2011年08月 アーカイブ

2011年8月4日 09時03分 (Thu)

50歳からの人生"旅"デザイン MY・NEXTAGEらいふノート(ライフ・デザインノート)とは?

一時中断していましたブログまた書き始めます。
その間、「らいふデザインナビゲーター」として、体験したこと、自分なりに見えてきたことをお伝えしながら、この世界一の長寿社会をどう次の世代にバトンタッチできるのか一緒に考えていければと思います。

50歳から考える“旅”の人生設計・デザイン
「マイ・ネクステージらいふ・ノート」とは?

・2000年に導入された介護保険制度が落ち着きをみせてきた2002年春、「エイジング・ノート」「遺言ノート」「人生設計ノート」構想案を葬儀社の企画マンとまとめておりました。そして、それをベースに秋に「エンディングノート」としてナルクに提案、2003年春に出版しました。内容は、ご存知かと思いますが、人生の終末期に関するもので、遺言をはじめとして、葬儀や供養、介護、痴呆症(2005年に廃語、認知症となる)、病名告知・余命告知対応、尊厳死宣言などについて記載できるようになっているものです。
後に残された家族に対して、具体的に書き残しておけば、自分の望む終末を迎えることができるようになっている、「書いて安心、読んで家族なお安心」がコンセプトでした。

デビュー時は、シニアのボランティア団体(NPO法人 ニッポン・アクティブライフ・クラブ 略称ナルク)が出したということで、新聞・テレビに紹介され、ナルクのオフイスの5台の電話が、1ヶ月間、鳴りっぱなしというものすごい反響。その声は「こんなノート・本」が出るのを待ってたんやというのが圧倒的でした。
今も発売以来のロングセラーとなって、累積20万部近くが、既に販売されています。
後から出てきた類似のエンディングノートの出版数から推測すると100万部以上
販売されている程のベストセラーものになっています。

しかし、ノートを誕生させた当時 56歳だった私自身ですが 実際には「なかなか書けませんでした」。特に終末期・死のイメージは漠然とあるのですが・・・まだ、まだ現役の「自分には、はるか遠い問題ととらえ、老いの問題は考えたくないな」がホンネでした。

ところが63歳になった2008年9月 40年間仕事としてやってきたマーケティング・企画会社を自ら閉じなければならなくなりました。突然の「仕事定年」を迎え、「会社整理」が終わる間の14ケ月は、後悔の念ばかりでした。失ったものは物質的・精神的にも非常に大きいものでした。しかしながら順調に「仕事定年」を終えていれば 見過ごしていたであろうという多くのことに気づかされました。

結婚以来、妻と同居の母(93歳)3人の家庭から娘2人の誕生に恵まれた5人家族で過ごし、そして娘の結婚・自立後は又3人家族という家庭を築いてきました。私は「仕事オンリーの生活、家庭は 子供教育など一切、 家内任せでした。
60歳になったら自ら会社定年をと漠然と考えていました。

今、社会人になってはじめて「毎日が日曜日」というような仕事のない自由時間が与えられたのです。不安な家で過ごす毎日の生活しながら、母親の認知症の発見とその対処の体験(介護はあなたの老いのレッスンとケアマネジャーさんに教えられました)、家事はできない、「生活力」のない「一人だけでは暮らせない」ヒトとして、人生を知らずの自立してないことに気づいたのです。

そして、一緒にいる時間が多くなった妻との生活を通して、彼女の立場と役割の苦労、生活力・社会人・地域人・常識人等、私よりはるかに自立した成熟な人間力を身につけた市民でした。
当たり前です。男は雇用定年、仕事定年のどちらか1回ですが、妻には、結婚・子育て終了・子供の自立・自分の仕事の定年・夫の定年・実の親の介護・死別、夫の死別(まだですが)による7回の定年があります。その「定年」毎に漠然と彼女は「自分の居場所・老い・老後の生活など日常生活・出来事をすごしながら自分の人生を考え、生きてきた」のです。乗り越えてきたハードルの回数が違います。 生きるための強い「精神力」を培ってきたのです。
又、その上、今後の「生き方」にも教えられることがありました。
私は、年金だけでは生活できない今後の収入をどうするか、先ずは新しい住まいを探さなければならないし、会社清算に伴って失った自分の資産を取り戻すべく、いろいろあれもこれも新しい事業企画を考えていたのです。妻は不安だったでしょうが、生活縮小して、ゼロからの出発したらよいと覚悟を決めているようで、それ以上何も言いませんでした。
最後のつまずきで、私への信頼度も完全に失脚したようです。
もう新たな負債のなる危険な事業や、他人に迷惑かけることは始めないようにだけ心配しています。最低の生活さえ確保して「ほどほど」に健康で、無理しないでとソフトランディングで結構ですよ(ホンネは、ちがうでしょうが・・・)と 私に過重な責任を負わない配慮してくれた陰で、強気一辺倒で、前へ前へと進むばかりの私に、「肩の力を抜かさせ」、彼女には自分の「弱み」も見せられる人間にしてくれました。

こんな体験を通しながら、エンディングノートの書き方講座の講師を重ねているうちに参加者の参加動機など調べていくと、「今後の自分の生き方を考えること」・「自分の介護・認知症が心配でという(70代・80代)」、「親の介護・葬儀の仕方をみて」・「子供にはそんな苦労させたくないという(50代・60代)の世代で大きく分けられることがわかりました。高齢者もその子供の世代も「老い」「介護」問題はする側・される側では同じ課題なのです。「高齢社会とは?」「老いの道・未知とは?」高齢者とその周辺の人たちの課題なのです。これは本来課題ではないのです。これに向き合うことは、人間として当たり前のこと、自然のことなのです。

人生50年時代から人生90年時代の世界一長寿国になった今、私は人生の後半の50歳を過ぎれば、人生の終末期のことを一度は考えておくのは(60〜65歳の定年後をどう生きるかの準備にはこれくらいからかかります。)当たり前のことなのです。
自分の旅立ちの風景を考えることで「では、今、何をすればよいか。どう生きればいいか、そのための準備は何をすべきか」という人生の根幹に横たわるテーマについて、自分に問いかける機会になります。
人生の後半は、折角 プレゼントされた40年間を「いかに楽しむか」「自由な時間をいかにデザインするか」なのです。自分の人生をいかに彩り、仕上げの時期・ステージなのです。今まで、「生」ばかり主として考え、ゴールの「死」「死後のこと」そして、「生」と「死」の間にどっかりと占めてきた「病」「老い・介護」など、自分の問題として考えてきませんでした。国も社会も史上初めて迎える時代です。誰もが未知の世界です。従って、対応もまだまだ試行錯誤で十分とはいえません。

人生の完成期の今、このノートを書くことで、自分の家族・住んでる地域・病・介護・死・そして人生の意味を考えながら、自立し、時代に応じた生き方・エンディングワークしていくことだと思います。老いを賢く過すことは、その智慧を学び、考え、自分のカタチを創ることが、この長寿社会の高齢者に課せられた新しい役割ではないでしょうか。

 1000人の最期を看取られた緩和医療医(ホスピス医)の大津秀一さんは、その著書「死ぬときに後悔すること25」で、後悔の少なかった人たちの共通点を次のように述べておられます。「それは準備の違い。自分の死についてきちんと家族と話し合う時間が持てたか。死をとにかく忌避して、ひたすら遠ざけるような態度を取ってなかったか。そこが分かれ目です。」

人生とは「人は人として生まれ、生き、そして人間として死んで行く」ことで、他の動物にはできないことです。物の豊かさを追求し、長い歴史を経て獲得し得た平均寿命84歳、より幸せな人生を過すための老いのあり方を、次世代のためにバトンタッチしていく義務があります。
「エンディングノート」は男の目線、男の方が先に人生定年を迎えるだろうという視線で「死に支度だけ」の発想で生まれたものです。セカンドらいふをどう生きるかの視点がありませんでした。セカンドらいふは、いつ「死」が起きても不思議ではありません。「生」と「死」の間のある「老い」「病」と向き合うことで「生きる」ことがリアルになります。[生死一如]

又「一人暮らし」世帯が一番多い時代になりました。働く女性が多く、定年まで
過ごす女性も増えました。人生が長くなり必ずしも男性の方が早く人生定年を迎えるパターンとはいちがいには言えず、介護も夫が妻を看るケースも少なく無い時代になりました。(妻が先になくなった場合、夫は平均4−5年、夫が先になくなった場合、平均23年生存しているというデータもあるようですが・・・)


「マイ・ネクステージらいふノート」は、一人ひとりの自分の人生を設計し、完成のための意思未来するものとして、「エンディングノート」をベースにして 性別問わない視線からどう生きるかを考えるために作成したものです。
これは、家族や次世代に対してのメッセージです。「こころの遺言」「意思未来」「生きた証」になるものです。新しい遺言「WILL」書です。家族・次世代への絆を繋ぐ大切なものです。図―1は、それを示したものです。
法的効力や社会的効力を望まれる人は「資産相続に伴う遺言書・認知症患者を守ってくれる任意後見、終末期医療処理のリビングウイル(尊厳死宣言)」は別に書き残しておくことが必要です。献体や臓器の提供など家族の同意がいるものについても、生前中に話しておくことが大切です。

図―1は私の「らいふノート」の出版時に、お話をうかがった遺言の専門家である司法書士・社会保険労務士(河合保弘)も同じような考え方でしたので意を強くした次第です。私の「エンディングノートの書き方講座」においても、参加者からノート自身法的効力の有無を問われる方が多かったので、氏の新しい遺言についての考え方を、「セミナーでのお話」と「WILLプロジエクト、間違いだらけの遺言を超える」著書を引用してご紹介させていただきましょう。

図―1MY・NEXTAGE らいふノートの位置づけ


新しい「遺言」の薦め・・より
●「WILL」の意味・「遺言」の意味
・日本語で「遺言」と呼ばれている言葉を英語訳すると「WILL」となります。そこで「WILL」という英単語について考えてみますと、「未来形」という助動詞ですが、他にもいろいろ意味があるようで、そのひとつの用法として「○○をします」「○○をするつもりです」という「意志未来」と呼ばれる使い方があります。
・そこから日本語の「遺言」という意味へとつながっているのでしょうが、何だか英語でいう「意志未来」と日本語でいう「遺言」とは、あまりリンクしている感じがしません。

また、欧米では「WILL」を遺すということは当たり前の生活習慣であるといわれていますが、わが国ではむしろ「遺言」を書いている人のほうが稀です。(相続中心で、家父長制度、家族間の阿吽など暗黙に家族コミュニケーションがあったから?)

●遺言後進国・日本
・遺言には「遺言公正証書」と呼ばれる正式文書で書かれるものばかりでなく、単なる「書置き」のような感じで自筆されたものも場合によっては正式な遺言書になりますので、その実数は正確に把握できませんが・・・公表されたデータによると2005年に作られた遺言公正証書の枚数は約7万枚、自筆の遺言書は遺言者の死亡後に家庭裁判所へ持ち込まれたと思われる「検認数」で約1万2千件ということになっています。年間死亡者数が約100万人、会社の数が約300万社(社長の人数)、以前は公示されていた所得税納税額1000万円以上の高額納税者数が約7万人というデータと比較すると、わが国は「遺言後進国」と言わざるを得ないのではないでしょうか。

●日本人が遺言を忌み嫌う理由
・わが国で「遺言」が普及しないというか、ある意味「忌み嫌われて」いる理由は何かといえば、それは「遺言」という言葉のイメージに問題があるのではないかということが挙げられます。
・一般の方々が持っておられる「遺言」のイメージは、例えば大金持ちのお年寄りが亡くなって、お葬式の時に突然「遺言書」が発見され、それが原因で家族の間で大騒動に・・といったテレビの2時間ドラマみたいなものではないでしょうか?

・それに、これまで出版されてきた遺言の本を見ても、遺言とは「人の死」を前提とした話となっていますし、かつ「遺言」=「相続」=「争いごと」というような、決して明るくて前向きのテーマではなく、その言葉自体が何だか暗くてネガティブなイメージが染み付いているように思えてなりません。・・・・・・

・日本での「遺言」とは
@お金持ちの人が、A自分の死を意識するようになってから、B 財産争いを避けるため C人には内緒で、D何となく暗い気持ちで作るものであって E作ったことを他人に公言するものではない  ということになっているといえるでしょう。

●遺言の限界・WILLの可能性
・日本語で言う「遺言」とは違って、英語で言う「WILL」とは、何も年を取った人や死期が近い人、お金持ちで財産が一杯ある人だけにしか関係ないというものではなく、人に内緒で、暗い気持ちで作るものでない、と私は思っています。前述の日本での遺言イメージ@〜Eにある「遺言を書く前提」とはまったく違ったものだということです。

・私は「WILL」のメインテーマは、単なる財産争いの予防などではなく、いつかこの世を去り逝くひとが、この世に残される次の世代の人たちに対してメッセージを贈るというまさに「意志未来」を表すことを目的とする、高度に精神的な部分なのではないかと思っています。
・「遺言」はその言葉のイメージから、どうしても高齢者にのみ関係があるものと短絡的に考えられがちですが、それは間違いです。「意志未来」は年齢とは無関係に、誰もが必ず考えなければならない人生の重要なステップであり、いわば「愛のメッセージ」なのではないでしょうか。だからこそ「WILL」は、従来の「遺言」をはるかに超えたものではなければならないのです。

・わが国において「遺言」と呼ばれてきた文書は、「高齢者の遺産相続」といごく一部の面だけをカバーしているに過ぎないのが現実だといえます。
・さらに、わが国の法律上における「遺言制度」は、あくまでも遺言者の「死亡」が前提であり、また「モノ」についてしか法的な効力がないということになっており、非常に不備があります。
・例えば、現代は寿命の延長と医学の進歩によって、「死なない状態」で長く生存し続ける人もおられますが、そういった状態のときに既存の「遺言」は全く使いものになりません。
・また、例えば「モノ」以外の部分である「心」「理念」「想い」「願い」など次世代に遺そうとする際にも、やはり既存の「遺言」は使えません。
・ そして「モノ」に関する遺言にしても、遺言書を書いてしまってからの諸諸の状況変化に対応できる内容を備えた「完璧」なものになっているケースは非常に稀で、実際には折角書いても役に立たなかったということがよくあるのです。

●「遺言」の新しい考え方とさまざまな「WILL」の形
1、遺言って何?
遺書→「いつ=自分が死を意識した時に」 「誰に=自分が死んだ後に残る人たちに」「何のために=死に際しての自分の想いや死後の希望を伝えるために」書く手紙のこと
遺言とは→遺書と遺言との違いは法的効力があるかないかであると、一般的な
イメージを抱いているように思われます。

2、「遺書」と「法律上の遺言」との違い
・法律上の遺言
@自然人、すなわち「生身の人間」だけが書くことができる。 (会社や法人は遺言できない)
A遺言書を各能力が必要である 。 (自分の意志を明確に表明できるヒトしか書けない)
B遺言書は「文章」でなければならない(録音や録画など認めない)
C遺言書は法律で定められた何種類かの様式に従ったものでなければ法的効力は認められない
(単なる「遺書」「書置き」では遺言書であると認められない場合が多い)
D基本的には遺言書(遺言する人)がもっている「財産」、それも「プラス財産」について書かれたことのみが法的効力を持つ。(財産以外の精神的なことや、借金などのマイナス財産について書かれたことに法的効力はない)
E遺言が有効であった場合には、遺言者が死亡した際の遺産の帰属について遺言書の内容の通りとなる。(法的相続よりも遺言が優先する)
F遺言書で財産を与えると書いてある人物が、遺言者死亡の際に生存していなければ、遺言書の内容は実現できない。(「同時存在の原則」があり)、遺言書で与えられた権利は次の世代に相続できない。ただし、このことを裁判で争っているケースがある。

3、「遺言」にまつわる誤解
@遺言は相続でもめそうなお金持ちだけがするものである
A遺言には一定年齢以上といった「適齢期」がある
B遺言は誰にも知らせずこっそり書くものだ
C遺言は大変難しい法律文書でカネと手間がかかる
D専門家に作ってもらった遺言書は完璧だ
E遺言の効力があるのは「モノ」の部分だけで、「心」を伝える方法がない

4、WILL(新しい遺言)とは
(1)本来、「死」を前提に書くものではない
・死を明確に意識してから書く「遺書」とは違って、『遺言』に関して本来「遺言適齢期」というものではなく、いつかは必ず死ぬ日を迎える人間である以上、常に意識しておくべきものなのです。例えば「自分が事故や病気になったりして自らの意思を伝えることができなくなる可能性の場合」、などがそのケースです。

(2)「WILL」とは「人生」そのものを正しく次世代に引き継ぐための「戦略」だ。
・「WILL」の考え方を「人の死」とは切り離すという観点から考えると、一体何のために残すのか?それは「モノ」「心」を含めた、その人の「人生」そのものを正しく次世代に引き継ぐために必要です。「人生」を正しく引き継ぐということはモノ、「財産」以外に、経営理念・家族として継続すべき『技術・想い、願い・ 心の響きという部分があるということです。

(3)「遺言」に不足している3つの観点

@「モノ」に関する部分のみに法的効力を認めていること
・最初から「心=ソフト」という部分について記載されることを想定していないこと
例えば「葬儀や供養はどうしろ」とかの指示や、「兄弟仲良く暮らしてくれ」とかの希望・要望など、「心」の部分を記載すること自体は可能です。それらに対して「法的効力」を認めていないことです。
A法的効力の前提として、非常に厳格な要件を求めていること
・実体よりも形式を強く求めている傾向があります。
「本当にその人のそのときの気持ちが書いてあるのかどうか」そして「その文書が、それを読んだ人に響くかどうか」についてなどが無視されていること
B効力発生時期が遺言者の死亡時であること
・遺言者が意思能力を喪失したり、怪我や病気で意識不明になっても「遺言」書かれた内容に関する効力は一切発生せず、ひたすらその人の「死」を待つというのが「遺言」制度の大きな特徴であること。

(4) 欧米では常識――遺言の本当の目的は「モノ」でなく「心」
・欧米の多くは、日本の「法定相続制度」がなく、死後の財産の帰属に関しては遺言で指定することが一般的になっている。

5、WILLの分類

対象 法的効力 効力発生時期 宛先 分類
モノ ○ 死亡 全員 法律上の遺言
心 ○ 死亡直前 医師 尊厳死宣言
心 × 死亡 全員 倫理遺言(宛名なし)
心 × 死亡 個人 倫理遺言(宛名付)
モノ・心 ○ 意思能力喪失 後見人 任意後見契約
モノ × 意思能力喪失 各種 最終意思伝達文書
心 × 意思能力喪失 各種 最終意思伝達文書

■心の遺言とは・・・・MY・NEXTAGE らいふノートで照合すれば・・・
@自分以外の誰かに対して「自分の後の世代に向けての希望や要望を遺すこと(現在)
個人メッセージ(57P〜58P)
A人生の証を遺す。自分史 (3p〜14P)             (過去)
B自分の人生に対しての「夢」『希望』「計画」などを、自分自身のために考え、記録して
おくというもので、いわゆる「未来設計図」がこれにあてはまる。(27P~36P 37p〜54P) (未来)
■倫理遺言とは、自分史と遺言の中間にあるもの/・・・ → 個人メッセージ
大切に思っているヒトに宛てたメッセージ…生前に本人に面と向かっていいにくいような
「愛情」「感謝」「謝罪」『反省』などの言葉であったり、人生の教訓、反省、励ましの言葉

■ 最終意志伝達文書 →「尊厳死宣言」「臓器提供」「献体」「任意後見契約」などがこれにあたます。
6、「遺言」に対する5つの新しい提案
提案1 「日本人の“遺言”」を根本的に考えなおして見ましょう。
提案2 モノの遺言を極めた上で、あらゆる「誤算」に対応した「危機的管理遺言」    を学ぶ
提案3 「心の遺言」の考え方とノウハウをマスターしましょう
提案4 「死なない不幸」に対応する「最終意思伝達文書」の考え方とノウハウをマ     スターしましょう
提案5 多様な「WILL」の全てを完備した本格的な「WILLプロジエクト」の    手順をマスターしましょう。