2024年12月 アーカイブ
2024年12月31日 19時51分45秒 (Tue)
”コーラス”モノ (パート11)
遂に今年最後の日になったでゲス。
コノ1年を思い返してみると、ヤタラメッタラ忙しかった様な気がする1年でしたナ。
特に7月から10月末迄ネ。
仕事の量か半端なくって、朝は6時からやってたもんネ。
なので、何処へも遊びに行けなかったでゲス。
とは言え、取り敢えず大きな病気や怪我もなく1年が終われたので吉としますナ。
来年はどんな1年になるのか大変楽しみでゲス。
さて、本題にしましょうネ。
今回は”ガール・グループ”にしようと思うんでゲス。
”ガール・グループ”って言っても以前に登場した、
「ザ・マクガイヤー・シスターズ」

「ザ・フォンテーン・シスターズ」

「ザ・コーデッツ」

なんかもソノ範疇に入るんだけど彼女達とは違う、”「リズムンブルーズ」側”からの話ですナ。
んで、以前の定説じゃぁ、
「ザ・ボベッツ」

が「リズムンブルーズ」の”ガール・グループの元祖”って言われていたでゲス。
「MR.LEE」
ニューヨークのスパニッシュ・ハーレム出身で、1957年「ポップ・チャート」6位、「リズムンブルーズ・チャート」1位の大ヒットでしたナ。
んでも昨今はウエストコーストLAの、
「シャーリー・ガンター & ザ・クィーンズ」

「OOP SHOOP」
の方がタイムライン的に先っていう事で「シャーリー・ガンター」達が”元祖”って言われる様になったでゲス。
只、「リズムンブルーズ・チャート」8位の大ヒットにはなったけど「ポップ・チャート」に入らなかったのでニューヨーク等のイーストコーストでの知名度が薄かった為に、「ポップ・チャート」でも6位になった「ザ・ボベッツ」とは印象度が違いましたナ。
まぁ、どっちを”元祖”とするかは各々の解釈でゲス。
「シャーリー・ガンター & ザ・クィーンズ」や「ザ・ボベッツ」は全員メンバーが女性だったけど、
「ザ・チューン・ウィーヴァーズ」

は、女性2人男性2人でリード・ヴォーカルが女性って事でコチラのラインナップにしましたナ。
「HAPPY, HAPPY BIRTHDAY BABY」
ボストン出身で1957年「ポップ・チャート」5位、「リズムンブルーズ・チャート」4位の大ヒットでゲス。
次はサウンドとして1960年代に沢山登場してきた女性グループの”元祖的グループ”の、
「ザ・シャンテルズ」

「MAYBE」
1958年「ポップ・チャート」15位、「リズムンブルーズ・チャート」2位の大ヒットでしたナ。
”リード・ヴォーカル”の「アーリン・スミス」がイイ!!!!!
俺ネ、コノ「メイビー」って曲が大好きで、何かさぁ、毎回聴く度に、
”熱いモノがこみ上げてくる”
んでゲス。
さてさて、続いてはニュージャージのパセイクにある小さなレコード会社の「ティアラ」レーベルってところで1958年に「パセイク・ハイスクール」女生徒達で結成したグループが自作の曲でデビューしましたナ。
「ザ・ポケッツ」ってなグループ名だったのをレコード・デビューの際に、
「ザ・シレルズ」

ってグループ名を変えて、
「I MET HIM ON A SUNDAY」
をリリースして、「ティアラ」レーベルの原盤を「デッカ」レーベルに売ったら「ポップ・チャート」49位にランクされて、ソノ後「デッカ」レーベルから2枚のシングル盤をリリースしたんだけど、全くヒットしなかったので「ティアラ」レーベルの女社長の、
「フローレンス・グリーンバーク」

は新しく、
「セプター」レーベル

を立ち上げて「ザ・シレルズ」に、
「ザ・ファイヴ・ロイヤルズ」

の、
「DEDICATED TO THE ONE I LOVE」
をカヴァーさせたんでゲス。
「ポップ・チャート」83位迄しか上がらなかったので社長の「フローレンス・グリーンバーク」は、
「ルーサー・ディクソン」

に作曲を依頼しましたナ。
何か話によると、偶然エレベーターで一緒になったので曲を頼んだって事らしいでゲス。
んで、出来上がった曲が、
「TONIGHT THE NIGHT」
で、「ポップ・チャート」39位、「リズムンブルーズ・チャート」14位にランクされて、人気も徐々に上がりつつあったところへ次の曲が「ザ・シレルズ」としても”アメリカン60’sポップス”、”ガール・グループ”サウンドとしても決定打となった大ヒットが登場しましたナ。
「WILL YOU LOVE ME TOMORROW」
で、1960年11月「ポップ・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」2位で、”60’sポップス”の幕を切って落としたんでゲス。
作者は、
「ジェリー・ゴフィン」&「キャロル・キング」

アレンジャーは先出の「ルーサー・ディクソン」、出版社は「アルドン」ですナ。
”ガール・グループ”としては先出の「ザ・マクガイヤー・シスターズ」の、
「SUGARTIME」
が1958年に「ポップ・チャート」で1位を獲得して以来となる「ポップ・チャート」制覇で、しかも”黒人ガール・グループ”じゃぁ初の快挙だったんでゲス。
1950年代末頃にゃぁポツポツとしかいなかった”女性コーラス・グループ(ガール・グループ)”がコノ後ジャンジャカ登場して賑やかになっていくんですナ。
ハイ、今回は以上ですヨ。
今年も1年間ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。





(社長の「フローレンス・グリーンバーク」を囲んで「ザ・シレルズ」の面々)

コノ1年を思い返してみると、ヤタラメッタラ忙しかった様な気がする1年でしたナ。
特に7月から10月末迄ネ。
仕事の量か半端なくって、朝は6時からやってたもんネ。
なので、何処へも遊びに行けなかったでゲス。
とは言え、取り敢えず大きな病気や怪我もなく1年が終われたので吉としますナ。
来年はどんな1年になるのか大変楽しみでゲス。
さて、本題にしましょうネ。
今回は”ガール・グループ”にしようと思うんでゲス。
”ガール・グループ”って言っても以前に登場した、
「ザ・マクガイヤー・シスターズ」

「ザ・フォンテーン・シスターズ」

「ザ・コーデッツ」

なんかもソノ範疇に入るんだけど彼女達とは違う、”「リズムンブルーズ」側”からの話ですナ。
んで、以前の定説じゃぁ、
「ザ・ボベッツ」

が「リズムンブルーズ」の”ガール・グループの元祖”って言われていたでゲス。
「MR.LEE」
ニューヨークのスパニッシュ・ハーレム出身で、1957年「ポップ・チャート」6位、「リズムンブルーズ・チャート」1位の大ヒットでしたナ。
んでも昨今はウエストコーストLAの、
「シャーリー・ガンター & ザ・クィーンズ」

「OOP SHOOP」
の方がタイムライン的に先っていう事で「シャーリー・ガンター」達が”元祖”って言われる様になったでゲス。
只、「リズムンブルーズ・チャート」8位の大ヒットにはなったけど「ポップ・チャート」に入らなかったのでニューヨーク等のイーストコーストでの知名度が薄かった為に、「ポップ・チャート」でも6位になった「ザ・ボベッツ」とは印象度が違いましたナ。
まぁ、どっちを”元祖”とするかは各々の解釈でゲス。
「シャーリー・ガンター & ザ・クィーンズ」や「ザ・ボベッツ」は全員メンバーが女性だったけど、
「ザ・チューン・ウィーヴァーズ」

は、女性2人男性2人でリード・ヴォーカルが女性って事でコチラのラインナップにしましたナ。
「HAPPY, HAPPY BIRTHDAY BABY」
ボストン出身で1957年「ポップ・チャート」5位、「リズムンブルーズ・チャート」4位の大ヒットでゲス。
次はサウンドとして1960年代に沢山登場してきた女性グループの”元祖的グループ”の、
「ザ・シャンテルズ」

「MAYBE」
1958年「ポップ・チャート」15位、「リズムンブルーズ・チャート」2位の大ヒットでしたナ。
”リード・ヴォーカル”の「アーリン・スミス」がイイ!!!!!
俺ネ、コノ「メイビー」って曲が大好きで、何かさぁ、毎回聴く度に、
”熱いモノがこみ上げてくる”
んでゲス。
さてさて、続いてはニュージャージのパセイクにある小さなレコード会社の「ティアラ」レーベルってところで1958年に「パセイク・ハイスクール」女生徒達で結成したグループが自作の曲でデビューしましたナ。
「ザ・ポケッツ」ってなグループ名だったのをレコード・デビューの際に、
「ザ・シレルズ」

ってグループ名を変えて、
「I MET HIM ON A SUNDAY」
をリリースして、「ティアラ」レーベルの原盤を「デッカ」レーベルに売ったら「ポップ・チャート」49位にランクされて、ソノ後「デッカ」レーベルから2枚のシングル盤をリリースしたんだけど、全くヒットしなかったので「ティアラ」レーベルの女社長の、
「フローレンス・グリーンバーク」

は新しく、
「セプター」レーベル

を立ち上げて「ザ・シレルズ」に、
「ザ・ファイヴ・ロイヤルズ」

の、
「DEDICATED TO THE ONE I LOVE」
をカヴァーさせたんでゲス。
「ポップ・チャート」83位迄しか上がらなかったので社長の「フローレンス・グリーンバーク」は、
「ルーサー・ディクソン」

に作曲を依頼しましたナ。
何か話によると、偶然エレベーターで一緒になったので曲を頼んだって事らしいでゲス。
んで、出来上がった曲が、
「TONIGHT THE NIGHT」
で、「ポップ・チャート」39位、「リズムンブルーズ・チャート」14位にランクされて、人気も徐々に上がりつつあったところへ次の曲が「ザ・シレルズ」としても”アメリカン60’sポップス”、”ガール・グループ”サウンドとしても決定打となった大ヒットが登場しましたナ。
「WILL YOU LOVE ME TOMORROW」
で、1960年11月「ポップ・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」2位で、”60’sポップス”の幕を切って落としたんでゲス。
作者は、
「ジェリー・ゴフィン」&「キャロル・キング」

アレンジャーは先出の「ルーサー・ディクソン」、出版社は「アルドン」ですナ。
”ガール・グループ”としては先出の「ザ・マクガイヤー・シスターズ」の、
「SUGARTIME」
が1958年に「ポップ・チャート」で1位を獲得して以来となる「ポップ・チャート」制覇で、しかも”黒人ガール・グループ”じゃぁ初の快挙だったんでゲス。
1950年代末頃にゃぁポツポツとしかいなかった”女性コーラス・グループ(ガール・グループ)”がコノ後ジャンジャカ登場して賑やかになっていくんですナ。
ハイ、今回は以上ですヨ。
今年も1年間ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。





(社長の「フローレンス・グリーンバーク」を囲んで「ザ・シレルズ」の面々)

2024年12月21日 16時42分00秒 (Sat)
”コーラス”モノ (パート10)
1950年代中期にゃぁ”男女デュオ”も盛んになってきて、そんな中の最初の成功例って言われているのが、
「ミッキー & シルヴィア」

「LOVE IS STRANGE」
で、1956年にリリースして「ポップ・チャート」11位、「リズムンブルーズ・チャート」1位ってな大ヒットだったでゲス。
こういったデュエット・スタイルは直ぐに、
「ビリー & リリー」

「LA DEE DAH」
に持って行かれましたナ。
続いての”男女デュオ”はブロンクス出身の、
「ジョニー & ジョー」

「OVER THE MOUNTAIN, ACROSS THE SEA」
で、1957年「ポップ・チャート」8位、「リズムンブルーズ・チャート」3位の大ヒットだったでゲス。
ってな感じで”男女混合グループ”、”男女デュオ”が以降益々増えていきましたナ。
さて、”コーラス・グループ”に話を戻すでゲス。
フィラデルフィアで結成された、
「リー・アンドリュー & ザ・ハーツ」

「LONG LONELY NIGHTS」
続いてニュージャージのニューアーク出身の、
「ザ・コダックス」

「OH GEE, OH GOSH」
1957年にリリースされた曲で、”「フランキー・ライモン」スタイル”ですナ。
ニュージャージ出身のミュージシャンはニューアークが多いなぁ。
「コニー・フランシス」

もそうだしネ。
「ザ・モノトーンズ」

もニューアーク出身でゲス。
「BOOK OF LOVE」
1958年「ポップ・チャート」5位、「リズムンブルーズ・チャート」3位の大ヒットでしたナ。
彼等も”ワン・ヒット・ワンダー”のグループで、コノ曲のバス・ドラムはマレットで叩いてるでゲス。
さぁ次は、ロング・アイランドのロング・ビーチから登場した、
「ザ・ジェニーズ」

で、
「WHO’S THAT KNOCKING」
1959年「ポップ・チャート」71位のランクだったんだけど、こういったサウンドも1960年代の「ポップス」の主流になりますナ。
次は、ブロンクスのグループで、
「ジ・エターナルズ」

「ROCKIN’ IN THE JUNGLE」
”コーラス”モノ (パート7)
のところでUpした、
「ザ・ジェイホークス」

や、
「ザ・キャデッツ」

がリリースした、
「STRANDED IN THE JUNGLE」
からヒントを得た曲だそうでゲス。
コノ曲も「リズムンブルーズ」の曲なのに「ポップ・チャート」のみのランクで78位でしたナ。
”ファルセット・ボイス”の登場でゲス。
1956年ニューヨークのグループで、
「ザ・プリテンダーズ」

「LOVER」
リード・ヴォーカルは、
「ジミー・ジョーンズ」

で、彼は後にソロとなって、
「GOOD TIMIN’」
をリリースして「ポップ・チャート」3位の大ヒットでしたナ。
そんな「ジミー・ジョーンズ」は1955年頃から活動していて色々なグループ名で沢山レコードを出してたでゲス。
続いて、
「リトル・ジョー & ザ・スリラーズ」

「PEANUTS」
1957年「ポップ・チャート」22位のヒットでしたナ。
さぁ、”ファルセット・ボイス”で彼等を外す訳にゃぁイカンですヨ。
「ザ・フォー・ラヴァーズ」

「YOU’RE THE APPLE OF MY EYE」
1956年「ポップ・チャート」62位だったニュージャージ出身のグループでゲス。
続いては、
「THE 3 FRIENDS」

「BLANCHE」
コノ「ザ・スリー・フレンズ」のメンバーの「ジョー・フランキャヴィラ」が次に作ったグループが、
「ザ・ロイヤル・ティーンズ」

「BELIEVE ME」
1959年「ポップ・チャート」26位で、唄い出しにバースが付いている曲が多いのも「ホワイト・ドゥ・ワップ」の特徴ですナ。
日本じゃぁ「ザ・ロイヤル・ティーンズ」って言ったら、
「SHORT SHORTS」
の方が有名かもなぁ。
「ポップ・チャート」3位、「リズムンブルーズ・チャート」2位ってな大ヒットだったでゲス。
んで、「ザ・ロイヤル・ティーンズ」のメンバーだった、
「ボブ・ゴーディオ」

が、先出の「ザ・フォー・ラヴァーズ」のメンバーだった、
「フランキー・ヴァリ」

達と組んだグループが、
「ザ・フォー・シーズンズ」

でしたナ。
今回はココ迄でゲス。
では、では。





「ミッキー & シルヴィア」

「LOVE IS STRANGE」
で、1956年にリリースして「ポップ・チャート」11位、「リズムンブルーズ・チャート」1位ってな大ヒットだったでゲス。
こういったデュエット・スタイルは直ぐに、
「ビリー & リリー」

「LA DEE DAH」
に持って行かれましたナ。
続いての”男女デュオ”はブロンクス出身の、
「ジョニー & ジョー」

「OVER THE MOUNTAIN, ACROSS THE SEA」
で、1957年「ポップ・チャート」8位、「リズムンブルーズ・チャート」3位の大ヒットだったでゲス。
ってな感じで”男女混合グループ”、”男女デュオ”が以降益々増えていきましたナ。
さて、”コーラス・グループ”に話を戻すでゲス。
フィラデルフィアで結成された、
「リー・アンドリュー & ザ・ハーツ」

「LONG LONELY NIGHTS」
続いてニュージャージのニューアーク出身の、
「ザ・コダックス」

「OH GEE, OH GOSH」
1957年にリリースされた曲で、”「フランキー・ライモン」スタイル”ですナ。
ニュージャージ出身のミュージシャンはニューアークが多いなぁ。
「コニー・フランシス」

もそうだしネ。
「ザ・モノトーンズ」

もニューアーク出身でゲス。
「BOOK OF LOVE」
1958年「ポップ・チャート」5位、「リズムンブルーズ・チャート」3位の大ヒットでしたナ。
彼等も”ワン・ヒット・ワンダー”のグループで、コノ曲のバス・ドラムはマレットで叩いてるでゲス。
さぁ次は、ロング・アイランドのロング・ビーチから登場した、
「ザ・ジェニーズ」

で、
「WHO’S THAT KNOCKING」
1959年「ポップ・チャート」71位のランクだったんだけど、こういったサウンドも1960年代の「ポップス」の主流になりますナ。
次は、ブロンクスのグループで、
「ジ・エターナルズ」

「ROCKIN’ IN THE JUNGLE」
”コーラス”モノ (パート7)
のところでUpした、
「ザ・ジェイホークス」

や、
「ザ・キャデッツ」

がリリースした、
「STRANDED IN THE JUNGLE」
からヒントを得た曲だそうでゲス。
コノ曲も「リズムンブルーズ」の曲なのに「ポップ・チャート」のみのランクで78位でしたナ。
”ファルセット・ボイス”の登場でゲス。
1956年ニューヨークのグループで、
「ザ・プリテンダーズ」

「LOVER」
リード・ヴォーカルは、
「ジミー・ジョーンズ」

で、彼は後にソロとなって、
「GOOD TIMIN’」
をリリースして「ポップ・チャート」3位の大ヒットでしたナ。
そんな「ジミー・ジョーンズ」は1955年頃から活動していて色々なグループ名で沢山レコードを出してたでゲス。
続いて、
「リトル・ジョー & ザ・スリラーズ」

「PEANUTS」
1957年「ポップ・チャート」22位のヒットでしたナ。
さぁ、”ファルセット・ボイス”で彼等を外す訳にゃぁイカンですヨ。
「ザ・フォー・ラヴァーズ」

「YOU’RE THE APPLE OF MY EYE」
続いては、
「THE 3 FRIENDS」

「BLANCHE」
コノ「ザ・スリー・フレンズ」のメンバーの「ジョー・フランキャヴィラ」が次に作ったグループが、
「ザ・ロイヤル・ティーンズ」

「BELIEVE ME」
1959年「ポップ・チャート」26位で、唄い出しにバースが付いている曲が多いのも「ホワイト・ドゥ・ワップ」の特徴ですナ。
日本じゃぁ「ザ・ロイヤル・ティーンズ」って言ったら、
「SHORT SHORTS」
の方が有名かもなぁ。
「ポップ・チャート」3位、「リズムンブルーズ・チャート」2位ってな大ヒットだったでゲス。
んで、「ザ・ロイヤル・ティーンズ」のメンバーだった、
「ボブ・ゴーディオ」

が、先出の「ザ・フォー・ラヴァーズ」のメンバーだった、
「フランキー・ヴァリ」

達と組んだグループが、
「ザ・フォー・シーズンズ」

でしたナ。
今回はココ迄でゲス。
では、では。





2024年12月12日 19時21分51秒 (Thu)
”コーラス”モノ (パート9)
今日は製作している商品のパーツが不足している為に早く仕事を終わらせたのでコチラのUpの作業が出来るでゲス。
早速始めましょうネ。
「ホワイト・ドゥ・ワップ」ってのじゃぁ無いんだけど、”コーラス”モノっていう括りでいうと、
「SH−BOOM」
をカヴァーした、
「ザ・クリュー・カッツ」

や、
「LITTLE DARLING」
をカヴァーした、
「ザ・ダイアモンズ」

も、”白人グループ”ってな意味じゃぁ範疇に入るんだけど、彼等は当初カヴァー曲ばっかりだったんですナ。
んでも1950年代後半になると、オリジナル曲を演る様になるんでゲス。
「ザ・ダイアモンズ」も以前にUpした「ザ・ストロール」に続いて、
「SHE SAY (OOM DOOBY DOOM)」
をリリースしたんですナ。
「大瀧詠一」殿の言うところの”お囃子言葉”を上手く使った曲で、B面のリリースだったんだけど1959年「ポップ・チャート」18位のヒットだったでゲス。
作曲はブルックリン生まれの、
「バリー・マン」

で、作家としちゃぁ2曲目のヒット曲なんだけど、初のトップ20入りをした曲ですナ。
”オールディーズ好き”な人達にゃぁ「バリー・マン」って言ったら、コノ曲でしょうかネ。
「WHO PUT THE BOMP (IN THE BOMP, BOMP, BOMP)
「ニール・セダカ」、「キャロル・キング」、「バリー・マン」、んで未だ登場してないんだけど、
「エリー・グリニッジ」

(左「エリー・グリニッジ」、右「ジェフ・バリー」)
と、全員がブルックリン育ちだったんでゲス。
そんな彼等が中心となって作られたのが、
”アメリカン60’sポップス”
なんですナ。
さて、続いてはニューヨークから離れてピッツバーグ出身のグループの、
「ザ・スカイライナーズ」

「SINCE I DON’T HAVE YOU」
で、「ポップ・チャート」12位、「リズムンブルーズ・チャート」3位の大ヒットでゲス。
俺ネ、リード・ヴォーカルの「ジミー・ボーモント」の声大好き!!!!!
あのネ、「シンス・アイ・ドント・・・」は、”ストリート・コーラス”の後に所謂「ドゥ・ワップ」って言われた音楽で、初めて大掛かりなストリングス・オーケストラを取り入れたサウンドと言われていますナ。
続いては以前の、
”コーラス”モノ (パート3)
で登場した、
「ザ・ファイヴ・サテンズ」

の故郷のコネチカット州ニューヘヴンの更に北にあるハートフォード出身の「ジ・エンバース」が1958年にレコーディングしたデモなんだけど、最初聴いた時に声こそ違うものの明らかに、
「クライド・マクファター」

の影響を感じられる”唄い口”だったので、てっきり、
「ディー・クラーク」

「HEY LITTLE GIRL」
が唄っているのかと思って、色々と調べてみたらナント、びっくり!!!!!
「ジーン・ピットニー」

だったんですナ。
聴いてみてくださいヨ。
「DARKNESS」
言われてみれば・・・ですが、まさか「ジーン・ピットニー」とは思わなかったなぁ。
確かに「ジーン」は「クライド・マクファター」が大好きなので影響がある歌唱方でゲス。
「ジーン・ピットニー」はコノ後、「ジェイミー & ジェイン」ってな男女デュオを組んでレコードをリリースしますナ。

「STROLLING」
1959年にB面でのリリースだったんだけど、「ジーン・ピットニー」の相手の女性シンガーは後に「ダム・ヘッド」のヒットをリリースした、
「ジニー・アーネル」

「DAMB HEAD」
でゲス。
こうやって聴いてみると、コノ「ジニー・アーネル」の唄い方は何処か「ジーン・ピットニー」の歌唱法に似たモノがありますナ。
コノ後、「ジーン・ピットニー」は「ビリー・ブライアン」ってな名前ででもレコードをリリースしているんでゲス。
「CRADLE OF MY ARMS」
1959年11月のリリースで、コノ曲もB面だったんだけど作曲は、
「オーティス・ブラックウェル」

でしたナ。
今回はこんなところで終わりましょうネ。
んじゃぁ、又。



(左「バリー・マン」、右「ニール・セダカ」)

(手前「バリー・マン」、奥「シンシア・ワイル」、右「キャロル・キング」)

(左から「アル・ネヴィンズ」、「バリー・マン」、「アラン・ローバー」、「ドン・カーシュナー」)




早速始めましょうネ。
「ホワイト・ドゥ・ワップ」ってのじゃぁ無いんだけど、”コーラス”モノっていう括りでいうと、
「SH−BOOM」
をカヴァーした、
「ザ・クリュー・カッツ」

や、
「LITTLE DARLING」
をカヴァーした、
「ザ・ダイアモンズ」

も、”白人グループ”ってな意味じゃぁ範疇に入るんだけど、彼等は当初カヴァー曲ばっかりだったんですナ。
んでも1950年代後半になると、オリジナル曲を演る様になるんでゲス。
「ザ・ダイアモンズ」も以前にUpした「ザ・ストロール」に続いて、
「SHE SAY (OOM DOOBY DOOM)」
をリリースしたんですナ。
「大瀧詠一」殿の言うところの”お囃子言葉”を上手く使った曲で、B面のリリースだったんだけど1959年「ポップ・チャート」18位のヒットだったでゲス。
作曲はブルックリン生まれの、
「バリー・マン」

で、作家としちゃぁ2曲目のヒット曲なんだけど、初のトップ20入りをした曲ですナ。
”オールディーズ好き”な人達にゃぁ「バリー・マン」って言ったら、コノ曲でしょうかネ。
「WHO PUT THE BOMP (IN THE BOMP, BOMP, BOMP)
「ニール・セダカ」、「キャロル・キング」、「バリー・マン」、んで未だ登場してないんだけど、
「エリー・グリニッジ」

(左「エリー・グリニッジ」、右「ジェフ・バリー」)
と、全員がブルックリン育ちだったんでゲス。
そんな彼等が中心となって作られたのが、
”アメリカン60’sポップス”
なんですナ。
さて、続いてはニューヨークから離れてピッツバーグ出身のグループの、
「ザ・スカイライナーズ」

「SINCE I DON’T HAVE YOU」
で、「ポップ・チャート」12位、「リズムンブルーズ・チャート」3位の大ヒットでゲス。
俺ネ、リード・ヴォーカルの「ジミー・ボーモント」の声大好き!!!!!
あのネ、「シンス・アイ・ドント・・・」は、”ストリート・コーラス”の後に所謂「ドゥ・ワップ」って言われた音楽で、初めて大掛かりなストリングス・オーケストラを取り入れたサウンドと言われていますナ。
続いては以前の、
”コーラス”モノ (パート3)
で登場した、
「ザ・ファイヴ・サテンズ」

の故郷のコネチカット州ニューヘヴンの更に北にあるハートフォード出身の「ジ・エンバース」が1958年にレコーディングしたデモなんだけど、最初聴いた時に声こそ違うものの明らかに、
「クライド・マクファター」

の影響を感じられる”唄い口”だったので、てっきり、
「ディー・クラーク」

「HEY LITTLE GIRL」
が唄っているのかと思って、色々と調べてみたらナント、びっくり!!!!!
「ジーン・ピットニー」

だったんですナ。
聴いてみてくださいヨ。
「DARKNESS」
言われてみれば・・・ですが、まさか「ジーン・ピットニー」とは思わなかったなぁ。
確かに「ジーン」は「クライド・マクファター」が大好きなので影響がある歌唱方でゲス。
「ジーン・ピットニー」はコノ後、「ジェイミー & ジェイン」ってな男女デュオを組んでレコードをリリースしますナ。

「STROLLING」
1959年にB面でのリリースだったんだけど、「ジーン・ピットニー」の相手の女性シンガーは後に「ダム・ヘッド」のヒットをリリースした、
「ジニー・アーネル」

「DAMB HEAD」
でゲス。
こうやって聴いてみると、コノ「ジニー・アーネル」の唄い方は何処か「ジーン・ピットニー」の歌唱法に似たモノがありますナ。
コノ後、「ジーン・ピットニー」は「ビリー・ブライアン」ってな名前ででもレコードをリリースしているんでゲス。
「CRADLE OF MY ARMS」
1959年11月のリリースで、コノ曲もB面だったんだけど作曲は、
「オーティス・ブラックウェル」

でしたナ。
今回はこんなところで終わりましょうネ。
んじゃぁ、又。



(左「バリー・マン」、右「ニール・セダカ」)

(手前「バリー・マン」、奥「シンシア・ワイル」、右「キャロル・キング」)

(左から「アル・ネヴィンズ」、「バリー・マン」、「アラン・ローバー」、「ドン・カーシュナー」)




2024年12月7日 14時21分21秒 (Sat)
”コーラス”モノ (パート8)
今回は「リズムンブルーズ」グループが中心だった1950年代中期のニューヨークのコーラス・グループのソノ後についてのUpでゲス。
「ニール・セダカ」

や、
「ポール・アンカ」

が「ドゥ・ワップ」調の曲を作って、"ソコ"へブロンクスのベルモント・アベニューを根城にしていた「ディオン・ディムーチ」率いる、
「ザ・ベルモンツ」

の登場で本格的な「ホワイト・ドゥ・ワップ」の時代がやって来ますナ。
以前の、
”コーラス”モノ (パート4)
でも登場した、
「I WONDER WHY」
から始めるでゲス。
「ディオン」と同じくブロンクス出身の、
「ボビー・ダーリン」

よりも先にヒット・チャートに登場したのは「ディオン」の方で、「アイ・ワンダー・・・」が1958年5月19日、「ボビー・ダーリン」の、
「SPLISH SPLASH」
は同年6月28日の登場でしたナ。
アッ、そうそう、「スプリッシュ・・・」は「ロックンロール」で”初ステレオ曲”でゲス。
あとネ、「ボビー・ダーリン」は1956年デビューで2年間ヒット曲無しで、「ディオン」は1957年デビューで1年間ヒット曲が無かったですナ。
「アイ・ワンダー・・・」は「ポップ・チャート」22位のヒット曲だったけど、1ヶ月とはいえ「ボビー・ダーリン」より先に「ディオン」の方が音楽ファンに知られていた訳でゲス。
更に「ニール・セダカ」がチャートに登場するのは同年の暮れなので、ニューヨークの音楽ファンにとって「ディオン」の登場は鮮烈なモノだったみたいですナ。
さて、続いても「ホワイト・ドゥ・ワップ」でゲス。
「ザ・メロー・キングス」

「TONIGHT, TONIGHT」
彼等は「ザ・ベルモンツ」よりも1年前にヒットして「ポップ・チャート」77位だったけどチャート・インしましたナ。
リリースしたのは、
「ヘラルド」レーベル

で、既に、
「フェイ・アダムズ」

や、
「ザ・ターバンズ」

のヒット曲をリリースしていたんだけど徐々に白人グループも手掛ける様になっていたでゲス。
続いてはブルックリンの、
「ジ・インパラス」

「SORRY (I RAN ALL THE WAY HOME)」
1959年「ポップ・チャート」2位、「リズムンブルーズ・チャート」14位ってな大ヒットでしたナ。
リード・ヴォーカルが黒人で他のメンバー全員が白人っていう”混交グループ”でゲス。
1958年、59年になると他にも続々とこういったグループが登場してきて然程珍しくはなくなってきましたナ。
厳密にゃぁ「ジ・インパラス」は「ホワイト・ドゥ・ワップ」に入らないのかもしれないんだけど、サウンドがコノ当時の「ホワイト・ドゥ・ワップ」サウンドなので、”ココ”で取り上げたでゲス。
続いては、俺が大好きなマンハッタン出身の”男声シンガー”の、
「ジョニー・マエストロ」

がリード・ヴォーカルの、
「ザ・クレスツ」

「16 CANDLES」
ガッハッハ・・・!!!!!
兎に角大好きなので他の曲もUpしますヨ。
「MY JUANITA」
「THE ANGELS LISTENED IN」
「STEP BY STEP」
もう、タマランでゲス。
「ザ・クレスツ」は黒人2人白人2人なので「ジ・インパラス」より分類は難しいんだけど、しかし、まぁ、人種云々ってのは社会での実態は別にして、”音楽”、特にコーラス・グループってなジャンルじゃぁどうでもよくなっているんですナ。
問題は”サウンドそのモノ”で、1940年代末の「リズムンブルーズ」色が強いモノから徐々に「ポップス」色が強くなっていくのが1958年、59年の傾向で、「16キャンドルズ」がそういった時代の代表曲ってなところでゲス。
「ポップ・チャート」2位、「リズムンブルーズ・チャート」4位の大ヒットでしたナ。
因みに「16キャンドルズ」のセールス担当は後に「ハーブ・アルパート」と共同で、
「A & M」レーベル

を立ち上げた「ジェリー・モス」でゲス。

(左「ハーブ・アルパート」、右「ジェリー・モス」)
続いてはブルックリンの西のスタテン・アイランド出身でリーダーが「ヴィト・ピコーネ」の、
「ジ・エレガンツ」

「LITTLE STAR」
コレ又、「ホワイト・ドゥ・ワップ」の典型サウンドで、「ポップ・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」共に1位!!!!!
ウルトラ・スーパー超特大のヒットだったんだけど、チャートに登場した曲はコノ「リトル・・・」だけで他の曲は100位にも入らなかった所謂、
”ワン・ヒット・ワンダー(日本では”1発屋”)”
っていうグループですナ。
続いては又ブルックリン出身の、
「ザ・ミスティックス」

「HUSHABYE」
「ザ・ミスティックス」も「ジ・エレガンツ」同様”ワン・ヒット・ワンダー”のグループで、チャート上では「ポップ・チャート」20位と「リトル・スター」程の大ヒットじゃぁなかったんだけど、後に沢山カヴァーされる人気曲となったでゲス。
続いても又々ブルックリン出身の、
「ザ・パッションズ」

「JUST TO BE WITH YOU」
1959年「ポップ・チャート」59位だったんだけど、実は「ザ・パッションズ」がレコーディングする前に別のグループがデモ・レコードを作ってましたナ。
グループは「ザ・カズンズ」っていって、ギターとリード・ヴォーカルは「ポール・サイモン」、ピアノとバック・コーラスは「キャロル・キング」だったんでゲス。
ソノ場に「ジェリー・ゴフィン」もいて、手伝っていたみたいですナ。

(左から「キャロル・キング」、「ポール・サイモン」、「ジェリー・ゴフィン」)
「ポール・サイモン」はクイーンズ育ちで、ハイスクールで「アート・ガーファンクル」と出会って、
「トム & ジェリー」

ってなグループを組んでいたでゲス。
「HEY SCHOOLGIRL」
1958年のリリースで、「ポップ・チャート」49位でしたが他の曲は全くヒットしなくって、ソノ後2人は其々別々の大学に行く事になって、「ポール・サイモン」は「クイーンズ・カレッジ」に進んで、”ソコ”で「キャロル・キング」、「ジェリー・ゴフィン」と知り合いましたナ。
因みに「キャロル・キング」と「ジェリー・ゴフィン」は学生結婚でゲス。

んでネ、「ザ・パッションズ」と「ザ・ミスティックス」のマネージャーが同じって事で「ポール・サイモン」は「ザ・ミスティックス」にも時々参加してましたナ。
「LET ME STEAL YOUR HEART AWAY」
ソロの箇所、確かに「ポール・サイモン」って判るでゲス。
1958年、59年にかけてニューヨークじゃぁいよいよ次世代の「ポップ・ミュージック」を作り出す有能なアーティスト達が動き始めていたって事ですナ。
ハイ、今回はココ迄でゲス。
では、又。








「ニール・セダカ」

や、
「ポール・アンカ」

が「ドゥ・ワップ」調の曲を作って、"ソコ"へブロンクスのベルモント・アベニューを根城にしていた「ディオン・ディムーチ」率いる、
「ザ・ベルモンツ」

の登場で本格的な「ホワイト・ドゥ・ワップ」の時代がやって来ますナ。
以前の、
”コーラス”モノ (パート4)
でも登場した、
「I WONDER WHY」
から始めるでゲス。
「ディオン」と同じくブロンクス出身の、
「ボビー・ダーリン」

よりも先にヒット・チャートに登場したのは「ディオン」の方で、「アイ・ワンダー・・・」が1958年5月19日、「ボビー・ダーリン」の、
「SPLISH SPLASH」
は同年6月28日の登場でしたナ。
アッ、そうそう、「スプリッシュ・・・」は「ロックンロール」で”初ステレオ曲”でゲス。
あとネ、「ボビー・ダーリン」は1956年デビューで2年間ヒット曲無しで、「ディオン」は1957年デビューで1年間ヒット曲が無かったですナ。
「アイ・ワンダー・・・」は「ポップ・チャート」22位のヒット曲だったけど、1ヶ月とはいえ「ボビー・ダーリン」より先に「ディオン」の方が音楽ファンに知られていた訳でゲス。
更に「ニール・セダカ」がチャートに登場するのは同年の暮れなので、ニューヨークの音楽ファンにとって「ディオン」の登場は鮮烈なモノだったみたいですナ。
さて、続いても「ホワイト・ドゥ・ワップ」でゲス。
「ザ・メロー・キングス」

「TONIGHT, TONIGHT」
彼等は「ザ・ベルモンツ」よりも1年前にヒットして「ポップ・チャート」77位だったけどチャート・インしましたナ。
リリースしたのは、
「ヘラルド」レーベル

で、既に、
「フェイ・アダムズ」

や、
「ザ・ターバンズ」

のヒット曲をリリースしていたんだけど徐々に白人グループも手掛ける様になっていたでゲス。
続いてはブルックリンの、
「ジ・インパラス」

「SORRY (I RAN ALL THE WAY HOME)」
1959年「ポップ・チャート」2位、「リズムンブルーズ・チャート」14位ってな大ヒットでしたナ。
リード・ヴォーカルが黒人で他のメンバー全員が白人っていう”混交グループ”でゲス。
1958年、59年になると他にも続々とこういったグループが登場してきて然程珍しくはなくなってきましたナ。
厳密にゃぁ「ジ・インパラス」は「ホワイト・ドゥ・ワップ」に入らないのかもしれないんだけど、サウンドがコノ当時の「ホワイト・ドゥ・ワップ」サウンドなので、”ココ”で取り上げたでゲス。
続いては、俺が大好きなマンハッタン出身の”男声シンガー”の、
「ジョニー・マエストロ」

がリード・ヴォーカルの、
「ザ・クレスツ」

「16 CANDLES」
ガッハッハ・・・!!!!!
兎に角大好きなので他の曲もUpしますヨ。
「MY JUANITA」
「THE ANGELS LISTENED IN」
「STEP BY STEP」
もう、タマランでゲス。
「ザ・クレスツ」は黒人2人白人2人なので「ジ・インパラス」より分類は難しいんだけど、しかし、まぁ、人種云々ってのは社会での実態は別にして、”音楽”、特にコーラス・グループってなジャンルじゃぁどうでもよくなっているんですナ。
問題は”サウンドそのモノ”で、1940年代末の「リズムンブルーズ」色が強いモノから徐々に「ポップス」色が強くなっていくのが1958年、59年の傾向で、「16キャンドルズ」がそういった時代の代表曲ってなところでゲス。
「ポップ・チャート」2位、「リズムンブルーズ・チャート」4位の大ヒットでしたナ。
因みに「16キャンドルズ」のセールス担当は後に「ハーブ・アルパート」と共同で、
「A & M」レーベル

を立ち上げた「ジェリー・モス」でゲス。

(左「ハーブ・アルパート」、右「ジェリー・モス」)
続いてはブルックリンの西のスタテン・アイランド出身でリーダーが「ヴィト・ピコーネ」の、
「ジ・エレガンツ」

「LITTLE STAR」
コレ又、「ホワイト・ドゥ・ワップ」の典型サウンドで、「ポップ・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」共に1位!!!!!
ウルトラ・スーパー超特大のヒットだったんだけど、チャートに登場した曲はコノ「リトル・・・」だけで他の曲は100位にも入らなかった所謂、
”ワン・ヒット・ワンダー(日本では”1発屋”)”
っていうグループですナ。
続いては又ブルックリン出身の、
「ザ・ミスティックス」

「HUSHABYE」
「ザ・ミスティックス」も「ジ・エレガンツ」同様”ワン・ヒット・ワンダー”のグループで、チャート上では「ポップ・チャート」20位と「リトル・スター」程の大ヒットじゃぁなかったんだけど、後に沢山カヴァーされる人気曲となったでゲス。
続いても又々ブルックリン出身の、
「ザ・パッションズ」

「JUST TO BE WITH YOU」
1959年「ポップ・チャート」59位だったんだけど、実は「ザ・パッションズ」がレコーディングする前に別のグループがデモ・レコードを作ってましたナ。
グループは「ザ・カズンズ」っていって、ギターとリード・ヴォーカルは「ポール・サイモン」、ピアノとバック・コーラスは「キャロル・キング」だったんでゲス。
ソノ場に「ジェリー・ゴフィン」もいて、手伝っていたみたいですナ。

(左から「キャロル・キング」、「ポール・サイモン」、「ジェリー・ゴフィン」)
「ポール・サイモン」はクイーンズ育ちで、ハイスクールで「アート・ガーファンクル」と出会って、
「トム & ジェリー」

ってなグループを組んでいたでゲス。
「HEY SCHOOLGIRL」
1958年のリリースで、「ポップ・チャート」49位でしたが他の曲は全くヒットしなくって、ソノ後2人は其々別々の大学に行く事になって、「ポール・サイモン」は「クイーンズ・カレッジ」に進んで、”ソコ”で「キャロル・キング」、「ジェリー・ゴフィン」と知り合いましたナ。
因みに「キャロル・キング」と「ジェリー・ゴフィン」は学生結婚でゲス。

んでネ、「ザ・パッションズ」と「ザ・ミスティックス」のマネージャーが同じって事で「ポール・サイモン」は「ザ・ミスティックス」にも時々参加してましたナ。
「LET ME STEAL YOUR HEART AWAY」
ソロの箇所、確かに「ポール・サイモン」って判るでゲス。
1958年、59年にかけてニューヨークじゃぁいよいよ次世代の「ポップ・ミュージック」を作り出す有能なアーティスト達が動き始めていたって事ですナ。
ハイ、今回はココ迄でゲス。
では、又。









プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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