2024年9月 アーカイブ
2024年9月29日 2時41分38秒 (Sun)
”コーラス”モノ (パート3)
何故かこんな時間に目が覚めてしまって寝れなくなってしまったでゲス。
なので眠たくなったら止めますがソレ迄コチラをUpしようと思いますナ。
んじゃぁ始めますネ。
ニューヨークに話は戻って、
「GEE」
「ザ・クロウズ」の「ジー」、「ザ・コーズ」の「シュ・ブーム」、そして「ザ・ティーンネイジャーズ」と彼等は皆ニューヨークのグループで、1950年代ニューヨークじゃぁコレ等のヒットで、
”空前のコーラス・グループ・ブーム”
が起きたんでゲス。
んで、小さなレコード・レーベルが色々と出来ましたナ。
そんな中から幾つか紹介しようと思うでゲス。
先ずは、
「ブルース」レーベル

からデビューした、
「ザ・ハープ・トーンズ」

「SUNDAY KIND OF LOVE」
1953年にリリースされたスタンダード・ナンバーのカヴァー曲なんだけど、彼等もニューヨークのハーレム出身で、選曲も良く実力もあった素晴らしいグループですナ。
当時はこういったグループがハーレム近辺に沢山いて、彼等は公園を練習場所にしていたそうなんでゲス。
んで、「ザ・ハープ・トーンズ」が公園に練習に来るとソレ迄練習していた他のグループがコソコソと逃げ出すっていうくらいに非常に上手いグループでしたナ。
只、レーベルの宣伝力の問題もあってヒット曲が無いんでゲス。
ニューヨークで最初に”黒人専門”のビジネスを始めたって言われているのが、
「ボビー・ロビンソン」

で、「アポロ・シアター」の近くのハーレム125番街で1946年からレコード店を経営してましたナ。
んで、1950年代初頭にレコード・レーベルを立ち上げてリリースしたのが、
「WHERE ARE YOU (NOW THAT I NEED YOU)」
で、1951年に、
「ザ・メロー・ムーズ」

ってな12歳から16歳の5人組が演っていて、彼等がニューヨークにおける最初の”ティーンエイジャー・グループ”だったと言われているでゲス。
同じ「レッド・ロビン」レーベルの、
「ザ・スカーレッツ」

の、
「DEAR ONE」
で、彼等はコネチカット州ニューヘヴン出身で、コノ曲を書いたのがリーダーの「フレッド・パリス」で、次に結成したグループが、
「ザ・ファイヴ・サテンズ」

ですナ。
「IN THE STILL OF THE NIGHT」
1956年「リズムンブルーズ・チャート」3位になる大ヒットでゲス。
バック・コーラスの、
「シュルン・シュ・ビ・ドゥ・・・。」
が印象的なんだけど、”コレ”のヒントになったのが前年の55年にリリースされた、
「ザ・ハーツ」

の、
「LONELY NIGHTS」
のサックスのフレーズだったと作者の「フレッド・パリス」が語っていますナ。
あのネ、「ザ・ファイヴ・サテンズ」っていったら、

ってなレコード・ジャケットを思い浮かべる人も多いと思うんだけど、コノ写真にリーダーの「フレッド・パリス」が写ってないんでゲス。
何故か?
理由は、先出の「イン・ザ・スティル・・・」がヒットしてアルバムがリリースした時「フレッド」は兵役に就いていたんですナ。
そんな理由からでしたヨ。
俺ネ、「ザ・ファイヴ・サテンズ」じゃぁ、
「SHE’S GONE(WITH THE WIND)」
が1等賞に大好きでゲス。
あっ、先出の「ザ・ハーツ」はニューヨークのブロンクス出身で、リリースされた、
「バトン」レーベル

もニューヨークのレーベルで、最初のヒット曲は、
「ザ・リヴィリアーズ」

の、
「A THOUSAND STARS」
1953年にリリースして、リード・ヴォーカルの「ジーン・ピアソン」の作品ですナ。
ニューヨークのクイーンズのジャマイカ地区で結成されたグループでゲス。
俺サ、コノ曲は、
「キャシー・ヤング」

のヴァージョンで知ったので、てっきり「キャシー」がオリジナルだと思っていたなぁ。
だって1960年「ポップ・チャート」3位、「リズムンブルーズ・チャート」6位の大ヒットだったもんネ。
エッと、コノ様にニューヨークじゃぁマンハッタンだけじゃぁなくって、ブロンクス、ブルックリン、クイーンズと各地区に沢山のグループがいたんでゲス。
クイーンズのジャマイカ地区っていったら、
「ザ・ハートビーツ」

もそうですナ。
「A THOUSAND MILES AWAY」
1956年「リズムンブルーズ・チャート」5位迄上がった大ヒット曲でゲス。
こういったクイーンズのジャマイカ地区のグループは、
”サウス・ジャマイカ・プロジェクト”
なんて呼ばれていて、
「ザ・クレフトーンズ」

もコノ地区出身でしたナ。
「LITTLE GIRL OF MINE」
1956年「リズムンブルーズ・チャート」8位でゲス。
ん? 何か違うけど、聴いた事が・・・。
アッ、”コレ”ですナ。
「LET’S TURKEY TROT」
「リトル・イーヴァ」

で、作者の、
「キャロル・キング」

が「リトル・ガール・・・」から拝借して作っちゃった曲ですナ。
「リトル・イーヴァ」、「キャロル・キング」っていったら何と言っても”コレ”ですネ。
「THE LOCO−MOTION」

(左から「アル・ネヴィンズ」、「キャロル・キング」、「リトル・イーヴァ」、「ジェリー・ゴフィン」、「ドン・カーシュナー」)
やっと眠たくなってきたでゲス。
明日?(今日ですネ。)も朝早くから仕事なので、今回はココ迄にしますヨ。
んじゃぁ、おやすみなさい。





なので眠たくなったら止めますがソレ迄コチラをUpしようと思いますナ。
んじゃぁ始めますネ。
ニューヨークに話は戻って、
「GEE」
「ザ・クロウズ」の「ジー」、「ザ・コーズ」の「シュ・ブーム」、そして「ザ・ティーンネイジャーズ」と彼等は皆ニューヨークのグループで、1950年代ニューヨークじゃぁコレ等のヒットで、
”空前のコーラス・グループ・ブーム”
が起きたんでゲス。
んで、小さなレコード・レーベルが色々と出来ましたナ。
そんな中から幾つか紹介しようと思うでゲス。
先ずは、
「ブルース」レーベル

からデビューした、
「ザ・ハープ・トーンズ」

「SUNDAY KIND OF LOVE」
1953年にリリースされたスタンダード・ナンバーのカヴァー曲なんだけど、彼等もニューヨークのハーレム出身で、選曲も良く実力もあった素晴らしいグループですナ。
当時はこういったグループがハーレム近辺に沢山いて、彼等は公園を練習場所にしていたそうなんでゲス。
んで、「ザ・ハープ・トーンズ」が公園に練習に来るとソレ迄練習していた他のグループがコソコソと逃げ出すっていうくらいに非常に上手いグループでしたナ。
只、レーベルの宣伝力の問題もあってヒット曲が無いんでゲス。
ニューヨークで最初に”黒人専門”のビジネスを始めたって言われているのが、
「ボビー・ロビンソン」

で、「アポロ・シアター」の近くのハーレム125番街で1946年からレコード店を経営してましたナ。
んで、1950年代初頭にレコード・レーベルを立ち上げてリリースしたのが、
「WHERE ARE YOU (NOW THAT I NEED YOU)」
で、1951年に、
「ザ・メロー・ムーズ」

ってな12歳から16歳の5人組が演っていて、彼等がニューヨークにおける最初の”ティーンエイジャー・グループ”だったと言われているでゲス。
同じ「レッド・ロビン」レーベルの、
「ザ・スカーレッツ」

の、
「DEAR ONE」
で、彼等はコネチカット州ニューヘヴン出身で、コノ曲を書いたのがリーダーの「フレッド・パリス」で、次に結成したグループが、
「ザ・ファイヴ・サテンズ」

ですナ。
「IN THE STILL OF THE NIGHT」
1956年「リズムンブルーズ・チャート」3位になる大ヒットでゲス。
バック・コーラスの、
「シュルン・シュ・ビ・ドゥ・・・。」
が印象的なんだけど、”コレ”のヒントになったのが前年の55年にリリースされた、
「ザ・ハーツ」

の、
「LONELY NIGHTS」
のサックスのフレーズだったと作者の「フレッド・パリス」が語っていますナ。
あのネ、「ザ・ファイヴ・サテンズ」っていったら、

ってなレコード・ジャケットを思い浮かべる人も多いと思うんだけど、コノ写真にリーダーの「フレッド・パリス」が写ってないんでゲス。
何故か?
理由は、先出の「イン・ザ・スティル・・・」がヒットしてアルバムがリリースした時「フレッド」は兵役に就いていたんですナ。
そんな理由からでしたヨ。
俺ネ、「ザ・ファイヴ・サテンズ」じゃぁ、
「SHE’S GONE(WITH THE WIND)」
が1等賞に大好きでゲス。
あっ、先出の「ザ・ハーツ」はニューヨークのブロンクス出身で、リリースされた、
「バトン」レーベル

もニューヨークのレーベルで、最初のヒット曲は、
「ザ・リヴィリアーズ」

の、
「A THOUSAND STARS」
1953年にリリースして、リード・ヴォーカルの「ジーン・ピアソン」の作品ですナ。
ニューヨークのクイーンズのジャマイカ地区で結成されたグループでゲス。
俺サ、コノ曲は、
「キャシー・ヤング」

のヴァージョンで知ったので、てっきり「キャシー」がオリジナルだと思っていたなぁ。
だって1960年「ポップ・チャート」3位、「リズムンブルーズ・チャート」6位の大ヒットだったもんネ。
エッと、コノ様にニューヨークじゃぁマンハッタンだけじゃぁなくって、ブロンクス、ブルックリン、クイーンズと各地区に沢山のグループがいたんでゲス。
クイーンズのジャマイカ地区っていったら、
「ザ・ハートビーツ」

もそうですナ。
「A THOUSAND MILES AWAY」
1956年「リズムンブルーズ・チャート」5位迄上がった大ヒット曲でゲス。
こういったクイーンズのジャマイカ地区のグループは、
”サウス・ジャマイカ・プロジェクト”
なんて呼ばれていて、
「ザ・クレフトーンズ」

もコノ地区出身でしたナ。
「LITTLE GIRL OF MINE」
1956年「リズムンブルーズ・チャート」8位でゲス。
ん? 何か違うけど、聴いた事が・・・。
アッ、”コレ”ですナ。
「LET’S TURKEY TROT」
「リトル・イーヴァ」

で、作者の、
「キャロル・キング」

が「リトル・ガール・・・」から拝借して作っちゃった曲ですナ。
「リトル・イーヴァ」、「キャロル・キング」っていったら何と言っても”コレ”ですネ。
「THE LOCO−MOTION」

(左から「アル・ネヴィンズ」、「キャロル・キング」、「リトル・イーヴァ」、「ジェリー・ゴフィン」、「ドン・カーシュナー」)
やっと眠たくなってきたでゲス。
明日?(今日ですネ。)も朝早くから仕事なので、今回はココ迄にしますヨ。
んじゃぁ、おやすみなさい。






2024年9月21日 9時58分33秒 (Sat)
”コーラス”モノ (パート2)
前回の続きでゲス。
今回最初に登場するのは大好きなグループの、
「ザ・ファイヴ・キーズ」

の、
「THE GLORY OF LOVE」
1951年「リズムンブルーズ・チャート」4週1位の大ヒット曲からですヨ。
彼等はヴァージニア州ニューポート・ニューズのグループなんだけどコノ曲はニューヨークでのレコーディングでゲス。
「DARLING」
タマランですナ。
先出の2曲は、
「アラジン」レーベル

で、ソノ後に、
「キャピトル」レーベル

に移籍して、マニアの間じゃぁ、
「ザ・ファイヴ・キーズはアラジン時代じゃぁないとネ。 キャピトル時代はアカン。」
なんて事を言っているみたいなんだけど、俺は「キャピトル」レーベルの頃の曲も大好きでゲス。
「VERDICT」
イイなぁ。
1940年代後半に「ザ・センチメンタル・フォー」ってな名前で「ルディ・ウエスト」、「バーニー・ウエスト」、「リプリー・イングラム」、「ラファエル・イングラム」の2組の兄弟で結成されて、1949年に「ラファエル」が脱退して「メリーランド・ピアース」と「トーマス”ディッキー”スレッド」が加入して、コノ時点でグループ名を「ザ・ファイヴ・キーズ」に変更したんでゲス。
「ザ・ファイヴ・・・」にゃぁ「ルディ・ウエスト」と「メリーランド・ピアース」ってな素晴らしいシンガーがいた事で本当にイイ曲が多いので大好きなんだなぁ。
続いての登場は、
「ザ・クローヴァーズ」

の、
「DON’T YOU KNOW I LOVE YOU」
「アトランティック」レーベル社長の、
「アーメット・アーティガン」

の作曲でコノ曲も1951年「リズムンブルーズ・チャート」で1位を獲得したでゲス。
「ザ・クローヴァーズ」ってのは1950年にワシントンDCからニューヨークやって来て、
「ザ・ドリフターズ」

そして少し後に加入してくる、
「ザ・コースターズ」

と共に初期の「アトランティック」レーベルを盛り上げていったグループですナ。
「ザ・クローヴァーズ」ねぇ、イイ曲が多いグループで、
「LOVEY DOVEY」
「DEVIL OR ANGEL」
ソレと「アトランティック」レーベルから1958年に「ポプラ」レーベルに移籍して翌59年「ポプラ」レーベルが、
「ユナイテット・アーティスツ」レーベル

に買収されて、同年7月に初「UA」レコーディング・セッションの為にリード・ヴォーカルの「ビリー・ミッチェル」を迎えてスタジオ入りして出来た曲が、
「LOVE POTION No.9」
で、1959年11月「リズムンブルーズ・チャート」23位のヒットでゲス。
さぁ、次はシカゴの大御所グループの、
「ザ・ムーングロウズ」

で、
「SINCERELY」
ですナ。
「ジ・インク・スポッツ」

の「チャーリー・フークァ」の甥「ハーヴィ・フークァ」が「プレンティス・バーンズ」、「ダニー・コギンス」と3人で「ザ・クレイジー・サウンズ」ってなグループを1951年に結成して、「ボビー・レスター」が後に加わって翌52年にクリーブランドのクラブで活動をしていたらDJの、
「アラン・フリード」

の目に止まってグループのマネージャーになって、グループ名も「ザ・ムーングロウズ」と改名して「ダニー・コギンス」が脱退して「ピート・グレイヴス」とギターの「ボビー・ジョンソン」が加入して「アラン・フリード」が立ち上げた「シャンペーン」レーベルからデビューするんだけど全く売れず、次に移籍した「チャンス」レーベルも倒産しちゃって1954年に、
「チェス」レーベル

と契約して第1弾シングル盤が先出の「シンシアリー」でゲス。
1955年「リズムンブルーズ・チャート」1位の大ヒットになって「ザ・ムーングロウズ」は全米に知れ渡る事となりますナ。
俺が「ザ・ムーングロウズ」で1番好きな曲は、
「I KNEW FROM THE START」
でゲス。
前回登場した、
「ザ・フラミンゴス」

も1955年に「チェス」レーベルに移籍してきて、
「I’LL BE HOME」
を1956年「リズムンブルーズ・チャート」5位の大ヒットだったんだけど、コノ曲は、
「パット・ブーン」

のヴァージョンの方が有名ですナ。
然しさぁ、「ザ・フラミンゴス」のヴァージョンって”エコー”が凄いでしょ。
勿論、曲にゃぁピッタリなんだけど、とは言え実音とエコーとのバランスがネ。
思い切ったもんだと思うでゲス。
んで、”コノ”エコーが?
恐らく「エルヴィス」の「サン」レーベルの頃と、「ジーン・ヴィンセント」の1956年に「ブラッドリー・スタジオ」でレコーディングした時に使用した”フィードバック・エコー”だと思うんだけど、はたして当時「チェス」レーベルのスタジオにエコー・マシーンがあったのか疑問で、謎なんですヨ。
んで、「ザ・ムーングロウズ」と「ザ・フラミンゴス」がコノ時点での「チェス」レーベルのコーラス・グループの”2枚看板”となりましたナ。
2グループ共「チェス」レーベルに移籍する前にゃぁ「チャンス」レーベルに在籍していた事は先にUpしたでしょ。
ソノ「チャンス」レーベルに残っていたグループが、
「ザ・スパニエルス」

で、インディアナ州ゲイリー出身で、ゲイリーの街に「ヴィヴィアン」と「ジェームズ」ってな夫婦がいたんでゲス。

(左から「ヴィヴィアン」、「ジェームズ・ブラッケン」夫妻、「エワート・アブナー」)
夫妻はレコード店を経営していて、1953年にレコード・レーベルを立ち上げるんですナ。
んで、レーベル名を2人の頭文字「ヴィヴィアン」の”Ⅴ”、「ジェームズ」の”J”から、
「ヴィー・ジェイ」レーベル

で、先程倒産したってUpした「チャンス」レーベルを吸収合併して沢山のアーティスト達が「ヴィー・ジェイ」レーベルに移籍して来たんでゲス。
んで、「ザ・スパニエルス」も「ヴィー・ジェイ」レーベルに移籍してヒットをかっ飛ばすんですナ。
「GOODNIGHT SWEETHEART, GOODNIGHT」
1954年「リズムンブルーズ・チャート」5位の大ヒットでゲス。
俺ネ、「ザ・スパニエルス」だともう1曲好きなのがあって、
「YOU GAVE ME PEACE OF MIND」
そもそもコノ曲を知ったのは、
「ジーン・ヴィンセント」

の4thアルバムの、

に収録されていたヴァージョンでしたナ。
さて続いては、同じく「ヴィー・ジェイ」レーベルの、
「ジ・エルドラドス」

「AT MY FRONT DOOR」
1955年「リズムンブルーズ・チャート」1位の超大ヒット!!!!!
こういったヒット曲の連発で「ヴィー・ジェイ」レーベルはシカゴの「リズムンブルーズ」界じゃぁ「チェス」レーベルに次ぐレーベルへと成長していったんでゲス。
今回はココ迄ですナ。
んじゃぁ、次回迄。
では、では。







今回最初に登場するのは大好きなグループの、
「ザ・ファイヴ・キーズ」

の、
「THE GLORY OF LOVE」
1951年「リズムンブルーズ・チャート」4週1位の大ヒット曲からですヨ。
彼等はヴァージニア州ニューポート・ニューズのグループなんだけどコノ曲はニューヨークでのレコーディングでゲス。
「DARLING」
タマランですナ。
先出の2曲は、
「アラジン」レーベル

で、ソノ後に、
「キャピトル」レーベル

に移籍して、マニアの間じゃぁ、
「ザ・ファイヴ・キーズはアラジン時代じゃぁないとネ。 キャピトル時代はアカン。」
なんて事を言っているみたいなんだけど、俺は「キャピトル」レーベルの頃の曲も大好きでゲス。
「VERDICT」
イイなぁ。
1940年代後半に「ザ・センチメンタル・フォー」ってな名前で「ルディ・ウエスト」、「バーニー・ウエスト」、「リプリー・イングラム」、「ラファエル・イングラム」の2組の兄弟で結成されて、1949年に「ラファエル」が脱退して「メリーランド・ピアース」と「トーマス”ディッキー”スレッド」が加入して、コノ時点でグループ名を「ザ・ファイヴ・キーズ」に変更したんでゲス。
「ザ・ファイヴ・・・」にゃぁ「ルディ・ウエスト」と「メリーランド・ピアース」ってな素晴らしいシンガーがいた事で本当にイイ曲が多いので大好きなんだなぁ。
続いての登場は、
「ザ・クローヴァーズ」

の、
「DON’T YOU KNOW I LOVE YOU」
「アトランティック」レーベル社長の、
「アーメット・アーティガン」

の作曲でコノ曲も1951年「リズムンブルーズ・チャート」で1位を獲得したでゲス。
「ザ・クローヴァーズ」ってのは1950年にワシントンDCからニューヨークやって来て、
「ザ・ドリフターズ」

そして少し後に加入してくる、
「ザ・コースターズ」

と共に初期の「アトランティック」レーベルを盛り上げていったグループですナ。
「ザ・クローヴァーズ」ねぇ、イイ曲が多いグループで、
「LOVEY DOVEY」
「DEVIL OR ANGEL」
ソレと「アトランティック」レーベルから1958年に「ポプラ」レーベルに移籍して翌59年「ポプラ」レーベルが、
「ユナイテット・アーティスツ」レーベル

に買収されて、同年7月に初「UA」レコーディング・セッションの為にリード・ヴォーカルの「ビリー・ミッチェル」を迎えてスタジオ入りして出来た曲が、
「LOVE POTION No.9」
で、1959年11月「リズムンブルーズ・チャート」23位のヒットでゲス。
さぁ、次はシカゴの大御所グループの、
「ザ・ムーングロウズ」

で、
「SINCERELY」
ですナ。
「ジ・インク・スポッツ」

の「チャーリー・フークァ」の甥「ハーヴィ・フークァ」が「プレンティス・バーンズ」、「ダニー・コギンス」と3人で「ザ・クレイジー・サウンズ」ってなグループを1951年に結成して、「ボビー・レスター」が後に加わって翌52年にクリーブランドのクラブで活動をしていたらDJの、
「アラン・フリード」

の目に止まってグループのマネージャーになって、グループ名も「ザ・ムーングロウズ」と改名して「ダニー・コギンス」が脱退して「ピート・グレイヴス」とギターの「ボビー・ジョンソン」が加入して「アラン・フリード」が立ち上げた「シャンペーン」レーベルからデビューするんだけど全く売れず、次に移籍した「チャンス」レーベルも倒産しちゃって1954年に、
「チェス」レーベル

と契約して第1弾シングル盤が先出の「シンシアリー」でゲス。
1955年「リズムンブルーズ・チャート」1位の大ヒットになって「ザ・ムーングロウズ」は全米に知れ渡る事となりますナ。
俺が「ザ・ムーングロウズ」で1番好きな曲は、
「I KNEW FROM THE START」
でゲス。
前回登場した、
「ザ・フラミンゴス」

も1955年に「チェス」レーベルに移籍してきて、
「I’LL BE HOME」
を1956年「リズムンブルーズ・チャート」5位の大ヒットだったんだけど、コノ曲は、
「パット・ブーン」

のヴァージョンの方が有名ですナ。
然しさぁ、「ザ・フラミンゴス」のヴァージョンって”エコー”が凄いでしょ。
勿論、曲にゃぁピッタリなんだけど、とは言え実音とエコーとのバランスがネ。
思い切ったもんだと思うでゲス。
んで、”コノ”エコーが?
恐らく「エルヴィス」の「サン」レーベルの頃と、「ジーン・ヴィンセント」の1956年に「ブラッドリー・スタジオ」でレコーディングした時に使用した”フィードバック・エコー”だと思うんだけど、はたして当時「チェス」レーベルのスタジオにエコー・マシーンがあったのか疑問で、謎なんですヨ。
んで、「ザ・ムーングロウズ」と「ザ・フラミンゴス」がコノ時点での「チェス」レーベルのコーラス・グループの”2枚看板”となりましたナ。
2グループ共「チェス」レーベルに移籍する前にゃぁ「チャンス」レーベルに在籍していた事は先にUpしたでしょ。
ソノ「チャンス」レーベルに残っていたグループが、
「ザ・スパニエルス」

で、インディアナ州ゲイリー出身で、ゲイリーの街に「ヴィヴィアン」と「ジェームズ」ってな夫婦がいたんでゲス。

(左から「ヴィヴィアン」、「ジェームズ・ブラッケン」夫妻、「エワート・アブナー」)
夫妻はレコード店を経営していて、1953年にレコード・レーベルを立ち上げるんですナ。
んで、レーベル名を2人の頭文字「ヴィヴィアン」の”Ⅴ”、「ジェームズ」の”J”から、
「ヴィー・ジェイ」レーベル

で、先程倒産したってUpした「チャンス」レーベルを吸収合併して沢山のアーティスト達が「ヴィー・ジェイ」レーベルに移籍して来たんでゲス。
んで、「ザ・スパニエルス」も「ヴィー・ジェイ」レーベルに移籍してヒットをかっ飛ばすんですナ。
「GOODNIGHT SWEETHEART, GOODNIGHT」
1954年「リズムンブルーズ・チャート」5位の大ヒットでゲス。
俺ネ、「ザ・スパニエルス」だともう1曲好きなのがあって、
「YOU GAVE ME PEACE OF MIND」
そもそもコノ曲を知ったのは、
「ジーン・ヴィンセント」

の4thアルバムの、

に収録されていたヴァージョンでしたナ。
さて続いては、同じく「ヴィー・ジェイ」レーベルの、
「ジ・エルドラドス」

「AT MY FRONT DOOR」
1955年「リズムンブルーズ・チャート」1位の超大ヒット!!!!!
こういったヒット曲の連発で「ヴィー・ジェイ」レーベルはシカゴの「リズムンブルーズ」界じゃぁ「チェス」レーベルに次ぐレーベルへと成長していったんでゲス。
今回はココ迄ですナ。
んじゃぁ、次回迄。
では、では。








2024年9月7日 13時20分53秒 (Sat)
”コーラス”モノ (パート1)
今回からUpが始まる”コーラス”モノについてなんだけど、ひとくちに”コーラス”って言っても余りにも範囲が広過ぎるでゲス。
なので、俺が大好きな”1950年代”を中心に、まぁソノ前後、中でも「ドゥ・ワップ」や「ドゥ・ワップ」調の”ソノ辺り”のサウンド、「デュオ」等をガンガンとUpしていこうと思ってますヨ。
とは言うものの、大好きなジャンルなので所々で話が横道に逸れたり、時には脱線しちゃうなんて事もありますがご了承くださいませ、ませ。
んで、話が進んでいくと「ホワイト(白人)・ドゥ・ワップ」っていうのが出てくるでゲス。
アメリカじゃぁ「WASP(ワスプ)」ってのがあって、
”White Anglo−Saxon Protestant”(アングロ・サクソン系プロテスタントの白人)
の事を”白人”って言ってますナ。
なので「ホワイト・ドゥ・ワップ」の”ホワイト”ってのは殆どがイタリーやプエルト・リコ等の地域からの移民で、”黒人に非ず”的な意味で使われていると理解してくださいネ。
あのネ、今回Upするにあたって沢山色々な資料を集めて何処から始めようか滅茶苦茶悩んだ結果、先ずはコノ曲からでゲス。
「WHY DO FOOLS FALL IN LOVE」(邦題「恋は曲者」)
ご存じ、
「ザ・ティーンネイジャーズ」

ですネ。
1956年1月に、
「エルヴィス・プレスリー」

の、
「HEARTBREAK HOTEL」
がリリースされて、”ソコ”から全米で、
”「ロックンロール」時代”
が始まったでゲス。
ほぼ同時期に「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ先出の「恋は曲者」が1位で、「ポップ・チャート」でも6位ってなコノ時代としちゃぁ可成りの快挙だったんでしたナ。
「アメリカン・ポップス」の中心地ニューヨークは彼等が登場する以前から、こういったコーラス・グループが中心的存在だったでゲス。
「ザ・ティーンネイジャーズ」のリード・ヴォーカルの「フランキー・ライモン」はアッパー・マンハッタンの出身で、他のメンバーもハーレム付近、2人のプエルトリカンが在籍していたんだけど2人共ニューヨーク育ちでしたナ。

そうそう、「フランキー・ライモン」宅の近所に住んでいたのが、後に、
「ザ・ロネッツ」

になる「ベロニカ・ベネット」(後の「ロニー・スペクター」)だったり、コレも後に、
「ザ・マンハッタン・トランスファー」

を結成するリーダーの「ティム・ハウザー」が同級生だったそうでゲス。
俺ネ、「ザ・ティーンネイジャーズ」の曲だったら、
「I’M NOT A JUVENILE DELINQUENT」
が大好きですナ。
んで、「恋は曲者」をリリースしたのは、
「ジー」レーベル

で、レーベルを作ったのは、
「ジョージ・ゴールドナー」

で、「GEE」っていったら同名のヒット曲があったでゲス。
「GEE」
唄っていたグループは、
「ザ・クロウズ」

で、「恋は・・・」よりも3年前にリリースされて「ポップ・チャート」14位、「リズムンブルーズ・チャート」2位になる大ヒットでしたナ。
リリースしたレーベルは、
「ラマ」レーベル

で、「ジョージ・ゴールドナー」が最初に作ったレーベルでゲス。
彼の両親はヨーロッパからの移民でニューヨークで育って1940年代に、
「ティコ」レーベル

ってなレーベルを立ち上げてレコード・ビジネスに参入しましたナ。
んで、最初は両親の元で働いていたんだけど「ティコ」レーベルを辞めてニューヨークの大ボスの、
「モーリス・レビー」

と作ったのが先出の「ラマ」レーベルで、5枚目のシングル盤としてリリースした「ジー」が大ヒットしたので、
「こりゃぁ、ツキが回って来たゾ!」
ってな事で、”大のギャンブル好き”な「ジョージ・ゴールドナー」はヒット曲「ジー」に肖って新しいレーベル「ジー」を立ち上げたところ「恋は・・・」の大ヒットってな事でゲス。
話は少し戻って「ジー」をヒットさせた「ザ・クロウズ」なんだけど、彼等はニューヨークのハーレム出身でグループ名の”クロウ”ってのは”鴉(カラス)”で、先輩に、
「ザ・レイヴンズ」

ってなグループがいて、”レイヴン”ってのは”大鴉(大ガラス)”で、自分達はソノ先輩に肖って小型の鴉”クロウ”って名付けたって事だそうですナ。
「COUNT EVERY STAR」
1950年にリリースした曲で当時はヒットしなかったけど、後に、
「リンダ・スコット」

のカヴァーで大ヒットしたでゲス。
んでも、「リンダ・スコット」っていったら、
「I’VE TOLD EVERY LITTLE STAR」(邦題「星に語れば」)
でしょ。(何処かで聴いた事があると思うでゲス。)
話が逸れちゃっいたので戻るんだけど、1946年ニューヨークで結成された「ザ・レイヴンズ」の曲じゃぁ、俺は翌47年リリースの、
「OL’ MAN RIVER」
が大好きですナ。
もう1曲「ザ・レイヴンズ」でゲス。
1948年暮れ「リズムンブルーズ・チャート」9位の大ヒットでしたヨ。
「WHITE CHRISTMAS」
コノ「ザ・レイヴンズ」のアレンジが、
「ザ・ドミノズ」

から、
「クライド・マクファター」

が独立して結成した、
「ザ・ドリフターズ」

の彼等に受け継がれたのが、
で、曲の途中から聴こえてくるハイ・トーンの声が「クライド・マクファター」でゲス。
さて、「ザ・レイヴンズ」の登場を皮切りに何故だかコーラス・グループに鳥の名前を付けるのが恒例となりますナ。
続いてボルティモアから登場したのが、
「ジ・オリオールズ」

「CRYING IN THE CHAPEL」
1953年「リズムンブルーズ・チャート」1位、「ポップ・チャート」11位ってな大ヒットで、グループ名の”オリオール”ってのは”ムクドリモドキ”で、ボルティモアがあるメリーランド州の”州鳥”だそうでゲス。
リード・ヴォーカルの「ソニー・ティル」もボルティモア出身で1948年の結成で当時ニューヨークにあった「アポロ・シアター」で、
”女性観客を最も熱狂させたシンガーで「ブラック・シナトラ」と言われた”
みたいですナ。
続いての”鳥”は、”ツバメ”でゲス。
「ザ・スワローズ」

「WILL YOU BE MINE」
「ザ・スワローズ」もボルティモアのグループで、先出の「ジ・オリオールズ」に倣って鳥の名前を付けたみたいですナ。
続いてもボルティモアで結成した、
「ザ・カーディナルス」

「THE DOOR IS STILL OPEN」
1955年「リズムンブルーズ・チャート」4位にランクされて大ヒットしたでゲス。
「ザ・カーディナルス」だと同55年にリリースした、
「COME BACK MY LOVE」
が大好きだなぁ。
さて、舞台はボルティモアから離れてシカゴへ行きますヨ。
「ザ・フラミンゴス」

の登場でゲス。
「THAT’S MY DESIRE」
1953年のリリースで、沢山のカヴァーがある名曲で曲自体は1931年に作られましたナ。
リリースしたのは、
「チャンス」レーベル

で、コノ後「ザ・フラミンゴス」は、
「パロット」レーベル

に移籍してリリースした曲が、
「I REALLY DON’T WANT TO KNOW」(邦題「知りたくないの」)
言わずと知れた、
「エディ・アーノルド」

が1954年リリースして「カントリー・ミュージック・チャート」1位になった”名曲”のカヴァーでゲス。
こういった感じで、ニューヨーク、ボルティモア、シカゴ等の各地でコーラス・グループが結成されていたところに1953年先出の「ザ・クロウズ」の「ジー」の大ヒット、翌54年にゃぁ、
「ザ・コーズ」

の、
「SH−BOOM」
のヒットで一気に盛り上がって、1956年「ザ・ティーンネイジャーズ」の登場となったんですナ。
取り敢えず今回はココ迄でゲス。
次回以降もガンガンいっぱいゴッテシ沢山Upしますヨ。
お楽しみに。













なので、俺が大好きな”1950年代”を中心に、まぁソノ前後、中でも「ドゥ・ワップ」や「ドゥ・ワップ」調の”ソノ辺り”のサウンド、「デュオ」等をガンガンとUpしていこうと思ってますヨ。
とは言うものの、大好きなジャンルなので所々で話が横道に逸れたり、時には脱線しちゃうなんて事もありますがご了承くださいませ、ませ。
んで、話が進んでいくと「ホワイト(白人)・ドゥ・ワップ」っていうのが出てくるでゲス。
アメリカじゃぁ「WASP(ワスプ)」ってのがあって、
”White Anglo−Saxon Protestant”(アングロ・サクソン系プロテスタントの白人)
の事を”白人”って言ってますナ。
なので「ホワイト・ドゥ・ワップ」の”ホワイト”ってのは殆どがイタリーやプエルト・リコ等の地域からの移民で、”黒人に非ず”的な意味で使われていると理解してくださいネ。
あのネ、今回Upするにあたって沢山色々な資料を集めて何処から始めようか滅茶苦茶悩んだ結果、先ずはコノ曲からでゲス。
「WHY DO FOOLS FALL IN LOVE」(邦題「恋は曲者」)
ご存じ、
「ザ・ティーンネイジャーズ」

ですネ。
1956年1月に、
「エルヴィス・プレスリー」

の、
「HEARTBREAK HOTEL」
がリリースされて、”ソコ”から全米で、
”「ロックンロール」時代”
が始まったでゲス。
ほぼ同時期に「リズムンブルーズ・チャート」じゃぁ先出の「恋は曲者」が1位で、「ポップ・チャート」でも6位ってなコノ時代としちゃぁ可成りの快挙だったんでしたナ。
「アメリカン・ポップス」の中心地ニューヨークは彼等が登場する以前から、こういったコーラス・グループが中心的存在だったでゲス。
「ザ・ティーンネイジャーズ」のリード・ヴォーカルの「フランキー・ライモン」はアッパー・マンハッタンの出身で、他のメンバーもハーレム付近、2人のプエルトリカンが在籍していたんだけど2人共ニューヨーク育ちでしたナ。

そうそう、「フランキー・ライモン」宅の近所に住んでいたのが、後に、
「ザ・ロネッツ」

になる「ベロニカ・ベネット」(後の「ロニー・スペクター」)だったり、コレも後に、
「ザ・マンハッタン・トランスファー」

を結成するリーダーの「ティム・ハウザー」が同級生だったそうでゲス。
俺ネ、「ザ・ティーンネイジャーズ」の曲だったら、
「I’M NOT A JUVENILE DELINQUENT」
が大好きですナ。
んで、「恋は曲者」をリリースしたのは、
「ジー」レーベル

で、レーベルを作ったのは、
「ジョージ・ゴールドナー」

で、「GEE」っていったら同名のヒット曲があったでゲス。
「GEE」
唄っていたグループは、
「ザ・クロウズ」

で、「恋は・・・」よりも3年前にリリースされて「ポップ・チャート」14位、「リズムンブルーズ・チャート」2位になる大ヒットでしたナ。
リリースしたレーベルは、
「ラマ」レーベル
で、「ジョージ・ゴールドナー」が最初に作ったレーベルでゲス。
彼の両親はヨーロッパからの移民でニューヨークで育って1940年代に、
「ティコ」レーベル

ってなレーベルを立ち上げてレコード・ビジネスに参入しましたナ。
んで、最初は両親の元で働いていたんだけど「ティコ」レーベルを辞めてニューヨークの大ボスの、
「モーリス・レビー」

と作ったのが先出の「ラマ」レーベルで、5枚目のシングル盤としてリリースした「ジー」が大ヒットしたので、
「こりゃぁ、ツキが回って来たゾ!」
ってな事で、”大のギャンブル好き”な「ジョージ・ゴールドナー」はヒット曲「ジー」に肖って新しいレーベル「ジー」を立ち上げたところ「恋は・・・」の大ヒットってな事でゲス。
話は少し戻って「ジー」をヒットさせた「ザ・クロウズ」なんだけど、彼等はニューヨークのハーレム出身でグループ名の”クロウ”ってのは”鴉(カラス)”で、先輩に、
「ザ・レイヴンズ」

ってなグループがいて、”レイヴン”ってのは”大鴉(大ガラス)”で、自分達はソノ先輩に肖って小型の鴉”クロウ”って名付けたって事だそうですナ。
「COUNT EVERY STAR」
1950年にリリースした曲で当時はヒットしなかったけど、後に、
「リンダ・スコット」

のカヴァーで大ヒットしたでゲス。
んでも、「リンダ・スコット」っていったら、
「I’VE TOLD EVERY LITTLE STAR」(邦題「星に語れば」)
でしょ。(何処かで聴いた事があると思うでゲス。)
話が逸れちゃっいたので戻るんだけど、1946年ニューヨークで結成された「ザ・レイヴンズ」の曲じゃぁ、俺は翌47年リリースの、
「OL’ MAN RIVER」
が大好きですナ。
もう1曲「ザ・レイヴンズ」でゲス。
1948年暮れ「リズムンブルーズ・チャート」9位の大ヒットでしたヨ。
「WHITE CHRISTMAS」
コノ「ザ・レイヴンズ」のアレンジが、
「ザ・ドミノズ」

から、
「クライド・マクファター」

が独立して結成した、
「ザ・ドリフターズ」

の彼等に受け継がれたのが、
で、曲の途中から聴こえてくるハイ・トーンの声が「クライド・マクファター」でゲス。
さて、「ザ・レイヴンズ」の登場を皮切りに何故だかコーラス・グループに鳥の名前を付けるのが恒例となりますナ。
続いてボルティモアから登場したのが、
「ジ・オリオールズ」

「CRYING IN THE CHAPEL」
1953年「リズムンブルーズ・チャート」1位、「ポップ・チャート」11位ってな大ヒットで、グループ名の”オリオール”ってのは”ムクドリモドキ”で、ボルティモアがあるメリーランド州の”州鳥”だそうでゲス。
リード・ヴォーカルの「ソニー・ティル」もボルティモア出身で1948年の結成で当時ニューヨークにあった「アポロ・シアター」で、
”女性観客を最も熱狂させたシンガーで「ブラック・シナトラ」と言われた”
みたいですナ。
続いての”鳥”は、”ツバメ”でゲス。
「ザ・スワローズ」

「WILL YOU BE MINE」
「ザ・スワローズ」もボルティモアのグループで、先出の「ジ・オリオールズ」に倣って鳥の名前を付けたみたいですナ。
続いてもボルティモアで結成した、
「ザ・カーディナルス」

「THE DOOR IS STILL OPEN」
1955年「リズムンブルーズ・チャート」4位にランクされて大ヒットしたでゲス。
「ザ・カーディナルス」だと同55年にリリースした、
「COME BACK MY LOVE」
が大好きだなぁ。
さて、舞台はボルティモアから離れてシカゴへ行きますヨ。
「ザ・フラミンゴス」

の登場でゲス。
「THAT’S MY DESIRE」
1953年のリリースで、沢山のカヴァーがある名曲で曲自体は1931年に作られましたナ。
リリースしたのは、
「チャンス」レーベル

で、コノ後「ザ・フラミンゴス」は、
「パロット」レーベル

に移籍してリリースした曲が、
「I REALLY DON’T WANT TO KNOW」(邦題「知りたくないの」)
言わずと知れた、
「エディ・アーノルド」

が1954年リリースして「カントリー・ミュージック・チャート」1位になった”名曲”のカヴァーでゲス。
こういった感じで、ニューヨーク、ボルティモア、シカゴ等の各地でコーラス・グループが結成されていたところに1953年先出の「ザ・クロウズ」の「ジー」の大ヒット、翌54年にゃぁ、
「ザ・コーズ」

の、
「SH−BOOM」
のヒットで一気に盛り上がって、1956年「ザ・ティーンネイジャーズ」の登場となったんですナ。
取り敢えず今回はココ迄でゲス。
次回以降もガンガンいっぱいゴッテシ沢山Upしますヨ。
お楽しみに。













プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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