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うみみちの日々徒然

2017年3月19日 21時59分22秒 (Sun)

廃線から9年経過して・・・

島原市のホームページを確認していたら、このようなものを見つけた。
//www.city.shimabara.lg.jp/page3897.html?type=top
実際は、第1回が先月の19日だったかに開催されていた。ゲストもこの2回目と同じ方だったと思われる。
正直、このように「地方の公共交通」について真摯に考える機会を設ける島原市の姿勢は評価できると言える。今や大都市近郊においても幹線系統の鉄道やバスの路線ですら廃止になることも多くなり、「存続か廃止か」という選択を迫られる事業者や自治体が多い。そんな今だからこそ、公共交通のあり方、公共交通をどのように支えていけば良いのかなどを考えるこの企画というのは行っていくべきなのである。
私は素晴らしいと思ったのだが、なにか心に引っかかるものもあった。

2008年3月。島原鉄道の南目線の大部分である島原外港〜加津佐の区間が廃線となった。
1928年に開業したこの路線は皮肉にも創業100年、開業80年目の節目の年に廃線となったのである。
廃線区間の中には、何億もの税金で整備された高架区間すら存在した。この区間は雲仙普賢岳災害の土石流により線路流失が多発した区間やその付近を高架化したものであり、復興の象徴とも言える区間であった。ちなみに、この区間にあった「安徳駅」は県内初の高架駅であった。現在では佐世保駅が開業し、浦上駅や長崎駅の高架化が進められているが、それらに先んじて島原の地にすでに高架駅は存在していたのである。
また、廃線となった区間は風光明媚な区間としても知られ、CMのロケに使われることもあったほか、この当時島鉄にはキハ20形という旧型気動車が活躍し、鉄道ファンからも親しまれていた。
ちなみに、CMは→//www.youtube.com/watch?v=aUlSVIZCcfU&list=PL4D1CA5D22B357C04
廃線後、これらの風光明媚な線路は荒れ地と化し、旧型気動車は保存されることなく解体されている。余談だが、タラコ色として親しまれていたキハ2008号車のスピードメーターを私は所有している。

このようなことが約10年前にあったこの土地で、今になって「公共交通を残そう」と言っているのは遅すぎたのではないかと私は思う。
とらえようによっては、現在のこのような動きは「南目線廃線が反面教師となっている」とも言える。しかし私はそんなことは無いと思う。廃線が打ち出されたのが2007年頃だったかと思うのだが、2007年頃かそれ以前に鉄道の廃線という事例が無かったわけではないのだから、全国各地に存在する鉄道が廃線となった自治体を島原市や周辺自治体が視察したりするなどして、「廃線後に自治体でどのようなことが起こったのか」というのを考えることはできたはずである。それを踏まえて、このように公共交通についてのシンポジウム的なものを開催したなら、沿線住民などにも大きく影響を与えることはできただろう。そしてそれが「廃線」という考えを抑止させるきっかけになり得たはずなのだ。なのに、その当時にそのような機会を設けなかったが為に多くの人に公共交通の存在意義を訴えかけられなかったのは残念だし、そのような機会を廃線後10年近くたって設けたって失われた35.3qの鉄路は戻る可能性は極端に低いのだから、意味が無いわけではないのだが手遅れな感じは否めないのである。
余談だが、最近ではある自治体が「自治体役所職員に公共交通を利用して通勤させることで存続につなげようとする」という自治体自らが体を張って訴えかける事例もあるようだ。口で言うのは簡単、でも体を張らなければ意味が無いと考えたのであろう。この運動が全国的に普及することも切に願うばかりだ。

たしか、1970年代頃にも南目線は廃線を検討されたことがあるらしいが、その時は地元住民などが必死に反対したから残ったという。当時はまだ地方ではトラック輸送が発達しだした頃であり、少なくとも貨物面の需要は少なからずあっただろうし、道路状況も現在と比べたら良いものとは言えなかったからこそ旅客面での需要もあったのだろう。
一方、21世紀。その頃ともなれば地方の鉄道で貨物営業をしているのはごくわずか、道路状況もだいぶ改善されているから、そんなときこそ鉄道の必要性を自治体だけでなく鉄道会社自体が訴えかける必要がある。
しかし、2007年頃の島鉄というのは考え方が真逆であった。なんと島鉄自体が「廃線」を推し進めていたというのである。
動機はお金の問題のようで、旧型気動車の維持費はかさむし、高架区間などの鉄道施設の維持費はかなりのものだったという。確かに旧型気動車はお金がかかる。現在は製造されていないような部品なんかが使われていたときは特にお金がかかる。鉄道施設なんかも古いものや新しくても建設費がかかる高架区間なんかはお金がかかる。
でも、これらも工夫次第で解決できたはずだ。例えば「上下分離方式」である。キハ20形を「観光資源」として沿線の4自治体に保有してもらい、自治体は運行や管理などに必要な資金を払い、島鉄も「借り受ける」ことになるので借用費を払う。鉄道施設も同様に、高架区間が噴火災害復興事業の一部と言うことで国もしくは長崎県に保有してもらい、国もしくは長崎県が管理などに必要な資金を島鉄に払い、島鉄も借用費を払うという形にしたら資金の問題も少しは改善できた可能性もある。
キハ20形を「観光資源」としたのは、あくまで現在のローカル線などにおいてレトロ車両や観光列車が評判になっているということを踏まえての考えであり、その当時は現在ほどの評判はなかったとは思うのだが、もし実現していれば「レトロな乗り物=観光資源」というイメージを作り上げた先駆けの一つとしてイメージリーダーとなり良い意味で注目されていたことも考えられる。

これらは私の考えではあるのだが、このような「公共交通存続に向けた考え」というのを1つでも考えられなかったのは島鉄のみならず沿線自治体の大きな失敗だったとも思える。とはいえ、かろうじて島原市が島原外港駅の存続を成功させた(実は外港駅も当初は廃止の対象であった)のは、この当初からわずかながら公共交通に対して何とかして守ろうという意思があったことが垣間見える良い話である。だが、その意思を、先述のように、シンポジウム的なものを開催するなどという形で見せられたら・・・!と思うと、何とも悔いの残る結果になったのは実に惜しいのである。

こんなこともあって、このような公共交通の講演会に対して「なぜそれを10年前にやらなかった!やってたら南目線廃線の件に多少の影響を与えることはできただろう」という島原市への愚痴とも言うべき感情を感じることもある。仮に島原市民だけが「廃線反対」を訴えたとしても影響は大きくならなかったかもしれない。でもちりも積もれば山となる。その訴えが周りの自治体などに影響を与えていけば大きな力にもなっただろう。それに何もこのような講演会に来るのは島原市民だけとは限らない。もしかしたら南島原や雲仙市など他自治体の方も来場されると思われるので、そのような人たちからもっと多くの人へ「公共交通存続」という考え方が広がっていけば、大きな力になり得たのではないかと思う。

ここまでこのような書いてきたとはいえ、この講演会企画は本当に素晴らしい企画だと思っている。
島鉄一部廃線という大きな失敗をしたからこそ、このような企画を通じて一般市民に公共交通の大切さなどをより強く訴えかけていきたいという意思が感じられる。その意思が今後、このような機会だけでなくもっと多くの機会で伝わっていけたら島原市だけでなく他の自治体や島原鉄道などとしても喜ばしいものなのではないか。
公共交通を愛する一人の人間として、こう思うのである。

img_20130910-185922.jpg
画像は2008年10月撮影。キハ2003号車は2008年当時在籍していたキハ20形で唯一の島鉄オリジナル車だった。三本ひげ塗装と呼ばれたこの塗装は、国鉄乗り入れに際して国鉄車との識別を容易にするためのものだったという。現在では、この塗装をもした車両が茨城県のひたちなか海浜鉄道で留置中とは言え現在でも見ることはできるようだが、できれば赤パンツのように島鉄の線路上で再び復活してくれることを願うばかりである。

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