楽天市場
[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]

バカンとロレンス(of Arabia)の交流

img_20160411-123209.jpg

オックスフォードの近くにエルスフィールドという小さな村があります。「ハンティングタワー」の著者ジョン・バカンが1919年から1935年まで住んでいた村です。

バカンの軍人時代の仲間であり、親しい友人でもあったT.E.ロレンスは、オートバイ事故で亡くなる1週間前にバカンを訪ね、この館に滞在していました。

リチャード・ハネイが活躍する「39階段 (The 39 Steps) 」や「緑のマント (Greenmantle) 」の冒険談はバカンやロレンスの体験談でもあり、ハネイの友人サンディはロレンスとオーブリー・ハーバート(ロレンスの友人)がモデルといわれています。

バカンの館は現在£1,150,000で売りに出されていますが、中はすっかり現代風に改装されていて、アラビアのロレンスに思いをはせるのはかなり難しいかと(笑)


img_20160411-130543.jpg


ロレンス (of Arabia) はとても筆まめで、時には日に何通もの手紙を書くこともあったそうです。ジョン・バカンへの手紙の書き出し(呼びかけ)は「バカン」だったり「JB」だったりしています。

1925年には、念願だったRAF (Royal Air Force イギリス空軍) に戻れることになって、骨を折ってくれたバカンにお礼の手紙を書いています。
よほどうれしかったのでしょう。もうあきらめかけてたとか、やっとぐっすり眠れたとか、大きな借りができた、何かお返しができればいいんだがとか、手紙の 最後には、「家族の皆さんにボーナジーズが時速108マイルを出したと伝えてくれ。嬉しいニュースのおかげで heads (cylinder heads, of course) の性能が上がったんだと思う」とあります。ボーナジーズというのはオートバイの名前です。

復帰初日にも、「わざわざ返事はくれなくていいから。あらためてお礼がいいたいだけだから」という書き出しで、「我が家に帰ってきたようで、実にまったく 居心地がいい。ほんとはこんな初日でバタバタ疲れてる時じゃなくて、もっと落ち着いてから書くべきなんだろうけど、そんなあらたまった手紙なんかいらんだ ろ? My thanks pile higher and higher. 」
感謝の気持ちはエベレストよりはるかに高くなっていそうです(笑)

オートバイ事故の1か月ほど前の手紙には、バカンの手紙への返事や、カナダ総督就任のお祝い、バカンがカナダへ行ってしまうと家に遊びに行けなくなるから淋しくなるとか、メディアには相変わらず追い掛け回されてるとかいうことが書かれていました。

T.E.Shaw というのは当時ロレンスが使っていた偽名です。それにもバカンが関係しているですが、それはまた次の機会に。