2024年11月 アーカイブ
2024年11月21日 10時14分30秒 (Thu)
”コーラス”モノ (パート7)
大好きな”コーラス”モノについてのUpとなると、沢山の資料を持っているので、アレコレ照らし合わせて色々と考えながらやらなきゃぁならないんですナ。
んでも、そんな事でもないと新しく気付く事も無かったりするので案外楽しかったりもするでゲス。
さて、本題にしましょうネ。
1955年LAで結成された、
「ザ・ジェイホークス」

ってなグループがありましたナ。
リード・ヴォーカルの「ジェームズ・ジョンソン」が作曲したのが、
「STRANDED IN THE JUNGLE」
で、翌56年「リズムンブルーズ・チャート」9位になったでゲス。
んで、コノ曲を直ぐにカヴァーしたグループがありましたナ。
「ザ・キャデッツ」

で、彼等は1940年代に結成のベテラン・グループなんだけど、「ザ・キャデッツ」のカヴァー・ヴァージョンの方が「リズムンブルーズ・チャート」4位ってなオリジナルを超えるヒットとなったんでゲス。
エッと、少し話は変わって1956年にカナダからLAに叔父さんを頼ってやって来た14歳の少年がいて、歌手になりたかった彼は何とかレコーディングをしたんですナ。
ソノ時のバック・コーラスをしたのが先出の「ザ・キャデッツ」が務めたんでゲス。
レコーディングした14歳のイタロ・カナディアンの少年ってのが、
「ポール・アンカ」

「BLAU−WILE−DEVEEST−FONTAIN」
「ポール・アンカ」自作曲で、カップリングがカヴァー曲で、
「I CONFESS」
どちらの曲もヒットはしなかったんだけど、初レコーディングのバックが本物のコーラス・グループだったので驚いたし感激したって「ポール・アンカ」自身が自伝の中で語っていましたナ。
そうそう、コノ頃「ザ・キャデッツ」は「ザ・ジャックス」ってグループ名を変えていたでゲス。
んで、ソノ後「ポール・アンカ」は叔父さんから100ドル貰ってニューヨークに行って「ABCパラマウント」レーベルの、
「ドン・コスタ」

のオーディションを受けて合格してレコーディングした曲が、
「DIANA」
でしたナ。
「ダイアナ」に感激して、プロデュースした「ドン・コスタ」のところに飛んで行ったのが、
「キャロル・キング」

で、彼女が作った曲を「ドン・コスタ」がアレンジをして出来た曲が、
「UNDER THE STARS」
1959年のリリースのデビュー曲でゲス。
さてさて、話を再び「ザ・キャデッツ」(「ザ・ジャックス」)に戻しましょうネ。
グループに「アーロン・コリンズ」ってなメンバーがいたんでゲス。
彼にゃぁ2人の妹「ベティ」と「ロージー」がいたんだけど、兄の「アーロン」は妹達に曲を作ってデビューさせましたナ。
「ザ・ティーン・クイーンズ」

曲が、
「EDDIE MY LOVE」
で、「ポップ・チャート」14位、「リズムンブルーズ・チャート」2位ってな大ヒットで、直ぐ様、
「ザ・フォンテーン・シスターズ」

や、
「ザ・コーデッツ」

もカヴァーして、然も3曲共「ポップ・チャート」で20位内にチャート・インしたってな物凄いヒットとなったでゲス。
今回はこんなところで終わりですヨ。
では、次回迄。



んでも、そんな事でもないと新しく気付く事も無かったりするので案外楽しかったりもするでゲス。
さて、本題にしましょうネ。
1955年LAで結成された、
「ザ・ジェイホークス」

ってなグループがありましたナ。
リード・ヴォーカルの「ジェームズ・ジョンソン」が作曲したのが、
「STRANDED IN THE JUNGLE」
で、翌56年「リズムンブルーズ・チャート」9位になったでゲス。
んで、コノ曲を直ぐにカヴァーしたグループがありましたナ。
「ザ・キャデッツ」

で、彼等は1940年代に結成のベテラン・グループなんだけど、「ザ・キャデッツ」のカヴァー・ヴァージョンの方が「リズムンブルーズ・チャート」4位ってなオリジナルを超えるヒットとなったんでゲス。
エッと、少し話は変わって1956年にカナダからLAに叔父さんを頼ってやって来た14歳の少年がいて、歌手になりたかった彼は何とかレコーディングをしたんですナ。
ソノ時のバック・コーラスをしたのが先出の「ザ・キャデッツ」が務めたんでゲス。
レコーディングした14歳のイタロ・カナディアンの少年ってのが、
「ポール・アンカ」

「BLAU−WILE−DEVEEST−FONTAIN」
「ポール・アンカ」自作曲で、カップリングがカヴァー曲で、
「I CONFESS」
どちらの曲もヒットはしなかったんだけど、初レコーディングのバックが本物のコーラス・グループだったので驚いたし感激したって「ポール・アンカ」自身が自伝の中で語っていましたナ。
そうそう、コノ頃「ザ・キャデッツ」は「ザ・ジャックス」ってグループ名を変えていたでゲス。
んで、ソノ後「ポール・アンカ」は叔父さんから100ドル貰ってニューヨークに行って「ABCパラマウント」レーベルの、
「ドン・コスタ」

のオーディションを受けて合格してレコーディングした曲が、
「DIANA」
でしたナ。
「ダイアナ」に感激して、プロデュースした「ドン・コスタ」のところに飛んで行ったのが、
「キャロル・キング」

で、彼女が作った曲を「ドン・コスタ」がアレンジをして出来た曲が、
「UNDER THE STARS」
1959年のリリースのデビュー曲でゲス。
さてさて、話を再び「ザ・キャデッツ」(「ザ・ジャックス」)に戻しましょうネ。
グループに「アーロン・コリンズ」ってなメンバーがいたんでゲス。
彼にゃぁ2人の妹「ベティ」と「ロージー」がいたんだけど、兄の「アーロン」は妹達に曲を作ってデビューさせましたナ。
「ザ・ティーン・クイーンズ」

曲が、
「EDDIE MY LOVE」
で、「ポップ・チャート」14位、「リズムンブルーズ・チャート」2位ってな大ヒットで、直ぐ様、
「ザ・フォンテーン・シスターズ」

や、
「ザ・コーデッツ」

もカヴァーして、然も3曲共「ポップ・チャート」で20位内にチャート・インしたってな物凄いヒットとなったでゲス。
今回はこんなところで終わりですヨ。
では、次回迄。




2024年11月7日 9時00分23秒 (Thu)
”コーラス”モノ (パート6)
「THE DEACON’S HOP」
今回は、
「ビッグ・ジェイ・マクニーリー」

の「ザ・ディーコンズ・ホップ」から始めてみたんだけど、時代は1949年へと話は昔々に戻るでゲス。
コノ曲は「リズムンブルーズ・チャート」1位の大ヒットでしたナ。
サックスを吹いている「ビッグ・ジェイ・マクニーリー」はLAの黒人居住区ワッツ生まれでサックス以外にも時々唄ったりもしたんだけど、専属のバック・コーラスのグループが就いていたんでゲス。
「スリー・ドッツ & ア・ダッシュ」
ってな名前のグループで、彼等の曲が、
「LET’S DO IT」
先出の「ザ・ディーコンズ・・・」の歌入りってな感じですナ。
んでネ、グループのメンバーの中に、
「ジェシー・ベルビン」

が在籍していたんでゲス。
彼はサン・アントニオ生まれで5歳の時にLAに引っ越して来たんでしたナ。
1952年「ジェシー・ベルビン」はグループを脱退してデュエットを組んだんでゲス。
「DREAM GIRL」
「ジェシー & マーヴィン」で、1952年リリース、翌53年「リズムンブルーズ・チャート」2位の大ヒットでしたナ。
ソノ後「ジェシー・ベルビン」は作曲活動もしていって、次の曲も彼の作品でゲス。
「EARTH ANGEL」
ご存じ、
「ザ・ペンギンズ」

の大ヒット曲ですナ。
1955年「ポップ・チャート」8位、「リズムンブルーズ・チャート」1位で、カヴァー曲も沢山リリースされた”名曲”でゲス。
さて、「ジェシー・ベルビン」は1956年にソロ・シンガーになってデビュー曲がトップ10入りの大ヒットになりましたナ。
「GOODNIGHT MY LOVE (PLEASANT DREAMS)」
「リズムンブルーズ・チャート」8位でゲス。
コノ曲も人気が高くって沢山のアーティストにカヴァーされてスタンダード・ナンバーとなりましたナ。
次に行きましょうネ。
LAで結成された、
「ザ・フレアーズ」

「SHE LOVES TO ROCK」
1953年のリリースで、グループにゃぁ2人リード・ヴォーカルがいて、コノ曲でリード・ヴォーカルをしていたのは、
「リチャード・ベリー」

で、もう1人のリード・ヴォーカルは、
「コーネル・ガンター」

で、1958年に、
「ザ・コースターズ」

(左から3人目が「コーネル・ガンター」)
に加入したでゲス。
んで、「コーネル」のお姉さんは「シャーリー・ガンター」っていって、先出の「ザ・フレアーズ」にも参加していたんだけど、1954年に、
「シャーリー・ガンター & ザ・クイーンズ」

を結成して、
「OOP SHOOP」
が「リズムンブルーズ・チャート」8位の大ヒットで、
「ザ・クリュー・カッツ」

がカヴァーして「ポップ・チャート」13位のヒットとなったんですナ。
「ザ・クリュー・カッツ」がヒットさせた事で曲自体は全米に知れ渡ったんだけどオリジナルの「シャーリー・ガンター」達のヴァージョンは全米に知られるところ迄はいかなかったんでゲス。
さて、先出の「ザ・フレアーズ」のリード・ヴォーカルの2人「コーネル・ガンター」と「リチャード・ベリー」は当時「ジェファーソン・ハイスクール」に通っていて、”ココ”は大勢の「リズムンブルーズ」関係者を輩出していますナ。
ドラマーの、
「チコ・ハミルトン」

最初に登場した「ビッグ・ジェイ・マクニーリー」、「ジェシー・ベルビン」、「ザ・ペンギンズ」のメンバー中3人、オリジナル「ザ・プラターズ」のメンバー中3人、
「バリー・ホワイト」

「メリー・クレイトン」

も同じハイスクールでゲス。
あとネ、「チェス」レーベルで後に”女帝”の座に就いた、
「エタ・ジェームズ」

も同じハイスクールなんですナ。
彼女はシカゴの印象が強いんだけど、ウエストコースト育ちだったんですネ。
「THE WALLFLOWER (DANCE WITH ME, HENRY)」
1955年「リズムンブルーズ・チャート」1位になった「エタ・ジェームズ」のヒット曲でゲス。
プロデュースは、
「ジョニー・オーティス」

で、曲中の男性の声が「ザ・フレアーズ」の「リチャード・ベリー」で、彼は色々なセッションに呼ばれて唄ってますナ。
んでサ、実は次の曲もリード・ヴォーカルは「リチャード・ベリー」だったんでゲス。
「RIOT IN CELL BLOCK #9」
「ザ・ロビンズ」でメンバーでもないのにリード・ヴォーカルを演ったりして”便利屋扱い”だったんだけど、1955年にソロとなってバック・コーラスに地元の女の子達を使ったんですナ。
「ザ・ドリーマーズ」

をバックにレコーディングした曲が、
「DADDY DADDY」
バック・コーラスの「ザ・ドリーマーズ」メンバーは「ファニタ・バレット」、「グロリア・ジョーンズ」、「ナネット」&「アネット」の「ウィリアムズ」姉妹・・・そうなんですナ、後の「ザ・ブロッサムズ」の母体なんでゲス。
”ココ”に、
「ダーレン・ラヴ」(大好き!!!!!)

が加入して、

となって、”スペクター・サウンド”を支える事になるんだけど、レコード・デビューは「リチャード・ベリー」のバック・コーラスだったんですナ。
もう1つ、「リチャード・ベリー」の名前は知らない人も、音楽ファンだったら次の曲は知っていると思うでゲス。
「LOUIE LOUIE」
1957年にリリースされた時は全くヒットしなかっちゃんだけど、コノ曲も後に沢山カヴァーされて新しいジャンルを作った曲としても有名ですナ。
さてさて、「リチャード・ベリー」、「コーネル・ガンター」の在籍していた「ザ・フレアーズ」はメンバー・チェンジをしながらもグループを続けていたんでゲス。

1961年にリリースしたのが、
「FOOT STOMPIN’」
「ポップ・チャート」25位、「リズムンブルーズ・チャート」20位ですナ。
ってなところで、今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ又。




今回は、
「ビッグ・ジェイ・マクニーリー」

の「ザ・ディーコンズ・ホップ」から始めてみたんだけど、時代は1949年へと話は昔々に戻るでゲス。
コノ曲は「リズムンブルーズ・チャート」1位の大ヒットでしたナ。
サックスを吹いている「ビッグ・ジェイ・マクニーリー」はLAの黒人居住区ワッツ生まれでサックス以外にも時々唄ったりもしたんだけど、専属のバック・コーラスのグループが就いていたんでゲス。
「スリー・ドッツ & ア・ダッシュ」
ってな名前のグループで、彼等の曲が、
「LET’S DO IT」
先出の「ザ・ディーコンズ・・・」の歌入りってな感じですナ。
んでネ、グループのメンバーの中に、
「ジェシー・ベルビン」

が在籍していたんでゲス。
彼はサン・アントニオ生まれで5歳の時にLAに引っ越して来たんでしたナ。
1952年「ジェシー・ベルビン」はグループを脱退してデュエットを組んだんでゲス。
「DREAM GIRL」
「ジェシー & マーヴィン」で、1952年リリース、翌53年「リズムンブルーズ・チャート」2位の大ヒットでしたナ。
ソノ後「ジェシー・ベルビン」は作曲活動もしていって、次の曲も彼の作品でゲス。
「EARTH ANGEL」
ご存じ、
「ザ・ペンギンズ」

の大ヒット曲ですナ。
1955年「ポップ・チャート」8位、「リズムンブルーズ・チャート」1位で、カヴァー曲も沢山リリースされた”名曲”でゲス。
さて、「ジェシー・ベルビン」は1956年にソロ・シンガーになってデビュー曲がトップ10入りの大ヒットになりましたナ。
「GOODNIGHT MY LOVE (PLEASANT DREAMS)」
「リズムンブルーズ・チャート」8位でゲス。
コノ曲も人気が高くって沢山のアーティストにカヴァーされてスタンダード・ナンバーとなりましたナ。
次に行きましょうネ。
LAで結成された、
「ザ・フレアーズ」

「SHE LOVES TO ROCK」
1953年のリリースで、グループにゃぁ2人リード・ヴォーカルがいて、コノ曲でリード・ヴォーカルをしていたのは、
「リチャード・ベリー」

で、もう1人のリード・ヴォーカルは、
「コーネル・ガンター」

で、1958年に、
「ザ・コースターズ」

(左から3人目が「コーネル・ガンター」)
に加入したでゲス。
んで、「コーネル」のお姉さんは「シャーリー・ガンター」っていって、先出の「ザ・フレアーズ」にも参加していたんだけど、1954年に、
「シャーリー・ガンター & ザ・クイーンズ」

を結成して、
「OOP SHOOP」
が「リズムンブルーズ・チャート」8位の大ヒットで、
「ザ・クリュー・カッツ」

がカヴァーして「ポップ・チャート」13位のヒットとなったんですナ。
「ザ・クリュー・カッツ」がヒットさせた事で曲自体は全米に知れ渡ったんだけどオリジナルの「シャーリー・ガンター」達のヴァージョンは全米に知られるところ迄はいかなかったんでゲス。
さて、先出の「ザ・フレアーズ」のリード・ヴォーカルの2人「コーネル・ガンター」と「リチャード・ベリー」は当時「ジェファーソン・ハイスクール」に通っていて、”ココ”は大勢の「リズムンブルーズ」関係者を輩出していますナ。
ドラマーの、
「チコ・ハミルトン」

最初に登場した「ビッグ・ジェイ・マクニーリー」、「ジェシー・ベルビン」、「ザ・ペンギンズ」のメンバー中3人、オリジナル「ザ・プラターズ」のメンバー中3人、
「バリー・ホワイト」

「メリー・クレイトン」

も同じハイスクールでゲス。
あとネ、「チェス」レーベルで後に”女帝”の座に就いた、
「エタ・ジェームズ」

も同じハイスクールなんですナ。
彼女はシカゴの印象が強いんだけど、ウエストコースト育ちだったんですネ。
「THE WALLFLOWER (DANCE WITH ME, HENRY)」
1955年「リズムンブルーズ・チャート」1位になった「エタ・ジェームズ」のヒット曲でゲス。
プロデュースは、
「ジョニー・オーティス」

で、曲中の男性の声が「ザ・フレアーズ」の「リチャード・ベリー」で、彼は色々なセッションに呼ばれて唄ってますナ。
んでサ、実は次の曲もリード・ヴォーカルは「リチャード・ベリー」だったんでゲス。
「RIOT IN CELL BLOCK #9」
「ザ・ロビンズ」でメンバーでもないのにリード・ヴォーカルを演ったりして”便利屋扱い”だったんだけど、1955年にソロとなってバック・コーラスに地元の女の子達を使ったんですナ。
「ザ・ドリーマーズ」

をバックにレコーディングした曲が、
「DADDY DADDY」
バック・コーラスの「ザ・ドリーマーズ」メンバーは「ファニタ・バレット」、「グロリア・ジョーンズ」、「ナネット」&「アネット」の「ウィリアムズ」姉妹・・・そうなんですナ、後の「ザ・ブロッサムズ」の母体なんでゲス。
”ココ”に、
「ダーレン・ラヴ」(大好き!!!!!)

が加入して、

となって、”スペクター・サウンド”を支える事になるんだけど、レコード・デビューは「リチャード・ベリー」のバック・コーラスだったんですナ。
もう1つ、「リチャード・ベリー」の名前は知らない人も、音楽ファンだったら次の曲は知っていると思うでゲス。
「LOUIE LOUIE」
1957年にリリースされた時は全くヒットしなかっちゃんだけど、コノ曲も後に沢山カヴァーされて新しいジャンルを作った曲としても有名ですナ。
さてさて、「リチャード・ベリー」、「コーネル・ガンター」の在籍していた「ザ・フレアーズ」はメンバー・チェンジをしながらもグループを続けていたんでゲス。

1961年にリリースしたのが、
「FOOT STOMPIN’」
「ポップ・チャート」25位、「リズムンブルーズ・チャート」20位ですナ。
ってなところで、今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ又。




プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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