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小さな小さな大エース

7回裏 ラストバッター

「ストライーク、バッターアウッ!」
 うん、まあ楓も予想はしていた。そもそも前回と今日と一度もバットにボールが当たっていない下位打線組がここ一番で打てるなどと期待が持てるわけもない。案の定6、7番は2者連続三振に倒れツーアウトランナーなし、ここからサヨナラ勝ちを狙うとなると、8番の椛が一発ホームランを狙うくらいか……? 残念だが正直全く期待できそうにない。
「よし、じゃあ行ってくる。舞ちゃん、次はよろしくね」
「もちろん、ボクで終わらせるつもりはないよ」
 舞と拳をコツンとぶつけ合い、椛はバッターボックスへ向かっていく。自信ありげだったが、その自信の招待はおっさんが初球を投じた直後にはっきりした。
 椛が打席前方に向けて踏み出した脚におっさんの投じたストレートが直撃した。踏み出した直後だけに、椛は回避することも出来ずに直撃を食らって打席に崩れ落ちた。
「「うわあ、痛そう……」」
 櫻井姉妹の言葉がハモった。だがそうも言いたくなるくらい綺麗な当たり方だった。
おっさんのストレートが直撃したのは椛の向う脛だった。流石に軟式のボールということを考慮すれば折れていることはないだろうが、硬式野球のようにプロテクターがない以上、痛いのは否定出来ない。楓だって昔身を以て体験している。
秋人が椛に肩を貸して何とか椛はベンチに戻って来た。ユニフォームをめくり上げると、白く細かっただろう足は早くも真っ赤に腫れだしていた。
「椛はそのままベンチに下がっていいよ。ピンチランナーは僕が出ておくから」
 ベンチに下がってコールドスプレーを吹いてもらっている椛にそう言って、秋人はさっさとファーストに走って行ってしまった。6.7番が臨時代走のルールも知らない以上、秋人が出ても特に何も言われなかった。
「舞ちゃん、よろしくね」
 託された打席、バットをケースから抜き出しながら舞が椛の言葉に声もなく頷く。バットを担ぐ小さな背中に皆の声援が集まる。皆がプレーに集中する中、楓からベンチに座り込んだ椛に尋ねる。
「絶対回すってこれのことだったのかよ……。しかしまあ、当たりに行くような根性もすごいが、よくインコースが来るって分かったな」
 デッドボール狙いはインコースの厳しいところより更に身体寄りにボールが来ること前提だ。椛は何で相手の配球が読めたんだ?
「そんな事馬鹿でもなければ分かるって」
 ごめんなさい。どうやら楓は馬鹿のようです。
「前の打席から、外の届かなそうなボールか、インコースにミット半分くらい外れるストレートしか来なかったから、2択で内側に来るって山を張っただけだよ。正直内角攻めもしつこかったから、こっちも嫌がらせ染みたことをしなきゃって使命感に駆られただけだって。まあ、こんなやり方でもちょっとはやり返せてすっきりしたわ」
 どうやら椛は椛でおっさんの投球に腹を据えかねていたらしい。ツーアウトランナー1塁で、おっさんは球筋を乱していた。舞を相手に上手くストライクが取れずボール玉が先行している。そしてベース上で手を叩いて囃したてる秋人の姿……。
「ヘイヘイ、ピッチャーウチのエースにビビってんのか?」
 うん、この光景のどこにスポーツマンシップがあるだろうか? 
「ピッチャー肩の力抜け!」
 キャッチャーが嗜めるが、そんな事では狂い出した歯車は戻らない。元投手の楓は一度リズムが狂ったピッチャーにそれを立て直すことがどれだけ難しいかよく知っている。
「スリーボール、ノーストライク」
 主審の告げるカウントは舞に圧倒的に優位だ。結局次の一球もキャッチャーがサッカーのゴールキーパーか何かのように大跳躍して何とか止められたくらいだった。
「ボール、フォア!」
 2アウトランナー1.2塁。首の皮一枚分希望が繋がった。しかもここに来ておっさんは調子を崩している。これなら――!
「来いよ小僧。場は整ったぜ」
 ああ、そう言うことね。つまりおっさんは最初から舞をラストバッターにするつもりはなかったということか。わざわざ芝居を打ってまでラストバッターを楓にするつもりだったらしい。ガキかよ、このおっさん。
「少し待ってもらってもいいですか?」
 キャッチャーがタイムを要求するとほぼ同じタイミングでおっさんが主審に告げる。
「主審タイムだ。ピッチャー白河左に交代」
 勝手にそう告げてベンチに戻って行ったおっさんは、荷物の中から何かを取り出してマウンドに戻って来た。……変わっているのはおっさんの着けていたグラブが右投げ用から左投げ用になっていることだった――いや、何があった?
「……おっさん何考えてんだ? いきなり左投げ……?」
「かえでー! お父さんは元々ボクと同じ左利きだよー!」
 投球練習が始まったが、なるほど。確かに舞が言う通り、サウスポーでの投球練習のフォームに違和感はない。見て取れるような不慣れさも、リリースのバラつきもないあたり、本当に両投げらしいな。
 そして軽く投げているはずなのにボールの回転がやたらいい。不慣れな逆手投げで抑えられていたと思うと、少しいらっとくるな。投球練習のラストボールは明らかに舞の全力投球と同じくらい出ていた。
「待たせたな小僧、最後くらいは力と力の勝負と行こうぜ」
 楓がバッターボックスに入ってプレーが始まり、バッテリーがサインを交わす。
1つ頷いておっさんが投球フォームに入る。ワインドアップ、高い足の振り上げ。血は争えないと思わせるくらい、舞そっくりなフォームだ。いや、舞がおっさんのフォームを模倣したのか。
 第1球、速――!?
「ボール!」
 少し高い釣り球に手が出かけたが、何とかスイングはせずに耐えた。それにしても――
「かなり速いな……!」
 多分球速は遅めに見積もっても130キロは出ている。さっきの右投げの120キロ台は何だったんだと聞きたくなる速球派だった。
「よく今のボールを見たね。白河さんがスイッチすると大体皆待球出来ずにボール球に手を出しちゃうのに」
「はは……。ノーコン速球派のピッチャーは見飽きてるから」
 軟式で悠々の130キロ越え。硬式なら140キロを超えるかもしれない左腕の快速球。ぶっちゃけてしまえば「全く打てる気がしない」正直ストレートに山を張っても当てられるか微妙だろう。
「よく見たな小僧、じゃあもっとギア上げて行くぜ」
 確かにフォームは舞とよく似ている。だが球速は15キロ以上も違えば舞のそれとはもはや異次元レベルの速さだ。アレ以上の速度で投げ込んでくるとしたら、見定めているゆとりはない。バットをギリギリまで短く持って何とか速球に対応しに行――
「ストライク、ワン!」
 だがおっさんの投げたボールは楓のバットに掠りもしなかった。投じられた一球は、楓が捕える直前で急ブレーキを掛けられたように落ち、ホームベースを直撃した。多少コースが甘いにせよ、楓の自己最速のストレートとほぼ同じ速度で落ちるフォークなど打てる訳がない!
「何が力と力の勝負だ! 思いっ切り変化球投げてんじゃねえか!」
「まあ白河先輩は少し大人気の無い人だし、大目に見てよ」
 キャッチャーもややお疲れ気味だ。見ればフォークがベース上で跳ねたのか、マスクに軟式ボールがはまり込んでいた。
「あの、顔が大変な事になってますよ……?」
「そりゃねえ、ノーサインでいきなりあんなフォーク投げられるし、咄嗟の判断で捕らされる身にもなって欲しいよ。まあ逸らさなきゃキャッチャーの勝ちだけどさ」
 ぼやきながらマスクにハマり込んだボールを抜こうとするキャッチャーの姿はシュールだったが、多分他の人から見たら楓と舞も同じ様な感じなんだろうな。現にさっきノーサインでスローカーブ投げられたところだし。
「父子揃って我が儘なピッチャーで、お互い苦労するね」
 ようやくマスクから外れた軟球を返しながらキャッチャーがにこやかに語りかけて来るが、楓からは何も言えなかった。面越しにボールは鼻を捉えたらしく、彼の鼻頭は真っ赤になっていたから……
 おっさんの手元にボールが戻って第3球目。バットを短く持ってコンパクトなスイングで何とか当たったが、ボールは全く前には飛ばなかった。
「ファール!」
 軟式の130キロ越えはホップすると噂だったが、まともにバットの上っ面に当たったらしく、打球はバックネット後方に高々と飛んで行った。ヤバいな、これで1ボール2ストライク。最悪の早さで追い込まれた。
 
「ボール」
 第4球は目の高さのストレートだったが、初球のそれより更に速い。明らかに高く無ければむざむざ振って三振していただろう。カウントは2ボール2ストライク、まだ向こうには1球遊びに使える余裕がある。
 二者択一で思いっ切りだけで振る。まったく理に適ってないが、文句を言っていられる場合ではない。どうせ一瞬変化球を意識すれば速球は捉えられないのだから。
「ストレートには強いんだね」
「見るだけならな」
 もっともあのフォークはバットに当たる気さえしないけどな! そうである以上、必然的にストレート一本に山を張るしかない。
 バットのグリップをもう一巻き分短く持つ。狙うはインコース。外に投げられたら多分届かないほど、バットを短く握り込む。おっさんが投球モーションに入る。インコースベルトの高さ。狙い通りの絶好球だ――
「……っ!」
 と思ったら、曲った!? インコースのストライクゾーンからインコースボールになる変化球だ。出してしまったバットの根っこが思いっ切りボールに衝突してしまった。
「っクソ! 打ち負けた!」
 微妙に内側に食い込んで来るスライダーをバットの根っこで捉え、ボールが力なく山なりの軌道で打ち上がる。完全にどん詰まり、もろにバットが負けている。金属バットの反発力で何とか力ずくで振り抜いたが、ボールはショートの頭を超えられるか――!
「落ちろぉぉぉおおお!」
 ショートがジャンプ一番、半身になりながら跳躍しグラブを伸ばす。グラブの網の先端がボールを捉える。だが、完全キャッチには至ってない!
「捕るな! 行け、落ちろ!」
 打球に祈りが効く訳がない。それでもショートのグラブの網がしなり、ボールがグラブの先端からこぼれ落ちた。
着地に失敗し膝を着くショートと、レフト、センターの中間地点をボールが点々とする。地面に落ちたものの飛距離は全くない。辛うじてショートの頭を超えたが、楓にも長打はないと思っていたのか、センターはかなり前進守備だ。
舞は何とかセカンドセーフになりそうだが、臨時代走の秋人がホームまで行けるかと聞かれれば、難しいと言わざるを得ない。少なくとも楓がサードのランナーコーチャーならとても回せない。
 だが奴はサードベース周囲で減速することなく回り切った。
「センター、バック一本!*1」
 既にキャッチャーはベース上で待機、センターが素手でボールを拾い、大きくステップを踏み込む。秋人のタイミングは傍目にはやや暴走気味だがそれでも顔には何かを企むような笑みがあった。
「暴走だろうが! 舐めてんじゃ――ねえ!」
 バックホームするセンターの叫びなどお構いなしに、秋人が躊躇いなくホームに駆ける。センターからの返球は低い軌道を描きホームに迫って来る。決してレーザービームではないが好返球だ。
「秋人! 滑れ!」
「おうよぉ!」
 ファーストベース上で叫んだ楓の声に、秋人が応える。残り5mあるか無いかの距離から半ば飛び込むようなスライディングで足から滑り込んだ。
 マウンド前方でボールが跳ねる――キャッチャーまで残り10m足らず。ミットに吸い込まれていくボールに、全員の目が釘付けになった。
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