50周年プロジェクト
《 50周年プロジェクトについて その4 》
えぼしクラブ発足の謎④
2015年04月03日(金)

① 林水泳教室で開高健の話をする
パルバルでは山田さんご本人には会えなかったけれど、取材はかなりいい感じで終えられました。大分時間が無くなってきましたが、やはりもう一つの大御所林正則さんにお会いしたいと思いとりあえず林水泳教室に行ってみることにしました。こちらも子どもクラスが終わったところで忙しそうな雰囲気。受付での説明におろおろしてしまいます。まずは「香川小学校の教員をしています斎藤直人と申します。いつもお世話になっております。」から入りました。これはなかなかに使える魔法の言葉ですね。「このスイミングクラブは林さんが作られたのですよね。実は林さんが林水泳教室を作られる前に『えぼしクラブ』というボランティアの
水泳クラブを作っておられました。そのえぼしクラブ、おかげさまで今年50周年になりました。これも林さんのおかげです。50周年を迎えて、ぜひ発足時のことを教えていただきたいと思い、伺いました。どこかで林さんとお話できるとありがたいのですが。」と一気に話すとホッとしますね。階段の踊り場には開高健の写真がパネルになって貼ってあります。「ぼくも実は短期間林さんで水泳を教わっていたのですよ。そのとき開高健さんに会いましたね。気さくな方で話しかけてくれましたよ。」などというお土産エピソードをジャブします。これでかなり関係がよくなりますね。「林はいますので連絡してきますね。」おお!直接お会いできそうな雰囲気!これはありがたいなあと思いました。
② 林正則さんと会う
まもなくして、がっしりした男の人がやってきました。「おう、えぼしクラブだって?まあ、あがりなさいよ。会議室空いてるか?そうか。鍵くれ。」とぼくを案内してくれました。「えぼしクラブかあ。まだやってんだ。おお、すごいねえ。」ここでも必殺角本パンフレットが大きな効果を表します。百の言葉より、カラーのパンフレットですね。「すごいねえ。え?50周年だって?そりゃあ何か式典やったほうがいいな。たばこ吸っていいかい?」とたばこを吸い始めました。「あのな、外で売店やってるこが俺の妹だ。あいつもえぼしやってたんだぞ。呼ぶか。(インタホンを押して)おう、えぼしクラブだとよ。ちょっと来てみろよ。な。」でまもなく妹さんがやってきました。「えぼしね。うん、誰かに、まだ続いているって聞いたことあはるわね。そうなんだ。」とやはり嬉しそうにえぼしのパンフレットを見てくださった。「斎藤さんは何年生まれ?昭和30年生まれなの。その世代たくさん知ってるわよ。桑田君がいたわよね。湯川君は。」「あいつはえぼし入ってないだろう。」「たこせんべいの社長も確かえぼしじゃないか?」といきなりたこせんべいの社長に電話。「えぼし?いやあわからないっすよ。初めて聞いた名前だなあ。すみません。」「そうかよう。知らねえのか。じゃあな。ま、その時はいろいろ協力頼むよな。」って、たこせんべいの社長もいい迷惑でしたねえ。「あいつに、えぼしクラブのたこせんべいを焼かせりゃいいじゃねえか。」ってえぼしは関係ないって言っているのにねえ。なかなか豪快な林さんでした。「50周年いくからよお。」とやる気満々でしたね。
えぼしクラブ発足の謎⑤
林さんの思いを語る
2015年04月03日(金)

① えぼしクラブは本格派でスタート
林さんは水泳兄弟であった。長男、正則さん(次男)双子の妹の4人。
双子の妹さんがあまり丈夫ではなかったことから、家の庭に小さなプールを作って水泳をさせていたそうです。お兄さんの正則さんは東京オリンピック時に県大会で記録を持つくらい、次期メキシコオリンピックの強化選手になるほどの実力者でした。茅ヶ崎小学校、茅ヶ崎第一中学校(一中)に進んだのですが、小学校の時は悪ガキだったので、親が水泳をやらせたそうです。それが、小学校時代から茅ヶ崎一中の水泳部に入れてもらい一緒に泳いでいたそうです。記録が出てきて、お母様は、「スイミングママ」になりました。水連とかのつながりも太く、様々な大会に顔を出し、ストップウォッチを持ち、どこにでも顔を出していたとのことです。
水泳の層を厚くしたい、茅ヶ崎に住みながら「泳げない子」の多さに驚く。そこで「本格的に水泳を教えたい」ことからえぼしクラブを始めたようです。泳げない子ども対象もありましたが、やるのならかなり本格的に水泳指導し、選手を育てたい気持ちがあったようです。なので、水泳以外にもしっかりとした本格的な陸上トレーニングを取り入れようとしました。今でも「朝トレーニング」と名称が残っていますが、このころからが起源のようですね。(すごい伝統ですね)
「体力をつけるためにも、サッカーを取り入れたね。サッカーがかなり盛んになり、その後504(昭和50年4月に結成)ができたな。水泳じゃなくてサッカー選手がかなり育ったって感じだったな。」このサッカー。ぼくも朝トレーニングで一緒にやりましたが、スパイクはいた高校生と一緒にサッカーをやり、思い切り足を踏まれて、怖い思いをしましたね。今でも忘れられません。
児童文化研究会などを大学でやっていた小池さんが入り、徐々に「児童文化」的な雰囲気がえぼしクラブに出てきました。「小池さんが方向を変えたね。」と林さんが言いました。50年経っても忘れられないことなのでしょう。本格的に水泳をやりたい林さんたちにとっては、児童文化的な流れは容認できなかったのでしょう。ここで林さんと小池さんとで路線が違い、分かれます。これが1970年ころです。発足5年目ですね。
で、林さんたちはプロとして水泳を教える立場をとりました。
東海岸に10m×5mのプールを自宅に作り、水泳を教えてしまう破天荒なやり方をとります。(住居地区なので、屋内プールを「お風呂」として申請して作ったそうです。豪快ですね)
「ジプシーだったね。」はじめプールを持たなかった林さんたちは公営のプールで水泳講習を敢行。やりすぎて追い出されるとまた違った公営プールを探しての水泳講習を繰り返したそうです。これがジプシーだったそうです。その後林水泳教室を作り、今に至っているそうです。「いずれにしても50年続けたのはすごいな。林も今年で40周年だよ。ビート板とか古いのならあげるよ。言ってくれよな。」なかなかに豪快な方でした。えぼし発足にかかわる部分では林正則さんのお兄さん正明さんがいらっしゃいます。今度はここに取材したいと思っています。
50周年をやろうね!
2015年04月03日(金)

① 新学期になって
新しい学期。2015年ももう4分の一が終わってしまいました。早いものですね。えぼしクラブの50年を探っています。「その中であらためて思うことは「えぼしクラブは素晴らしい団体だなあ。」と思いました。50年続いているということも大きいですが、今この団体を支えている方々のお力がとにかく素晴らしいです。
異年齢で一緒にいられる心地の良い場所ですね。そして、この心地よさはとても大切だと思います。
ぼくら昭和生まれの人間は、21世紀はバラ色の世界だと信じていました。戦争も、病気もなくなり、鉄腕アトムが活躍するそんな未来でした。
しかし21世紀はどうでしょうか?世界では戦争やテロが終わりません。相変わらず、国どうしがいがみ合い、自国の利益のみを求めています。国同士がもめていることで一般の人々や立場的に弱い人たちがつらい目にあっています。こういった状況については、越地さんや川端さんにじっくりお話を伺うといいと思います。
日本でも格差や、貧困。精神的に参っている人も多いですね。自死(自殺)件数の多さも先進国でかなり多いほうです。日本ほ本当に豊かな国なのでしょうか?
② えぼしクラブ
そんな中で「学校とは違う」場所であるえぼしクラブはユニークな場所を提供しています。野外活動指導者研修会に行くといつも「固定で子どもの団体を持っているのはいいなあ。」とうらやましがられます。野外活動の指導をしたいとしても、そういった団体がなかなかありません。子どもたちへの指導者になろうとしても「野球」「サッカー」「バスケット」「水泳」など。かなり専門的な技術が必要になるし、また、目的がかなり収束していて、「勝ち負け」などが大きくなってしまいます。他団体との試合などもあります。自分たちだけでの活動ができにくいのだと思います。しかしえぼしクラブは「何をやっている団体ですか?」と聞かれると結構答えに詰まるような団体です。それだけ活動が緩いのでしょうね。スポーツが得意でないとできないということもありません。無理やり特訓を亜yることもありませんね。
今回高学年キャンプを行ったとき、親の皆さんが「私たちも行きたーい!」と言っていたのがとてもえぼしらしくて面白かったですね。大人も元気でやりたがりですね。それが実に楽しいです。一緒にキャンプをしたり、一緒にマラソンしたりと、実に楽しいですよね。
ここにくればのんびりできる。気兼ねなくいられる、そんな場所になっていたらいいなあと思います。
50周年。みなさんで、今かかわっている皆さんで楽しく過ごせる場所にしたいと思います。そして、また、昔かかわった皆さんも来てくれたらいいなあと思います。ぜひお声をかけてくださいね
50周年会
2015年06月27日(土)
午後から。勤労市民会館です。
詳しいことは決まり次第ご連絡しますね。よろしくお願いいたします。
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《 50周年プロジェクトについて その3 》
えぼしクラブ発足の謎③ パルバル編
2015年03月18日(水)
① パルバルに行ってみた
「パルバルの山田さんもえぼしクラブだったのよ。」という驚きの事実を確かめたいと思いぼくはパルバルに足を運びました。「門前払い」これが浮かびましたね。スイミングクラブっていつも忙しそうだし、へんな勧誘と間違えられるのも厄介だし。「ああ、面倒だなあ。」と思いながら、重い足を引きずるようにパルバルに向かいました。おりしも、子どもたちの水泳が引けてくる時間帯。入り口はごった返していました。あちゃーこりゃあ駄目だなあ。と思いました。
「あのーすみません。」
「入会ですか?」
「えぼしクラブの斎藤です。」
「すみません。今ちょっと立て込んでいまして。」
終了!
こんなマイナスイメージが付きまといます。勧誘、押し売り、振り込めサギ。ああ、面倒くさいなあ。
しかし実際は「すみません。私、香川小学校の教員をしています斎藤直人と申します。お世話になっています。」ここから入るのが最もリスクが少ないし、警戒されないだろうと考えましたね。小学校とは何らかの関係があります。香川小学校ならパルバルに通っている子もいるでしょう。邪険に扱われることもないという作戦です。
「パルバル創設者は確か山田さんではないでしょうか?」と話しました。「はあそうですが。」と怪訝そうなお相手の顔。「実は山田さんがパルバルを創設される前にボランティアで水泳を教えておられて、それがえぼしクラブと言います。山田さんが始められたおかげで今年50周年を迎えました。」とここで山田さんの功績を称えつつ「で、えぼしクラブ発足の頃がどんなだったのか、山田さんにお伺いできたらと思い足を運びました。」とここまで来るとほっとしますね。「そうですか。ちょっとお待ちください。」と事務室に入っていかれました。程なく、女の方が出てきました。「斎藤先生ですね。横山です。その節はお世話になりました。それからパルバルのえぼし岩からの遠泳にも参加してくださいましたね。」とお知り合いの登場で一気に話が盛り上がりました。良かったあ!
「茅ヶ崎駅、南口の丸十ベーカリーの山田さんですよね。」と確認しました。横山さんは丁寧に対応してくださいました。山田さんはちょうど出かけておられたのでお話は伺えませんでしたが、アポは取れました。
何処でえぼしクラブの話をするにしても角本さんの作った「えぼしクラブ」のパンフレットは実に威力を発揮します。カラーで写真満載。これを一目見るだけで「活発に、活動されている」と認識してくださいます。資料とアンケート、返信用の封筒を置いて、連絡をお願いしてきました。
えぼしクラブというボランティア団体が創設のときにかかわり、しかも、これだけ長く続いていることについては何処に取材しに言っても驚かれ、好感を持ってくださいます。これは嬉しい手ごたえでした。
② ご本人からの電話
次の日、19日。自宅に電話がありました。山田さんです。電話からは気さくな山田さんの声が聞こえてきました。「何しろ50年前の話だからねえ。殆ど覚えてないなあ。でもすごいねえ。まだ続いていたなんてね。」と喜ばれていました。
山田さんの話
1、2年くらいお手伝いした
2、森田さん、小山さんが世話人におられた
3、けんがくさんという方がコーチに居た
4、小池さとしちゃんが居たなあ(山田さんにとってはさとしちゃんなんだなあ)
5、プールで教えて茅ヶ崎小学校でトレーニングしていた。
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《 50周年プロジェクトについて その2 》
50周年Tシャツ!
えぼしクラブ発足の謎① 2015年03月15日(日)

① ほんとに50周年?
「50周年記念のパーティの会場はとれるかしら?」さすが50周年。阿久津コーチの素晴らしいデザインでのTシャツも完成。外堀はしっかりと埋まってきました。しかーし!ほんとに50周年?「高校生がプールで監視をしていて、あまりにも泳げない子が多いので教え始めたのがえぼしクラブの発足」って本当?うー。48年間えぼしクラブに在籍しているぼくとしては不安になってきました。当時ぼくは小学6年生。なにせ子どものころだから実は詳しくはわかりません。やっばーい!30周年のときはコーチウインドブレーカーを作ったりしたことがありました。別にイベントをやったわけではありません。40周年は何もなくスルーでした。日々のトレーニングや活動に集中していたのでそんなお祭り騒ぎをする気分など微塵もありませんでした。そんな中50周年が近づくにつれて「斎藤さん、昔の小池さんとか、森田さんに話を聞きにいかないとねえ。」と渡辺コーチが会うたびにぼそぼそ話してきます。
50年という年月はさすがに長い!これを「記念誌」作るなんてことになったらほとんど資料はありません。それも当時からのコーチで残っているのは自分くらいしかいないので調べるにしても、みんなは昔を知らないってことです。自分一人が調査していくのは実に骨の折れる作業だろうなあとうんざりしていました。
② 発足の謎
50年という長い歴史にその都度参加された方は無数にいますが、長く続けているメンバーがたくさんいるのではないので、その年代の人たちが集まっても話がかみ合わない気がします。なにしろえぼしクラブに在籍したことがある、以外にまったく共通点がないのですから。
そう考えているうちに「えぼしクラブ誕生」についてはどの年代の方にも興味のあることだろうなと思いました。
で、「発足の謎」に迫る取材を敢行することにしました。
③森田さんに会えた
ぼくがまず考えたのは森田さん。お茶だかお花の先生で、いつもミーティングは自宅を開放してくださいました。コーチとはいっても「ガキ」です。一所懸命やってるつもりでもぎゃあぎゃあと勝手に遊びまくっていた気がします。そんなコーチたちでしたが森田さんは尊重してくださいました。お隣の部屋でテレビを見ていたお父様はさぞかしうるさくて迷惑だったろうなと思いました。森田さんの自宅は東海岸南。場所は何となくうろ覚えでした。3月15日の朝トレーニングの後、とりあえず行ってみようと思いました。会えるかどうかもわからないので50周年にまつわる内容を書き、発足のことへのアンケートを作成し、返信用の封筒までパックして用意しました。
すっげえドッキドキ。まずは「家があるのか?」住んでおられるだろうか?全く謎です。「確かこの辺。」と見当をつけて行ってみると、ドンピシャで「森田」の表札。引き戸を開けると懐かしい!昔と変わらないたたずまいでした。恐る恐る呼び鈴を押すと「はあい。」の声。玄関を開けてお顔をうかがうと。あの森田和子さんでした。「えぼしクラブの斎藤です。」「え?ああ、斎藤君?頭薄くなったわねえ。」覚えていてくださいました。これはうれしかったですね。86歳。ご存命でした。「ちょうど整理しててこれが出てきたのよ。」と出してくれたのが昭和48年の「広報ちがさき」でした。森田さんが書かれたえぼしクラブのお話が、書かれていました。
森田和子さん(86歳 2015年03月15日取材)「茅ヶ崎に住んでいながら泳げない子が多い。」このことはよく伺っていました。「小学校のPTAの仲間が集まって発足したの。小山さんもいたわねえ。青函連絡船の事故もあったし(1954年9月26日に起きた洞爺丸4,300トンの沈没事故で1155名の死者、行方不明者を出した。)このPTAの仲間にどのような人がいたのかは今回の取材ではわかりませんでした。息子さんの英男さんは先輩コーチとしてぼくが子どものころからお世話になっていました。今回お話を伺っていると森田和子さんは息子の英男さんを呼んでくれました。昔と変わらないやさしい笑顔で出てきてくれました。「ぼくが中学のころだなあ。」というと英男さんの年齢(63歳)と合致します。ということはえぼしクラブ発足時には英男さんは中学生。となると森田さんは小学校PTAの時のお仲間に声をかけた時にはもう英男さんが中学校に行っていた時期になります。「そうそう茅ヶ崎駅南口の丸十ベーカリーの山田さんも手伝ってもらったわよ。おいしいパンでね。ヨーロッパにも修行に行ったんだけど、その後スイミングクラブを作ったわね。」これが現在のパルバル。茅ヶ崎のスイミングクラブ創生にはえぼしクラブがありそこから林スイミング、パルバルが派生していった歴史があったというのです。林スイミングのことは聞いていたけれどまさかパルバルもえぼしをやっていた方だとは知りませんでした。

森田和子さん(左)と息子の英男さん
まとめ
森田和子さん(86歳 2015年03月15日取材) 仲間 小山さん
・青函連絡船の事故があり「泳げること」の重要性を痛感
(1954年9月26日に起きた洞爺丸4,300トンの沈没事故で1155名の死者、行方不明者を出しました。)
・小学校のPTAの仲間が母体
・茅ヶ崎駅南口の丸十ベーカリーの山田さんも手伝ってもらった 現在はパルバル創設者
・広報ちがさき 昭和48年森田和子さん執筆記事発見!
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《 50周年プロジェクトについて その1 》
第1回調査 ~2015年3月16日
2015年3月15日 森田さん・小池さん取材成功!お宝激レア資料入手!
・1967年記念品ペナント
・10周年手ぬぐい(10周年が1975年なので1965年スタートはかなり確実か?)
・1970年第一回マラソン大会写真
・アルバム2冊
・広報ちがさき 昭和48年 森田さんによる「えぼしクラブの紹介」文章(48年の記
事で「8年前創設」の言葉ありやはり1965年スタート?)
驚愕の事実 創始者 林スイミングの林さん以外にもスイミングスクールを作った方
が居た!山田さん パルバル創設というわけでこれらの資料、写真データをプロジェクタで映すのはなかなかですね。
しかし、今回の取材で創始者の森田和子さんに直接お話できたのは大きいです。でも昔のこと。忘れてしまったことも多いようです。スタートのきっかけとか、どのような組織づくりかはいまだに良く分かりません。林さん、山田さんの取材で何が出てくるかです。しかし現在のえぼしクラブもそうですが、コーチと世話人さんが分かれていて、コーチたちは創設にあまり関与していない
ようです。寧ろ、世話人さん方が立ち上げてコーチを探した感があります。なので森田さんが話しておられた「小学校PTAの仲間」が創設者のようです。しかし森田さん以外のメンバーを思い出してくださるかはまだ分かりません。
いちおう創設の謎に迫ることをメインにしたいですが、50周年を年代で分けてみました。ご自分が関わった年代を付け加えて訂正していただけるとありがたいです。また当時かかわったメンバーのお名前なども分かる範囲で教えてくださいね。
えぼしクラブ50周年プロジェクト 2015年03月15日(日)
①50周年を確かめる
第一部 黎明期(1965年から1970年代)
創設者 森田和子さん(2015年3月現在 86歳)東海岸南1の2の2 (82)7520
森田英夫さん(2015年3月現在 62歳)中学生から参加とのこと
小池 叡さん(2015年3月現在 71歳)若松町
林 正明さん(71歳 小池 叡さんの中学の同期) 林スイミングスクール創設者
林 正則さん(弟 神奈川県の水泳記録保持者)
重田(現在 笠原)美恵子さん(みーちゃん)東海岸南2の1の49(82)2546
山田さん パルバル創設者
斎藤直人(2015年3月現在 59歳)1967年 小学6年生から参加
第二部 1980年代
阿部 康裕、國分 一哉、渡辺 宏、神本 幹紀夫、斎藤直人(教員なり立ての頃 鶴嶺小学校勤務 結婚 円蔵小学校)、大西泰広、仲畑繁
第三部 1990年代
斎藤 直人(円蔵小学校 茅ヶ崎小学校)、内田 マイケル、渡辺 宏、福岡一也(社長)、大西泰広、柴田、山田 堅、根岸 澄隆、岸部健一、山田康晴、小野 岳人(角本和彦さんと会う)
第四部 2000年代
斎藤直人(室田小学校)、渡辺 宏、福岡一也 社長、大西泰広、根岸 澄隆、岸部健一、仲畑繁、
伊藤喜久子、勝俣洋典、伊藤由莉子、櫻井あかね、角本和彦
第五部 2010年代
斎藤直人(香川小学校)、渡辺 宏、福岡一也 社長、大西泰広、伊藤喜久子、岸部健一、仲畑繁、真下由高、伊藤喜久子、角本和彦、小関真央、石井沙英 、高山 滉平、濱野翔吾、山本拓実
②黎明期の情報
森田和子さん(86歳 2015年03月15日取材) 仲間 小山さん
・青函連絡船の事故があり「泳げること」の重要性を痛感
(1954年9月26日に起きた洞爺丸4,300トンの沈没事故で1155名の死者、行方不明者を
出しました。)
・小学校のPTAの仲間が母体
・茅ヶ崎駅南口の丸十ベーカリーの山田さんも手伝ってもらった 現在はパルバル創設者
小池 叡さん(71歳 2015年03月15日取材)
・林 正明さんと中学校の同期 弟正則 神奈川県水泳記録保持者
・森田和子さん 水泳講習をやりたいと願う
・一年目は子供会のようなものであったらしい
・2年目林さんも参加した
・重田美恵子さん 湘南スイミングのコーチになった
・丸十ベーカリー 山田さんヨーロッパでパンの修行その後パルバルへ
・林スイミング 内藤
・日産のビート板。ヘルパーは森田さんの助力で日産から支援を受けた。日産ブルーバード
・小和田スポーツ内藤君もえぼしクラブ出身。
森田さんに聞きたいこと
① 小学校PTAが母体だとのことですが、それを立ち上げたのは「青函連絡船事故」のことから発案されたのですか?
② 発案されたときに英夫さんは中学生でしたか?
③ 水泳を教えるのが最初ですか?
④ 水泳を教える時にコーチは誰にどのように依頼されたのですか?
⑤ 最初の水泳講習は茅ヶ崎第一中学校のプールで行ったのですか?
⑥ 最初の水泳講習は一回限りで始めたのですか?
私が伺ったこと
「茅ヶ崎第一中学校で水泳監視をしていた高校生が、『茅ヶ崎に住んでいながら泳げ
ない子が多いと感じ水泳を教えることになったのがえぼしクラブのスタート』と聞い
ています。その後、水泳講習だけではなく日ごろからトレーニングをやろうというこ
とになったとのことですがどうなのでしょうか?
⑦ 当初のコーチはどんな方がやっていたのですか?どのように集めたのですか?
⑧ 日産にビート板とかヘルパーを寄付させた経緯はどんなものですか?
⑨ コーチと世話人さんを分けた秀逸なシステムはどなたの考案ですか?
小池さんに聞きたいこと
① 小学校PTAが母体だとのことですが、小池さんはえぼしクラブに発足から関わられえたのですか?
② 水泳を教えるのが最初ですか?
③ 水泳を教える時にコーチは誰にどのように依頼されたのですか?
④ 最初の水泳講習は茅ヶ崎第一中学校のプールで行ったのですか?
⑤ 最初の水泳講習は一回限りで始めたのですか?
私が伺ったこと
「茅ヶ崎第一中学校で水泳監視をしていた高校生が、『茅ヶ崎に住んでいながら泳げ
ない子が多いと感じ水泳を教えることになったのがえぼしクラブのスタート』と聞い
ています。その後、水泳講習だけではなく日ごろからトレーニングをやろうというこ
とになったとのことですがどうなのでしょうか?
⑥ 当初のコーチはどんな方がやっていたのですか?どのように集めたのですか?
⑦ 日産にビート板とかヘルパーを寄付させた経緯はどんなものですか?
⑧ コーチと世話人さんを分けた秀逸なシステムはどなたの考案ですか?
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