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日々徒然

2017年3月19日 21時59分22秒 (Sun)

廃線から9年経過して・・・

島原市のホームページを確認していたら、このようなものを見つけた。
//www.city.shimabara.lg.jp/page3897.html?type=top
実際は、第1回が先月の19日だったかに開催されていた。ゲストもこの2回目と同じ方だったと思われる。
正直、このように「地方の公共交通」について真摯に考える機会を設ける島原市の姿勢は評価できると言える。今や大都市近郊においても幹線系統の鉄道やバスの路線ですら廃止になることも多くなり、「存続か廃止か」という選択を迫られる事業者や自治体が多い。そんな今だからこそ、公共交通のあり方、公共交通をどのように支えていけば良いのかなどを考えるこの企画というのは行っていくべきなのである。
私は素晴らしいと思ったのだが、なにか心に引っかかるものもあった。

2008年3月。島原鉄道の南目線の大部分である島原外港〜加津佐の区間が廃線となった。
1928年に開業したこの路線は皮肉にも創業100年、開業80年目の節目の年に廃線となったのである。
廃線区間の中には、何億もの税金で整備された高架区間すら存在した。この区間は雲仙普賢岳災害の土石流により線路流失が多発した区間やその付近を高架化したものであり、復興の象徴とも言える区間であった。ちなみに、この区間にあった「安徳駅」は県内初の高架駅であった。現在では佐世保駅が開業し、浦上駅や長崎駅の高架化が進められているが、それらに先んじて島原の地にすでに高架駅は存在していたのである。
また、廃線となった区間は風光明媚な区間としても知られ、CMのロケに使われることもあったほか、この当時島鉄にはキハ20形という旧型気動車が活躍し、鉄道ファンからも親しまれていた。
ちなみに、CMは→//www.youtube.com/watch?v=aUlSVIZCcfU&list=PL4D1CA5D22B357C04
廃線後、これらの風光明媚な線路は荒れ地と化し、旧型気動車は保存されることなく解体されている。余談だが、タラコ色として親しまれていたキハ2008号車のスピードメーターを私は所有している。

このようなことが約10年前にあったこの土地で、今になって「公共交通を残そう」と言っているのは遅すぎたのではないかと私は思う。
とらえようによっては、現在のこのような動きは「南目線廃線が反面教師となっている」とも言える。しかし私はそんなことは無いと思う。廃線が打ち出されたのが2007年頃だったかと思うのだが、2007年頃かそれ以前に鉄道の廃線という事例が無かったわけではないのだから、全国各地に存在する鉄道が廃線となった自治体を島原市や周辺自治体が視察したりするなどして、「廃線後に自治体でどのようなことが起こったのか」というのを考えることはできたはずである。それを踏まえて、このように公共交通についてのシンポジウム的なものを開催したなら、沿線住民などにも大きく影響を与えることはできただろう。そしてそれが「廃線」という考えを抑止させるきっかけになり得たはずなのだ。なのに、その当時にそのような機会を設けなかったが為に多くの人に公共交通の存在意義を訴えかけられなかったのは残念だし、そのような機会を廃線後10年近くたって設けたって失われた35.3qの鉄路は戻る可能性は極端に低いのだから、意味が無いわけではないのだが手遅れな感じは否めないのである。
余談だが、最近ではある自治体が「自治体役所職員に公共交通を利用して通勤させることで存続につなげようとする」という自治体自らが体を張って訴えかける事例もあるようだ。口で言うのは簡単、でも体を張らなければ意味が無いと考えたのであろう。この運動が全国的に普及することも切に願うばかりだ。

たしか、1970年代頃にも南目線は廃線を検討されたことがあるらしいが、その時は地元住民などが必死に反対したから残ったという。当時はまだ地方ではトラック輸送が発達しだした頃であり、少なくとも貨物面の需要は少なからずあっただろうし、道路状況も現在と比べたら良いものとは言えなかったからこそ旅客面での需要もあったのだろう。
一方、21世紀。その頃ともなれば地方の鉄道で貨物営業をしているのはごくわずか、道路状況もだいぶ改善されているから、そんなときこそ鉄道の必要性を自治体だけでなく鉄道会社自体が訴えかける必要がある。
しかし、2007年頃の島鉄というのは考え方が真逆であった。なんと島鉄自体が「廃線」を推し進めていたというのである。
動機はお金の問題のようで、旧型気動車の維持費はかさむし、高架区間などの鉄道施設の維持費はかなりのものだったという。確かに旧型気動車はお金がかかる。現在は製造されていないような部品なんかが使われていたときは特にお金がかかる。鉄道施設なんかも古いものや新しくても建設費がかかる高架区間なんかはお金がかかる。
でも、これらも工夫次第で解決できたはずだ。例えば「上下分離方式」である。キハ20形を「観光資源」として沿線の4自治体に保有してもらい、自治体は運行や管理などに必要な資金を払い、島鉄も「借り受ける」ことになるので借用費を払う。鉄道施設も同様に、高架区間が噴火災害復興事業の一部と言うことで国もしくは長崎県に保有してもらい、国もしくは長崎県が管理などに必要な資金を島鉄に払い、島鉄も借用費を払うという形にしたら資金の問題も少しは改善できた可能性もある。
キハ20形を「観光資源」としたのは、あくまで現在のローカル線などにおいてレトロ車両や観光列車が評判になっているということを踏まえての考えであり、その当時は現在ほどの評判はなかったとは思うのだが、もし実現していれば「レトロな乗り物=観光資源」というイメージを作り上げた先駆けの一つとしてイメージリーダーとなり良い意味で注目されていたことも考えられる。

これらは私の考えではあるのだが、このような「公共交通存続に向けた考え」というのを1つでも考えられなかったのは島鉄のみならず沿線自治体の大きな失敗だったとも思える。とはいえ、かろうじて島原市が島原外港駅の存続を成功させた(実は外港駅も当初は廃止の対象であった)のは、この当初からわずかながら公共交通に対して何とかして守ろうという意思があったことが垣間見える良い話である。だが、その意思を、先述のように、シンポジウム的なものを開催するなどという形で見せられたら・・・!と思うと、何とも悔いの残る結果になったのは実に惜しいのである。

こんなこともあって、このような公共交通の講演会に対して「なぜそれを10年前にやらなかった!やってたら南目線廃線の件に多少の影響を与えることはできただろう」という島原市への愚痴とも言うべき感情を感じることもある。仮に島原市民だけが「廃線反対」を訴えたとしても影響は大きくならなかったかもしれない。でもちりも積もれば山となる。その訴えが周りの自治体などに影響を与えていけば大きな力にもなっただろう。それに何もこのような講演会に来るのは島原市民だけとは限らない。もしかしたら南島原や雲仙市など他自治体の方も来場されると思われるので、そのような人たちからもっと多くの人へ「公共交通存続」という考え方が広がっていけば、大きな力になり得たのではないかと思う。

ここまでこのような書いてきたとはいえ、この講演会企画は本当に素晴らしい企画だと思っている。
島鉄一部廃線という大きな失敗をしたからこそ、このような企画を通じて一般市民に公共交通の大切さなどをより強く訴えかけていきたいという意思が感じられる。その意思が今後、このような機会だけでなくもっと多くの機会で伝わっていけたら島原市だけでなく他の自治体や島原鉄道などとしても喜ばしいものなのではないか。
公共交通を愛する一人の人間として、こう思うのである。

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画像は2008年10月撮影。キハ2003号車は2008年当時在籍していたキハ20形で唯一の島鉄オリジナル車だった。三本ひげ塗装と呼ばれたこの塗装は、国鉄乗り入れに際して国鉄車との識別を容易にするためのものだったという。現在では、この塗装をもした車両が茨城県のひたちなか海浜鉄道で留置中とは言え現在でも見ることはできるようだが、できれば赤パンツのように島鉄の線路上で再び復活してくれることを願うばかりである。

2017年2月19日 22時50分48秒 (Sun)

惜別、西鉄バス3240号車

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先日、西鉄の教習所で余生を送っていたという3240号車が廃車になったそうです。
3240号車と言えば、日本一長距離を走る「はかた」号の専用車としてデビューし、はかた号から引退後も桜島号などの多くの長距離路線で活躍するなど、まさに日本の長距離路線バスを代表する車両として人気の高かったこの車両。
乗り物の図鑑などでもおそらく目にしたことのある人がいるかもしれませんね。私もそんな人間です。
3240号車の「はかた」号での活躍ぶりは、とある有名タレントを苦しませた某深夜番組でもおなじみでしょう。

そんな3240号車があるとき島原に来たときがありました。
2012年12月1日。この日は長崎県内でICカード「SUGOCA」のサービスが開始された日でもありましたが、島原では「島原学生駅伝」が開催されており、沿道には多くの人がいました。
走り抜けていく選手への歓声が飛び交う中、3240号車は突如現れました。行き先表示機には「貸切」と書いてありましたが、上の画像を見たら分かると思いますが実は「島原」号の教習車としてやってきていたのです。
突然現れたので私はとても驚きました。図鑑でしか見たことのなかった車両がいきなり目の前に現れたのですから。
残念ながらこれが3240号車との最初で最後の出会いになってしまったわけですが、約20年の長きにも渡って活躍してきたかつてのエース3240号車に一言お疲れさまと声をかけてあげたいと思います。

3240号車、お疲れさまでした。

2017年2月5日 10時59分38秒 (Sun)

比べてみました!島原号西鉄便と島鉄便

気が付けばすっかり2月です。
島鉄では近年はこの時期になると新車がやって来まして、今年も2台の中型新車がやって来ました・・・というのはすでに記事にしておりますので、そちらをご覧ください。
→「速報!島鉄バスに今年度の新車登場
さて、今回の話しは島原号についてです。
つい先日、所用で福岡に行く機会がありましてその際に島原号を利用したのですが、1度は西鉄便、もう1度は島鉄便と双方の島原号に乗車できましたので、今回はそんな島原号を比べてみようかと思います。

1.西鉄便の場合
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(今回の乗車車両)
今回乗車をしたのは8546号車で、2011年式の日野セレガスーパーハイデッカー車です。
元々は福岡〜池袋・大宮線「ライオンズエクスプレス」専用車として、僚車8545号車と共に活躍しておりましたが、路線の運行休止に伴って西鉄高速バスから西鉄バス博多営業所へ8545号車と共に転属しました。転属後に塗装変更を行って、ライオンズエクスプレス塗装から中長距離高速バス標準の通称「火の鳥」塗装に変更となった車両で、2016年の夏頃から使用が開始されました。
車内は4列のシート配置でトイレがあり、整理券発行機は備え付けられているものの運賃表示器は設置されておりません(ただし備え付けられるようにはなっている)その他、行き先表示機は幕式であり、行き先表示の幕には今でも「高松」「三重」「横浜・池袋・大宮」など夜行路線の幕が現在でも残っているようです。ちなみに、側面の行き先表示機は使用されておらず、その代わりに乗降ドアに「博多駅・天神←→諫早駅・島原」と書いた紙を貼り付けて対応しております。
(乗車記)
乗車したのは13時00分島鉄バスターミナル発天神方面博多駅行きです。
バスは発車10分前にホームに入ってきました。しかし車体の大きさの都合でホームギリギリまで車両を寄せることができず、ホームから少し離れた位置に停車しての客扱いとなります。
13時00分になり島原号は定刻で島鉄バスターミナルを発車しました。最初の途中停車地は島原駅前です。
島原駅での客扱いを終えたバスは、国道を諫早方面へ北進していきます。駅を出てしばらくした時に乗務員の口頭で停車地や車内設備などに関するアナウンスが流れました。
ちなみに、この便に乗車したときは音声合成の放送は流れませんでしたが、別日に島原行きのこの車両に乗車したときは音声合成のアナウンスが流れました。島原行きのみと言うわけでは無いと思うのですが・・・こういうのは乗務員さん次第と言うことなのでしょうか。
国道を進むこと約15分、バスは多比良駅前(たいらえきまえ)に到着し客扱いを行います。多比良町駅は旧南高来郡国見町(現在の雲仙市国見町)の中心駅であり、周辺にはサッカーの強豪校として有名な国見高校があることから、街の至る所にサッカーボールをもした街灯などが設置されています。ちなみに、島原鉄道創業者の植木元太郎氏の出身地はちょうどこの多比良辺りだったかと思います。
多比良駅前での客扱いを終えたバスは再び国道を諫早方面へ。ちなみに、多比良までの道程でもそうですが車窓には青々とした有明海や雄大な雲仙普賢岳などの山々を望むことができ、島原らしい美しい自然を楽しむことができます。また、雲仙市吾妻町内ではテレビや新聞などで度々報道されることのある諫早湾干拓の堤防を望むこともできます。ちなみにこの堤防は「堤防道路」として整備されておりまして、休日にはツーリングやドライブで訪れる方も多くいらっしゃいますし、農業関係などのトラックの物資輸送ルートとなっていたり近隣住民のランニングや散歩のコースになっているなど、多くの人に愛されているようです。ちなみに有料道路ではないので、気軽に通行ができますが、ここを通る定期路線バスなどはございませんのでご注意ください。
さて、バスは愛野駅前に到着しました。
雲仙市愛野町は島原半島の付け根に存在する町であり、昔から交通の要所として栄えておりました。1911年に島原鉄道が開業したとき(会社創立は1908年)の運行区間も、諫早〜愛野でした。また、愛野町にある愛野駅からは雲仙鉄道線が肥前小浜駅まで延びておりましたが、開業して15年で廃止という短命な路線になってしまいました。現在廃線跡は一部区間が県道やサイクリングロードとして整備されております。
そして、愛野町と言えば近年は「愛の町」として町おこしを図っていることでも有名でして、特に愛野駅は「愛の駅」として日本ロマンチスト協会の本部の一つとなっているようですし、その他ロマンチスト協会とのタイアップ企画が町内各地で行われているようですので、恋人同士や夫婦で訪れてみるのもいかがでしょうか。ちなみに、最近は愛野駅で結婚式も行われるようですよ。
さて、愛野駅前での客扱いを終えるとバスはいよいよ島原半島を飛び出して諫早市へ入っていきます。
車窓には広大な諫早の干拓地を望むことができますが、最近では国道のバイパスの整備工事が行われているため工事現場の様子も見ることができます。また、この近辺は昔から地盤が弱いため道路が特にガタガタしている区間でもあります。
やがて諫早市街地へ入っていくのですが、途中踏切を渡る際に「踏切のため一度停車いたします」と放送が入り「左良し、右良し、・・・」と声に出して安全確認を行ってから踏切を横断しておりました。今までの運転も十分丁寧だったのですが、ここまで丁寧ですと「さすが西鉄だな」と思いましたね。
そして市街地に入り、本諫早駅前で客扱いを行います。本諫早駅周辺は諫早市の中心であり、周辺には市役所、アーケード、諫早高校などがあり賑やかな印象を受けます。また、ちょうどこの本諫早駅と諫早駅の中間辺りには「諫早の眼鏡橋」がある諫早公園があります。
本諫早駅前での客扱いを終え、本明川を渡ること2回、バスは諫早駅前に停車いたします。ちなみに諫早駅前は西鉄便では「県営諫早駅前」として案内されております。諫早駅周辺では現在諫早駅の新幹線関連工事に伴って再開発が行われており、本諫早駅前と比べると静かな印象を受けます。
そして、諫早駅前を出発すると改めて乗務員から車内設備や停車地などに関するアナウンスが口頭で行われまして、その後諫早インターに侵入する際にはシートベルト着用を呼びかける放送が行われます。
島原から1時間20分ほど、ようやくバスは高速道路を走行いたします。
高速道路上での客扱いは九州道の高速基山と筑紫野(二日市温泉入口)の2カ所に限定されており、速達性が確保されております。(福岡都市高速が太宰府まで開通する前までは鳥栖まで一般道走行、鳥栖からは高速鳥栖神辺や高速神埼などに停車していたようです)
また、長崎道からは大村湾の美しい景色の他に広大な佐賀平野を眺めることができます。特に佐賀平野と言えば毎年10月のバルーンフェスタが有名で、運が良ければバルーンの飛行シーンも見ることができるかもしれません(おそらく時間帯的に島原号では難しいかも)し、長崎県と佐賀県の県境はトンネル内になるのですが、その部分はタイルなどでわかりやすく表示されております。
さて、島原号は太宰府インターを出てそのまま福岡都市高速道路へ入っていきます。
都市高速道路は町の中を通ることもあり、高速道路の真上を高圧電線が通っていたり、上下二層構造になっていたりと面白い道路でもありますが、なにより車窓から福岡空港を眺めることができるのがこの都市高速の最大の特徴かと思います。特にこのスーパーハイデッカー車8546号車は車高が高いうえに窓も大きいので離着陸する飛行機の様子がよく見えますので飛行機が好きな方にもおすすめです。
また、都市高速は一般路線バスも走ることがありますので、高速バスだけでなく路線バスも行き交っている光景を見ることができます。
いよいよ、バスは天神北ランプを降りて福岡の市街地へ入っていきます。ランプ周辺は倉庫などが多い印象を受けましたが、ランプ先の交差点はもうビル街。まさに都心とも言える所になっております。そしてバスは多くの西鉄バスなどと共に天神高速バスターミナルへ向けて渡辺通を走行していきます。この近辺は九州でも地価が高いところとして有名ですが、このような発展があったのはこの天神地区に路面電車を敷設して、天神地区発展の礎を築いた渡邉與八郎(わたなべよはちろう)氏の功績が大きいのではないかと思います。実際、この渡辺通の名前の由来は渡邊氏ですし、地下鉄の渡辺通駅のシンボルマークは路面電車になっているなど、渡邊氏の功績は何気ないところに見て取ることができます。
そして、バスはいよいよ西鉄天神高速バスターミナルへ入っていきます。
九州・・・というより日本有数の発着本数を誇る天神バスターミナルですが、バスターミナルへ入っていくのはほとんどが高速バスや福岡県内各地へ向かう特急や急行などであり、九州中から多くのバスがやってくることから、天神バスターミナル入口付近でバスの撮影をされる方も多くいらっしゃるようです。
バスは急勾配を力強く駆け上っていきます。途中左側車窓に西鉄電車の線路を見ることができ、運が良ければ発着する電車の姿を見ることができます。
そしてバスはゆっくりとバスターミナルへ滑り込みます。天神バスターミナルは近年内装の大幅なリニューアルが行われ、木目調やレンガ調、石畳などバスターミナルとは思えないような豪華な内装となっており、多くの利用者に親しまれております。また、発車案内表も液晶式となっており見やすさが前のLED式よりも向上したと言えるのではないでしょうか。
天神での客扱いを終えたバスは、いよいよ終点の博多駅へ向かいます。
車窓からは天神の町並みの他、福岡市民の台所として親しまれている柳橋連合市場や住吉神社など多くの名所を見ることができます。そうしているうちにバスはいつの間にか博多駅の前に来ておりました。
博多駅前は多くの人々が行き交っており、まさに九州の玄関口の様相を呈しておりました。大きな駅ビルもまさに博多駅らしいと言えるのではないかと思いますが、バスは博多駅脇のバスターミナルへ入っていきます。
博多駅バスターミナルは天神とは違い、一般路線バスも乗り入れるバスターミナルとなっており、特にJR九州の路線バスが乗り入れていることが大きな特徴ではないかと思います。JR九州の路線バスはここから脇田温泉や直方駅などへ向かっており、西鉄バスとはまた違った魅力があるのではないかと思います。
それにしても博多駅バスターミナルはかなり窮屈な印象を受けました。急なカーブが多くて運転される運転士さんも大変じゃないかと思いますが、それでも安全運転で無事に博多駅まで到着しました。

西鉄便の良さはなんと言っても丁寧な運転(乗務員さんによるかもしれませんが)とエアーサスペンションなどの車両設備の良さですね。エアサスは本当に気持ちが良かったです。さすが元夜行用と言わんばかりのすばらしい乗り心地でした。また、丁寧な運転というのもバスに乗り慣れていない人には良いのではないかと思います。安全にかつ快適に走るという意識が感じ取れて、とてもすばらしいものでした。
※まあ、普段から島鉄や長崎バスなどのワイルドな運転に慣れていた私にとっては大人しすぎてかえって不安になったりすることもありはしたんですが・・・(^0^;)

2.島鉄便の場合
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(今回の乗車車両)
今回乗車した車両は「長崎200 か・145」で、2001年式の日野セレガRでした。
デビュー以来島原号専用車として走り続けている145号車は、島鉄バスでは珍しい青地に白文字の行き先幕や24マスのLED式運賃表示器などを採用していますし、そもそも島鉄としては唯一のセレガRというのも大きな特徴です。
車体には、平成新山のラッピングや島原半島の観光PRラッピングがなされてきましたが、現在では島鉄沿線に数店舗を構えるフリーマーケット「ACB(アシベ)」の広告ラッピングになっており、桃色のラピングがとても目を引きます。そして、車内は4列シートでトイレ付きとなっており、整理券発行機も備わっていますが多分使われたことは無いと思います。残念ながら幕の内容までは確認できませんでしたが、おそらくは必要最低限のものだけとなっているのではないかと思います。ちなみに福岡行きの場合は島鉄の場合はシンプルに「福岡」と表示されるだけであるのも特徴です。
(乗車記)
こちらも乗車したのは13時00分島鉄バスターミナル発の天神方面博多駅行きでした。
13時00分になって島鉄バスターミナルを出ると、すぐに島原駅前へ到着し客扱いを行います。
島原駅を出ると音声合成の放送が流れて、その後乗務員より車内設備などの放送がありました。西鉄便もそうなのですが、運転されながら事細かに説明するのはなかなか大変なのではないかと思いますが、わかりやすく放送がされていました。
しばらくしてバスは多比良駅前や愛野駅前に到着。着々と乗客を増やしていきます。
その後、本諫早駅前と諫早駅前にて客扱いを行っていたのですが、諫早駅前ではアジア系の海外の方が「テンジン、テンジン」と言っていましたが乗務員さんは「チケット、チケット」といまいち会話がかみ合っておらず、発車までに少し手間取ったのはちょっと残念な気もしますね。私も英語はあまり得意ではないのですが、せめて高速バス乗務員には簡単なものでも良いので英語のマニュアルが必要なのではないかと思いました。例えば「切符をお見せください」という時には「Please show your ticket」なんて言えば外国の方にも伝わると思いますし。
さて、バスは諫早インターへ向かいます。道中、音声合成の放送の後に乗務員より改めて車内設備などの説明が行われ、諫早インター辺りでも音声合成の放送でシートベルト着用を呼びかけておりました。
その後、諫早インターより長崎道を通り、九州道や福岡都市高速を経て、天神へ向かうことになりますが、この車両は西鉄の8546号車と異なりスタンダードデッカー車となっているため車高が低くなっております。しかしながら車窓の良さは変わらず、美しい大村湾や佐賀平野の景色、福岡の賑やかな町並みなどはどれも九州らしいすばらしい風景だと思います。
しかしながら一つ気になったのは、このバスが折戸式の乗降ドアを備えているが故のことなのかはわかりませんが、遮音性が他のスイングドア式の島原号よりも劣っていたように感じましたね。特に高速走行時は風の音がとても気になってしまい、あまり快いものではありませんでした。車両の老朽化もあると思われますが、やはり車両自体が快適であるのにこのようなところでマイナスの印象を与えてしまっては残念な気もします。
何はともあれ、無事に天神に到着した145号車。私は所用の都合で終点までの乗車はかないませんでしたが、それでも3時間の移動を快適に過ごせたのは本当に良かったと思います。
さて、天神バスターミナルはひっきりなしにバスが往来するので、島鉄も客扱いを終えると終点の博多駅へ向けてすぐに発車していきました。

島鉄便はもう1台「長崎200 か・791」という車両もおりますので、もし今後機会があればそちらにも乗車してみたいと思います。しかしながら145号車については、2001年式と高速バスでは比較的古参の部類になりますので、そろそろ置き換えられるものと思います。実際、同年代の西肥バスのセレガR(しかも折戸)が1台今年に入って廃車になったという話も聞いておりますので、そろそろ145号車も危ないのではないかと私自身危惧しております。145号車に乗るなら今のうちです!

今回島原号に乗車してみて思ったのは、どちらも平日に利用したのですが、平日真昼でも島原半島方面から福岡方面への需要というのはなかなかあるのだなということですね。特に西鉄便に乗車したときは、島原半島内の各地から乗車される方はいらっしゃいましたが諫早市内の2カ所からの利用者はいらっしゃいませんでした。私自身、島原からよりも諫早市内からの利用の方が多いのでは?と思っていただけにこの結果は意外でした。やはり諫早の人は高速バスを利用するときは市街地から離れていても、諫早インターバス停を利用されていると言うことでしょうか。
しかしそれでも、諫早中心部を通るというのは大きなメリットでもあると思いますので、諫早市内からの利用が更に増えていくことに期待したいですね。
それにしても、こうやって見ると、福岡〜島原の需要は結構あるんですね。国鉄乗り入れが廃止されたのが1980年、島原号運行開始が1990年となっているところにも、島鉄が福岡方面への需要を諦めなかった感じがします。しかも私論ではありますが、島原号はその需要に十分応え切れていると思うんです。1日3往復だけと聞くと本数が少ないようにも聞こえますが、島原発の時間が7時、13時、18時と朝昼夕に1本ずつというわかりやすいダイヤ設定は利用者にも使いやすさを感じさせますし、所要時間3時間20分ほどの路線ですから折り返しに要する時間は短くても1時間30分ほどと乗務員にとっても車両点検や自身の休養などを行うには十分な時間設定であると思いますので、利用者にも乗務員にも優しい路線となっているんです。なのに需要にも十分に応え切れているという・・・これが島原号が27年間基本的な運行パターンを変えずにやってくることができた秘訣なのではないでしょうか。
もし、今後福岡方面から島原方面へお越しになるという方がいらっしゃったならば、本数もそんなに多くなく所要時間もなかなかかかると思いますが、ぜひ島原号を使ってみてはいかがでしょうか。

2016年12月4日 10時45分32秒 (Sun)

大手バス停 改善案

12月になりました。2016年もあっという間ですね。皆さまはどのようにお過ごしでしょうか。
今回は島原市役所が建て替えだと言うことで「じゃあ、ついでに大手バス停も改良すべきではないのか」と思い、簡単にですが計画書を作ってみました。
作画がなにぶん下手くそなのは勘弁頂きたいですが(^0^;)

・・・と、その前に。大手バス停の簡単な解説。
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大手バス停は島原駅前〜商工会議所前間にあるバス停です。
市内を走る高速バス以外の路線(特急も含む)が発着する主要停留所です。画像のように島原市役所の他、アーケード商店街や森岳商店街、裁判所や島原振興局など商業面や行政面などのある昔からの中心地帯に位置しています。
10年ほど前までは県営バスの大手バス停もありましたが残念ながら島原地区撤退により現存しません。
利用者は主に買い物帰りの方や市役所来庁者、通勤通学利用者が多いようです。

とまあ、簡単な解説を終えたところで早速計画書をご覧頂きましょう。

1.はじめに
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大手バス停は島原市の行政や商業の中心地に位置し、地元住民をはじめ、市外からの通勤通学者や観光客も多く利用される停留所となっている。
市内の高速バスを除く路線バスが全て発着するため本数も多いのが特徴でもあるが、大手広場の構造により、当停留所にてバスのダイヤが乱れ、もしくは乱れが悪化するケースが日々見られる。

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図のように大手バス停は2カ所に分散しているが、そのうち左側の赤い丸印の乗り場は、市内外の多くの路線が発着するものの、広場内だけでも信号が2カ所設置されており、だいたいの路線は広場を大きく回るために3回も信号機を通過しなくてはいけなくなるために、先述の通り市内外問わず多くの路線がダイヤを乱してしまうことになる。それにもかかわらず、行政及び島鉄にはダイヤなどの改善をするなどの工夫が見られず、このままであると利用者に多大なる迷惑をかけ、利用者減少にも繋がっていくのではないかと思われる。特に昨今の少子高齢化の中で、沿線人口も減少傾向にあることは顕著であり、島鉄としては利用者数の安定を考慮するべきではないかと思われ、そのために所要時間短縮などの工夫を行うべきであると思い、今回の計画書を作成したものである。

2.乗り場配置案
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第一に乗り場の配置案について。
乗り場は市役所脇の大手川沿いの市道部分に大型車4台分の乗り場を4つ整備し、また使用しているバス停(赤丸、白丸で囲っている部分)のうち、赤丸のほうをそのまま使用する。これで乗り場はすべてで5つとなる。
各乗り場に発着するバス路線は上図または以下のようになっている。
1…高速バス、特急バス、多比良港線、諫早駅前線
2…雲仙温泉、小浜温泉方面
3…須川港線、北有馬・加津佐線(文化会館・多比良発の加津佐海水浴場前行きも含む)
4…港広馬場経由の各路線(諫早発の島原港行き、多比良発のバスターミナル行きも含む)、三会方面
5…芝桜公園線、市内団地循環線(白土経由)、城内三丁目線(畜産試験場行き)
と、なっている。
「高速バス」については、現在は通過停留所となっているものの、ゆくゆくは島原駅前に代わって停車地とする。島原駅前の周辺は目立った商業施設などがなく、鉄道乗り換えの需要も期待できず、また島原駅前停留所のバス乗り場の狭さが原因で駅ロータリー上で乗降取り扱いを行うなど、危険性やバリアフリーの欠如が目立っているためである。大手は駐車場の整備も必要(市職員駐車場を立体駐車場にして、一部を有料駐車場にするなど)となるだろうが、市街地にも近く、出張利用のビジネス客やアーケードまたは島原城方面からの観光客の利用も期待できる。
また、降車専用のスペースについては、現在市役所庁舎わきの県道が3:1の割合で車線が整備されている区間があるため、そこを2:2で車線を整備しなおし、そのうち市庁舎側の車線にバス降車専用スペースを大型車2台分ほど整備する。
また、1〜4番乗り場は市役所に直結するため、2番乗り場付近と4番乗り場付近に市役所の入口を設ける。
その他、後述するが上画像の窓口の右の青丸は下画像で言う喫煙室のことである。

3.乗り場デザイン
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※2枚目画像は一部屋根などを省略してます
乗り場のデザインは、ホームは石畳とし、壁紙は乗り場の外壁は市役所庁舎にあわせ、内壁は木目調のラッピングを施して落ち着いた雰囲気を構成する。ベンチについては県内産の木でできた木造であり、高齢者が立ち上がりやすいように一人分の幅の間隔(人間一人+ハンドバッグなど手荷物分の幅で約1メートルくらいか)で手すりをつける。
乗り場の標柱は柱の役割も兼ねたものにする。
そして、乗り場の上側には曇りガラスの窓を取り付けることで、まぶしさを軽減しながら太陽の光を取り入れ、現行の上屋よりも明るく落ち着いた雰囲気を提供します。
また、1番乗り場横の案内窓口付近の天井と、1〜4番乗り場の大手広場側の入口には液晶の発車案内機を設置し、利用者にバスの発着をわかりやすくするほか、1〜4番乗り場の大手広場側の入口と窓口右側には乗り場の位置案内板も設置する(案内図は「2.」の下画像のもの)ことで、どの乗り場にどこ行きのバスが発着するのかわかりやすくしている。
案内窓口の所のカウンターテーブルは、窓口に向かって左側にゴミ箱、右側にAEDを設置するほか、案内窓口右には喫煙室を設け、左側には一般路線バス、特急バス、高速バスの乗車券を発券する自動券売機を1基設置、その更に左脇には図にはないものの運賃表や飲料水の自動販売機を1基設置する。
また、窓口、券売機、喫煙室上には3枚目画像の下のもののように、木の板に金文字でそれぞれ「窓口」「券売機」「喫煙室」とこちらも英語表記付きで案内する。
ちなみに、3枚目画像上のものは5番乗り場(現行の乗り場)の上屋に取り付ける看板です。誤乗車防止ですね。

4.路線図デザイン
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画像の路線図は1番乗り場のものである。
島鉄バスの路線図を見た多くの人は「どのバスがどこに行くのかわかりにくい」という。そのため、各乗り場の標柱の路線図のデザインは他の停留所のものと異なるものを採用する。
最大の特徴は、系統や種別ごとに色分けがなされていることだと思う。これにより、どのバスがどこを通っていくのかがわかるようになる。また、乗り換え案内も表記することで、どこでどの列車やバスと接続できるのかがひと目で分かるようにしてあるのが特徴。その他、1番線に限れば、高速バスや特急バスの停車地を表記していることも特徴で、特に特急バスは「どこに停まるのかがいまいちわかりにくい」と言う声も多いため、停車地を表記することで利用しやすさを向上させているほか、路線図に限った話ではないが、英語の表記も加えることで外国人旅行者にもわかりやすい案内が可能となる。

5.液晶案内デザイン
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液晶案内では、上画像のように大手バス停の時刻表と島原外港の航路の時刻表を掲載。島原鉄道の鉄道線の時刻表は掲載しない。路線図のように英語表記も使い外国人旅行者にもわかりやすい案内が可能となる。
時刻表の発車時刻は全て黄色い文字で表記しわかりやすいようにしているほか、その路線の最終バスについては発車時刻を赤枠で囲んでいるため、利用者にも最終便の時刻を把握しやすくする。
一方下画像は、途中の主要停留所を表記した路線図を表示しているパターンのものである。これで、どの乗り場のバスがどこへ向かうのかをわかりやすくしている。もちろんこれも英語表記付き。路線図下には備考をスクロールして表示する。主に備考は「どの停留所でどの路線などが接続しているか」などを表示するが、最終バスは、そのような接続案内に加えて「このバスは最終バスです!」という案内も行う。ちなみに、「主な主要停留所」という表記はそれぞれの乗り場のカラーに合わせているため、1番乗り場は桃色、2番乗り場は緑色、3番乗り場は水色、4番乗り場と5番乗り場は橙色で表記されることになる。
液晶表示では、上画像下画像ともに約5秒ずつ表示するが、下画像のパターンについては先述のように備考をスクロールさせて表示するので、備考を全てスクロールさせてからパターン切り替えとする。下画像はあくまで1番乗り場のものだが、全ての乗り場の全てのバスでこのように路線図を表示するようにしている。つまりは、
1パターン目「各乗り場及び島原港出発時刻(上画像)」→2パターン目「1番乗り場を今度発車するバスの時刻などと路線図」→3パターン目「2番乗り場を今度発車するバスの時刻などと路線図」→4パターン目「3番乗り場を今度発車するバスの時刻などと路線図」→5パターン目「4番乗り場を今度発車するバスの時刻などと路線図」→6パターン目「5番乗り場を今度発車するバスの時刻などと路線図」→1パターン目・・・
と言う順番で、液晶表示を表示する。

以上が計画書です。質問などがあり次第書き加えていくことになると思います。

そもそも、このような計画書を作成したのは、島鉄と沿線自治体が鉄道を推すのに対してバスがそこまでパッとしない印象を受けたからです。
鉄道に至っては、ヒット商品(!?)の赤パンツや新商品のカステラをはじめ、様々なものがあるのですが、バスが使われているのが靴下だけという状態(しかも車両が三菱という)ですし、地元紙などでは「鉄道存続に向けて・・・」などと鉄道存続には積極的な姿勢を示してはいるのですが、路線バスの存続は特に明言されていないという扱いの差を感じる事象が多いためです。
確かにバスというのは鉄道と比べて路線を敷いたり廃止にするのは容易な方ではありますが、大事な公共交通機関であるのには変わりません。
特に南島原の方に至っては、2008年当時の島鉄社長S氏の失策と南島原市長M氏の失政という最悪のタッグ技によって廃線に追い込まれたために公共交通機関はバスしかありません。しかしながら、ダイヤは2008年頃からほとんど変わっておりません。抜本的に変更しないのは、たしかに急にダイヤが大きく変わっていると利用者が戸惑うでしょうが、しかしだからといってバスとバスの間隔が10分の時もあれば1時間30分もあったりというのは慣れていても慣れていなくても分かりづらいと思います。特に午前10時台には島原から加津佐に向かうバスは1本も設定されておりません(須川港行きの藤原線がありますけど)
私が思うに、鉄道代替と言われる加津佐線など南目方面行きのバスは、鉄道との接続もいまいちなこともあって、ハッキリ言えば鉄道代替の役割を十分に果たしているとは思えません。
この島鉄バスの現状を放置するのも島鉄的にもよくないのではないかと思います。
そこで島鉄バス改革の第1弾として、大手バス停を「より使いやすいものに、より快適なものに、よりバリアフリーなものに、より安全なものに改良する」という考えのもと改良案を考えてみました。
鉄道を推すのも悪くはない(というかむしろすばらしい)ですが、バスのことも推してやってください!島原鉄道さま!島原市さま!南島原市さま!雲仙市さま!

2016年10月29日 23時13分33秒 (Sat)

船津と防災

先日、私はある話を耳にしました。
「南島原駅周辺の一部の船津が埋め立てられる可能性がある」

ここで、まず南島原駅周辺の船津について。
南島原駅周辺は来たことのある方ならおわかりかと思いますが、船津が点在しております。特に鉄道ファンの間ではこちらの船津が有名なのではないでしょうか。
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島原鉄道の撮影スポットと言えばここ!と言えるこの船津ですね。船津・・・というか入り江のようにも見えますが、南島原駅周辺は元々埋立で造成された地帯なので、おそらくここも元から入り江ではないはず・・・ですが。ちなみに、埋め立てる際に土砂は近くにある霊丘神社周辺の岡地(元々眉山の一部だった土砂)を切り崩して持ってきたそうです。
この船津は、私が思うに島原一美しい船津だと思います。
と言いますのも、この船津の良いところは、船津の岸壁ギリギリまで生活感が漂っているところです。
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わかりにくい部分もあると思いますが、本当にギリギリの所に家が建っているんですよね。それによく見ますと、岸壁も補習されているものもあればだいぶ崩れているようなものまでありますし、石積みやコンクリと一言で岸壁と言っても様々。こう言った乱雑さこそ海外の港町にはないような日本独特の生活感であり、おもしろさでありまして、それらはかえって美しく見えます。
小説「檸檬」の中でも、作者である梶井基次郎はこのように記しております。

なぜだかその頃私はみすぼらしくて美しいものに強く引きつけられたのを覚えている。

やはり昔から全ての日本人というわけでは無いと思いますが、パリやロンドンなどのようなオシャレで整った町並みよりは、雑然としてオシャレとも整っているとも言いにくいような景色にひかれるものがあると感じる人はいるようです。私もオシャレな町並みというのは見ていて楽しいものですが、なんとなくおもちゃの街に入り込んだかのようなよそよそしさも感じられて心が落ち着かなくなる一方で、小さな子供がドタバタ走り回ってたり、家の会話が漏れ聞こえるような生活感漂うゴチャッとした空間の方が安心感が感じられて心が落ち着く気がします。
そんな空間の代表的なものが、この船津ではないかと思います。

でも、この船津よりも心配な船津があるのです。それがこちら。
img_20161030-004159.png
南島原駅周辺を歩き回った方なら分かると思いますが、こちらは湊広馬場停留所脇の船津です。
実はこの船津は、坂本龍馬が長崎に来る際に初上陸した場所だそうです。へ〜っと思いたくなる情報ですが、一応そのように書かれた記念碑が脇に立っておりますし、龍馬伝が流行ってた頃ぐらいには、昔の駐在所を利用して龍馬館なるものをやってましたしね。
ちなみに、下画像の石段はおそらく龍馬も歩いたであろう?石段です。
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ゴミとかが目立っていたのが残念ですね。
ここの船津にはもう1つ注目ポイントがありまして、それがこの石橋ですね。
img_20161030-004224.png
眼鏡橋になっているのが特徴で、この橋の架かっている通りには昔は遊郭があったそうです。現在は遊郭はなくなっていますが、かつての栄華を偲ばせる町並みが残っておりますし、突き当たりは「漁人(ふなと)市場とっとっと」として昔の古い倉庫を改装した、魚料理屋が営業しておりまして、土日にもなると多くの観光客で賑わっています。
そしてこの橋も現在では普通の生活道路としてアスファルト舗装されてしまってはいますが、石橋らしく橋上は弧を描いているため、石橋だと言うことがわかるようになっております。欄干もレトロな雰囲気が漂っていますね。

こんな隠れた歴史遺産を垣間見ることのできる2つの船津ですが、話に寄れば、島原市は現在この2つを「防災」という目的で埋め立てるそうで、実際にボーリング調査も行っておりました。
でも、私として埋め立てに反対するほかありませんね。
まず、第一にこれらの継承すべき遺産や風景が消えていってしまうというのは私個人としては納得がいきません。歴史は何も有名人の活躍を知ればそれで良いというものではなく、この国この町この地域がどのように歩んできたかを知ることにこそ意義があるのではないかと思います。つまり、これらの歴史あるものを消してしまえば、その地域の歩んできた歴史を踏みにじると言っても過言ではないと思います。
そして、第二にですが、仮に埋め立てたとしても、泥地を埋め立てたことになるので、地震が起きた際の液状化現象や地盤沈下などの問題が出てくる可能性があると思います。あくまで市側は津波や高潮などの対策のようですが、最近では熊本地震も発生しておりますし、この島原には雲仙普賢岳があるものですから、いつ大きな火山性地震が起きても不思議ではないのです。地震が起きたら津波の可能性が懸念されますが、埋め立ててしまっても結局は被害が出るのには変わりはありません。もし津波対策というのであれば、沖合にテトラポットや堤防を設けて波の力を弱めたりする方が効果的ではないかと思います。それに埋めたとしてもその土地に何を整備するのかが疑問です。住宅地を綺麗に整備しなおすんでしょうか・・・?

たしかに防災というのは大切な話です。しかし、防災ということばを巧みに利用して、街の景観を平然と破壊することが多いような気がします。これだって実現したならば、その一例となりうるでしょう。観光都市島原というのであれば、こんな風景も観光アピールしてみても面白いと思うのですがね。欧米じゃこんな光景は見られないでしょうし。

というか、話は変わりますが島原市は古い物を残してはいますけど、木造建造物ばっかりなんですよね。レンガ調や石造り、はたまた鉄筋コンクリートの建物も実際丈夫なものは化なり丈夫なんすよ。でもなぜか消されることが多いんですよね。何年か前は島原図書館近くの旧島原振興局庁舎(晩年はJAでしたが)も解体されました。島原じゃ後者建築以外ではなかなかお目にかかれないであろう戦前のコンクリート建造物だったと思うのですが、あっさり解体されたんですよね〜・・・もったいない!
遺産と呼べる建物や場所が島原から少しずつ消えていっている気がしてつくづく残念ですね。市がそれらの遺産的価値を理解していないというのが顕著に表れているとも思えます。「木造の古い建造物だから残そう」とかいう単純な考えだったらばからしくて話にもなりませんね。

ともかく。
この2つの船津は危機的状況に置かれております。
特に前者の船津の喪失は鉄道ファンの方にとってもかなり痛手になると思いますがどうでしょうか。
私だったら「有明海生活遺産」などと称して、保存運動に徹したいところですね。あ、でも崩れかかっている岩壁は流石に修復しないとまずいですが・・・。
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島鉄情報局

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