2015年3月 アーカイブ
2015年3月25日 0時39分07秒 (Wed)
50周年Tシャツ! 2015年03月15日(日)

えぼしクラブ発足の謎①
① ほんとに50周年?
「50周年記念のパーティの会場はとれるかしら?」さすが50周年。阿久津コーチの素晴らしいデザインでのTシャツも完成。外堀はしっかりと埋まってきました。しかーし!ほんとに50周年?「高校生がプールで監視をしていて、あまりにも泳げない子が多いので教え始めたのがえぼしクラブの発足」って本当?うー。48年間えぼしクラブに在籍しているぼくとしては不安になってきました。当時ぼくは小学6年生。なにせ子どものころだから実は詳しくはわかりません。やっばーい!30周年のときはコーチウインドブレーカーを作ったりしたことがありました。別にイベントをやったわけではありません。40周年は何もなくスルーでした。日々のトレーニングや活動に集中していたのでそんなお祭り騒ぎをする気分など微塵もありませんでした。そんな中50周年が近づくにつれて「斎藤さん、昔の小池さんとか、森田さんに話を聞きにいかないとねえ。」と渡辺コーチが会うたびにぼそぼそ話してきます。
50年という年月はさすがに長い!これを「記念誌」作るなんてことになったらほとんど資料はありません。それも当時からのコーチで残っているのは自分くらいしかいないので調べるにしても、みんなは昔を知らないってことです。自分一人が調査していくのは実に骨の折れる作業だろうなあとうんざりしていました。
②発足の謎
50年という長い歴史にその都度参加された方は無数にいますが、長く続けているメンバーがたくさんいるのではないので、その年代の人たちが集まっても話がかみ合わない気がします。なにしろえぼしクラブに在籍したことがある、以外にまったく共通点がないのですから。
そう考えているうちに「えぼしクラブ誕生」についてはどの年代の方にも興味のあることだろうなと思いました。で、「発足の謎」に迫る取材を敢行することにしました。
③森田さんに会えた
ぼくがまず考えたのは森田さん。お茶だかお花の先生で、いつもミーティングは自宅を開放してくださいました。コーチとはいっても「ガキ」です。一所懸命やってるつもりでもぎゃあぎゃあと勝手に遊びまくっていた気がします。そんなコーチたちでしたが森田さんは尊重してくださいました。お隣の部屋でテレビを見ていたお父様はさぞかしうるさくて迷惑だったろうなと思いました。森田さんの自宅は東海岸南。場所は何となくうろ覚えでした。3月15日の朝トレーニングの後、とりあえず行ってみようと思いました。会えるかどうかもわからないので50周年にまつわる内容を書き、発足のことへのアンケートを作成し、返信用の封筒までパックして用意しました。
すっげえドッキドキ。まずは「家があるのか?」住んでおられるだろうか?全く謎です。「確かこの辺。」と見当をつけて行ってみると、ドンピシャで「森田」の表札。引き戸を開けると懐かしい!昔と変わらないたたずまいでした。恐る恐る呼び鈴を押すと「はあい。」の声。玄関を開けてお顔をうかがうと。あの森田和子さんでした。「えぼしクラブの斎藤です。」「え?ああ、斎藤君?頭薄くなったわねえ。」覚えていてくださいました。これはうれしかったですね。86歳。ご存命でした。「ちょうど整理しててこれが出てきたのよ。」と出してくれたのが昭和48年の「広報ちがさき」でした。森田さんが書かれたえぼしクラブのお話が、書かれていました。
森田和子さん(86歳 2015年03月15日取材)「茅ヶ崎に住んでいながら泳げない子が多い。」このことはよく伺っていました。「小学校のPTAの仲間が集まって発足したの。小山さんもいたわねえ。青函連絡船の事故もあったし(1954年9月26日に起きた洞爺丸4,300トンの沈没事故で1155名の死者、行方不明者を出した。)このPTAの仲間にどのような人がいたのかは今回の取材ではわかりませんでした。息子さんの英男さんは先輩コーチとしてぼくが子どものころからお世話になっていました。今回お話を伺っていると森田和子さんは息子の英男さんを呼んでくれました。昔と変わらないやさしい笑顔で出てきてくれました。「ぼくが中学のころだなあ。」というと英男さんの年齢(63歳)と合致します。ということはえぼしクラブ発足時には英男さんは中学生。となると森田さんは小学校PTAの時のお仲間に声をかけた時にはもう英男さんが中学校に行っていた時期になります。「そうそう茅ヶ崎駅南口の丸十ベーカリーの山田さんも手伝ってもらったわよ。おいしいパンでね。ヨーロッパにも修行に行ったんだけど、その後スイミングクラブを作ったわね。」これが現在のパルバル。茅ヶ崎のスイミングクラブ創生にはえぼしクラブがありそこから林スイミング、パルバルが派生していった歴史があったというのです。林スイミングのことは聞いていたけれどまさかパルバルもえぼしをやっていた方だとは知りませんでした。

森田和子さん(左)と息子の英男さん
まとめ
森田和子さん(86歳 2015年03月15日取材) 仲間 小山さん
・青函連絡船の事故があり「泳げること」の重要性を痛感
(1954年9月26日に起きた洞爺丸4,300トンの沈没事故で1155名の死者、行方不明者を出しました。)
・小学校のPTAの仲間が母体
・茅ヶ崎駅南口の丸十ベーカリーの山田さんも手伝ってもらった 現在はパルバル創設者
・広報ちがさき 昭和48年森田和子さん執筆記事発見!
① ほんとに50周年?
「50周年記念のパーティの会場はとれるかしら?」さすが50周年。阿久津コーチの素晴らしいデザインでのTシャツも完成。外堀はしっかりと埋まってきました。しかーし!ほんとに50周年?「高校生がプールで監視をしていて、あまりにも泳げない子が多いので教え始めたのがえぼしクラブの発足」って本当?うー。48年間えぼしクラブに在籍しているぼくとしては不安になってきました。当時ぼくは小学6年生。なにせ子どものころだから実は詳しくはわかりません。やっばーい!30周年のときはコーチウインドブレーカーを作ったりしたことがありました。別にイベントをやったわけではありません。40周年は何もなくスルーでした。日々のトレーニングや活動に集中していたのでそんなお祭り騒ぎをする気分など微塵もありませんでした。そんな中50周年が近づくにつれて「斎藤さん、昔の小池さんとか、森田さんに話を聞きにいかないとねえ。」と渡辺コーチが会うたびにぼそぼそ話してきます。
50年という年月はさすがに長い!これを「記念誌」作るなんてことになったらほとんど資料はありません。それも当時からのコーチで残っているのは自分くらいしかいないので調べるにしても、みんなは昔を知らないってことです。自分一人が調査していくのは実に骨の折れる作業だろうなあとうんざりしていました。
②発足の謎
50年という長い歴史にその都度参加された方は無数にいますが、長く続けているメンバーがたくさんいるのではないので、その年代の人たちが集まっても話がかみ合わない気がします。なにしろえぼしクラブに在籍したことがある、以外にまったく共通点がないのですから。
そう考えているうちに「えぼしクラブ誕生」についてはどの年代の方にも興味のあることだろうなと思いました。で、「発足の謎」に迫る取材を敢行することにしました。
③森田さんに会えた
ぼくがまず考えたのは森田さん。お茶だかお花の先生で、いつもミーティングは自宅を開放してくださいました。コーチとはいっても「ガキ」です。一所懸命やってるつもりでもぎゃあぎゃあと勝手に遊びまくっていた気がします。そんなコーチたちでしたが森田さんは尊重してくださいました。お隣の部屋でテレビを見ていたお父様はさぞかしうるさくて迷惑だったろうなと思いました。森田さんの自宅は東海岸南。場所は何となくうろ覚えでした。3月15日の朝トレーニングの後、とりあえず行ってみようと思いました。会えるかどうかもわからないので50周年にまつわる内容を書き、発足のことへのアンケートを作成し、返信用の封筒までパックして用意しました。
すっげえドッキドキ。まずは「家があるのか?」住んでおられるだろうか?全く謎です。「確かこの辺。」と見当をつけて行ってみると、ドンピシャで「森田」の表札。引き戸を開けると懐かしい!昔と変わらないたたずまいでした。恐る恐る呼び鈴を押すと「はあい。」の声。玄関を開けてお顔をうかがうと。あの森田和子さんでした。「えぼしクラブの斎藤です。」「え?ああ、斎藤君?頭薄くなったわねえ。」覚えていてくださいました。これはうれしかったですね。86歳。ご存命でした。「ちょうど整理しててこれが出てきたのよ。」と出してくれたのが昭和48年の「広報ちがさき」でした。森田さんが書かれたえぼしクラブのお話が、書かれていました。
森田和子さん(86歳 2015年03月15日取材)「茅ヶ崎に住んでいながら泳げない子が多い。」このことはよく伺っていました。「小学校のPTAの仲間が集まって発足したの。小山さんもいたわねえ。青函連絡船の事故もあったし(1954年9月26日に起きた洞爺丸4,300トンの沈没事故で1155名の死者、行方不明者を出した。)このPTAの仲間にどのような人がいたのかは今回の取材ではわかりませんでした。息子さんの英男さんは先輩コーチとしてぼくが子どものころからお世話になっていました。今回お話を伺っていると森田和子さんは息子の英男さんを呼んでくれました。昔と変わらないやさしい笑顔で出てきてくれました。「ぼくが中学のころだなあ。」というと英男さんの年齢(63歳)と合致します。ということはえぼしクラブ発足時には英男さんは中学生。となると森田さんは小学校PTAの時のお仲間に声をかけた時にはもう英男さんが中学校に行っていた時期になります。「そうそう茅ヶ崎駅南口の丸十ベーカリーの山田さんも手伝ってもらったわよ。おいしいパンでね。ヨーロッパにも修行に行ったんだけど、その後スイミングクラブを作ったわね。」これが現在のパルバル。茅ヶ崎のスイミングクラブ創生にはえぼしクラブがありそこから林スイミング、パルバルが派生していった歴史があったというのです。林スイミングのことは聞いていたけれどまさかパルバルもえぼしをやっていた方だとは知りませんでした。

森田和子さん(左)と息子の英男さん
まとめ
森田和子さん(86歳 2015年03月15日取材) 仲間 小山さん
・青函連絡船の事故があり「泳げること」の重要性を痛感
(1954年9月26日に起きた洞爺丸4,300トンの沈没事故で1155名の死者、行方不明者を出しました。)
・小学校のPTAの仲間が母体
・茅ヶ崎駅南口の丸十ベーカリーの山田さんも手伝ってもらった 現在はパルバル創設者
・広報ちがさき 昭和48年森田和子さん執筆記事発見!
2015年3月22日 23時15分03秒 (Sun)
2015年3月22日(日)今日のえぼし

暖かくなりましたねぇ。ふりかえりのコーチミーティングで寒くて震えることもなく楽チンでした。
連休とか卒業式の準備とかこどもたちも忙しいのでしょう。今日は高学年が少なく、かわりにちびさんたちが目立つ日でした。
ひさいぶりにストレッチ、筋トレをきっちりやりました。
ちびさんたちもがんばっていました。(でもちゃんとやったのかなぁ?)

猛獣狩りの流れで「き・り・ん」の「きチーム」、「りチーム」、「んチーム」の3チームに別れ
「きチーム」が3~4つのバイキングステーションとなり、他のチームがそれぞれのステーションに行き
じゃんけんで食事やデザートをすべてゲットするというゲームがおもしろかったです。

最後に高学年キャンプについてのじゃんけんアンケート。
「もっとハードなキャンプに行きたい!」人はグー。
「結構きつかったので、このくらいならまた行きたい!」人はチョキ。
「きつすぎてもう行きたくない!」ひとはパー。
行かなかった人も今度行くとしたら?で答えてもらいました。
グーは以外に少なかったですね。パーはいないかと思いましたが5~6人いました。
直滑降のような上り坂が続くので、大人でもきついので仕方ないですね。
でもきっとそのときになれば行きそうな気がしますけどね。
そのアンケートの結果のグー、チョキ、パーチームにそれぞれ指定された場所のごみを集めてもらいました。用意したレジ袋いっぱいになるほどのごみが集まりました。
自分たちが活動する範囲だけですが、いつもお世話になっているフィールドをきれいにしたいと思いました。できれば定期的にやっていきたいと思います。
山登り、木タッチ、ストレッチ、筋トレ、じゃんけん列車(EXILE(エグザイル)版)
進化じゃんけん(霊界版)、たい焼き、猛獣狩り、「きりん」レストラン、じゃんけんアンケート
じゃんけんアンケートに時間がかかり、残念ながら三角おには出来ませんでした。
みんな物足りなさそうでした。
2015年3月22日 15時05分44秒 (Sun)
高学年キャンプ
2547高学年キャンプ
2015年03月13日(金)

①天候
「天気どうかなあ?」いつも言われています。雨なら雨で楽しむっていうのが野外活動の常道だろうと常々思っていますが、いかんせん子どもたちの雨対策がどうしてもきっちりとはできないので辛いのではと考えてしまいます。「雨の時のプログラムってえぼしクラブはあんまり考えない」という雰囲気です。中止も考えない、ほんとそれでいいのかとも思いますがこのこともえぼしクラブの最近の動きです。そしてどんな天候でも「今回は中止ですか?」という電話がかかってもないのもえぼしクラブの特徴です。それだけの絶大な信頼が結構重いですね。
「雨でも行くけど、でも茅ヶ崎駅に集合しているときにがんがんに降ってたらどうしようかなあ。」と自分としてはかなり心中穏やかではない気分です。
今週花粉がきつくそのままひどい風邪をひいてしまった自分ですが今書いたような「雨でもやる」という伝統のあるえぼしクラブだからこそ、「行くしかないよな。」です。
当日雨が降っていましたが、もちろん決行。明星が岳ロングコースをやめ箱根湯本からのショートコースに切り替えました。このショートコース。箱根湯本からいきなりの急登。阿弥陀寺まですべて舗装道路ですがこれが地味にきついのです。「もう無理!」というセリフが子どもから上がってきます。「こりゃあ、はなから厳しい行程になるかも。」とちょっと焦りました。阿弥陀寺で休憩しながら、「もう無理」組を結成。本隊が休憩中に先発する手を取りました。どんどん遅れていくプレッシャーがきついのでしょうから、逆に先にスタートさせる手です。これは意外に功を奏し、塔の峰までばっちりうまくいきました。
塔の峰山頂から若干降りたところは開けていて相模湾が一望できる絶景です。ここまで来ると雨も上がり、ここで昼食にしました。バーナーをセット。暖かいみそ汁を飲みながらくつろぎました。登ってくると結構暑くなりますが、昼食をとっていると徐々に寒くなってきました。
ここからは下り。で、結構早めにキャンプ場に行けました。
このキャンプ場は50年続いていたそうで、今年3月31日に閉鎖するものです。古いですがよく手入れされていて、いいキャンプ場でした。まきなども持ち込みなので車使用が多いようですが、えぼしは高学年キャンプ。車に頼りません。なのでバーナーでの食事になります。各自ガスバーナーでレトルトカレーを温め、ガソリンバーナーでご飯を炊きました。心配していましたがうまく炊けました。
2日目はスープを沸かし、フランスパンを食べました。これもシンプルな山の食事です。
今回は高学年が親元を離れて仲間と過ごすキャンプでした。お母さんが恋しい子もいたし、それでも仲間と一緒に過ごす楽しさを満喫した子もいたと思います。良い体験になったのではないかと思います。
連絡、準備、下見などコーチ、世話人さん本当にありがとうございました。お疲れ様でした。

昼食の後の撤収です。 雨の中の行動もなかなかですね

さあ出発! まだ食べてます。

日本は雨の多い国。恵みの雨です。雨でも楽しみましょう!
2015年3月22日 15時02分07秒 (Sun)
第7回えのしまんダリー

2015年02月08日(日)
①気分爽快Max!
バリの日本人大富豪「兄貴」が主人公「神様はバリにいる」堤真一のバカっぽい演技がすごく面白かったですね。(堤真一は格好いい役もできるし、バカっぽさもできるすごい俳優だ)どうしても見たくて見に行きました。実にポジティブな兄貴がよくて「気分爽快Max!」と叫びたくなりました。
さてこんな映画を見た斎藤はまさにポジティブに走りました。緻密な段取りを組んでくる世話人さんの言葉にも「えのしまんダリーはやります。」といういたってシンプルな返答。社長が「当日は雨」という天気予報を必死に貼り付けて配信しているのも知らん顔。「晴れの天気予報を検索してね。」の一点張りでありました。「マラソンって雨でも開催するもんね。」のノリでした。
さあ当日、4時起床。まだ降っていなかったのですね。で、いろいろと準備し、書類を下川さんの家に届けようと自転車を走らせた時点で降り出しました。下川さんのお宅から伊藤コーチの家に行く間はかなりな降雨で、「こりゃあやばいなあ。」とさしもの斎藤も焦りましたね。で、その後海に下見に行くと雨が上がり、月がこうこうと明るく見えています。よく見ると青空が。さらに朝焼けの雰囲気が醸し出されてきました。これだよな。社長も、岸部コーチも、真下コーチもマイナスパワー全開でしたが、「見ろよ!」でした。ばっちりといい天気。もちろん「開催決定」です。さすが「気分最高Max!」でした。

②90名の参加だな
すごい人数です。90名近い人数です。ランナーエントリーが実に多い。やはりいい企画なのでしょう。「ちょっと走ってみたい。」という距離。しかも小さい子どもも完走できる(完歩?)ようです。藤沢から茅ヶ崎まで走るという企画はなかなかに魅力的。なのでとにかくすごい参加ですね。ありがたい!満員御礼!パンを95個も買いに行ったというほどでかいイベントでした。

③えぼし機動部隊
世話人さんの機動力には毎回驚かされます。実に段取りよく仕事をしていきます。みんなが楽しくなるために実に細かく作戦を立ててくれました。
おりしも東海道線が人身事故で止まったりしたハプニングもありましたが、そんなにロスタイムもなくスタートできました。給水所をやらせていただきましたが、準備してちょっと休もうかなと思う間もなくすごいスピードでトップが走ってきました。すごいですね。その後も途切れることなくえぼしのゼッケンをつけたランナーが引きも切らずやってきました。みなさん結構お水を飲んでくださるのでやりがいがありました。お菓子をつまんだりゆったり立ち止まったりする方もいてそれはそれで実にいい雰囲気でした。
今回は特に世話人さんがすごい体制でタイムを記録してくださいましたので完走証にタイムを入れるのかとても速くできました。ありがとうございました。
おいしいトン汁やパン、おにぎりをいただいたところでちょうど雨。走っている間は見事に雨は降りませんでした。ね!社長!これからは晴れの天気予報を使いましょう!みなさんお疲れ様でした。そして、世話人のみなさん、コーチのみなさん素晴らしい活動ありがとうございました!
2015年3月1日 17時19分24秒 (Sun)
今日のえぼし

3月1日の朝は、雨。6時頃に降っていた雨がえぼし朝トレの為にやんでくれたみたい。なんと7時頃から8時半まで、空が泣き止みました。9時頃には、また降り出した雨には、びっくりでした。
朝トレ開始時は、写真の様に少ない人数で遊びはじめましたが、だんだん人が集まるところが、さすがえぼし。齋藤コーチが考えた新ゲームをやりました。三ヶ所の陣地に、好きな物を決め、自分の好きな物のところへ掛け声を合図に、いっせいに移動、一番多い人数のグループが決められた木まで走る。段々みんなが走れる様に、人数が多い順に、三ヶ所の別場所まで走り帰っくるゲームに進展していきました。
次は、あんたがたどこさ。手遊び編から、十字を書き歌に合わせての横移動、さ、で縦移動のハードバージョンもやりました。その後は魔女ジャンケン。それから鹿の生存競争、これは、鹿グループと鹿が生きる為に必要な家、食べ物、水の環境グループに分かれての戦いです。鹿は、生き残る為に必要なものを探しますが、環境グループにないと自分の陣地に持って帰れずに、死んでしまうと言うゲーム。死んでしまったら、自分は環境になります。説明は、難しいですが、やるとジャンケンの様に楽しめます。今日できなかった人は、今度遊びましょうね。最後のしめは、やはり三角鬼でした。
今日のえぼしは、朝トレ後に、高学年キャンプ説明会もありました。
キャンプは、今度の土日。えぼしパワーでお天気を味方に出来るでしょうか?みんながんばりましょう。(*^_^*)
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