2024年7月 アーカイブ
2024年7月21日 12時24分04秒 (Sun)
「ロックンロール」の故郷 (パート2)
前回の続きでゲス。
「エルヴィス」、「カール・パーキンス」、「ジョニー・キャッシュ」が「サン」レーベルから去ったソノ後の1959年、新人の、
「カール・マン」

にレコーディングさせた、
「MONA LISA」
が「ポップ・チャート」で24位って健闘したんでしたナ。
「ナット・キング・コール」

のバラード曲を「ロックンロール」にアレンジしたんでゲス。
元歌は、こんな感じですヨ。
↓
んで、「モナ・リサ」がヒットした事に気を良くした「カール・マン」は、同じ「ナット・キング・コール」の曲の”「ロックンロール」路線”を続けるんですナ。
「PRETEND」
「TOO YOUNG」
エッと、「カール・マン」の「モナ・リサ」のヒットに目を付けたのが、前回後半に登場した、
「コンウェイ・トゥイッティ」

で、”コノ”「モナ・リサ」をカヴァーしたんでゲス。
コチラは「ポップ・チャート」29位が最高位で、「カール・マン」の24位には及びませんでしたナ。
「コンウェイ」は余程悔しかったのか、次にリリースする曲も古い曲のカヴァーで出すんでゲス。
取り上げたのは「アイルランド民謡」の、
「DANNY BOY」
「カール・マン」が第2弾の「プリテンド」をリリースする前に発売したんですナ。
「ダニー・ボーイ」は「ポップ・チャート」のトップ10にランクインされて、「プリテンド」は「ポップ・チャート」57位ってな結果になったんでゲス。
「ダニー・ボーイ」のヒットの余勢を駆って続いてリリースした曲が、
「LONELY BLUE BOY」
大好き!!!!!
ギターは、
「グレイディ・マーティン」

で、「ポップ・チャート」6位の大ヒットでしたナ。
作者は、
「フレッド・ワイズ」

と、
「ベン・ワイズマン」

ってな「エルヴィス」の常連作家チームで、然も「エルヴィス」もコノ曲を唄っているんでゲス。
「DANNY」
映画の、
「KING CREOLE」(邦題「闇に響く声」)

の挿入歌としてレコーディングされたんだけど、映画にゃぁ採用されませんでしたナ。
んで、「ダニー」を「コンウェイ」用に「ロンリー・ブルー・ボーイ」って書き直した訳でゲス。
「エルヴィス」みたくなりたかった「コンウェイ」としちゃぁ、「エルヴィス」の常連作家チームの曲をレコーディング出来た事は嬉しかったでしょうネ。
さて、「コンウェイ・トゥイッティ」の話はココ迄にしますナ。
「サン」レーベルにゃぁ、大勢のヒット曲が無いアーティストがいたんだけど、
「レイ・ハリス」

も、そんな1人だったでゲス。
「COME ON LITTLE MAMA」
んで、「レイ・ハリス」は早々と歌手に見切りを付けてプロデューサーに転身するんですナ。
最初にプロデュースしたのは、「ジェリー・リー・ルイス」の従弟の、
「カール・マクヴォイ」

で、彼が「YOU ARE MY SUNSHINE」を「ロックンロール」アレンジで唄っていたのを観て早速デモ・テープを作ったんでゲス。
デモをレコーディングした「レイ・ハリス」は金を搔き集めて自分のレコード・レーベルを作って、コノ曲を第1号プレスとしましたナ。
レーベルの名前は、「ハイ」でゲス。

1957年12月の事ですナ。
んが、「ハイ」レーベルは早々に資金繰りに困っちゃって「サン」レーベルの社長「サム・フィリップス」に原盤を買ってもらってピンチを凌いだんでゲス。

んで、メンフィスの古い映画館を借りて改装して「ハイ・レコーディング・スタジオ」ってして活動していったんですナ。
そうそう、レコーディング・スタジオを始めた際に、「サン・スタジオ」にあった「アンペックス」社のオープンリール・テープ・レコーダーを「サム・フィリップス」からプレゼントされたそうでゲス。

んが、んが、「ハイ」レーベルは16枚のシングル盤をリリースしたんだけど、全く売れなかったんですナ。
んで、「ハイ」レーベルの「レイ・ハリス」はどうしたのかというと・・・。
続きは次回でゲス。
んじゃぁ次回をお楽しみに。






「エルヴィス」、「カール・パーキンス」、「ジョニー・キャッシュ」が「サン」レーベルから去ったソノ後の1959年、新人の、
「カール・マン」

にレコーディングさせた、
「MONA LISA」
が「ポップ・チャート」で24位って健闘したんでしたナ。
「ナット・キング・コール」

のバラード曲を「ロックンロール」にアレンジしたんでゲス。
元歌は、こんな感じですヨ。
↓
んで、「モナ・リサ」がヒットした事に気を良くした「カール・マン」は、同じ「ナット・キング・コール」の曲の”「ロックンロール」路線”を続けるんですナ。
「PRETEND」
「TOO YOUNG」
エッと、「カール・マン」の「モナ・リサ」のヒットに目を付けたのが、前回後半に登場した、
「コンウェイ・トゥイッティ」

で、”コノ”「モナ・リサ」をカヴァーしたんでゲス。
コチラは「ポップ・チャート」29位が最高位で、「カール・マン」の24位には及びませんでしたナ。
「コンウェイ」は余程悔しかったのか、次にリリースする曲も古い曲のカヴァーで出すんでゲス。
取り上げたのは「アイルランド民謡」の、
「DANNY BOY」
「カール・マン」が第2弾の「プリテンド」をリリースする前に発売したんですナ。
「ダニー・ボーイ」は「ポップ・チャート」のトップ10にランクインされて、「プリテンド」は「ポップ・チャート」57位ってな結果になったんでゲス。
「ダニー・ボーイ」のヒットの余勢を駆って続いてリリースした曲が、
「LONELY BLUE BOY」
大好き!!!!!
ギターは、
「グレイディ・マーティン」

で、「ポップ・チャート」6位の大ヒットでしたナ。
作者は、
「フレッド・ワイズ」

と、
「ベン・ワイズマン」

ってな「エルヴィス」の常連作家チームで、然も「エルヴィス」もコノ曲を唄っているんでゲス。
「DANNY」
映画の、
「KING CREOLE」(邦題「闇に響く声」)

の挿入歌としてレコーディングされたんだけど、映画にゃぁ採用されませんでしたナ。
んで、「ダニー」を「コンウェイ」用に「ロンリー・ブルー・ボーイ」って書き直した訳でゲス。
「エルヴィス」みたくなりたかった「コンウェイ」としちゃぁ、「エルヴィス」の常連作家チームの曲をレコーディング出来た事は嬉しかったでしょうネ。
さて、「コンウェイ・トゥイッティ」の話はココ迄にしますナ。
「サン」レーベルにゃぁ、大勢のヒット曲が無いアーティストがいたんだけど、
「レイ・ハリス」

も、そんな1人だったでゲス。
「COME ON LITTLE MAMA」
んで、「レイ・ハリス」は早々と歌手に見切りを付けてプロデューサーに転身するんですナ。
最初にプロデュースしたのは、「ジェリー・リー・ルイス」の従弟の、
「カール・マクヴォイ」

で、彼が「YOU ARE MY SUNSHINE」を「ロックンロール」アレンジで唄っていたのを観て早速デモ・テープを作ったんでゲス。
デモをレコーディングした「レイ・ハリス」は金を搔き集めて自分のレコード・レーベルを作って、コノ曲を第1号プレスとしましたナ。
レーベルの名前は、「ハイ」でゲス。

1957年12月の事ですナ。
んが、「ハイ」レーベルは早々に資金繰りに困っちゃって「サン」レーベルの社長「サム・フィリップス」に原盤を買ってもらってピンチを凌いだんでゲス。

んで、メンフィスの古い映画館を借りて改装して「ハイ・レコーディング・スタジオ」ってして活動していったんですナ。
そうそう、レコーディング・スタジオを始めた際に、「サン・スタジオ」にあった「アンペックス」社のオープンリール・テープ・レコーダーを「サム・フィリップス」からプレゼントされたそうでゲス。

んが、んが、「ハイ」レーベルは16枚のシングル盤をリリースしたんだけど、全く売れなかったんですナ。
んで、「ハイ」レーベルの「レイ・ハリス」はどうしたのかというと・・・。
続きは次回でゲス。
んじゃぁ次回をお楽しみに。






2024年7月7日 16時09分25秒 (Sun)
「ロックンロール」の故郷 (パート1)
現在、「CA4LA」来季冬物を600個製作中なんだけど、”コレ”がネ、製作工程が多くって1個出来上がるのに結構な時間が掛かって大変に苦労をしているでゲス。
んで、出来上がりが遅い旨を伝えたところ、未だコノ後に2400個の追加が入荷して来るとの事でしたナ。
製作工賃がイイので文句は無いんだけど、相当頑張らないとアカンでゲス。(ト・ホ・ホ・・・。)
んじゃぁ、本題に入りましょうネ。
以前にUpした、”ロックンロール」の故郷”の、
”メンフィス”

のソノ後についてになるでゲス。
1955年11月20日、
「エルヴィス・プレスリー」

が「RCA」レーベルと契約してメンフィスの「サン」レーベルを去るんだけど、翌56年にゃぁ、
「カール・パーキンス」

の、
「BLUE SUEDE SHOES」
が”3部門制覇”して、ソノ又翌57年に、
「ジェリー・リー・ルイス」

が「エルヴィス」に次ぐ人気者になりましたナ。
更に、
「ビル・ジャスティス」

のインストゥルメンタル曲の、
「RAUNCHY」
も、No.1を獲得して、「エルヴィス」が去った後も「サン」レーベルからは次々とヒット曲が出たんでゲス。
「ジョニー・キャッシュ」

も安定したチャート・アクションを見せていて、”ソコ”に、
「ロイ・オービソン」

もやって来ましたナ。
「OOBY DOOBY」
「ポップ・チャート」59位にランクされてまぁまぁな滑り出しを見せたんだけど、以降の「ロイ・オービソン」はパッタリとヒットが出なかったってな事も以前にUpしたでゲス。
そんな「ロイ・オービソン」の第2弾シングルは、
「ROCK HOUSE」
コノ曲を作ったのは「ロイ・オービソン」じゃぁなくって「エルヴィス」の人気に憧れて「サン」レーベルの門を叩いた、
「ハロルド・ジェンキンス」

ってな若者でしたナ。
作者本人のヴァージョンはリリースされなくって「サン」レーベルの社長「サム・フィリップス」は「ロイ・オービソン」の第2弾シングル用にしちゃったんでゲス。
んでも、「ロイ・オービソン」でリリースしたのに全くヒットしなくって、「ハロルド・ジェンキンス」は「サン」レーベルから1枚もレコード・リリースも無く去って行きましたナ。
そんな「ハロルド・ジェンキンス」はソノ後「マーキュリー」レーベルと契約してシングル盤をリリースしたんだけど殆どヒットしなくって、次に「MGM」レーベルと契約して、最初にリリースした曲が大ヒットしたんでゲス。
「IT’S ONLY MAKE BELIEVE」(邦題「思わせぶり」)
地図を広げてアーカンソー州”コンウェイ”とテキサス州”トゥイッティ”から付けた芸名が「コンウェイ・トゥイッティ」、本名「ハロルド・ジェンキンス」がリリースして1958年9月に「ポップ・チャート」に登場して1位、「リズムンブルーズ・チャート」12位の大ヒットでしたナ。
レコーディングはナッシュヴィルの、
「ブラッドリー・スタジオ」

で、ギターは、
「グレイディ・マーティン」

ピアノは、
「フロイド・クレイマー」

コーラスは、
「ザ・ジョーダネアーズ」

ってなラインナップでゲス。
メンフィスからナッシュヴィルへ「コンウェイ・トゥイッティ」も「エルヴィス」の歩んだ道を辿った訳ですナ。
同時期に、
「ジェリー・リー・ルイス」

は、
「BREAK UP」
ってなシングル盤をリリースしたんだけど、最高位で「ポップ・チャート」52位止まりだったでゲス。
前57年にゃぁヒット曲を沢山出していた「ジェリー・リー・ルイス」なんだけど、58年は5曲がチャート・インこそしているものの、「ポップ・チャート」7位が1曲で他の4曲は20位以下っていうところですナ。
チャートにこそランクされなくてもカッチィイ曲が沢山あるので、そんな事なんか関係なく俺は「ジェリー・リー・ルイス」が大好きでゲス。
一方「サン」レーベルでシングル盤すらリリースしてもらえなかった「コンウェイ・トゥイッティ」が「ポップ・チャート」で1位を獲得したってな結果になりましたナ。
んでネ、コノ頃「カール・パーキンス」と「ジョニー・キャッシュ」も相次いで「サン」レーベルから去って行ったんでゲス。
「カール・パーキンス」、「ジョニー・キャッシュ」の2人共「コロンビア」レーベルに移籍しましたナ。
なので、「サン」レーベルの勢いがあったのは、1956年、57年、58年の3年間で、正に「ロックンロール」の誕生と衰退を象徴した動きだったと言えるんじゃぁないでしょうかネ。
今回はココ迄でゲス。
続きは次回のお楽しみですナ。
んじゃぁ又。








んで、出来上がりが遅い旨を伝えたところ、未だコノ後に2400個の追加が入荷して来るとの事でしたナ。
製作工賃がイイので文句は無いんだけど、相当頑張らないとアカンでゲス。(ト・ホ・ホ・・・。)
んじゃぁ、本題に入りましょうネ。
以前にUpした、”ロックンロール」の故郷”の、
”メンフィス”

のソノ後についてになるでゲス。
1955年11月20日、
「エルヴィス・プレスリー」

が「RCA」レーベルと契約してメンフィスの「サン」レーベルを去るんだけど、翌56年にゃぁ、
「カール・パーキンス」

の、
「BLUE SUEDE SHOES」
が”3部門制覇”して、ソノ又翌57年に、
「ジェリー・リー・ルイス」

が「エルヴィス」に次ぐ人気者になりましたナ。
更に、
「ビル・ジャスティス」

のインストゥルメンタル曲の、
「RAUNCHY」
も、No.1を獲得して、「エルヴィス」が去った後も「サン」レーベルからは次々とヒット曲が出たんでゲス。
「ジョニー・キャッシュ」

も安定したチャート・アクションを見せていて、”ソコ”に、
「ロイ・オービソン」

もやって来ましたナ。
「OOBY DOOBY」
「ポップ・チャート」59位にランクされてまぁまぁな滑り出しを見せたんだけど、以降の「ロイ・オービソン」はパッタリとヒットが出なかったってな事も以前にUpしたでゲス。
そんな「ロイ・オービソン」の第2弾シングルは、
「ROCK HOUSE」
コノ曲を作ったのは「ロイ・オービソン」じゃぁなくって「エルヴィス」の人気に憧れて「サン」レーベルの門を叩いた、
「ハロルド・ジェンキンス」

ってな若者でしたナ。
作者本人のヴァージョンはリリースされなくって「サン」レーベルの社長「サム・フィリップス」は「ロイ・オービソン」の第2弾シングル用にしちゃったんでゲス。
んでも、「ロイ・オービソン」でリリースしたのに全くヒットしなくって、「ハロルド・ジェンキンス」は「サン」レーベルから1枚もレコード・リリースも無く去って行きましたナ。
そんな「ハロルド・ジェンキンス」はソノ後「マーキュリー」レーベルと契約してシングル盤をリリースしたんだけど殆どヒットしなくって、次に「MGM」レーベルと契約して、最初にリリースした曲が大ヒットしたんでゲス。
「IT’S ONLY MAKE BELIEVE」(邦題「思わせぶり」)
地図を広げてアーカンソー州”コンウェイ”とテキサス州”トゥイッティ”から付けた芸名が「コンウェイ・トゥイッティ」、本名「ハロルド・ジェンキンス」がリリースして1958年9月に「ポップ・チャート」に登場して1位、「リズムンブルーズ・チャート」12位の大ヒットでしたナ。
レコーディングはナッシュヴィルの、
「ブラッドリー・スタジオ」

で、ギターは、
「グレイディ・マーティン」

ピアノは、
「フロイド・クレイマー」

コーラスは、
「ザ・ジョーダネアーズ」

ってなラインナップでゲス。
メンフィスからナッシュヴィルへ「コンウェイ・トゥイッティ」も「エルヴィス」の歩んだ道を辿った訳ですナ。
同時期に、
「ジェリー・リー・ルイス」

は、
「BREAK UP」
ってなシングル盤をリリースしたんだけど、最高位で「ポップ・チャート」52位止まりだったでゲス。
前57年にゃぁヒット曲を沢山出していた「ジェリー・リー・ルイス」なんだけど、58年は5曲がチャート・インこそしているものの、「ポップ・チャート」7位が1曲で他の4曲は20位以下っていうところですナ。
チャートにこそランクされなくてもカッチィイ曲が沢山あるので、そんな事なんか関係なく俺は「ジェリー・リー・ルイス」が大好きでゲス。
一方「サン」レーベルでシングル盤すらリリースしてもらえなかった「コンウェイ・トゥイッティ」が「ポップ・チャート」で1位を獲得したってな結果になりましたナ。
んでネ、コノ頃「カール・パーキンス」と「ジョニー・キャッシュ」も相次いで「サン」レーベルから去って行ったんでゲス。
「カール・パーキンス」、「ジョニー・キャッシュ」の2人共「コロンビア」レーベルに移籍しましたナ。
なので、「サン」レーベルの勢いがあったのは、1956年、57年、58年の3年間で、正に「ロックンロール」の誕生と衰退を象徴した動きだったと言えるんじゃぁないでしょうかネ。
今回はココ迄でゲス。
続きは次回のお楽しみですナ。
んじゃぁ又。








プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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