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2013年04月 アーカイブ

2013年4月28日 8時55分49秒 (Sun)

南目線廃線から5年、島鉄の現在を見る(3)

 最終回は、島鉄南目線の活用策を考えてみたいと思います。

なんというか、あくまで私の戯れ言ではあるので興味がない人は「戻る」を押してください。

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島鉄南目線(南島原〜島原外港)のうちの9割にあたる35.3キロ(島原外港〜加津佐)が廃線となったのは第1回で紹介したとおりである。

しかし、計画性がなかった島原鉄道はじめ、沿線自治体などは廃線後になって活用策を話し合うことになってしまったのである。

その中で出てきたのが「桜並木(などの植物を植える)」という計画である。

1.桜並木計画

日本一の桜並木を整備すると言う計画である。ある意味、一番有力視されているというのだからすごい話であるが、いったい何本もの苗木を用意すればいいのかがわからない・・・というか考えただけでものすごいことになりそうである。

かと言いつつも、景観を損ねることはないし、むしろ良くしてくれそうだとは思う。しかし、誰が管理するのかなどという初歩的な疑問点もあり、実現性は低いだろうと思う。

 

このような計画もあったのだが、私としてはそのような整備もいいのだが、南目の交通事情も考慮してみてほしいと思う。

特に朝夕が混雑する南目にあって、バスの遅延は迷惑ままならない・・・ということで、このような計画案もあるようだ。

2.BRT整備計画

そもそもBRTというのは、もしかしたら前回取り上げているのかもしれないが改めて説明するとしたら、バス高速輸送システム(Bus Rapid Transit)ということである。要するにバス専用道を整備して、バスの定時制や高速性をはかると言うことである。

実際に茨城県の鹿島鉄道(2007年廃線)跡を利用して、バス専用道が整備されているほかは、東北の気仙沼線などでは、被災した鉄道路線の代替目的でBRTが導入されている。

私としてもBRTはいいことではないかと思う。

特に学生にとっては、ただ1つの通学手段であるため定時制は重要。遅延は許されざるものととらえてもいいだろう。そこでBRTを導入すると定時制に優れるのではないかと思う。

廃線跡も線路が撤去されているし、ほとんどの区間はそのまま廃線跡が残されているので、専用道に整備しようと思えば可能なのである。

また、沿線には口之津営業所があり、そこの裏手には廃線跡があるので、そこからそのまま車両を乗り入れることができるし、原城やジオパークの1つとして貴重な遺産となっている龍石海岸の不整合などがあり、そこに最寄りの停留場を整備することも可能である。

 

私は、この計画が一番いいのではないかと思う。

BRTがここまで向いている廃線跡も、そう多くないのでは?とも思うくらいである。

ちなみに、風光明媚でもあるのでツアーバスを入らせるのもいいかもしれない?

また、無難な物ということでこういうものもあった。

3.LRT整備計画

そもそもLRTとは、Light Rail Transitのことで和訳すると、日本では主に「次世代型路面電車システム」などの意味になる。

これはどういうことなのか・・・たとえば、路面電車のイメージを想像する場合、だいたいの方は「古い」「乗りづらい」「遅い」というイメージを持たれる方も多いことだろう。

実際、モータリゼーションが進んでいたかつての日本では、そのようなイメージを持たれていたがために多くの都市で廃線となっていった。そのため、東北地方には現在路面電車は存在していない。

しかし、そのようなイメージを払拭するのがLRT。

条件として、主に「快適性、静粛性、信頼性の高いこと」「専用軌道やセンターリザベーション(併用軌道)などでの定時制の高さ」「都市(地域)計画での位置づけなど政策的な裏付け」「既存交通との連携」「運賃収受方式の改良(プリペイドカードなどの導入)」「乗降の容易化(軌道や電停の改良、超低床車両(LRV)導入など)」があげられる。

代表的な話としては、富山県の富山ライトレールがある。

そのようなLRTは肝心な設備として、線路と架線が必要となる。

しかし、島鉄は非電化だったし、線路も先述の通り撤去されている。そのため、また線路をひき直すとなると莫大な資金が必要となるし、車両も必要となってくる。

※イメージ(長崎電気軌道)

そうなると、実現性は低い。

ちなみに、既存交通との連携というのもあるが、仮にLRTが実現したら島鉄バスとそのLRTで旅客争いが起きそうである。そんなことだととてもLRTなんて敷こうと思えないだろう。

 また、LRVも車両単価が安くて2億円と、島鉄や沿線自治体には大きな負担となる。

こうなると、やはり実現性は低い。

 

今回は、3つの計画案を考えてみた。

私的には2番目のBRT化が一番であると思うが皆さんはどうだろうか。

まず、このような記事を今になって書くのはそもそもあり得ないことともいえる。

島鉄や沿線自治体には、この件については考え物ではないかと思う。

活用次第によって、自治体の未来がかわっていくのだろうと思うと、難しいものである。

 


2013年4月21日 10時20分22秒 (Sun)

南目線廃線から5年、島鉄の現在を見る(2)

 早速ながら、今回は南目線廃線跡と南島原の交通の現在についてです。

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(廃線跡について)

南目線(島原外港〜加津佐)の線路跡については、はっきり言いますとほぼ敗戦当時のまま放置されているというのが現状です。

一部では口之津駅などで駅舎の解体がありましたが、有家駅のようにバスターミナルに転用されたり、加津佐駅のように放置されているのがほとんどであります。

線路跡につきましても、鉄橋がほとんど撤去されてはいるものの安新大橋や水無川橋梁が残っているなど、高架部分は今でも列車が走ってきそうな雰囲気でありますし、そのほか有家川橋梁などの橋梁も残っているのが確認できました。

※有家川橋梁

しかしながら、西有家〜龍石では消防署が新しく建設され、出入り口が線路跡の上にあるという残念な光景が見られました。近くには、きれいに整備されている埋め立て地(?)もあり、道路も線路跡の上を通過するようになっていますので、国道に面するよりはそちらの道路に面していた方が良かったのではないかと思います。

廃線跡については、BRT(Bus Rapid Transit→バス高速輸送システム)などの活用案もあるのですが、どれも具体化されておりません。

廃線にするなら、後の活用法も考えてから廃線にしろよと今となっては思うばかりです。

(南島原の交通について)

南島原市は、2008年の廃線によって鉄道がなくなりました。そのため、現在では長距離移動はバスに頼らざるを得ません。

そのため、朝夕は島原市内方面へ向かう学生などで混むため、元長崎バスのキュービックや元県営のエアロスター(2扉)などが活躍しています。

※元県営バス

※元長崎バス

これらは、やはり長崎という都市部などで活躍していたこともあるのでラッシュ時にはもってこいと言ったところでしょうか。

ちなみに、島鉄では転属車は基本いじらないのか、表示幕が元々の所属元とは交換されてはいる物の表示方法が変わらないのが特徴です。

たとえば、元長崎バス車は、幕が2つに分けられているのですが、ちゃんと双方の幕にそれぞれ経由地と行き先を表示しているのです。

次に運行形態についてですが、バスはラッシュ時は本数が多くなるものの、データイムでは毎時1本程度になります(加津佐行き)

須川港行きに関しては、須川港の需要がなくなったためか減便傾向にあるのが現状です。

ちなみに、加津佐行きは2008年設定の行き先。元々は口之津行きだったのを列車代替と言うことで加津佐まで延伸させたようです。

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次回は、最終回になるかもしれません。


2013年4月6日 11時04分47秒 (Sat)

南目線廃線から5年、島鉄の現在を見る(1)

時がたつのは速いと感じられることは多々あるのですが、気がつけば島鉄の一部区間廃止から5年が経過しているんですね。

島鉄も、この5年で何が変わっていったのか、そして南目線の今はどうなっているのか・・・ということを何パートかに分けて探っていこうと思います。

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今パートでは、まず南目線について話していこうと思います。

早速ながら、皆様に質問いたしますが、南目線を知らないという方はいるでしょうか。

もしかしたら、鉄道ファンじゃない限りあまりわからないという人が多いと思うので解説していきましょう。

(南目線について)

南目線とは元をたどれば口之津鉄道という私鉄の路線になります。

1919年に創立した口之津鉄道は、1922年に島原湊(現在の南島原駅)〜堂崎(南島原市有家にある)を開通させ、その後1928年までに加津佐まで路線が開通いたしました。

元々は島原鉄道創業者でもある植木元太郎氏が、島原半島を一周する鉄道を敷設する目的などがあり開業した路線ですが、加津佐より先の南串山方面へは断崖絶壁と海に囲まれた細い土地を走らなければならないということで、断念せざるを得ず、実現しなかったようです。

1943年には口之津鉄道が島原鉄道に吸収され、島原鉄道の南目線となりました。

その後は特に大きな変貌はなかったのですが、1972年には廃止について沿線住民と協議するなど、この頃からすでに利用者が減ってきていたようです。

それに追い打ちをかけるがごとく、、1991年には南島原〜布津(ふつ)が危険区域に指定されたため運転できなくなり、その間には安徳〜瀬野深江の線路が土石流によって埋没するなどの大きな被害が出ました。

それでも、その年の8月には布津〜深江で運行を再開しました。

しかし、1993年には島原外港〜深江でまたもや線路が埋没。通算で5度目の運休となるなどの被害が出たものの、その後は噴火終息宣言が出され、後に被害区間は高架化され開業に至ったわけです。

開業と同時に、南目線に急行が8年ぶり(島鉄では1989年に急行が全廃)に復活。同時に島原〜深江ではトロッコ列車「島鉄ハッピートレイン」が運行を開始しました。

2年後には南目線の急行は廃止されましたが、それでもトロッコ列車は好調な乗車率を誇りました。

しかし、南目線の乗客が戻ってくることはなく、2007年には廃止するとの意向を表明。2008年にラストランが行われました。

なお、2007年の年末にはトロッコ列車がラストランを迎え、加津佐まで延長運転がされていたり、キハ20形も廃線の1年前ほどから南目線での運用が増えていたりと、島鉄なりのラストを祝っていたようでした。

(上・・・島鉄トロッコ、加津佐にて。 下・・・キハ2018号車。加津佐にて)

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ちなみに、キハ20について豆解説。

※島鉄ではキハ2000としても扱われてはいるようですが、こちらではキハ20として扱います

国鉄形気動車の名車としても名高いキハ20形をモチーフに誕生した、島鉄のキハ20は3両が誕生しました。

トイレはついていなかったようですが、それでも座席はどことなく気品があり、国鉄社とは見劣りしない内装で人気もあったようです。

(また、一部の車両にはラジオまで設置されていたそうですが、すぐに撤去されたようです)

その後、国鉄に乗り入れることはなくなりましたが、島鉄の線内で活躍を見せ、1985年には4両、1987年には9両のキハ20が国鉄から転属してきました。

1997年にも岡山県の水島臨海鉄道から2両が転属してきましたが、その頃にはキハ2500形が勢力を伸ばしつつあったので、置き換えも進んでいたようです。

2008年の全線廃止とともにキハ20形は全廃。最後まで残った島鉄のオリジナル車両、キハ2003は2008年10月に公開された後、ほかの車両と同じ愛野駅で解体されたようです。

キハ2003は1958年からの50年間、島鉄を支え続けていたのでした。

(上・・・キハ2003、南島原駅併設の車両基地にて、下・・・キハ2003の車番と社標)

 

2013年4月1日 22時51分01秒 (Mon)

島鉄に観光列車導入か!?(最後まで読んでみましょう)

いよいよ新年度です。

私も受験生ですので、更新頻度が下がっていきそうな予感がしますし、書くから書くからといってた小説も結局書かないままです。書こうと思っても書く気になれない・・・。

さて、今回は驚きです。

なんと島鉄に観光列車が導入されるんですからっ!

停車駅や車両などの概要は判明していませんが、ある意味これは島鉄のトロッコ列車以来の意欲作となりそうです!

詳しくわかり次第、お伝えいたします。

運行開始が楽しみですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんていう記事が、いつか本当になったらいいな。

すいません。本日はエイプリルフールなので、便乗してしまいました。

島鉄も会社としては突っ込みどころがあります(三会駅などの駅舎?の画像を持っていないことなど)が、やり方次第では黒字になっていくかもしれません!

島鉄の関係者の方。ぜひ、平成25年度は島鉄の改革を推し進めていってほしいです。

バスばかりではなく、列車にも意欲的な列車(観光列車など)を導入するなどを、自治体と協力したりして列車の方に改革の風を起こせるよう、がんばってください!応援しています!



島鉄情報局

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