・アンジェリス」のアレンジ無しじゃぁこんな大ヒットは無かったでしょうナ。
若くって歌が上手くない「アヴァロン」が唄う事によって、まぁ”ティーン歌謡”っていうか、そういったジャンルが出てきて”ソレ”が1960年代の「ポップス」に繋がっていく1つの流れとなっていくんでゲス。
サァ、「ABCパラマウント」の、
「ドン・コスタ」

が”コノ”サウンドを無視する筈もなく、又々「ABCパラマウント」のサウンドとして仕立て上げたんでしたナ。
「PRETTY BLUE EYES」
唄っていたのは、
「スティーヴ・ローレンス」

で、「ABCパラマウント」に移籍後初ヒットだったんでゲス。
アレンジの原点は「ピーター・デ・アンジェリス」のサウンドだったんですナ。
んで、”コレ”が後に「アルドン」出版社の”トレードマーク”となるんでゲス。
さて、今回はココ迄ですネ。
んじゃぁ、又。




2024年3月21日 13時41分29秒 (Thu)
当時のフィラデルフィアは・・・。 (パート3)
「BE MY LOVE」
ノッケから、
「マリオ・ランツァ」

が唄う「ビー・マイ・・・」から始まった今回なんだけど、コノ曲は1951年に、
「ペリー・コモ」

の、
「IF」
に次いで「ポップ・チャート」で2曲目の1位になった曲で、フィラデルフィア出身の有名歌手っていったら先ず「マリオ・ランツァ」ってな具合でゲス。
んで、「マリオ」が唄った「ビー・マイ・・・」は映画の、
「THE TOAST OF NEW ORLEANS」1950年

の作品中の挿入歌でしたナ。
「マリオ」と家族ぐるみの付き合いをしていた、
「アル・マティーノ」

も翌52年にデビューして、
「HERE IN MY HEART」
ソノ年にリリースした「ヒァ・イン・マイ・・・」で1位を獲得したでゲス。
「アル」はネ、映画の、
「THE GOODFATHER」1972年(邦題「ゴッドファーザー」)

で、「ドン・コルレオーネ」に可愛がられていた歌手の役で出演してましたナ。

実際の話、「アル」はフィラデルフィア出身のイタロ・アメリカン・ミュージシャン達の”ゴッドファーザー的な存在”だったみたいでゲス。
フィラデルフィアにゃぁイタリー系の作家チームもいて、「ボブ・マルクーチ」と「ピーター・デ・アンジェリス」のコンビなんかもそうで、1953年頃から活動していて1957年に自分達のレーベルを始めたんですナ。
”ソレ”が「チャンセラー」レーベルで、最初にリリースした曲はローカル・シンガーの、
「コージー・モーリー」

の、
「I LOVE MY GIRL」
で、幸先良く「ABCパラマウント」レーベルの目に留まり原盤が買われて「ABCパラマウント」レーベルからのリリースとなったんでゲス。
「ポップ・チャート」62位だったとはいえ「チャンセラー」レーベルとしちゃぁ順調なスタートだったんですナ。
3枚目のシングル盤もコレ又地元の女性シンガーの、
「ジョディ・サンズ」

「WITH ALL MY HEAET」
で、こういった”「イタロ・ポップ」サウンド”っていって思い出すのは、
「ドン・コスタ」

なんだけど、作曲者の「ピーター・デ・アンジェリス」も負けちゃぁおらんでゲス。
ポップ感覚じゃぁ「ドン・コスタ」以上な気がしますナ。
「ドン・コスタ」の明るいイタリー調のポップ・サウンドが「ABCパラマウント」の特徴だったんだけど、もしかするとキッカケは「ピーター・デ・アンジェリス」が作ったのかもなぁ。
さて、「ドン・コスタ」が取り入れた「イタロ・ポップ」を「ABCパラマウント」で、
「イーディ・ゴーメ」

が唄いましたナ。
「LOVE ME FOREVER」
コノ曲迄の「イーディ」は「ポップ・チャート」で40位とか60位とかで低迷していたんだけど、コノ曲は24位といった具合にヒットしたんでゲス。
んで、軌道に乗った「チャンセラー」レーベルのプロデューサー「ボブ・マルクーチ」は、ソノ頃登場してきた、
「リッキー・ネルソン」

や、
「ポール・アンカ」

をTVで観て、
”コレからは見た目ダ!!!”
ウ~ン、どう表現したらイイんだろう?
現在じゃぁ使われなくなった”ジャニーズ系”ってのがシックリくるんだけどネ。
まぁ、そんな感じだったんでしょうナ。
んで、フィラデルフィア中の若い男の子を物色して回った時に、
「フランキー・アヴァロン」

と出会ったんでゲス。
んが、「フランキー・アヴァロン」は既にレコード・デビューしていたんですナ。
しかも”トランペッター”としてネ。

1955年に11歳でデビューして、2年後の57年に「ボブ・マルクーチ」が歌手にならないかと話を持ち掛けるんでゲス。
「アヴァロン」の答えは、
”No!”
「歌にゃぁ自信が無い。 僕は”トランペッター”だから。」
ってな返事たったんですナ。
んが、「マルクーチ」は「アヴァロン」を何とか説き伏せてレコーディングに持ち込んだでゲス。
コノ続きは次回ですヨ。
んじゃぁ、お楽しみに。






2024年3月9日 20時12分52秒 (Sat)
当時のフィラデルフィアは・・・。 (パート2)
毎年5月頃になると来季秋冬物の製作に取り掛かるんだけど、何で?・・・もう既に来季秋冬物が入荷して来たゾ!!!
勿論、急いでいる訳じゃぁないので現在製作している商品が終わって次の物が入荷してくる間に手が空いたらボチボチと作っていけばイイとの事だったんだけどサ。
とはいえ無連絡で176個分も入ってくるとビックリだったでゲス。
さてさて、本題に入りましょうネ。
前回の最後に、
「ディック・クラーク」

が登場したんだけど、今回は続きでゲス。
フィラデルフィアのローカルTV番組だった、
「バンドスタンド」
が、1957年8月から全米放送になって番組タイトルも、
「アメリカン・バンドスタンド」


となって、徐々に全米の人気番組になっていきましたナ。
「アメリカン・バンドスタンド」っていったら、
「ダニー &ザ・ジュニアーズ」

の、
「AT THE HOP」(邦題「踊りにいこうよ」)
って言われる程の大ヒットなんだけど、全米放送開始から4ヶ月後にチャートに登場して「ポップ・チャート」1位を獲得したんでゲス。
リリースしたレコード・レーベルは「アメリカン・バンドスタンド」を全米ネットしている「ABC − TV」局の「ABCパラマウント」レーベルですナ。
んで、コノ「踊りに・・・」ってなタイトルになる前に”原曲”があったんでゲス。
「DO THE BOP」
「ジェリー・リー・ルイス」

の、
「WHOLE LOTTA SHAKIN’ GOIN’ ON」
をモデルにして作られた曲だそうですナ。
レコード・ラベルにゃぁ「ダニー&ザ・ジュニアーズ」って表記されているんだけど、「ダニー&・・・」はバック・コーラスで、リード・シンガーは曲の作者の、
「ジョニー・マダラ」

でゲス。
メンバー全員がフィラデルフィアの若者で、「DO THE・・・」を「AT THE・・・」ってな風にタイトルを変えたのは「ディック・クラーク」でゲス。
あのネ、「ジョニー・マダラ」と「ダニー&・・・」のメンバーの、
「デイヴ・ホワイト」

は、「マダラ」 & 「ホワイト」ってな作家コンビを作りますナ。
後に、
「レスリー・ゴーア」

の、
「YOU DON’T OWN ME」(邦題「恋と涙の17才」)
や、
「レン・バリー」

の、
「1 − 2 − 3」
ってなヒット曲を作る原点となったのが「ドゥ・ザ・・・」なんでゲス。
話を「アメリカン・バンドスタンド」に戻しましょうネ。
番組自体は基本的に曲に合わせてスタジオ内の観客がダンスをしている姿を映し出すってな公開放送なんでゲス。

途中で歌手が登場して唄うコーナーもあるんだけど、メインは”ダンス”なんですナ。
んで、「踊りに・・・」の中の歌詞に、
・・・Do The Stomp & Even Stroll At The Hop・・・
ってなところがあるんだけど、「踊りに・・・」の3週間後にナント、”ストロール”っていうタイトルの曲がチャートに登場するんでゲス。
「THE STROLL」
「ザ・ダイアモンズ」

で、サックスは、
「キング・カーティス」

ですナ。
「ザ・ダイアモンズ」にしちゃぁ珍しくオリジナル曲で「ポップ・チャート」4位、「リズムンブルーズ・チャート」5位ってな大ヒットでゲス。
ダンスの”ストロール”も流行ったんだけど、曲の方はチャート以上の影響力があって似た曲が沢山作られましたナ。
「デュエイン・エディ」

の大ヒット曲「レベル・ラウザー」のB面の、
「STALKIN’」
も、そんな1曲で、最初はコチラをA面にしたいって「デュエイン・エディ」は希望したんだけどレコーディング・スタッフに”地味過ぎる”って反対されたそうでゲス。
更にもっと「ザ・ストロール」に影響された曲があって、
「RUMBLE」
「リンク・レイ & ザ・レイメン」

で、「ケイデンス」レーベルからリリースされて、タイトルの「ランブル」ってのは、
「フィル・エヴァリー」

が付けたそうですナ。
「ポップ・チャート」14位、「リズムンブルーズ・チャート」11位の大ヒットでゲス。
以降も「アメリカン・バンドスタンド」からは更に有名なダンス・ヒットがジャンジャン登場してくるんだけど、”ソレ”については又何かの機会にUpしようと思いますナ。
今回はココ迄でゲス。
次回をお楽しみに。






勿論、急いでいる訳じゃぁないので現在製作している商品が終わって次の物が入荷してくる間に手が空いたらボチボチと作っていけばイイとの事だったんだけどサ。
とはいえ無連絡で176個分も入ってくるとビックリだったでゲス。
さてさて、本題に入りましょうネ。
前回の最後に、
「ディック・クラーク」

が登場したんだけど、今回は続きでゲス。
フィラデルフィアのローカルTV番組だった、
「バンドスタンド」
が、1957年8月から全米放送になって番組タイトルも、
「アメリカン・バンドスタンド」


となって、徐々に全米の人気番組になっていきましたナ。
「アメリカン・バンドスタンド」っていったら、
「ダニー &ザ・ジュニアーズ」

の、
「AT THE HOP」(邦題「踊りにいこうよ」)
って言われる程の大ヒットなんだけど、全米放送開始から4ヶ月後にチャートに登場して「ポップ・チャート」1位を獲得したんでゲス。
リリースしたレコード・レーベルは「アメリカン・バンドスタンド」を全米ネットしている「ABC − TV」局の「ABCパラマウント」レーベルですナ。
んで、コノ「踊りに・・・」ってなタイトルになる前に”原曲”があったんでゲス。
「DO THE BOP」
「ジェリー・リー・ルイス」

の、
「WHOLE LOTTA SHAKIN’ GOIN’ ON」
をモデルにして作られた曲だそうですナ。
レコード・ラベルにゃぁ「ダニー&ザ・ジュニアーズ」って表記されているんだけど、「ダニー&・・・」はバック・コーラスで、リード・シンガーは曲の作者の、
「ジョニー・マダラ」

でゲス。
メンバー全員がフィラデルフィアの若者で、「DO THE・・・」を「AT THE・・・」ってな風にタイトルを変えたのは「ディック・クラーク」でゲス。
あのネ、「ジョニー・マダラ」と「ダニー&・・・」のメンバーの、
「デイヴ・ホワイト」

は、「マダラ」 & 「ホワイト」ってな作家コンビを作りますナ。
後に、
「レスリー・ゴーア」

の、
「YOU DON’T OWN ME」(邦題「恋と涙の17才」)
や、
「レン・バリー」

の、
「1 − 2 − 3」
ってなヒット曲を作る原点となったのが「ドゥ・ザ・・・」なんでゲス。
話を「アメリカン・バンドスタンド」に戻しましょうネ。
番組自体は基本的に曲に合わせてスタジオ内の観客がダンスをしている姿を映し出すってな公開放送なんでゲス。

途中で歌手が登場して唄うコーナーもあるんだけど、メインは”ダンス”なんですナ。
んで、「踊りに・・・」の中の歌詞に、
・・・Do The Stomp & Even Stroll At The Hop・・・
ってなところがあるんだけど、「踊りに・・・」の3週間後にナント、”ストロール”っていうタイトルの曲がチャートに登場するんでゲス。
「THE STROLL」
「ザ・ダイアモンズ」

で、サックスは、
「キング・カーティス」

ですナ。
「ザ・ダイアモンズ」にしちゃぁ珍しくオリジナル曲で「ポップ・チャート」4位、「リズムンブルーズ・チャート」5位ってな大ヒットでゲス。
ダンスの”ストロール”も流行ったんだけど、曲の方はチャート以上の影響力があって似た曲が沢山作られましたナ。
「デュエイン・エディ」

の大ヒット曲「レベル・ラウザー」のB面の、
「STALKIN’」
も、そんな1曲で、最初はコチラをA面にしたいって「デュエイン・エディ」は希望したんだけどレコーディング・スタッフに”地味過ぎる”って反対されたそうでゲス。
更にもっと「ザ・ストロール」に影響された曲があって、
「RUMBLE」
「リンク・レイ & ザ・レイメン」

で、「ケイデンス」レーベルからリリースされて、タイトルの「ランブル」ってのは、
「フィル・エヴァリー」

が付けたそうですナ。
「ポップ・チャート」14位、「リズムンブルーズ・チャート」11位の大ヒットでゲス。
以降も「アメリカン・バンドスタンド」からは更に有名なダンス・ヒットがジャンジャン登場してくるんだけど、”ソレ”については又何かの機会にUpしようと思いますナ。
今回はココ迄でゲス。
次回をお楽しみに。







プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
最近の記事一覧
カテゴリー
アーカイブ
携帯用QRコード
- アクセス数

- ページビュー数
