2024年8月 アーカイブ
2024年8月27日 21時32分29秒 (Tue)
「THE RAVEN」
WW2が終結した1945年から56年迄は「ホラー映画」が”低迷期”だったでゲス。
科学力が戦争によって急速に発達してソノ知識が一般に浸透した事で大衆文化に科学万能時代の到来を予感させるムードが蔓延したんでしたナ。
1947年にアメリカの実業家の、
「ケネス・アーノルド」

が自家用機で飛行している時に”UFO”を発見して、”フライング・ソーサー”(空飛ぶコーヒー皿)って呼んだ事から”空飛ぶ円盤”の目撃者が続出して、人々の眼は大空へ、そして宇宙へと向けられる様になったんでゲス。
こういった時代的背景から起こった空前の”SFブーム”により「ドラキュラ」や「狼男」等の”超自然の怪物”は”宇宙からの来訪者”や”狂った科学の産物”に席を譲って、彼等の故郷である暗闇の世界へと退散せざるを得なくなったんでしたナ。
なんて言うものの、相変らずスクリーンにゃぁ”血を吸う怪物”や”全身剛毛に覆われた獣人”も登場していたでゲス。
んが、映画界は彼等にも科学的な解釈を付けて”SF怪物の仲間”にしたんですナ。
1930年代~40年代は”SF”も「怪奇映画」として制作されていたのに1950年代にゃぁ”怪奇”も「SF映画」として描かれた時代だったんでゲス。
そんな1950年代に映画を制作するだけで自らは配給組織を持ってない独立プロダクションが沢山出来て、ソノ中の1つで前回Upした「凶人ドラキュラ」を制作したイギリスの、
「ハマー・プロ」社

の”「怪奇映画」群”のヒットによって「ホラー映画」は息を吹き返したんでしたナ。
一方アメリカはというと、”超低予算”の「SF映画」や「ホラー映画」を多作して小金を稼いでいた、
「AIP」社

が、やっと”本格的なB級映画”(何だか変な表現だなぁ。)を手掛けた訳で、ソノ作品の多くは「エドガー・アラン・ポー」の小説の映画化で大ヒットして「AIP」社も超弱小スタジオから中堅へと昇格したんでゲス。
「AIP」社は「ハマー・プロ」社と共に1960年代を代表する”ホラー・メーカー”の双璧となったんですナ。
んで、本題でゲス。
今回Upするのは、先出の「AIP」社が制作した映画の、
「THE RAVEN」1963年(邦題「忍者と悪女」)

ですナ。
監督は、「ロジャー・コーマン」
出演は、「ヴィンセント・プライス」、「ピーター・ローレ」、「ボリス・カーロフ」、「ヘイゼル・コート」、「オリーヴ・スタージェス」、「ジャック・ニコルソン」等など。

・・・「クレーヴン(ヴィンセント・プライス)」博士が書斎の暖炉でウトウトしていると、1羽のカラスが起こしに来たんでゲス。
カラスは「スカラバス(ボリス・カーロフ)」博士に術競べで負けてカラスに化身させられた「ベドロ(ピーター・ローレ)」博士でしたナ。
「クレーヴン」は「ベドロ」を元の姿に戻してやって、ソノ時にスカラバス邸で数年前に亡くなった「クレーヴン」の妻の「レノーア(ヘイゼル・コート)」を見たっていうんでゲス。
「ベドロ」があまりにも真剣なので「クレーヴン」は娘「エステラ(オリーヴ・スタージェス)」と「ベドロ」、「ベドロ」の倅「レックスフォード(ジャック・ニコルソン)」を伴ってスカラバス邸へ行ってみる事にしましたナ。
スカラバス邸に到着した夜「クレーヴン」は「レノーア」と再会して、彼女は「スカラバス」の金と魔力に魅せられて仮死状態もまま連れてこられた事を告白したんでゲス。
「レノーア」捜索が来訪の目的だと知った「スカラバス」は激昂し、実は彼が「クレーヴン」の術を盗もうと「ベドロ」を誘い出しにやったんでしたナ。
「ベドロ」は自分のとった行為を恥じてカラスの姿になって何処へともなく飛び去って行ってしまったんでゲス。
いよいよ「スカラバス」と「クレーヴン」の術競べとなって・・・。




「エドガー・アラン・ポー」の詩「大鴉」をヒントに制作した作品ですナ。
出演メンツがイイでしょ。
「ヴィンセント・プライス」

「ピーター・ローレ」

「ボリス・カーロフ」

「ヘイゼル・コート」

「ジャック・ニコルソン」

だもんネ。
「ヴィンセント・プライス」は「クラッシック・ホラー映画」のWW2後アメリカのリーディング・パーソンだし、「ピーター・ローレ」はWW2前から活躍してた人気俳優で、「ボリス・カーロフ」は世界中の誰もが「フランケンシュタイン」って思い浮かべる”アノ”怪物を演じた俳優でしょ、「ヘイゼル・コート」はイギリスの女優で1950年代~60年代初頭にかけて「ハマー・プロ」社の色々な「ホラー映画」に出演していたし、「ジャック・ニコルソン」はコノ頃は未だ後の様なビッグ・スターになる前で初々しさが感じられてイイでゲス。






んでも、邦題がト・ホ・ホ・・・なんだよなぁ。
「忍者と悪女」
ってサ。
よく解らんでゲス。
こんなところで以上ですナ。
んじゃぁ、コレにて。
では、では。





科学力が戦争によって急速に発達してソノ知識が一般に浸透した事で大衆文化に科学万能時代の到来を予感させるムードが蔓延したんでしたナ。
1947年にアメリカの実業家の、
「ケネス・アーノルド」

が自家用機で飛行している時に”UFO”を発見して、”フライング・ソーサー”(空飛ぶコーヒー皿)って呼んだ事から”空飛ぶ円盤”の目撃者が続出して、人々の眼は大空へ、そして宇宙へと向けられる様になったんでゲス。
こういった時代的背景から起こった空前の”SFブーム”により「ドラキュラ」や「狼男」等の”超自然の怪物”は”宇宙からの来訪者”や”狂った科学の産物”に席を譲って、彼等の故郷である暗闇の世界へと退散せざるを得なくなったんでしたナ。
なんて言うものの、相変らずスクリーンにゃぁ”血を吸う怪物”や”全身剛毛に覆われた獣人”も登場していたでゲス。
んが、映画界は彼等にも科学的な解釈を付けて”SF怪物の仲間”にしたんですナ。
1930年代~40年代は”SF”も「怪奇映画」として制作されていたのに1950年代にゃぁ”怪奇”も「SF映画」として描かれた時代だったんでゲス。
そんな1950年代に映画を制作するだけで自らは配給組織を持ってない独立プロダクションが沢山出来て、ソノ中の1つで前回Upした「凶人ドラキュラ」を制作したイギリスの、
「ハマー・プロ」社

の”「怪奇映画」群”のヒットによって「ホラー映画」は息を吹き返したんでしたナ。
一方アメリカはというと、”超低予算”の「SF映画」や「ホラー映画」を多作して小金を稼いでいた、
「AIP」社

が、やっと”本格的なB級映画”(何だか変な表現だなぁ。)を手掛けた訳で、ソノ作品の多くは「エドガー・アラン・ポー」の小説の映画化で大ヒットして「AIP」社も超弱小スタジオから中堅へと昇格したんでゲス。
「AIP」社は「ハマー・プロ」社と共に1960年代を代表する”ホラー・メーカー”の双璧となったんですナ。
んで、本題でゲス。
今回Upするのは、先出の「AIP」社が制作した映画の、
「THE RAVEN」1963年(邦題「忍者と悪女」)

ですナ。
監督は、「ロジャー・コーマン」
出演は、「ヴィンセント・プライス」、「ピーター・ローレ」、「ボリス・カーロフ」、「ヘイゼル・コート」、「オリーヴ・スタージェス」、「ジャック・ニコルソン」等など。

・・・「クレーヴン(ヴィンセント・プライス)」博士が書斎の暖炉でウトウトしていると、1羽のカラスが起こしに来たんでゲス。
カラスは「スカラバス(ボリス・カーロフ)」博士に術競べで負けてカラスに化身させられた「ベドロ(ピーター・ローレ)」博士でしたナ。
「クレーヴン」は「ベドロ」を元の姿に戻してやって、ソノ時にスカラバス邸で数年前に亡くなった「クレーヴン」の妻の「レノーア(ヘイゼル・コート)」を見たっていうんでゲス。
「ベドロ」があまりにも真剣なので「クレーヴン」は娘「エステラ(オリーヴ・スタージェス)」と「ベドロ」、「ベドロ」の倅「レックスフォード(ジャック・ニコルソン)」を伴ってスカラバス邸へ行ってみる事にしましたナ。
スカラバス邸に到着した夜「クレーヴン」は「レノーア」と再会して、彼女は「スカラバス」の金と魔力に魅せられて仮死状態もまま連れてこられた事を告白したんでゲス。
「レノーア」捜索が来訪の目的だと知った「スカラバス」は激昂し、実は彼が「クレーヴン」の術を盗もうと「ベドロ」を誘い出しにやったんでしたナ。
「ベドロ」は自分のとった行為を恥じてカラスの姿になって何処へともなく飛び去って行ってしまったんでゲス。
いよいよ「スカラバス」と「クレーヴン」の術競べとなって・・・。




「エドガー・アラン・ポー」の詩「大鴉」をヒントに制作した作品ですナ。
出演メンツがイイでしょ。
「ヴィンセント・プライス」

「ピーター・ローレ」

「ボリス・カーロフ」

「ヘイゼル・コート」

「ジャック・ニコルソン」

だもんネ。
「ヴィンセント・プライス」は「クラッシック・ホラー映画」のWW2後アメリカのリーディング・パーソンだし、「ピーター・ローレ」はWW2前から活躍してた人気俳優で、「ボリス・カーロフ」は世界中の誰もが「フランケンシュタイン」って思い浮かべる”アノ”怪物を演じた俳優でしょ、「ヘイゼル・コート」はイギリスの女優で1950年代~60年代初頭にかけて「ハマー・プロ」社の色々な「ホラー映画」に出演していたし、「ジャック・ニコルソン」はコノ頃は未だ後の様なビッグ・スターになる前で初々しさが感じられてイイでゲス。






んでも、邦題がト・ホ・ホ・・・なんだよなぁ。
「忍者と悪女」
ってサ。
よく解らんでゲス。
こんなところで以上ですナ。
んじゃぁ、コレにて。
では、では。





2024年8月21日 13時38分54秒 (Wed)
子供の頃、夏・・・っていったら、
子供の頃、毎日の様にTVじゃぁ「〇〇ロードショー」とか「〇〇洋画劇場」ってな映画番組をやってたでゲス。
んで、コノ時期(夏)になると古い「ホラー映画」、「怪奇映画」ってのを昼夜関係なく放映していたものでしたナ。
最近じゃぁこういった映画番組も減ってしまって、こういった昔に制作された作品に触れる機会もメッキリ減ってしまったでゲス。
んで、今回にUpするのは子供の頃にTV放映で怖々観た映画の、
「DRACULA : PRINCE OF DRAKNESS」1966年(邦題「凶人ドラキュラ」)

ですナ。
監督は、「テレンス・フィッシャー」
出演は、「クリストファー・リー」、「バーバラ・シェリー」、「アンドリュー・キア」、「フランシス・マシューズ」、「スーザン・ファーマー」、「チャールズ・ティングウェル」等など。

・・・東ヨーロッパに旅行に出た「チャールズ(フランシス・マシューズ)」と妻「ダイアナ(スーザン・ファーマー)」、「アラン(チャールズ・ティングウェル)」と妻「ヘレン(バーバラ・シェリー)」の4人は途中で偶然会った「シャンドア(アンドリュー・キア)」神父に「ドラキュラ(クリストファー・リー)」の領地カールスバッドにゃぁ行かない方がいいと忠告されたんですナ。
んでも一行は、何処からともなくやって来た御者のいない馬車に乗ると、彼等4人は豪奢な邸宅へ連れて行かれたんでゲス。
夜中に物音に目を覚ました「アラン」が地下に降りていくと、召使の「クローブ」が現れて「アラン」を刺殺しましたナ。
すると地下室に眠っていた「ドラキュラ」が「アラン」の生血の洗礼を受けて息を吹き返したんでゲス。
血に飢えた「ドラキュラ」は更に「ヘレン」に噛み付くと「ヘレン」も吸血鬼と化したんですナ。
「チャールズ」と「ダイアナ」は「シャンドア」神父の僧院へ逃げ込んだんだけど、神父は直ぐ2人と一緒に邸へ戻ったんでゲス。
「ヘレン」は心臓に杭を打ち込んで殺したんだけど、「ドラキュラ」はあくまで「ダイアナ」を狙うんでしたナ。
やがて「チャールズ」が「ドラキュラ」と格闘を始めると、神父が、
”吸血鬼は十字架と太陽と流水に弱い”
って事を思い出して・・・。

イギリスの「ハマー・プロ」社の制作による”「ドラキュラ」シリーズ”の第3作目で、「クリストファー・リー」演ずる吸血鬼「ドラキュラ」の第2作目になるでゲス。
第1作目の、
「DRACULA」1958年(邦題「吸血鬼ドラキュラ」)

から8年ぶりに制作されて、前作での宿敵の、
「ヴァン・ヘルシング」博士役の「ピーター・クッシング」

は出演していなくって、2人の競演は、
「DRACULA A.D.1972」1972年(邦題「ドラキュラ’72」)

迄待つ事になりますナ。









大好きな「ハマー・プロ」社の作品なんだけど、1度観たら、2度3度と観たいって程の作品じゃぁないでゲス。
”ソコ”が大変に惜しいんですナ。
今思うと出演メンツがイイので、もうチョイ試行を凝らしても良かったと思うのは俺だけでしょうかネ。
とは言え、子供の頃に観た時は”大変怖かった”ってな記憶があるのは否めないでゲス。
ってなところで、今回は以上ですナ。
んじゃぁ、又。









んで、コノ時期(夏)になると古い「ホラー映画」、「怪奇映画」ってのを昼夜関係なく放映していたものでしたナ。
最近じゃぁこういった映画番組も減ってしまって、こういった昔に制作された作品に触れる機会もメッキリ減ってしまったでゲス。
んで、今回にUpするのは子供の頃にTV放映で怖々観た映画の、
「DRACULA : PRINCE OF DRAKNESS」1966年(邦題「凶人ドラキュラ」)

ですナ。
監督は、「テレンス・フィッシャー」
出演は、「クリストファー・リー」、「バーバラ・シェリー」、「アンドリュー・キア」、「フランシス・マシューズ」、「スーザン・ファーマー」、「チャールズ・ティングウェル」等など。

・・・東ヨーロッパに旅行に出た「チャールズ(フランシス・マシューズ)」と妻「ダイアナ(スーザン・ファーマー)」、「アラン(チャールズ・ティングウェル)」と妻「ヘレン(バーバラ・シェリー)」の4人は途中で偶然会った「シャンドア(アンドリュー・キア)」神父に「ドラキュラ(クリストファー・リー)」の領地カールスバッドにゃぁ行かない方がいいと忠告されたんですナ。
んでも一行は、何処からともなくやって来た御者のいない馬車に乗ると、彼等4人は豪奢な邸宅へ連れて行かれたんでゲス。
夜中に物音に目を覚ました「アラン」が地下に降りていくと、召使の「クローブ」が現れて「アラン」を刺殺しましたナ。
すると地下室に眠っていた「ドラキュラ」が「アラン」の生血の洗礼を受けて息を吹き返したんでゲス。
血に飢えた「ドラキュラ」は更に「ヘレン」に噛み付くと「ヘレン」も吸血鬼と化したんですナ。
「チャールズ」と「ダイアナ」は「シャンドア」神父の僧院へ逃げ込んだんだけど、神父は直ぐ2人と一緒に邸へ戻ったんでゲス。
「ヘレン」は心臓に杭を打ち込んで殺したんだけど、「ドラキュラ」はあくまで「ダイアナ」を狙うんでしたナ。
やがて「チャールズ」が「ドラキュラ」と格闘を始めると、神父が、
”吸血鬼は十字架と太陽と流水に弱い”
って事を思い出して・・・。

イギリスの「ハマー・プロ」社の制作による”「ドラキュラ」シリーズ”の第3作目で、「クリストファー・リー」演ずる吸血鬼「ドラキュラ」の第2作目になるでゲス。
第1作目の、
「DRACULA」1958年(邦題「吸血鬼ドラキュラ」)

から8年ぶりに制作されて、前作での宿敵の、
「ヴァン・ヘルシング」博士役の「ピーター・クッシング」

は出演していなくって、2人の競演は、
「DRACULA A.D.1972」1972年(邦題「ドラキュラ’72」)

迄待つ事になりますナ。









大好きな「ハマー・プロ」社の作品なんだけど、1度観たら、2度3度と観たいって程の作品じゃぁないでゲス。
”ソコ”が大変に惜しいんですナ。
今思うと出演メンツがイイので、もうチョイ試行を凝らしても良かったと思うのは俺だけでしょうかネ。
とは言え、子供の頃に観た時は”大変怖かった”ってな記憶があるのは否めないでゲス。
ってなところで、今回は以上ですナ。
んじゃぁ、又。









2024年8月15日 9時35分48秒 (Thu)
「ロックンロール」の故郷 (パート6)
メンフィスで最も有名なレコード店で「ホーム・オブ・ザ・ブルーズ」ってのがありましたナ。

(右端「ホーム・オブ・ザ・ブルーズ」)
「ジョニー・キャッシュ」

がコノ店の事を唄っているでゲス。
「HOME OF THE BLUES」
あのネ、コノ「ホーム・オブ・ザ・・・」もレコード産業に参入してきましたナ。

”ソコ”へ、
”「ロックンロール」の故郷 パート3”
のところで登場した、
「ウィリー・ミッチェル」

が移籍してきてレコードをリリースしたんでゲス。
「I LIKE IT」
レコーディングは「ハイ・スタジオ」で行われて、コノ後「ハイ」レーベルに移籍して「ハイ」レーベルの中心人物となっていきますナ。
「サテライト」レーベルにも同じ様なホーンを中心とした、
「ザ・ロイヤル・フェーズ」

ってなグループがいたんでゲス。
「サテライト」レーベル出資者の息子がグループ・メンバーにいたって事でレコードをリリースする事になって、レコード・デビューにあたってグループ名を、
「ザ・マーキーズ」

って改めてデビュー曲は、
「LAST NIGHT」
1961年夏にリリースされて「ポップ・チャート」3位、「リズムンブルーズ・チャート」2位ってな前回Upした「ジー・ウィズ」を凌ぐ”超ウルトラ・ビッグ・ヒット”となりましたナ。
ヒットを契機にレコード・レーベル名を「サテライト」から「スタックス」に変えたんでゲス。

「サテライト」レーベル創立者の姉弟の「ジム・スチュアート」(JIM STEWART)の”ST”と「エステル・アクストン」(ESTELLE AXTON)の”AX”を合わせて「スタックス」レーベルとした訳ですナ。
先出のシングル盤「ラスト・ナイト」を新たに「スタックス」レーベル第1号として、更にスタジオも「スタックス・スタジオ」と名称も変更したんでゲス。


コノ後、1960年代のメンフィス・サウンドを「ハイ」レーベルと共に「スタックス」レーベルが作っていきますナ。
んで、”ナッシュヴィル詣”の様な各アーティストの”メンフィス詣”が始まるんでゲス。
そうそう、「ウィリー・ミッチェル」のバンドにいたベーシスト「ルーイ・スタインバーグ」とドラマー「アル・ジャクソン・Jr.」が脱退して、「ルーファス」&「カーラ」の「トーマス」親子の「コーズ・アイ・ラヴ・ユー」のバックでバリトン・サックスを吹いていた「ブッカー・T・ジョーンズ」、「ザ・マーキーズ」のギタリスト「スティーヴ・クロッパー」達が新しくバンドを組んで、
「ブッカー・T & ザ・MGズ」

(左から「ブッカー・T・ジョーンズ」、「スティーヴ・クロッパー」、「アル・ジャクソン・Jr.」、「ルーイ・スタインバーグ」)
になって、「スタックス」レーベル”お抱えバンド”、そしてレーベルのアーティストへの曲の提供、プロデュースを行って、次々と”名曲”をリリースしていく事になりますナ。
「GREEN ONIONS」
ソノ後のメンフィス事情は、又何かの機会があったらUpするでゲス。
6回続いた”「ロックンロール」の故郷”メンフィスの話、如何でしたでしょうか。
今回をもってオシマイでゲス。
では、コレにて。







(「スタックス・スタジオ」の前にて「エステル・アクストン」)




(右端「ホーム・オブ・ザ・ブルーズ」)
「ジョニー・キャッシュ」

がコノ店の事を唄っているでゲス。
「HOME OF THE BLUES」
あのネ、コノ「ホーム・オブ・ザ・・・」もレコード産業に参入してきましたナ。

”ソコ”へ、
”「ロックンロール」の故郷 パート3”
のところで登場した、
「ウィリー・ミッチェル」

が移籍してきてレコードをリリースしたんでゲス。
「I LIKE IT」
レコーディングは「ハイ・スタジオ」で行われて、コノ後「ハイ」レーベルに移籍して「ハイ」レーベルの中心人物となっていきますナ。
「サテライト」レーベルにも同じ様なホーンを中心とした、
「ザ・ロイヤル・フェーズ」

ってなグループがいたんでゲス。
「サテライト」レーベル出資者の息子がグループ・メンバーにいたって事でレコードをリリースする事になって、レコード・デビューにあたってグループ名を、
「ザ・マーキーズ」

って改めてデビュー曲は、
「LAST NIGHT」
1961年夏にリリースされて「ポップ・チャート」3位、「リズムンブルーズ・チャート」2位ってな前回Upした「ジー・ウィズ」を凌ぐ”超ウルトラ・ビッグ・ヒット”となりましたナ。
ヒットを契機にレコード・レーベル名を「サテライト」から「スタックス」に変えたんでゲス。

「サテライト」レーベル創立者の姉弟の「ジム・スチュアート」(JIM STEWART)の”ST”と「エステル・アクストン」(ESTELLE AXTON)の”AX”を合わせて「スタックス」レーベルとした訳ですナ。
先出のシングル盤「ラスト・ナイト」を新たに「スタックス」レーベル第1号として、更にスタジオも「スタックス・スタジオ」と名称も変更したんでゲス。


コノ後、1960年代のメンフィス・サウンドを「ハイ」レーベルと共に「スタックス」レーベルが作っていきますナ。
んで、”ナッシュヴィル詣”の様な各アーティストの”メンフィス詣”が始まるんでゲス。
そうそう、「ウィリー・ミッチェル」のバンドにいたベーシスト「ルーイ・スタインバーグ」とドラマー「アル・ジャクソン・Jr.」が脱退して、「ルーファス」&「カーラ」の「トーマス」親子の「コーズ・アイ・ラヴ・ユー」のバックでバリトン・サックスを吹いていた「ブッカー・T・ジョーンズ」、「ザ・マーキーズ」のギタリスト「スティーヴ・クロッパー」達が新しくバンドを組んで、
「ブッカー・T & ザ・MGズ」

(左から「ブッカー・T・ジョーンズ」、「スティーヴ・クロッパー」、「アル・ジャクソン・Jr.」、「ルーイ・スタインバーグ」)
になって、「スタックス」レーベル”お抱えバンド”、そしてレーベルのアーティストへの曲の提供、プロデュースを行って、次々と”名曲”をリリースしていく事になりますナ。
「GREEN ONIONS」
ソノ後のメンフィス事情は、又何かの機会があったらUpするでゲス。
6回続いた”「ロックンロール」の故郷”メンフィスの話、如何でしたでしょうか。
今回をもってオシマイでゲス。
では、コレにて。







(「スタックス・スタジオ」の前にて「エステル・アクストン」)



2024年8月14日 11時18分25秒 (Wed)
「ロックンロール」の故郷 (パート5)
前回は結果的に、
「ビル・ブラック」

の話ばかりになってしまったでゲス。
んで、メンフィスにゃぁ「サン」レーベルの成功で多くのレーベルが出来たって話は以前にUpしたでしょ。
「ファーンウッド」レーベル、「ハイ」レーベル、「ストンパー・タイム」レーベルとかサ。
続いて参入してきたのが、
「サテライト」レーベル

で、創立者は、
「ジム・スチュアート」&「エステル・アクストン」

ってな姉弟で、スタジオは最初自宅のガレージを改造して作ったみたいでゲス。
んで、最初にレコーディングは地元のDJが唄った曲で、
「BLUE ROSE」
(ノイズが多くってゴメンナサイ。)
創立者の「ジム・スチュアート」は経営のみで音楽的な実務を行っていたのは、
「チップス・モーマン」

で、彼は「サテライト」レーベルに来る前は、
「ドーシー・ブラザーズ」

のデモ作りを手伝ったり、
「ジーン・ヴィンセント」

のツアー・バンドのメンバーだったりと、色々な経験をしていましたナ。

(センターで唄っているのが「ジーン・ヴィンセント」、直ぐ右のギターが「チップス・モーマン」)
「サテライト」レーベルの第4弾シングルは「チップス・モーマン」が作曲した、
「FOOL IN LOVE」
で、演っていたのは、
「ザ・ヴェルトーンズ」

でゲス。
実は「ザ・ヴェルトーンズ」は以前に「サン」レーベルでコノ曲をレコーディングしていたんだけどリリースしてもらえなかったので「サテライト」レーベルにやって来て再レコーディングしたんだそうですナ。
エッと、コノ頃かなぁ、「ハイ」レーベルと同じ様に「サテライト」レーベルも古い映画館を借りて新しいレコーディング・スタジオにする事にしたんでゲス。
新スタジオが出来て最初に契約したのは、コレ又地元のDJで人気者の、
「ルーファス・トーマス」

でしたナ。
「ルーファス・トーマス」は1953年に「サン」レーベルから、
「BEAR CAT」
ってな曲をリリースしていたでゲス。
聴いてもらったら判るでしょ、「ハウンド・ドッグ」のアンサー・ソングで「リズムンブルーズ・チャート」3位の大ヒットでしたナ。
んで、「ルーファス・トーマス」にゃぁ当時17才の娘の、
「カーラ・トーマス」

がいて、親子デュエットが企画されてレコーディングした曲が、
「CAUSE I LOVE YOU」
バリトン・サックスを吹いていたのは若き日の、
「ブッカー・T・ジョーンズ」

でゲス。
コノ曲はニューオリンズの、
「ジェシー・ヒル」

の、
「OOH POO PAH DOO」
を下敷きにして作ったんだけど「アトランティック」レーベルの、
「ジェリー・ウェクスラー」

が気に入って「アトコ」レーベルから正式にリリースされたでゲス。

続いて、娘の「カーラ・トーマス」が自作のソロ・シングル盤の、
「GEE WHIZ (Look At This Eyes)」
をリリースしたところ「ポップ・チャート」10位、「リズムンブルーズ・チャート」5位の大ヒットでしたナ。
10代の女の子の気持ちを切々と歌い上げた曲だったんだけど、「カーラ」はハイスクール在学中で、曲の大ヒットで学校中は大騒ぎになったという話でゲス。
「アトランティック」レーベルからのリリースだったんだけど、制作は「サテライト」レーベルで、レーベル創設以来の初ナショナル・ヒットで、「サン」レーベル、「ファーンウッド」レーベル、「ハイ」レーベルに続いて「サテライト」レーベルがメンフィス・サウンドをチャートに送り込んだ4番目のレーベルとなった訳ですナ。
今回はココ迄でゲス。
恐らく次回が”ロックンロールの故郷シリーズ”の最終回になるんじゃぁないかと思いますヨ。
では、次回をお楽しみに。


(「カーラ」&「ルーファス」親子)
「ビル・ブラック」

の話ばかりになってしまったでゲス。
んで、メンフィスにゃぁ「サン」レーベルの成功で多くのレーベルが出来たって話は以前にUpしたでしょ。
「ファーンウッド」レーベル、「ハイ」レーベル、「ストンパー・タイム」レーベルとかサ。
続いて参入してきたのが、
「サテライト」レーベル

で、創立者は、
「ジム・スチュアート」&「エステル・アクストン」

ってな姉弟で、スタジオは最初自宅のガレージを改造して作ったみたいでゲス。
んで、最初にレコーディングは地元のDJが唄った曲で、
「BLUE ROSE」
(ノイズが多くってゴメンナサイ。)
創立者の「ジム・スチュアート」は経営のみで音楽的な実務を行っていたのは、
「チップス・モーマン」

で、彼は「サテライト」レーベルに来る前は、
「ドーシー・ブラザーズ」

のデモ作りを手伝ったり、
「ジーン・ヴィンセント」

のツアー・バンドのメンバーだったりと、色々な経験をしていましたナ。

(センターで唄っているのが「ジーン・ヴィンセント」、直ぐ右のギターが「チップス・モーマン」)
「サテライト」レーベルの第4弾シングルは「チップス・モーマン」が作曲した、
「FOOL IN LOVE」
で、演っていたのは、
「ザ・ヴェルトーンズ」

でゲス。
実は「ザ・ヴェルトーンズ」は以前に「サン」レーベルでコノ曲をレコーディングしていたんだけどリリースしてもらえなかったので「サテライト」レーベルにやって来て再レコーディングしたんだそうですナ。
エッと、コノ頃かなぁ、「ハイ」レーベルと同じ様に「サテライト」レーベルも古い映画館を借りて新しいレコーディング・スタジオにする事にしたんでゲス。
新スタジオが出来て最初に契約したのは、コレ又地元のDJで人気者の、
「ルーファス・トーマス」

でしたナ。
「ルーファス・トーマス」は1953年に「サン」レーベルから、
「BEAR CAT」
ってな曲をリリースしていたでゲス。
聴いてもらったら判るでしょ、「ハウンド・ドッグ」のアンサー・ソングで「リズムンブルーズ・チャート」3位の大ヒットでしたナ。
んで、「ルーファス・トーマス」にゃぁ当時17才の娘の、
「カーラ・トーマス」

がいて、親子デュエットが企画されてレコーディングした曲が、
「CAUSE I LOVE YOU」
バリトン・サックスを吹いていたのは若き日の、
「ブッカー・T・ジョーンズ」

でゲス。
コノ曲はニューオリンズの、
「ジェシー・ヒル」

の、
「OOH POO PAH DOO」
を下敷きにして作ったんだけど「アトランティック」レーベルの、
「ジェリー・ウェクスラー」

が気に入って「アトコ」レーベルから正式にリリースされたでゲス。

続いて、娘の「カーラ・トーマス」が自作のソロ・シングル盤の、
「GEE WHIZ (Look At This Eyes)」
をリリースしたところ「ポップ・チャート」10位、「リズムンブルーズ・チャート」5位の大ヒットでしたナ。
10代の女の子の気持ちを切々と歌い上げた曲だったんだけど、「カーラ」はハイスクール在学中で、曲の大ヒットで学校中は大騒ぎになったという話でゲス。
「アトランティック」レーベルからのリリースだったんだけど、制作は「サテライト」レーベルで、レーベル創設以来の初ナショナル・ヒットで、「サン」レーベル、「ファーンウッド」レーベル、「ハイ」レーベルに続いて「サテライト」レーベルがメンフィス・サウンドをチャートに送り込んだ4番目のレーベルとなった訳ですナ。
今回はココ迄でゲス。
恐らく次回が”ロックンロールの故郷シリーズ”の最終回になるんじゃぁないかと思いますヨ。
では、次回をお楽しみに。


(「カーラ」&「ルーファス」親子)
2024年8月13日 8時32分28秒 (Tue)
「ロックンロール」の故郷 (パート4)
前回は「エルヴィス」のバックでベースを担当していた、
「ビル・ブラック」

が、同じくバックでギターを担当していた「スコッティ・ムーア」に刺激されて自分のバンドを結成したくなって「サン」レーベル時代の同僚で「ハイ」レーベル社長の「レイ・ハリス」へ相談に行ったってところ迄でしたナ。
んで、バンドを作る事になって早速メンフィス中のミュージシャンを物色してバンドを編成したんでゲス。
ギターは前回Upした「エディ・ボンド」のバックで弾いていた、
「レジー・ヤング」

ドラムは「エディ・アーノルド」の甥の「ジェリー・アーノルド」(当時同名のシンガーがいたんだけど別人?)等の若者を集めて、
「ビル・ブラックス・コンボ」

としてレコードをリリースしましたナ。
「SMOKIE−Part2」
1960年1月からヒットし始めて「ポップ・チャート」で18位、「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ、ナント1位!!!!!
メンフィス生まれのインスト曲としちゃぁ「ロンチー」に続く歴史的な大ヒットが「ハイ」レーベルから出たんでゲス。
んが、デビュー・ヒットの直後にメンバー交代が起こって、ピアノが前々回に登場した、
「カール・マクヴォイ」

サックスに、
「エース・キャノン」

が加わりましたナ。

(左から「ビル・ブラック」、「カール・マクヴォイ」、「エース・キャノン」、「チップス・モーマン」、「ジェリー・アーノルド」)
メンバー・チェンジを行った「ビル・ブラックス・コンボ」(2ndハード)はハモンド・オルガンをフューチャーした第2弾シングルをリリースしたんでゲス。
「WHITE SLVER SANDS」
「ポップ・チャート」9位、「リズムンブルーズ・チャート」1位ってな、前作を上回る大ヒットでしたナ。
もうこうなると”押せ押せ”でゲス。
昔取った杵柄、「エルヴィス」ナンバーを取り上げましたナ。
「DON’T BE CRUEL」(邦題「冷たくしないで」)
「ポップ・チャート」11位、「リズムンブルーズ・チャート」9位と大ヒットでゲス。
勢いに乗じてメンバーのサックス・プレイヤー「エース・キャノン」のソロ・シングル迄リリースする事になりましたナ。
「TUFF」
コノ曲も「ポップ・チャート」17位、「リズムンブルーズ・チャート」3位の大ヒットでゲス。
凄いなぁ、何とも「ビル・ブラックス・・・」の勢いってサ。
ところで、「エース・キャノン」ってのは、実は以前に「サン」レーベルで、
「ビル・ジャスティス」

のバックを演っていたんですナ。
俺ネ、「ビル・ジャスティス」ってサックスだけ演ってたと思っていたんだけど、”鍵盤”も演るそうで、ソノ際のサックスが「エース・キャノン」だったみたいでゲス。
「CATTYWAMPUS」
ガッハッハ・・・、先出の「タフ」は”コレ”の焼き直しだったんですナ。
「ビル・ブラックス・コンボ」がデビューする前のレコーディング曲なので、「ビル・ブラックス・・・」もサウンドの原点は”「サン」サウンド”なんですネ。
んでも、「タフ」はスロー・テンポにアレンジしたところが”ミソ”でゲス。
1955年~60年にかけてアメリカン・ポップス史上最多のロック・インスト・バンドが登場して、ソノ中でも「ビル・ブラックス・・・」はトップ・クラスのバンドでしたナ。
ってなところで今回はココ迄でゲス。
では、では。



「ビル・ブラック」

が、同じくバックでギターを担当していた「スコッティ・ムーア」に刺激されて自分のバンドを結成したくなって「サン」レーベル時代の同僚で「ハイ」レーベル社長の「レイ・ハリス」へ相談に行ったってところ迄でしたナ。
んで、バンドを作る事になって早速メンフィス中のミュージシャンを物色してバンドを編成したんでゲス。
ギターは前回Upした「エディ・ボンド」のバックで弾いていた、
「レジー・ヤング」

ドラムは「エディ・アーノルド」の甥の「ジェリー・アーノルド」(当時同名のシンガーがいたんだけど別人?)等の若者を集めて、
「ビル・ブラックス・コンボ」

としてレコードをリリースしましたナ。
「SMOKIE−Part2」
1960年1月からヒットし始めて「ポップ・チャート」で18位、「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ、ナント1位!!!!!
メンフィス生まれのインスト曲としちゃぁ「ロンチー」に続く歴史的な大ヒットが「ハイ」レーベルから出たんでゲス。
んが、デビュー・ヒットの直後にメンバー交代が起こって、ピアノが前々回に登場した、
「カール・マクヴォイ」

サックスに、
「エース・キャノン」

が加わりましたナ。

(左から「ビル・ブラック」、「カール・マクヴォイ」、「エース・キャノン」、「チップス・モーマン」、「ジェリー・アーノルド」)
メンバー・チェンジを行った「ビル・ブラックス・コンボ」(2ndハード)はハモンド・オルガンをフューチャーした第2弾シングルをリリースしたんでゲス。
「WHITE SLVER SANDS」
「ポップ・チャート」9位、「リズムンブルーズ・チャート」1位ってな、前作を上回る大ヒットでしたナ。
もうこうなると”押せ押せ”でゲス。
昔取った杵柄、「エルヴィス」ナンバーを取り上げましたナ。
「DON’T BE CRUEL」(邦題「冷たくしないで」)
「ポップ・チャート」11位、「リズムンブルーズ・チャート」9位と大ヒットでゲス。
勢いに乗じてメンバーのサックス・プレイヤー「エース・キャノン」のソロ・シングル迄リリースする事になりましたナ。
「TUFF」
コノ曲も「ポップ・チャート」17位、「リズムンブルーズ・チャート」3位の大ヒットでゲス。
凄いなぁ、何とも「ビル・ブラックス・・・」の勢いってサ。
ところで、「エース・キャノン」ってのは、実は以前に「サン」レーベルで、
「ビル・ジャスティス」

のバックを演っていたんですナ。
俺ネ、「ビル・ジャスティス」ってサックスだけ演ってたと思っていたんだけど、”鍵盤”も演るそうで、ソノ際のサックスが「エース・キャノン」だったみたいでゲス。
「CATTYWAMPUS」
ガッハッハ・・・、先出の「タフ」は”コレ”の焼き直しだったんですナ。
「ビル・ブラックス・コンボ」がデビューする前のレコーディング曲なので、「ビル・ブラックス・・・」もサウンドの原点は”「サン」サウンド”なんですネ。
んでも、「タフ」はスロー・テンポにアレンジしたところが”ミソ”でゲス。
1955年~60年にかけてアメリカン・ポップス史上最多のロック・インスト・バンドが登場して、ソノ中でも「ビル・ブラックス・・・」はトップ・クラスのバンドでしたナ。
ってなところで今回はココ迄でゲス。
では、では。



プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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