2025年11月 アーカイブ
2025年11月21日 14時03分39秒 (Fri)
”「サイ・ヤング」賞”
今回は珍しく”メジャー・リーグ”の話でゲス。
「ロサンゼルス・ドジャース」の、
「山本由伸」投手

ネ、”「サイ・ヤング」賞”取れなかったですネ。
ワールド・シリーズでの活躍を思うと・・・。
まぁ、来年こそは!!!!!
でゲス。
さて、
”「サイ・ヤング」賞”
って?
ココでチョイと説明ですナ。
アメリカ・メジャー・リーグ・ベースボール(MLB)の”ナショナル・リーグ”と”アメリカン・リーグ”の両リーグにおいて、記者投票で選出された”年間最優秀投手”に送られる賞でゲス。
コノ賞の名前になっている「サイ・ヤング」ってのは、

”通算勝利”、”通算敗戦”、”通算先発”、”通算投球回”等、数々のメジャー記録を保持した”メジャー・リーガー”ですナ。
んで、彼の名誉を称えて、亡くなった1955年の翌56年に制定された賞なんでゲス。
あのネ、「サイ・ヤング」ってのは本名じゃぁなくって「デントン・トゥルー・ヤング」が本名ですナ。
”サイ”ってのは、”サイクロン(暴風)”みたく唸りをあげた速球を投げた事から”サイ”ってなニックネームが付いたんでゲス。
そうゆうので言うと、
「ベーブ・ルース」

も、本名は「ジョージ・ハーマン・ルース・Jr.」で、”幼顔”だった事から”ベーブ(赤ちゃん)”ってなニックネームで呼ばれる様になりましたナ。
制定された1956年、最初の”「サイ・ヤング」賞”投手は、
「ドン・ニューカム」(「ブルックリン・ドジャース」)

で、27勝7敗、防御率3.06、139奪三振ってな成績だったでゲス。

知っている人は知っているかもしれないんだけど、「ドン・ニューカム」って1962年に「中日ドラゴンズ」に入団していたんですナ。

コノ頃は、
「全盛期の様にゃぁ投げられないから。」
って入団を断ったところ「中日ドラゴンズ」側は、”外野手”としてプレーしてほしいとの事だったので入団をOKしたんだそうでゲス。

正直なところ、”メジャー・リーグ”について・・・って言うか、”野球”については詳しくないのでこんなところ迄ですナ。
んでも、古い選手で好きな”メジャー・リーガー”が何人かいるのでUpしますネ。
先ずは、
「ルー・ゲーリッグ」

続いて、
「テッド・ウィリアムズ」

「ジャッキー・ロビンソン」

「サチェル・ペイジ」

「ミッキー・マントル」

でゲス。
んじゃぁ、コレにて。
では、では。





(左側「ベーブ・ルース」と「ルー・ゲーリッグ」)

(コチラも「ベーブ・ルース」と)


(朝鮮戦争で海軍に入隊していた「テッド・ウィリアムズ」 写真は1953年)


(プロ・ボクサー「シュガー・レイ・ロビンソン」を中央に「ドン・ニューカム」左、「ジャッキー・ロビンソン」右)


(左から「ジョー・ディマジオ」、「ミッキー・マントル」、「テッド・ウィリアムズ」)
「ロサンゼルス・ドジャース」の、
「山本由伸」投手

ネ、”「サイ・ヤング」賞”取れなかったですネ。
ワールド・シリーズでの活躍を思うと・・・。
まぁ、来年こそは!!!!!
でゲス。
さて、
”「サイ・ヤング」賞”
って?
ココでチョイと説明ですナ。
アメリカ・メジャー・リーグ・ベースボール(MLB)の”ナショナル・リーグ”と”アメリカン・リーグ”の両リーグにおいて、記者投票で選出された”年間最優秀投手”に送られる賞でゲス。
コノ賞の名前になっている「サイ・ヤング」ってのは、

”通算勝利”、”通算敗戦”、”通算先発”、”通算投球回”等、数々のメジャー記録を保持した”メジャー・リーガー”ですナ。
んで、彼の名誉を称えて、亡くなった1955年の翌56年に制定された賞なんでゲス。
あのネ、「サイ・ヤング」ってのは本名じゃぁなくって「デントン・トゥルー・ヤング」が本名ですナ。
”サイ”ってのは、”サイクロン(暴風)”みたく唸りをあげた速球を投げた事から”サイ”ってなニックネームが付いたんでゲス。
そうゆうので言うと、
「ベーブ・ルース」

も、本名は「ジョージ・ハーマン・ルース・Jr.」で、”幼顔”だった事から”ベーブ(赤ちゃん)”ってなニックネームで呼ばれる様になりましたナ。
制定された1956年、最初の”「サイ・ヤング」賞”投手は、
「ドン・ニューカム」(「ブルックリン・ドジャース」)

で、27勝7敗、防御率3.06、139奪三振ってな成績だったでゲス。

知っている人は知っているかもしれないんだけど、「ドン・ニューカム」って1962年に「中日ドラゴンズ」に入団していたんですナ。

コノ頃は、
「全盛期の様にゃぁ投げられないから。」
って入団を断ったところ「中日ドラゴンズ」側は、”外野手”としてプレーしてほしいとの事だったので入団をOKしたんだそうでゲス。

正直なところ、”メジャー・リーグ”について・・・って言うか、”野球”については詳しくないのでこんなところ迄ですナ。
んでも、古い選手で好きな”メジャー・リーガー”が何人かいるのでUpしますネ。
先ずは、
「ルー・ゲーリッグ」

続いて、
「テッド・ウィリアムズ」

「ジャッキー・ロビンソン」

「サチェル・ペイジ」

「ミッキー・マントル」

でゲス。
んじゃぁ、コレにて。
では、では。





(左側「ベーブ・ルース」と「ルー・ゲーリッグ」)

(コチラも「ベーブ・ルース」と)


(朝鮮戦争で海軍に入隊していた「テッド・ウィリアムズ」 写真は1953年)


(プロ・ボクサー「シュガー・レイ・ロビンソン」を中央に「ドン・ニューカム」左、「ジャッキー・ロビンソン」右)


(左から「ジョー・ディマジオ」、「ミッキー・マントル」、「テッド・ウィリアムズ」)
2025年11月7日 13時47分54秒 (Fri)
「ワーク・ソング」と「フォーク・ソング」 (パート3)
先月第4週の中頃を過ぎたくらいから突然大量に仕事が入荷してきて、然も通常だったら今頃は来季春夏物を製作している筈なのに、冬物の追加666個を作っているでゲス。(そろそろ完了ですナ。)
さて、本題でゲス。
前回の最後に、
”次回は「ポップ・ミュージック」からの「フォーク・ミュージック」へのアプローチ・・・。”
ってUpした通り、”ソコ”から始めようと思いますナ。
1957年「ポップ・チャート」で1位を獲得した大ヒット曲に、こういったのがあつたでゲス。
「HONEYCOME」(邦題「蜂蜜むすめ」)
唄っていたのは、
「ジミー・ロジャース」

で、1920年代から30年代に活躍した「ブルー・ヨーデル」で知られた”大御所”とは同名別人で、ワシントン出身の「ポップ」シンガーですナ。
因みに”大御所”はコチラ↓でゲス。

んで、「蜂蜜むすめ」を唄っていた「ジミー・ロジャース」は元々”フォーク・シンガー”になりたかったみたいで、2枚目にリリースした曲は、
「ザ・ウィーヴァーズ」

のレパートリーだった、
「KISSES SWEETER THAN WINE」(邦題「ワインより甘いキッス」)
を、
で、「ポップ・チャート」3位の大ヒットになったでゲス。
リリースしたレコード・レーベルは、ギャンブラーの、
「ジョージ・ゴールドナー」

と、”大親分”の、
「モーリス・レヴィ」

が作った、
「ルーレット」レーベル

で、コノ会社が「フォーク・ミュージック」ってなジャンルに本格的に手を出してきたって事は、ブームもそろそろ本格的になってきた証拠だったんですナ。
さて、「ジミー・ロジャース」はというと、コノ後もトップ10ヒットを連発するビッグ・スターになっていったんだけど、アルバムの中に収録されている曲ですが、
「EVERGREEN TREE」
日本じゃぁ「クリフ・リチャード」のコチラ↓の方がお馴染みかもしれませんネ。
オリオジナルは「ジミー・ロジャース」で、作者は、
「アーロン・シュローダー」&「ウォーリー・ゴールド」

ってな「ポップ・ミュージック」の作家達にも「フォーク・ミュージック」調の需要が高まってきたって事でゲス。
先程から「ジミー・ロジャース」自身は”フォーク・シンガー”を名乗っていたとUpした事は、
「JIMMIE RODGERS SINGS FOLK SONG」

を見れば、シッカリと”フォーク・ソング”って文字を入れたアルバムをリリースしていた事でも判りましたナ。
あとネ、
「ジョン・スチュアート」

の作った曲も演っていて、コノ「ジョン・スチュアート」ってのは1961年に、
「ザ・キングストン・トリオ」

からリーダー格の「デーヴ・ガラッド」が脱退して新メンバーとして加入した人物でゲス。

んで、「ジョン・スチュアート」が加入した第2期「ザ・キングストン・トリオ」が1961年にレコーディングした曲が、
「WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE?」(邦題「花はどこへ行った」)
で、日本じゃぁ1964年になってからヒット・チャートに入ってアメリカ本国以上の大ヒットを記録しましたナ。
以上でゲス。
「ザ・キングストン・トリオ」や、以降の”「フォーク・ミュージック」シーン”については又何かの機会にUpするかもしれませんが、「ハリー・ベラフォンテ」の「カリプソ」から始まった、
”「ワーク・ソング」と「フォーク・ソング」”
はココ迄ですナ。
では、では。



(自らの名前が付いた「グレッチ」社の「ジミー・ロジャース」を使用。)

さて、本題でゲス。
前回の最後に、
”次回は「ポップ・ミュージック」からの「フォーク・ミュージック」へのアプローチ・・・。”
ってUpした通り、”ソコ”から始めようと思いますナ。
1957年「ポップ・チャート」で1位を獲得した大ヒット曲に、こういったのがあつたでゲス。
「HONEYCOME」(邦題「蜂蜜むすめ」)
唄っていたのは、
「ジミー・ロジャース」

で、1920年代から30年代に活躍した「ブルー・ヨーデル」で知られた”大御所”とは同名別人で、ワシントン出身の「ポップ」シンガーですナ。
因みに”大御所”はコチラ↓でゲス。

んで、「蜂蜜むすめ」を唄っていた「ジミー・ロジャース」は元々”フォーク・シンガー”になりたかったみたいで、2枚目にリリースした曲は、
「ザ・ウィーヴァーズ」

のレパートリーだった、
「KISSES SWEETER THAN WINE」(邦題「ワインより甘いキッス」)
を、
で、「ポップ・チャート」3位の大ヒットになったでゲス。
リリースしたレコード・レーベルは、ギャンブラーの、
「ジョージ・ゴールドナー」

と、”大親分”の、
「モーリス・レヴィ」

が作った、
「ルーレット」レーベル

で、コノ会社が「フォーク・ミュージック」ってなジャンルに本格的に手を出してきたって事は、ブームもそろそろ本格的になってきた証拠だったんですナ。
さて、「ジミー・ロジャース」はというと、コノ後もトップ10ヒットを連発するビッグ・スターになっていったんだけど、アルバムの中に収録されている曲ですが、
「EVERGREEN TREE」
日本じゃぁ「クリフ・リチャード」のコチラ↓の方がお馴染みかもしれませんネ。
オリオジナルは「ジミー・ロジャース」で、作者は、
「アーロン・シュローダー」&「ウォーリー・ゴールド」

ってな「ポップ・ミュージック」の作家達にも「フォーク・ミュージック」調の需要が高まってきたって事でゲス。
先程から「ジミー・ロジャース」自身は”フォーク・シンガー”を名乗っていたとUpした事は、
「JIMMIE RODGERS SINGS FOLK SONG」

を見れば、シッカリと”フォーク・ソング”って文字を入れたアルバムをリリースしていた事でも判りましたナ。
あとネ、
「ジョン・スチュアート」

の作った曲も演っていて、コノ「ジョン・スチュアート」ってのは1961年に、
「ザ・キングストン・トリオ」

からリーダー格の「デーヴ・ガラッド」が脱退して新メンバーとして加入した人物でゲス。

んで、「ジョン・スチュアート」が加入した第2期「ザ・キングストン・トリオ」が1961年にレコーディングした曲が、
「WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE?」(邦題「花はどこへ行った」)
で、日本じゃぁ1964年になってからヒット・チャートに入ってアメリカ本国以上の大ヒットを記録しましたナ。
以上でゲス。
「ザ・キングストン・トリオ」や、以降の”「フォーク・ミュージック」シーン”については又何かの機会にUpするかもしれませんが、「ハリー・ベラフォンテ」の「カリプソ」から始まった、
”「ワーク・ソング」と「フォーク・ソング」”
はココ迄ですナ。
では、では。



(自らの名前が付いた「グレッチ」社の「ジミー・ロジャース」を使用。)


プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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