2024年5月 アーカイブ
2024年5月28日 19時59分37秒 (Tue)
「KING」 (パート4)
仕事は今季夏物追加と来季冬物とが混在している中での製作となっているんだけど、以前程の大忙しさは落ち着いてきたでゲス。
「ハリス」社や「ムーン」社のツィードは勿論の事、ソノ他も含めた輸入生地は”円安”の影響があってベラボウな値段になっていて大変な事になっているみたいですナ。
さぁ、本題にしますネ。

「ジェームズ・ブラウン」はデビューから数曲はスタジオ・ドラマーを使っていたんだけど、前回Upした、
「THINK」
から初代ドラマーとして、
「ナット・ケンドリック」

を起用してから段々バンドのメンバーが定着していったんでゲス。
実にイイ味を出している「ケンドリック」は、「シンク」がヒットした直ぐ後に”彼名義”のシングル盤のリリースとなりましたナ。
「(DO THE)MASHED POTATOES」
曲中キーボードを弾いていたのは「ジェームズ・ブラウン」で、結局「ジェームズ・ブラウン」のバンドが演っていて、只、名義が「ナット・ケンドリック & ザ・スワンズ」ってなグループ名だったんでゲス。
然も「キング」レーベルからじゃぁなくって、マイアミの「デイド」レーベルってなマイナーなところからのリリースだったんですナ。
何でかというと、「キング」レーベルの社長の「シド・ネーザン」は「ジェームズ・ブラウン」自体もあんまり・・・なのに、ソノ上”インスト曲”なので、
「ダメだ! 歌入りにしろ。」
って言われたんで、別名を使って別レーベルからリリースしたってな訳でゲス。
ところが、「リズムンブルーズ・チャート」8位、更に84位ではあったけど「ポップ・チャート」にも登場しましたナ。
「ジェームズ・ブラウン」は自分でも色々な楽器をこなすので、特にドラマーへの要求は厳しかったみたいで、常に良いドラマーがいないかと探していて、次々にドラマーを変えていくんでゲス。
続いて起用されたドラマーは、
「クレイトン・フィリア」

で、曲は、
「I’VE GOT MONEY」
1962年のレコーディング曲で、62年って事を考えると、ドラミングがサ、衝撃的なアンサンブルでしょ。
「クレイトン・フィリア」ってフロリダ出身で、プロになる前にフロリダでニューオリンズから演奏ツアーに来ていたバンドを観て、”ソコ”のドラマーから直接教わったって本人が言っているでゲス。
んでサ、”ソノ”バンドってのが、
「ヒューイ”ピアノ”スミス & ザ・クラウンズ」

で、ドラマーは、
「チャールズ”ハングリー”ウィリアムズ」

ですナ。
チョイと彼のドラムを聴いてみましょうネ。
「HIGH BLOOD PRESSURE」
1958年の曲なんだけど、彼は”パワー・ドラマー”だったそうで、先出の「ジェームズ・ブラウン」の初代ドラマー「ナット・ケンドリック」も彼の影響を受けている事が解るドラミングでしたナ。
さて、「ヒューイ”ピアノ”スミス」の先輩であるところの、
「プロフェッサー・ロングヘアー」

を聴いてみるでゲス。
更に時代は遡って1953年ですヨ。
「TIPITINA」
何だか複雑なドラムでゲス。
叩いているのは、
「アール・パーマー」

でしたナ。
”ドラム”の話になると、何だかんだで結局「アール・パーマー」に辿り着いてしまうんでゲス。
まぁ、今回はココ迄にしますネ。
んじゃぁ、続きは次回に。
では、では。



「ハリス」社や「ムーン」社のツィードは勿論の事、ソノ他も含めた輸入生地は”円安”の影響があってベラボウな値段になっていて大変な事になっているみたいですナ。
さぁ、本題にしますネ。

「ジェームズ・ブラウン」はデビューから数曲はスタジオ・ドラマーを使っていたんだけど、前回Upした、
「THINK」
から初代ドラマーとして、
「ナット・ケンドリック」

を起用してから段々バンドのメンバーが定着していったんでゲス。
実にイイ味を出している「ケンドリック」は、「シンク」がヒットした直ぐ後に”彼名義”のシングル盤のリリースとなりましたナ。
「(DO THE)MASHED POTATOES」
曲中キーボードを弾いていたのは「ジェームズ・ブラウン」で、結局「ジェームズ・ブラウン」のバンドが演っていて、只、名義が「ナット・ケンドリック & ザ・スワンズ」ってなグループ名だったんでゲス。
然も「キング」レーベルからじゃぁなくって、マイアミの「デイド」レーベルってなマイナーなところからのリリースだったんですナ。
何でかというと、「キング」レーベルの社長の「シド・ネーザン」は「ジェームズ・ブラウン」自体もあんまり・・・なのに、ソノ上”インスト曲”なので、
「ダメだ! 歌入りにしろ。」
って言われたんで、別名を使って別レーベルからリリースしたってな訳でゲス。
ところが、「リズムンブルーズ・チャート」8位、更に84位ではあったけど「ポップ・チャート」にも登場しましたナ。
「ジェームズ・ブラウン」は自分でも色々な楽器をこなすので、特にドラマーへの要求は厳しかったみたいで、常に良いドラマーがいないかと探していて、次々にドラマーを変えていくんでゲス。
続いて起用されたドラマーは、
「クレイトン・フィリア」

で、曲は、
「I’VE GOT MONEY」
1962年のレコーディング曲で、62年って事を考えると、ドラミングがサ、衝撃的なアンサンブルでしょ。
「クレイトン・フィリア」ってフロリダ出身で、プロになる前にフロリダでニューオリンズから演奏ツアーに来ていたバンドを観て、”ソコ”のドラマーから直接教わったって本人が言っているでゲス。
んでサ、”ソノ”バンドってのが、
「ヒューイ”ピアノ”スミス & ザ・クラウンズ」

で、ドラマーは、
「チャールズ”ハングリー”ウィリアムズ」

ですナ。
チョイと彼のドラムを聴いてみましょうネ。
「HIGH BLOOD PRESSURE」
1958年の曲なんだけど、彼は”パワー・ドラマー”だったそうで、先出の「ジェームズ・ブラウン」の初代ドラマー「ナット・ケンドリック」も彼の影響を受けている事が解るドラミングでしたナ。
さて、「ヒューイ”ピアノ”スミス」の先輩であるところの、
「プロフェッサー・ロングヘアー」

を聴いてみるでゲス。
更に時代は遡って1953年ですヨ。
「TIPITINA」
何だか複雑なドラムでゲス。
叩いているのは、
「アール・パーマー」

でしたナ。
”ドラム”の話になると、何だかんだで結局「アール・パーマー」に辿り着いてしまうんでゲス。
まぁ、今回はココ迄にしますネ。
んじゃぁ、続きは次回に。
では、では。



2024年5月21日 11時14分50秒 (Tue)
「KING」 (パート3)
「PLEASE, PLEASE, PLEASE」
「ジェームズ・ブラウン」

が1956年に「フェデラル」レーベルからデビューしたところから今回は始まるでゲス。
実は「キング」レーベルの社長の「シド・ネーザン」って「ジェームズ・ブラウン」の事が気に入らなかったらしいんだけどプロデューサーの「ラルフ・バス」がゴリ押しでプッシュしたので契約したそうですナ。
もし「ジェームズ・ブラウン」と契約しなかったら前回Upした、
「ザ・プラターズ」

と同時に危うく大魚を逃がすところだったでゲス。
さて、「ジェームズ・ブラウン」の第2弾のヒットは同じ「バラード」路線の、
「TRY ME」
なんだけど、レコーディングはニューヨークで、現地のミュージシャンを使って行われましたナ。
「ポップ・チャート」は48位だったんだけど「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ1位でゲス。
因みにドラムを叩いていたのは、
「パナマ・フランシス」

で、
「コニー・フランシス」

の、
「LIPSTICK ON YOUR COLLAR」(邦題「カラーに口紅」)
でも叩いていて「コニー・フランシス」から「ジェームズ・ブラウン」迄、当時ニューヨークじゃぁ一番セッション数が多いドラマーでしたナ。
「ジェームズ・ブラウン」は「アポロ・シアター」で人気者だったのを「ラルフ・バス」が観て契約に漕ぎ付けたんでゲス。
同時期に「アポロ・シアター」で人気だったのが、
「ジョー・テックス」

なんだけど、「ジョー・テックス」は「ヘンリー・グローヴァ」が契約して同じ会社内でディレクター同士のバトルとなったんですナ。
「COME IN THIS HOUSE」
「ジェームズ・ブラウン」は最初からヒットしたんだけど「ジョー・テックス」はコノ後13枚連続不発でヒット出ずの不名誉な大記録を打ち立てて、初ヒットが出たのはデビューから10年後の1965年の事でゲス。
「ジェームズ・ブラウン」、「ジョー・テックス」よりも当時「アポロ・シアター」で人気だったのは、
「ザ・ファイヴ・ロイヤルズ」

で、彼等も「キング」レーベルと契約して、結果的に「ジェームズ・ブラウン」、「ジョー・テックス」、「ザ・ファイヴ・ロイヤルズ」は皆「キング」レーベルに集まって来たんですナ。
「アポロ・シアター」で大人気だった「ザ・ファイヴ・ロイヤルズ」も「ジョー・テックス」同様全くヒットが出なかったんでゲス。
1957年になって漸く「キング」レーベルに来てから初ヒット曲が誕生しましたナ。
「TEARS OF JOY」
「リズムンブルーズ・チャート」9位で「ザ・ファイヴ・ロイヤルズ」も面目が保たれたってな感じでゲス。
グループのリーダー「ローマン・ポーリン」はギタリストで作詞もするんですナ。
次にUpする曲のオリジナル・グループだったってな事で後に有名になったでゲス。
「DEDICATED TO THE ONE I LOVE」
「ザ・シレルズ」

ですナ。
オリジナルは、こんな感じでゲス。
「ポーリン」のギターがイイなぁ。
カヴァーの「ザ・シュレルズ」が「ポップ・チャート」3位で、1967年に、
「ザ・ママス & ザ・パパス」

が「ポップ・チャート」2位にランクされて大ヒットしましたナ。
話は戻って「ザ・ファイヴ・ロイヤルズ」なんだけど、彼等は「バラード」だけじゃぁなくって、こういった曲もあって、
「THINK」
「リズムンブルーズ・チャート」9位の大ヒットで、「ポップ・チャート」でも66位にチャートされたでゲス。
んでも、コノ曲は”ギター・スタイル”が他のギタリストに与えた影響が凄かったんですナ。
後に、
「ブッカー・T & ザ・M.G’ズ」

の「スティーヴ・クロッパー」(大好き!!!!!)は「ザ・ファイヴ・ロイヤルズ」がメンフィスに公演で来た時にステージを観て「ローマン・ポーリン」のフレーズだけじゃぁなくってギターの持ち方、弾き方にも強い影響を受けたって言っているでゲス。
んで、「シンク」に続いてのリリースは、
「SAY IT」
続いての曲は、
「THE SLUMMER THE SLUM」
B面の曲だったんだけど、リリースされたのが1958年で、時代的に非常に斬新なアレンジですナ。
後に”ファンキー・サウンド”って呼ばれる最初の曲っていう説を唱える人もいるでゲス。
「ザ・ファイヴ・ロイヤルズ」に影響を受けた「ジェームズ・ブラウン」は、コノ「ザ・スラマー・ザ・スラム」のアレンジで先出の「シンク」をカヴァーしましたナ。
コレ迄「バラード」ヒットが多かった「ジェームズ・ブラウン」がコノ曲で一気に”リズム路線”をスタートさせたんでゲス。
リリースされたのが1960年で、「ポップ・チャート」33位、「リズムンブルーズ・チャート」7位だったんだけど、チャート以上のモノを持った曲で、コノ後「ジェームズ・ブラウン」は”コノ”路線を突き進めていって数々の名曲を誕生させて、ソノ原点が”コノ”曲なんですナ。
今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ、又。






2024年5月17日 20時10分53秒 (Fri)
「KING」 (パート2)
2日程前に久し振りに女友達から贈り物が届いたんでゲス。
中身は、

でしたナ。
いつも色々と送ってくれるんだけど、俺ネ、コレ大好き!!!!!
嬉しかったなぁ。
お礼のTelをしたら、沢山纏めて買ったからお裾分けとの事だったでゲス。
本当にいつも有難うネ。
さてさて、本題にしましょう。
前回登場した、
「ラルフ・バス」

と同じ頃に、
「サヴォイ」レーベル

でディレクターをしていたのが、
「バック・ラム」

でゲス。
彼はバンド・リーダーで作曲家だったんだけど、1951年にLAでプロダクションを始めましたナ。
んで、
「ジ・インク・スポッツ」

をイメージして自作の曲を唄わせるグループを探していたんでゲス。
そんな時に発見したグループを「キング」レーベルに売り込んだんですナ。
1953年から計7枚のシングル盤をリリースしたんだけど、どれも全く売れなくって最後の7枚目となったシングルの曲が、
「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」
で、そうでゲス。
「ザ・プラターズ」

ですナ。
聴き慣れたヴァージョンとは可成り違った印象でしたが、コチラが先にレコーディングされたヴァージョンでゲス。
俺ネ、ズ~ッと昔に輸入レコード店で「ザ・プラターズ」っていったら「マーキュリー」レーベルの筈なのに「キング」レーベル盤のを見つけて購入して家で聴いてみたら”コノ”ヴァージョンでガッカリした思い出がありますナ。

↑コレでゲス。
今回色々と調べていて、こっちが先にレコーディングされたヴァージョンだったと知りましたナ。
7枚もシングル盤をリリースしたのに全く売れなかったので「キング」レーベルの社長の、
「シド・ネーザン」

は「ザ・プラターズ」との契約を切ってしまったんでゲス。
んでも作者の「バック・ラム」は諦めないんですナ。
丁度ソノ頃、
「ザ・ペンギンズ」

の、
「EARTH ANGEL(WILL YOU BE MINE)」
が大ヒットしていて彼等のマネージメントを「バック・ラム」が引き受ける事になって、んで、「ザ・ペンギンズ」を「マーキュリー」レーベルに売り込んだんだけど、ソノ際に”抱き合わせ”で「ザ・プラターズ」を付けたんでゲス。
1955年4月26日LAの
「キャピトル・タワー」

のスタジオで再レコーディングされた「オンリー・ユー」は「マーキュリー」レーベルからリリースされましたナ。
「ポップ・チャート」5位、「リズムンブルーズ・チャート」1位ってな大ヒットでココから「ザ・プラターズ」はジャンジャンとヒットをかっ飛ばしていくんでゲス。
チョイと前迄は「ザ・プラターズ」よりも圧倒的に有名だった「ザ・ペンギンズ」は「マーキュリー」レーベルに移籍してからは全くヒットが出ませんでしたナ。
ドル箱をみすみす逃した「シド・ネーザン」は相当悔しかったことでしょうネ。
んが、”捨てる神あれば、拾う神あり”で、1956年の「フィデラル」レーベルから”コノ”人がデビューしたんでゲス。
「ジェームズ・ブラウン」

ですナ。
さて、今回はココ迄でゲス。
「ジェームズ・ブラウン」登場以降の話は次回ですナ。
お楽しみに。
では、では。




中身は、

でしたナ。
いつも色々と送ってくれるんだけど、俺ネ、コレ大好き!!!!!
嬉しかったなぁ。
お礼のTelをしたら、沢山纏めて買ったからお裾分けとの事だったでゲス。
本当にいつも有難うネ。
さてさて、本題にしましょう。
前回登場した、
「ラルフ・バス」

と同じ頃に、
「サヴォイ」レーベル

でディレクターをしていたのが、
「バック・ラム」

でゲス。
彼はバンド・リーダーで作曲家だったんだけど、1951年にLAでプロダクションを始めましたナ。
んで、
「ジ・インク・スポッツ」

をイメージして自作の曲を唄わせるグループを探していたんでゲス。
そんな時に発見したグループを「キング」レーベルに売り込んだんですナ。
1953年から計7枚のシングル盤をリリースしたんだけど、どれも全く売れなくって最後の7枚目となったシングルの曲が、
「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」
で、そうでゲス。
「ザ・プラターズ」

ですナ。
聴き慣れたヴァージョンとは可成り違った印象でしたが、コチラが先にレコーディングされたヴァージョンでゲス。
俺ネ、ズ~ッと昔に輸入レコード店で「ザ・プラターズ」っていったら「マーキュリー」レーベルの筈なのに「キング」レーベル盤のを見つけて購入して家で聴いてみたら”コノ”ヴァージョンでガッカリした思い出がありますナ。

↑コレでゲス。
今回色々と調べていて、こっちが先にレコーディングされたヴァージョンだったと知りましたナ。
7枚もシングル盤をリリースしたのに全く売れなかったので「キング」レーベルの社長の、
「シド・ネーザン」

は「ザ・プラターズ」との契約を切ってしまったんでゲス。
んでも作者の「バック・ラム」は諦めないんですナ。
丁度ソノ頃、
「ザ・ペンギンズ」

の、
「EARTH ANGEL(WILL YOU BE MINE)」
が大ヒットしていて彼等のマネージメントを「バック・ラム」が引き受ける事になって、んで、「ザ・ペンギンズ」を「マーキュリー」レーベルに売り込んだんだけど、ソノ際に”抱き合わせ”で「ザ・プラターズ」を付けたんでゲス。
1955年4月26日LAの
「キャピトル・タワー」

のスタジオで再レコーディングされた「オンリー・ユー」は「マーキュリー」レーベルからリリースされましたナ。
「ポップ・チャート」5位、「リズムンブルーズ・チャート」1位ってな大ヒットでココから「ザ・プラターズ」はジャンジャンとヒットをかっ飛ばしていくんでゲス。
チョイと前迄は「ザ・プラターズ」よりも圧倒的に有名だった「ザ・ペンギンズ」は「マーキュリー」レーベルに移籍してからは全くヒットが出ませんでしたナ。
ドル箱をみすみす逃した「シド・ネーザン」は相当悔しかったことでしょうネ。
んが、”捨てる神あれば、拾う神あり”で、1956年の「フィデラル」レーベルから”コノ”人がデビューしたんでゲス。
「ジェームズ・ブラウン」

ですナ。
さて、今回はココ迄でゲス。
「ジェームズ・ブラウン」登場以降の話は次回ですナ。
お楽しみに。
では、では。




2024年5月7日 8時58分36秒 (Tue)
「KING」 (パート1)
1950年代前後に「ロックンロール」のルーツとなった曲をリリースしたレコード・レーベルが沢山あったでゲス。
今回Upするのは、”ソノ”中からオハイオ州シンシナティの、

「キング」レーベル

の話をしたいと思いますナ。
可成り以前にも一度Upした事があったので、今回はチョイと捻ったところをと思っているでゲス。
会社設立は1943年ってな事なんでWW2中ですナ。
最初は「カントリー・ミュージック」を中心にリリースをしていたんだけど、1950年代になって「リズムンブルーズ」色を強めていって「ロックンロール」の源流を作ったアーティストを沢山輩出したレーベルでゲス。
有能なA&Rマン(ディレクター)を沢山採用したってな特徴がありましたナ。
先ず最初のA&Rマンは、
「ヘンリー・グローヴァ」

彼は「キング」レーベルのスタジオ建設にも携わっていて”「キング」レーベル・サウンド”の基本を作った人物でゲス。
色々沢山ある中から、
「タイニー・ブラッドショウ」

の、
「THE TRAIN KEPT A−ROLLIN’」
を聴いて下さいませ、ませ。
コノ曲をリリースした前年の1950年に「リズムンブルーズ」専門の子会社の、
「フェデラル」

を立ち上げますナ。
専任のディレクターとして「サヴォイ」レーベルで働いていた、
「ラルフ・バス」

を呼んでくるんでゲス。
「バス」が最初に担当した、
「ザ・ドミノズ」

が、
「SIXTY MINUTE MAN」
をヒットして、次に、
「ジェリー・リーバー」&「マイク・ストラー」

の曲を可成り早くに取り上げていたのも「バス」ですナ。
「K.C.LOVIN’」
唄っていたのは、
「リトル・ウィリー・リトルフィールド」

「リーバー」&「ストラー」が付けたタイトルは「カンザス・シティ」だったんだけど、「バス」が「K.C.ラヴィン」っていう風にタイトルを変えたでゲス。
リリースされたのが1952年でしょ、「リーバー」&「ストラー」は、
「ハウンド・ドッグ」
を未だ書いていない時期なんだよなぁ。
「ラルフ・バス」ってなディレクターは”彗眼の士”ですネ。
先出の「K.C.・・・」以外にも「リーバー」&「ストラー」に沢山曲を書かせたんだけど、どれも全くヒットしなかったので、「バス」と「リーバー」達の関係は終わりましたナ。
もし、ヒットを出して成功していたら「リーバー」&「ストラー」は「アトランティック」レーベルじゃぁなくって「キング」レーベルで仕事をしていたかもと考えると、”ソレ”は”ソレ”で面白いなぁって思うでゲス。
さて、「ラルフ・バス」が次に担当したのが、
「ザ・ミッドナイターズ」

で、
「WORK WITH ANNIE」
が「リズムンブルーズ・チャート」1位ってな大ヒットして、コノ曲から「アニー」シリーズが始まりますナ。
んで、第2弾は、
「SEXY WAYS」
タイトルからも解る通りセクシーな内容な歌詞なんだけど「リズムンブルーズ・チャート」2位となる大ヒットで、1954年にゃぁトップ10ヒットが4曲もあって「 ザ・ミッドナイターズ」は人気グループになったでゲス。
「ザ・ミッドナイターズ」の、
「ハンク・バラード」

あと、先出の、
「ザ・ドミノズ」でリード・ヴォーカルをしていた、
「クライド・マクファター」

が脱退した後にリード・ヴォーカルをしていた、
「ジャッキー・ウィルソン」

の2人共デトロイトで育ったし、
「リトル・ウィリー・ジョン」

は出身がデトロイトの歌手ですナ。
1956年に、
「FEVER」
をリリースして大ヒットしたでゲス。
作者は、
「オーティス・ブラックウェル」

で、「エルヴィス」の「冷たくしないで」、「ジェリー・リー・ルイス」の「火の玉ロック」等など、沢山の名曲を書いていますナ。
んでネ、「フィーヴァー」をプロデュースしたのが先出の「ヘンリー・グローヴァ」で、彼が以前から担当していたアーティストにキーボード奏者の、
「ビル・ドゲット」

がいて、1956年になって全米の”「ロックンロール」時代の到来”で、”ソノ”雰囲気を取り入れてアレンジした、
「HONKY TONK」
が、「リズムンブルーズ・チャート」1位、「ポップ・チャート」2位ってな大ヒットになったでゲス。
コノ曲迄全くヒットが無かったのに突然の大ヒットで、第2弾をリリースしたのが、
「SLOW WALK」
「ポップ・チャート」26位だったんだけど「リズムンブルーズ・チャート」は4位ってな「リズムンブルーズ」ファンにゃぁ好評でしたナ。
今回はココ迄でゲス。
続きをお楽しみに。
んじゃぁ。


(左「リトル・ウィリー・リトルフィールド」、右「ピー・ウィー・クレイトン」)



今回Upするのは、”ソノ”中からオハイオ州シンシナティの、

「キング」レーベル

の話をしたいと思いますナ。
可成り以前にも一度Upした事があったので、今回はチョイと捻ったところをと思っているでゲス。
会社設立は1943年ってな事なんでWW2中ですナ。
最初は「カントリー・ミュージック」を中心にリリースをしていたんだけど、1950年代になって「リズムンブルーズ」色を強めていって「ロックンロール」の源流を作ったアーティストを沢山輩出したレーベルでゲス。
有能なA&Rマン(ディレクター)を沢山採用したってな特徴がありましたナ。
先ず最初のA&Rマンは、
「ヘンリー・グローヴァ」

彼は「キング」レーベルのスタジオ建設にも携わっていて”「キング」レーベル・サウンド”の基本を作った人物でゲス。
色々沢山ある中から、
「タイニー・ブラッドショウ」

の、
「THE TRAIN KEPT A−ROLLIN’」
を聴いて下さいませ、ませ。
コノ曲をリリースした前年の1950年に「リズムンブルーズ」専門の子会社の、
「フェデラル」

を立ち上げますナ。
専任のディレクターとして「サヴォイ」レーベルで働いていた、
「ラルフ・バス」

を呼んでくるんでゲス。
「バス」が最初に担当した、
「ザ・ドミノズ」

が、
「SIXTY MINUTE MAN」
をヒットして、次に、
「ジェリー・リーバー」&「マイク・ストラー」

の曲を可成り早くに取り上げていたのも「バス」ですナ。
「K.C.LOVIN’」
唄っていたのは、
「リトル・ウィリー・リトルフィールド」

「リーバー」&「ストラー」が付けたタイトルは「カンザス・シティ」だったんだけど、「バス」が「K.C.ラヴィン」っていう風にタイトルを変えたでゲス。
リリースされたのが1952年でしょ、「リーバー」&「ストラー」は、
「ハウンド・ドッグ」
を未だ書いていない時期なんだよなぁ。
「ラルフ・バス」ってなディレクターは”彗眼の士”ですネ。
先出の「K.C.・・・」以外にも「リーバー」&「ストラー」に沢山曲を書かせたんだけど、どれも全くヒットしなかったので、「バス」と「リーバー」達の関係は終わりましたナ。
もし、ヒットを出して成功していたら「リーバー」&「ストラー」は「アトランティック」レーベルじゃぁなくって「キング」レーベルで仕事をしていたかもと考えると、”ソレ”は”ソレ”で面白いなぁって思うでゲス。
さて、「ラルフ・バス」が次に担当したのが、
「ザ・ミッドナイターズ」

で、
「WORK WITH ANNIE」
が「リズムンブルーズ・チャート」1位ってな大ヒットして、コノ曲から「アニー」シリーズが始まりますナ。
んで、第2弾は、
「SEXY WAYS」
タイトルからも解る通りセクシーな内容な歌詞なんだけど「リズムンブルーズ・チャート」2位となる大ヒットで、1954年にゃぁトップ10ヒットが4曲もあって「 ザ・ミッドナイターズ」は人気グループになったでゲス。
「ザ・ミッドナイターズ」の、
「ハンク・バラード」

あと、先出の、
「ザ・ドミノズ」でリード・ヴォーカルをしていた、
「クライド・マクファター」

が脱退した後にリード・ヴォーカルをしていた、
「ジャッキー・ウィルソン」

の2人共デトロイトで育ったし、
「リトル・ウィリー・ジョン」

は出身がデトロイトの歌手ですナ。
1956年に、
「FEVER」
をリリースして大ヒットしたでゲス。
作者は、
「オーティス・ブラックウェル」

で、「エルヴィス」の「冷たくしないで」、「ジェリー・リー・ルイス」の「火の玉ロック」等など、沢山の名曲を書いていますナ。
んでネ、「フィーヴァー」をプロデュースしたのが先出の「ヘンリー・グローヴァ」で、彼が以前から担当していたアーティストにキーボード奏者の、
「ビル・ドゲット」

がいて、1956年になって全米の”「ロックンロール」時代の到来”で、”ソノ”雰囲気を取り入れてアレンジした、
「HONKY TONK」
が、「リズムンブルーズ・チャート」1位、「ポップ・チャート」2位ってな大ヒットになったでゲス。
コノ曲迄全くヒットが無かったのに突然の大ヒットで、第2弾をリリースしたのが、
「SLOW WALK」
「ポップ・チャート」26位だったんだけど「リズムンブルーズ・チャート」は4位ってな「リズムンブルーズ」ファンにゃぁ好評でしたナ。
今回はココ迄でゲス。
続きをお楽しみに。
んじゃぁ。


(左「リトル・ウィリー・リトルフィールド」、右「ピー・ウィー・クレイトン」)



プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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