2024年6月 アーカイブ
2024年6月21日 9時39分01秒 (Fri)
「DIAL M FOR MURDER」
今回Upするのは映画の、
「DIAL M FOR MURDER」1954年(邦題「ダイヤルMを廻せ!」)

でゲス。
監督は、「アルフレッド・ヒッチコック」
出演は、「レイ・ミランド」、「グレース・ケリー」、「ロバート・カミングス」、「ジョン・ウィリアムズ」、「アンソニー・ドーソン」、「レオ・ブリット」、「パトリック・アレン」、「ジョージ・リー」等など。

・・・プロ・テニスの花形選手だった「トニー・ウェンディス(レイ・ミランド)」は、資産家の娘で妻の「マーゴ(グレース・ケリー)」とロンドンのアパートに住んでいますナ。
テニス・ツアーの為に自宅を留守にしがちだった「トニー」に日頃から不満だった「マーゴ」との夫婦仲は冷え込んでいたんでゲス。
「トニー」の留守中にアメリカ人推理作家の「マーク・ハリディ(ロバート・カミングス)」との浮気に走った「マーゴ」は「トニー」と別れて「マーク」と一緒になる気持ちに傾いていましたナ。
んが、妻「マーゴ」の浮気に気付いた「トニー」は、「マーゴ」と別れるよりも「マーゴ」を殺害して資産を手に入れようと考えて、緻密な殺害計画を練り上げるんでゲス。
そんなある晩、「トニー」は1人になると大学の頃の同窓生の「スワン(アンソニー・ドーソン)」を電話で呼び寄せますナ。
コノ「スワン」とゆう男は在学当時から手癖の悪さで有名で、刑務所暮らしも経験していたんでゲス。
「トニー」は「マーゴ」との経緯を語って聞かせて1000ポンドの報酬で「マーゴ」の殺害を持ち掛けるんでしたナ。
調べ上げた「スワン」の悪行を並べ立てて脅した「トニー」に乗り気になった「スワン」は計画を聞いて承諾をするんでゲス。
”ソノ”計画ってのは、計画の晩、「トニー」が「マーク」を連れてパーティーに出かけて「マーゴ」を1人にするんですナ。
んで、出掛ける際に「マーゴ」のハンドバックから鍵を抜いて玄関前の階段のカーペットの下に隠しておくので、”ソレ”を使って部屋に忍び込んで、隣の寝室にいる「マーゴ」に気付かれない様にカーテンの陰に隠れて電話が鳴るのを待つんでゲス。
午後11時に「トニー」が出先から電話を掛けて「マーゴ」が電話に応じている間に彼女を襲うんですナ。
ソノ後、金目の物を適当に散らかして物取りに見せかけて鍵を元の隠し場所に戻して玄関から出ていくんでゲス。
警察にゃぁ強盗が盗み目的で窓から侵入したんだけど「マーゴ」に見付かり殺してしまい、何も取らずに窓から逃げて行ったと思わせるんですナ。
「スワン」は自ら手順を確認した後、手付金100ポンドを懐に収めるんでゲス。
計画の日の晩、「スワン」は約束の時刻に部屋に侵入してカーテンの陰に隠れて電話が鳴って「マーゴ」が出ると背後から彼女の首にマフラーを巻き付けて締め上げるんですナ。
「マーゴ」はもがきながら手を伸ばしてデスクの上にあったハサミを掴んで「スワン」の背に刺したんで、「スワン」は床に倒れて死んでしまうんでゲス。
電話の途中だった「マーゴ」は慄きながら再び電話に出ると、電話の相手が「トニー」と分かって、起こった事を話すと「トニー」は自分が戻る迄何も触らず、誰にも話さない様に言って聞かせて急いでアパートに帰るんでしたナ。
翌朝「ハーバード(ジョン・ウィリアムズ)」警部が訪ねて来て、「マーゴ」に細かい質問をしながら追い詰めていって、結果「マーゴ」は殺人容疑で逮捕されて、裁判に掛けられて、死刑が確定して・・・。





「フレドリック・ノット」の同名戯曲を「ノット」自らの脚色で映画化した”密室サスペンス”でゲス。
大好きな「アルフレッド・ヒッチコック」監督作品で、然も、コレ又大好きな「グレース・ケリー」が出演しているのに、何故か今迄Upしてなかったのが自分でも?ですナ。
改めて色々と考えてみると、「グレース」以外の出演メンツがサ、
「レイ・ミランド」

「ロバート・カミングス」

「アンソニー・ドーソン」

「ジョン・ウィリアムズ」

ってな、正直なところ、あんまりパッとしない出演者だったからかもネ。
まぁ、そんな事もどうでよくなる程「グレース・ケリー」がイイでゲス。


あとネ、当時のロンドンが舞台って事なので、男性出演者のコスチュームがイイですナ。
皆イイ物着用してるもんネ。
ってなところで、今回はオシマイでゲス、
では、では。







「DIAL M FOR MURDER」1954年(邦題「ダイヤルMを廻せ!」)

でゲス。
監督は、「アルフレッド・ヒッチコック」
出演は、「レイ・ミランド」、「グレース・ケリー」、「ロバート・カミングス」、「ジョン・ウィリアムズ」、「アンソニー・ドーソン」、「レオ・ブリット」、「パトリック・アレン」、「ジョージ・リー」等など。

・・・プロ・テニスの花形選手だった「トニー・ウェンディス(レイ・ミランド)」は、資産家の娘で妻の「マーゴ(グレース・ケリー)」とロンドンのアパートに住んでいますナ。
テニス・ツアーの為に自宅を留守にしがちだった「トニー」に日頃から不満だった「マーゴ」との夫婦仲は冷え込んでいたんでゲス。
「トニー」の留守中にアメリカ人推理作家の「マーク・ハリディ(ロバート・カミングス)」との浮気に走った「マーゴ」は「トニー」と別れて「マーク」と一緒になる気持ちに傾いていましたナ。
んが、妻「マーゴ」の浮気に気付いた「トニー」は、「マーゴ」と別れるよりも「マーゴ」を殺害して資産を手に入れようと考えて、緻密な殺害計画を練り上げるんでゲス。
そんなある晩、「トニー」は1人になると大学の頃の同窓生の「スワン(アンソニー・ドーソン)」を電話で呼び寄せますナ。
コノ「スワン」とゆう男は在学当時から手癖の悪さで有名で、刑務所暮らしも経験していたんでゲス。
「トニー」は「マーゴ」との経緯を語って聞かせて1000ポンドの報酬で「マーゴ」の殺害を持ち掛けるんでしたナ。
調べ上げた「スワン」の悪行を並べ立てて脅した「トニー」に乗り気になった「スワン」は計画を聞いて承諾をするんでゲス。
”ソノ”計画ってのは、計画の晩、「トニー」が「マーク」を連れてパーティーに出かけて「マーゴ」を1人にするんですナ。
んで、出掛ける際に「マーゴ」のハンドバックから鍵を抜いて玄関前の階段のカーペットの下に隠しておくので、”ソレ”を使って部屋に忍び込んで、隣の寝室にいる「マーゴ」に気付かれない様にカーテンの陰に隠れて電話が鳴るのを待つんでゲス。
午後11時に「トニー」が出先から電話を掛けて「マーゴ」が電話に応じている間に彼女を襲うんですナ。
ソノ後、金目の物を適当に散らかして物取りに見せかけて鍵を元の隠し場所に戻して玄関から出ていくんでゲス。
警察にゃぁ強盗が盗み目的で窓から侵入したんだけど「マーゴ」に見付かり殺してしまい、何も取らずに窓から逃げて行ったと思わせるんですナ。
「スワン」は自ら手順を確認した後、手付金100ポンドを懐に収めるんでゲス。
計画の日の晩、「スワン」は約束の時刻に部屋に侵入してカーテンの陰に隠れて電話が鳴って「マーゴ」が出ると背後から彼女の首にマフラーを巻き付けて締め上げるんですナ。
「マーゴ」はもがきながら手を伸ばしてデスクの上にあったハサミを掴んで「スワン」の背に刺したんで、「スワン」は床に倒れて死んでしまうんでゲス。
電話の途中だった「マーゴ」は慄きながら再び電話に出ると、電話の相手が「トニー」と分かって、起こった事を話すと「トニー」は自分が戻る迄何も触らず、誰にも話さない様に言って聞かせて急いでアパートに帰るんでしたナ。
翌朝「ハーバード(ジョン・ウィリアムズ)」警部が訪ねて来て、「マーゴ」に細かい質問をしながら追い詰めていって、結果「マーゴ」は殺人容疑で逮捕されて、裁判に掛けられて、死刑が確定して・・・。





「フレドリック・ノット」の同名戯曲を「ノット」自らの脚色で映画化した”密室サスペンス”でゲス。
大好きな「アルフレッド・ヒッチコック」監督作品で、然も、コレ又大好きな「グレース・ケリー」が出演しているのに、何故か今迄Upしてなかったのが自分でも?ですナ。
改めて色々と考えてみると、「グレース」以外の出演メンツがサ、
「レイ・ミランド」

「ロバート・カミングス」

「アンソニー・ドーソン」

「ジョン・ウィリアムズ」

ってな、正直なところ、あんまりパッとしない出演者だったからかもネ。
まぁ、そんな事もどうでよくなる程「グレース・ケリー」がイイでゲス。


あとネ、当時のロンドンが舞台って事なので、男性出演者のコスチュームがイイですナ。
皆イイ物着用してるもんネ。
ってなところで、今回はオシマイでゲス、
では、では。







2024年6月8日 16時46分16秒 (Sat)
「KING」 (パート5)
毎月7日と21日の2回の仕事休みを取るんだけど、今日8日に工房前の電柱工事の為に朝9時~11時迄停電との事で、今月は7日は仕事をして8日を休みにしたでゲス。
んで、お袋ちゃんが家庭菜園のキュウリの苗が欲しいのでホーム・センターへ連れていってくれと頼まれて行ってきましたナ。
少々早い時間ではあったんだけど、4、5年ぶりにホーム・センター内にある、
「寿がきや」
で、”肉入りラーメン”で昼食にしたでゲス。

何だか懐かしくって美味しかったなぁ。
さて、本題にしましょう。
”「KING」 (パート1)”
のところでUpした、
「ザ・ミッドナイターズ」

から始まるでゲス。
1954年に「リズムンブルーズ・チャート」でトップ10ヒットを連発してスーパー・グループの仲間入りをしたんだけど、ソノ直後から全くヒットが出なくなって1958年にゃぁ契約を打ち切られてしまうんですナ。
んで、デモ作りにマイアミに行くんでゲス。
「ジェームズ・ブラウン」が「ナット・ケンドリック & ザ・スワンズ」名義で「(ドゥ・ザ)マッシュド・ポテトズ」をレコーディングしたスタジオと同じマイアミのスタジオで、オーナーは後に”マイアミ・サウンド”で大儲けをする、
「ヘンリー・ストーン」

で、「ザ・ミッドナイターズ」がデモを作ったってのが、
「THE TWIST」
で、以前にリリースした、
「IS YOUR LOVE FOR REAL」
の改作なんですナ。
さて、デモを作った「ハンク・バラード」は、
「ヴィー・ジェイ」レーベル

に売り込んだんでゲス。
自分達の契約を切った「キング」レーベルが余程嫌だったんでしょうかネ。
んが、コノ話を聞きつけた「キング」レーベル社長の「シド・ネーザン」は契約は未だ切れてないって言いだしたんでゲス。
んで、「キング」レーベルに呼び出された「ハンク・バラード」達はシンシナティに戻って行ったんでしたナ。
歌詞も大幅に変更して「キング・スタジオ」で再レコーディングしたのが、
で、コノ時にカップリングの曲もレコーディングして、
「TEARDROPS ON YOUR LETTER」
だったんだけど、「ティアドロップス・・・」がA面、「ザ・トゥイスト」がB面でのリリースだったんでゲス。
「ティアドロップス・・・」が「リズムンブルーズ・チャート」で4位にランクされて「ハンク・バラード」としちゃぁ4年ぶりのトップ10ヒットだったので見事に復帰が叶ったんでしたナ。
コノ「ティアドロップス・・・」のヒットが出てからボルティモアの劇場で公演があって、ソノ時にボルティモアの若者達が「ザ・トゥイスト」に熱狂して、会場が興奮状態になったんでゲス。
ボルティモアって所は、
「バディー・ディーン」

が司会をするTV番組の、
「ザ・バディー・ディーン・ショー」

ってな、「アメリカン・バンド・スタンド」みたくなダンス番組があって、兎に角「ザ・トゥイスト」はボルティモアじゃぁ大人気になっていたんですナ。
先出の「ティアドロップス・・・」が「リズムンブルーズ・チャート」で4位になった1ヶ月後に「ザ・トゥイスト」は「リズムンブルーズ・チャート」で16位迄上がるヒットになって「ハンク・バラード」は”夢の両面ヒット”となったんでゲス。
とは言え、ヒットは「リズムンブルーズ・チャート」だけの事で、然もボルティモアってな地方だけの盛り上がりで全米が注目するところ迄はいかなかったんでしたナ。
一部の熱狂とはいえ”第一次トゥイスト・ブーム”は1959年に起きていたでゲス。
続いて”フィンガー・ティップ”ですナ。
”パチン!”
っていう、”アレ”を入れたダンス・ナンバーを作ったんだけど、大ヒットしたでゲス。
「FINGER POPPIN’ TIME」
1960年5月にチャート・インして、ジワジワとチャートを上がっていった時に、
「ディック・クラーク」

から声が掛かりましたナ。
6月22日の「アメリカン・バンド・スタンド」に出演して「フィンガー・ポッピン・・・」を演り、「リズムンブルーズ・チャート」2位、「ポップ・チャート」7位迄上がったので、漸く「キング」レーベルは”トゥィスト”の良さに気が付いて1年前にリリースしたA面、B面をひっくり返して再リリースしたところ、7月にチャートに登場して「リズムンブルーズ・チャート」6位、「ポップ・チャート」26位になって、今度は全米に広がり始めたんでゲス。
勿論、コノ状況を「ディック・クラーク」が黙って見ている訳がないですナ。
「ザ・ミッドナイターズ」じゃぁなくって、地元のフィラデルフィアで「ザ・トゥイスト」を唄う歌手を探し始めたんでゲス。
白羽の矢が立ったのが「ディック・クラーク」に気に入られて1959年にデビューしていた、
「チャビー・チェッカー」

「THE CLASS」
B面だったんだけど「チャビー」の初ヒットで、モノマネが得意でクラスの人気者だったから「ディック・クラーク」は「チャビー」が「ザ・トゥイスト」を唄っても上手く真似出来るだろうって考えたんでしょうナ。
曲中に、
”I’m The Music Teacher, DICK”
ってな歌詞があるんだけど、「DICK」ってのは「ディック・クラーク」の事でしょうかネ。
あと、
”FABIAN!”
って叫んでいるけど、「チャビー」のクラスメイトだった、
「フェビアン」

の事だそうでゲス。
”カバー・ヴァージョン”っていうよりも”モノマネ・ヴァージョン”ってのがピッタリかもネ。
声質が似ているって事もあるんだけど、モノマネが上手いんでゲス。
特に唄い出しがソックリだもんネ。
テイク違いって言っても通る出来でゲス。
「チャビー」盤がラジオで流れた時に「ハンク・バラード」は自分のが流れたって思って聴いていたら、”?”・・・自分じゃぁないって気付いてビックリしたそうですナ。
「チャビー」盤の「ザ・トゥイスト」は8月にチャートに登場して、TV番組の、
「ザ・クレイ・コール・ショー」

に出演したところ効果覿面で、本家「ハンク・バラード」を抜いて悠々「ポップ・チャート」1位になって、ソノ後「ディック・クラーク」の「アメリカン・バンド・スタンド」に出演して”ソノ”「ザ・トゥイスト」の歌手である事を確定付けたんでゲス。
モノマネの方が本家を凌いで”トゥイストの本家”となった訳ですナ。
結果的に「ザ・トゥイスト」を取られちゃった「ハンク・バラード」は、コノ事にめげずに次のダンス・ナンバーをリリースするんでゲス。
「LET’S GO, LET’S GO, LET’S GO」
先出の「フィンガー・ポッピン・・・」以上のヒットで「リズムンブルーズ・チャート」1位!!!!!
「ハンク・バラード」初の”首位獲得”となりましたナ。
「ポップ・チャート」でも6位の大ヒットで、”レッツ・ゴーよ再び”とばかりに、
「LET'S GO AGAIN(WHERE WE WENT LAST NIGHT)」
をリリースしたんでゲス。
「リズムンブルーズ・チャート」17位、「ポップ・チャート」39位ってな先ずまずのヒットでしたが曲中に、
”Let’s Rock Again”
ってあって、コノ曲の内容と似た構造の曲がコノ後に登場しましたナ。
「LET’S TWIST AGAIN」
ナント、コノ曲のアイデア迄「ハンク・バラード」から頂いて作ったってな事なんだけど、良く出来た曲で「チャビー」初の”オリジナル・トゥイスト”って言ってもイイんじゃぁないでしょうかネ。
んで、コノ後”トゥイスト・ブーム”は翌61年末に再燃して、「チャビー」盤の「ザ・トゥイスト」が再び「ポップ・チャート」1位に輝いて、同曲2度首位獲得ってのは、
”アメリカン・ポップス史上における不滅の大記録”
となったんでゲス。
さて、今回迄取り上げてきた「キング」レーベルの話をしてきたんだけど、コレにてオシマイですナ。
「クライド・マクファター」

「ジャッキー・ウィルソン」

「ザ・プラターズ」

そして「カンザス・シティ」、「オンリー・ユー」、「ザ・トゥイスト」が目の前にありながら、取り逃がしてしまった「キング」レーベルだったけど、「ロックンロール」の歴史を作った重要なレコード・レーベルだったので取り上げてみましたナ。
んじゃぁ、又。





んで、お袋ちゃんが家庭菜園のキュウリの苗が欲しいのでホーム・センターへ連れていってくれと頼まれて行ってきましたナ。
少々早い時間ではあったんだけど、4、5年ぶりにホーム・センター内にある、
「寿がきや」
で、”肉入りラーメン”で昼食にしたでゲス。

何だか懐かしくって美味しかったなぁ。
さて、本題にしましょう。
”「KING」 (パート1)”
のところでUpした、
「ザ・ミッドナイターズ」

から始まるでゲス。
1954年に「リズムンブルーズ・チャート」でトップ10ヒットを連発してスーパー・グループの仲間入りをしたんだけど、ソノ直後から全くヒットが出なくなって1958年にゃぁ契約を打ち切られてしまうんですナ。
んで、デモ作りにマイアミに行くんでゲス。
「ジェームズ・ブラウン」が「ナット・ケンドリック & ザ・スワンズ」名義で「(ドゥ・ザ)マッシュド・ポテトズ」をレコーディングしたスタジオと同じマイアミのスタジオで、オーナーは後に”マイアミ・サウンド”で大儲けをする、
「ヘンリー・ストーン」

で、「ザ・ミッドナイターズ」がデモを作ったってのが、
「THE TWIST」
で、以前にリリースした、
「IS YOUR LOVE FOR REAL」
の改作なんですナ。
さて、デモを作った「ハンク・バラード」は、
「ヴィー・ジェイ」レーベル

に売り込んだんでゲス。
自分達の契約を切った「キング」レーベルが余程嫌だったんでしょうかネ。
んが、コノ話を聞きつけた「キング」レーベル社長の「シド・ネーザン」は契約は未だ切れてないって言いだしたんでゲス。
んで、「キング」レーベルに呼び出された「ハンク・バラード」達はシンシナティに戻って行ったんでしたナ。
歌詞も大幅に変更して「キング・スタジオ」で再レコーディングしたのが、
で、コノ時にカップリングの曲もレコーディングして、
「TEARDROPS ON YOUR LETTER」
だったんだけど、「ティアドロップス・・・」がA面、「ザ・トゥイスト」がB面でのリリースだったんでゲス。
「ティアドロップス・・・」が「リズムンブルーズ・チャート」で4位にランクされて「ハンク・バラード」としちゃぁ4年ぶりのトップ10ヒットだったので見事に復帰が叶ったんでしたナ。
コノ「ティアドロップス・・・」のヒットが出てからボルティモアの劇場で公演があって、ソノ時にボルティモアの若者達が「ザ・トゥイスト」に熱狂して、会場が興奮状態になったんでゲス。
ボルティモアって所は、
「バディー・ディーン」

が司会をするTV番組の、
「ザ・バディー・ディーン・ショー」

ってな、「アメリカン・バンド・スタンド」みたくなダンス番組があって、兎に角「ザ・トゥイスト」はボルティモアじゃぁ大人気になっていたんですナ。
先出の「ティアドロップス・・・」が「リズムンブルーズ・チャート」で4位になった1ヶ月後に「ザ・トゥイスト」は「リズムンブルーズ・チャート」で16位迄上がるヒットになって「ハンク・バラード」は”夢の両面ヒット”となったんでゲス。
とは言え、ヒットは「リズムンブルーズ・チャート」だけの事で、然もボルティモアってな地方だけの盛り上がりで全米が注目するところ迄はいかなかったんでしたナ。
一部の熱狂とはいえ”第一次トゥイスト・ブーム”は1959年に起きていたでゲス。
続いて”フィンガー・ティップ”ですナ。
”パチン!”
っていう、”アレ”を入れたダンス・ナンバーを作ったんだけど、大ヒットしたでゲス。
「FINGER POPPIN’ TIME」
1960年5月にチャート・インして、ジワジワとチャートを上がっていった時に、
「ディック・クラーク」

から声が掛かりましたナ。
6月22日の「アメリカン・バンド・スタンド」に出演して「フィンガー・ポッピン・・・」を演り、「リズムンブルーズ・チャート」2位、「ポップ・チャート」7位迄上がったので、漸く「キング」レーベルは”トゥィスト”の良さに気が付いて1年前にリリースしたA面、B面をひっくり返して再リリースしたところ、7月にチャートに登場して「リズムンブルーズ・チャート」6位、「ポップ・チャート」26位になって、今度は全米に広がり始めたんでゲス。
勿論、コノ状況を「ディック・クラーク」が黙って見ている訳がないですナ。
「ザ・ミッドナイターズ」じゃぁなくって、地元のフィラデルフィアで「ザ・トゥイスト」を唄う歌手を探し始めたんでゲス。
白羽の矢が立ったのが「ディック・クラーク」に気に入られて1959年にデビューしていた、
「チャビー・チェッカー」

「THE CLASS」
B面だったんだけど「チャビー」の初ヒットで、モノマネが得意でクラスの人気者だったから「ディック・クラーク」は「チャビー」が「ザ・トゥイスト」を唄っても上手く真似出来るだろうって考えたんでしょうナ。
曲中に、
”I’m The Music Teacher, DICK”
ってな歌詞があるんだけど、「DICK」ってのは「ディック・クラーク」の事でしょうかネ。
あと、
”FABIAN!”
って叫んでいるけど、「チャビー」のクラスメイトだった、
「フェビアン」

の事だそうでゲス。
”カバー・ヴァージョン”っていうよりも”モノマネ・ヴァージョン”ってのがピッタリかもネ。
声質が似ているって事もあるんだけど、モノマネが上手いんでゲス。
特に唄い出しがソックリだもんネ。
テイク違いって言っても通る出来でゲス。
「チャビー」盤がラジオで流れた時に「ハンク・バラード」は自分のが流れたって思って聴いていたら、”?”・・・自分じゃぁないって気付いてビックリしたそうですナ。
「チャビー」盤の「ザ・トゥイスト」は8月にチャートに登場して、TV番組の、
「ザ・クレイ・コール・ショー」

に出演したところ効果覿面で、本家「ハンク・バラード」を抜いて悠々「ポップ・チャート」1位になって、ソノ後「ディック・クラーク」の「アメリカン・バンド・スタンド」に出演して”ソノ”「ザ・トゥイスト」の歌手である事を確定付けたんでゲス。
モノマネの方が本家を凌いで”トゥイストの本家”となった訳ですナ。
結果的に「ザ・トゥイスト」を取られちゃった「ハンク・バラード」は、コノ事にめげずに次のダンス・ナンバーをリリースするんでゲス。
「LET’S GO, LET’S GO, LET’S GO」
先出の「フィンガー・ポッピン・・・」以上のヒットで「リズムンブルーズ・チャート」1位!!!!!
「ハンク・バラード」初の”首位獲得”となりましたナ。
「ポップ・チャート」でも6位の大ヒットで、”レッツ・ゴーよ再び”とばかりに、
「LET'S GO AGAIN(WHERE WE WENT LAST NIGHT)」
をリリースしたんでゲス。
「リズムンブルーズ・チャート」17位、「ポップ・チャート」39位ってな先ずまずのヒットでしたが曲中に、
”Let’s Rock Again”
ってあって、コノ曲の内容と似た構造の曲がコノ後に登場しましたナ。
「LET’S TWIST AGAIN」
ナント、コノ曲のアイデア迄「ハンク・バラード」から頂いて作ったってな事なんだけど、良く出来た曲で「チャビー」初の”オリジナル・トゥイスト”って言ってもイイんじゃぁないでしょうかネ。
んで、コノ後”トゥイスト・ブーム”は翌61年末に再燃して、「チャビー」盤の「ザ・トゥイスト」が再び「ポップ・チャート」1位に輝いて、同曲2度首位獲得ってのは、
”アメリカン・ポップス史上における不滅の大記録”
となったんでゲス。
さて、今回迄取り上げてきた「キング」レーベルの話をしてきたんだけど、コレにてオシマイですナ。
「クライド・マクファター」

「ジャッキー・ウィルソン」

「ザ・プラターズ」

そして「カンザス・シティ」、「オンリー・ユー」、「ザ・トゥイスト」が目の前にありながら、取り逃がしてしまった「キング」レーベルだったけど、「ロックンロール」の歴史を作った重要なレコード・レーベルだったので取り上げてみましたナ。
んじゃぁ、又。





プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
最近の記事一覧
カテゴリー
アーカイブ
携帯用QRコード
- アクセス数

- ページビュー数
