2023年5月 アーカイブ
2023年5月21日 13時49分02秒 (Sun)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート1)
今月に入って来季秋冬物が入荷してきて大忙しになってるでゲス。
んが、今日は月に2度の仕事休みの日なのでのんびりとしようと思いますナ。
今月は忙しいので続きのUpはいつになるか?ですが、ご了承くださいネ。(なるべく時間を作ってUpします。)
エ~ッと、今回Upするのは、「エルヴィス・プレスリー」が「ハートブレイク・ホテル」で3チャート制覇した1956年前後にスポットを当てて、「エルヴィス」登場の影響と”ソノ”波及についてでゲス。
先ずソノ前に、
1954年10月16日にルイジアナ州シュリーブポートで行われた「ルイジアナ・ヘイライド」に初出演した時の「エルヴィス」の音源ですナ。

コノ時の「エルヴィス」のステージを観て観客は興奮したんだけど、ソノ様子を見て注目したのは一緒に出演していたアーティスト達と彼等が所属しているレコード会社のプロデューサー達だったんでゲス。
んで、以前3月30日のブログの、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの (パート3)”
でも、
「マーティ・ロビンス」

が、「ザッツ・オール・ライト」をカヴァーして、「エルヴィス」はチャートに上がらなかったんだけど「マーティ」の方は「カントリーミュージック」チャート7位迄上がってたって事はUpしましたナ。
ソコでコノ後も「リズムンブルーズ」のカヴァーをするんでゲス。
先ずは、
「チャック・ベリー」

で、未だリリースして間もない頃の、物凄く早いカヴァーでしたナ。
兎に角ネ、「チャック」のが「リズムンブルーズ・チャート」に登場したのが1955年8月6日で、「マーティ」がレコーディングしたのが3日後の8月9日なんだよなぁ。
1955年夏ってのは、
「パット・ブーン」

が、
「AIN’ T THAT A SHAME」
を「ポップ・チャート」1位にしているし、ソノ後に、
「ビル・ヘイリーと彼のコメッツ」

の、
「ROCK AROUND THE CLOCK」
の大ヒットって事で、業界全体は「リズムンブルーズ」をカヴァーするってな風潮になっていた訳でゲス。
さて、「マーティー・ロビンス」よりも先輩格に、
「ジョニー・ホートン」

がいて、先ずはデビュー曲で、
「THE FIRST TRAIN HEADIN’ SOUTH」
彼も「ルイジアナ・ヘイライド」に出演しているんだけど、「エルヴィス」のステージを観て”「ロックンロール」調”の曲を演りたいと思った人ですナ。

デビューは1952年で、コノ頃は「マーキュリー」レーベルに在籍していて、”「ロックンロール」調”の曲が演りたいってな事で、先出の「マーティ・ロビンス」のプロデューサー「ドン・ロー」のもとへ行って「コロンビア」レーベルに移籍してレコーディングしたのがコノ曲でゲス。
「HONKY TONK MAN」
で、コノ曲でベースを弾いているのは、
「ビル・ブラック」

ギターは、
「グレイディ・マーティン」

ですナ。
コノ頃から「ロックンロール」は”ギター・サウンド”の重要性が高まってきたんでゲス。
んで、「ブラッドリー・スタジオ」でのレコーディングだったんだけど、行われたのは1956年1月11日で、前日10日に「エルヴィス」が「ハートブレイク・ホテル」をナッシュヴィルの「RCAスタジオ」でレコーディングして、翌11日もB面の「ただひとりの男」をレコーディングしていたので、「ビル・ブラック」は「エルヴィス」のレコーディングが終わったソノ足で「ブラッドリー・スタジオ」に行ってレコーディングしたって事ですナ。
コノ「ホンキー・トンク・マン」は「カントリー・ミュージック・チャート」9位迄上がってのヒットとなったんでゲス。
さて、俺んところのブログでチョクチョク登場する「ブラッドリー・スタジオ」は責任者が、
「オーエン・ブラッドリー」

で、彼はスタジオ経営をする以前は「デッカ」レーベルのディレクターをしていた人物で、「デッカ」レーベルっていうと1955年に先出の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒットさせているでしょ、そんな訳で沢山のデモ・レコードが送られてくるんですナ。
そんな中にテキサスのラボックのディスク・ジョッキーから送られてきたモノがあって、「デッカ」レーベルは気に入ったので「ブラッドリー・スタジオ」迄来てレコーディングする様にディスク・ジョッキーに伝えて、演っていた青年は遥々「ブラッドリー・スタジオ」にやって来てレコーディングするんでゲス。
んで、レコーディングした曲はデビュー曲となったんだけど、ソノ青年は、
「バディ・ホリー」

で、曲は、
「BLUE DAYS - BLACK NIGHTS」、「LOVE ME」
で、1956年1月26日のレコーディングなので、「エルヴィス」が「ハートブレイク・ホテル」をレコーディングした同じ月に「バディ・ホリー」もナッシュヴィルでレコーディングしたという事ですナ。
バックは先出の「グレイディ・マーティン」等が参加しているでゲス。
えっと、ドラムの、
「ジェリー・アリソン」

は、未だ高校生で授業があった為にレコーディングに参加出来なかったみたいですナ。
4月に「デッカ」レーベルからリリースされたんだけど、全くヒットしなかったでゲス。
んで、「バディ・ホリー」は地元ラボックに帰って沢山のデモ作りの生活に戻るんでしたナ。
今回はココ迄でゲス。
続きをお楽しみに。
では、では。




んが、今日は月に2度の仕事休みの日なのでのんびりとしようと思いますナ。
今月は忙しいので続きのUpはいつになるか?ですが、ご了承くださいネ。(なるべく時間を作ってUpします。)
エ~ッと、今回Upするのは、「エルヴィス・プレスリー」が「ハートブレイク・ホテル」で3チャート制覇した1956年前後にスポットを当てて、「エルヴィス」登場の影響と”ソノ”波及についてでゲス。
先ずソノ前に、
1954年10月16日にルイジアナ州シュリーブポートで行われた「ルイジアナ・ヘイライド」に初出演した時の「エルヴィス」の音源ですナ。

コノ時の「エルヴィス」のステージを観て観客は興奮したんだけど、ソノ様子を見て注目したのは一緒に出演していたアーティスト達と彼等が所属しているレコード会社のプロデューサー達だったんでゲス。
んで、以前3月30日のブログの、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの (パート3)”
でも、
「マーティ・ロビンス」

が、「ザッツ・オール・ライト」をカヴァーして、「エルヴィス」はチャートに上がらなかったんだけど「マーティ」の方は「カントリーミュージック」チャート7位迄上がってたって事はUpしましたナ。
ソコでコノ後も「リズムンブルーズ」のカヴァーをするんでゲス。
先ずは、
「チャック・ベリー」

で、未だリリースして間もない頃の、物凄く早いカヴァーでしたナ。
兎に角ネ、「チャック」のが「リズムンブルーズ・チャート」に登場したのが1955年8月6日で、「マーティ」がレコーディングしたのが3日後の8月9日なんだよなぁ。
1955年夏ってのは、
「パット・ブーン」

が、
「AIN’ T THAT A SHAME」
を「ポップ・チャート」1位にしているし、ソノ後に、
「ビル・ヘイリーと彼のコメッツ」

の、
「ROCK AROUND THE CLOCK」
さて、「マーティー・ロビンス」よりも先輩格に、
「ジョニー・ホートン」

がいて、先ずはデビュー曲で、

デビューは1952年で、コノ頃は「マーキュリー」レーベルに在籍していて、”「ロックンロール」調”の曲が演りたいってな事で、先出の「マーティ・ロビンス」のプロデューサー「ドン・ロー」のもとへ行って「コロンビア」レーベルに移籍してレコーディングしたのがコノ曲でゲス。
「HONKY TONK MAN」
で、コノ曲でベースを弾いているのは、
「ビル・ブラック」

ギターは、
「グレイディ・マーティン」

ですナ。
コノ頃から「ロックンロール」は”ギター・サウンド”の重要性が高まってきたんでゲス。
んで、「ブラッドリー・スタジオ」でのレコーディングだったんだけど、行われたのは1956年1月11日で、前日10日に「エルヴィス」が「ハートブレイク・ホテル」をナッシュヴィルの「RCAスタジオ」でレコーディングして、翌11日もB面の「ただひとりの男」をレコーディングしていたので、「ビル・ブラック」は「エルヴィス」のレコーディングが終わったソノ足で「ブラッドリー・スタジオ」に行ってレコーディングしたって事ですナ。
コノ「ホンキー・トンク・マン」は「カントリー・ミュージック・チャート」9位迄上がってのヒットとなったんでゲス。
さて、俺んところのブログでチョクチョク登場する「ブラッドリー・スタジオ」は責任者が、
「オーエン・ブラッドリー」

で、彼はスタジオ経営をする以前は「デッカ」レーベルのディレクターをしていた人物で、「デッカ」レーベルっていうと1955年に先出の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒットさせているでしょ、そんな訳で沢山のデモ・レコードが送られてくるんですナ。
そんな中にテキサスのラボックのディスク・ジョッキーから送られてきたモノがあって、「デッカ」レーベルは気に入ったので「ブラッドリー・スタジオ」迄来てレコーディングする様にディスク・ジョッキーに伝えて、演っていた青年は遥々「ブラッドリー・スタジオ」にやって来てレコーディングするんでゲス。
んで、レコーディングした曲はデビュー曲となったんだけど、ソノ青年は、
「バディ・ホリー」

で、曲は、
「BLUE DAYS - BLACK NIGHTS」、「LOVE ME」
で、1956年1月26日のレコーディングなので、「エルヴィス」が「ハートブレイク・ホテル」をレコーディングした同じ月に「バディ・ホリー」もナッシュヴィルでレコーディングしたという事ですナ。
バックは先出の「グレイディ・マーティン」等が参加しているでゲス。
えっと、ドラムの、
「ジェリー・アリソン」

は、未だ高校生で授業があった為にレコーディングに参加出来なかったみたいですナ。
4月に「デッカ」レーベルからリリースされたんだけど、全くヒットしなかったでゲス。
んで、「バディ・ホリー」は地元ラボックに帰って沢山のデモ作りの生活に戻るんでしたナ。
今回はココ迄でゲス。
続きをお楽しみに。
では、では。




2023年5月7日 16時54分36秒 (Sun)
「ハートブレイク・ホテル」の前に・・・。
5月に入って来季秋冬物の入荷が始まり又大忙しの日々が続いているでゲス。
なので、いつもの如く大型連休は仕事をしていますナ。
んでも、今日は月に2回の”仕事休み”の日なので、こうやってコチラのUpが出来るんでゲス。
さて、以前4月7日にUpした、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話(パート9)”
のところで「エルヴィス」の、
「HEARTBREAK HOTEL」
が、ゴールド・ディスク、そして「ポップ・チャート」1位、「カントリー・ミュージック・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」3位ってな、
”3チャート制覇”
をしたっていう事をUpして、んでも、コノ”3チャート制覇”は「エルヴィス」よりも先に「カール・パーキンス」が、
「BLUE SUEDE SHOES」
で、やってのけた(「ポップ・チャート」2位、「カントリー・ミュージック・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」2位)ってな事もUpしたんだけど、今回はコノ「カール・パーキンス」が「ブルースエード・・・」に至る迄、そして、「エルヴィス」と「カール」の前に「ポップ・チャート」に白人で「ロックンロール」の1位を出した「ビル・ヘイリー」の、
「ROCK AROUND THE CLOCK」
の、コレ又”ソレ”以前の「ビル・ヘイリー」についてUpしようと思いますナ。
んじゃぁ先ず、
「ビル・ヘイリー」

なんだけど、最初のレコーディングは1946年1月で、
「ザ・ダウン・ホーマーズ」

の、
「BOOGIE WOOGIE YODEL」
で、唄っているのは「ビル」じゃぁないですナ。
んで、続いて、
「ビル・ヘイリー & フォア・エイセス・オブ・ウエスタン・スウィング」

ソノ後に、
「ビル・ヘイリー & ザ・サドルメン」

になって、ソレ迄は「カントリー・ミュージック」の中の「ウエスタン・ソング」を演っていたんだけど、全くヒットしなくってイメージ・チェンジを図って「リズムンブルーズ」に挑戦するんでゲス。
1951年の事で、選んだ曲は、
「ROCKET 88」
オリジナルは、
「ジャッキー・ブレンストン & ヒズ・デルタ・キャッツ」
で、コノ「ジャッキー・ブレンストン・・・」のオリジナル・ヴァージョンは1951年「リズムンブルーズ・チャート」1位になって、結構白人でも知っていた曲だったみたいですナ。
んで、コノ曲で「ビル・ヘイリー」は「カントリー・ミュージック」バンドから「ロックンロール」、「ロカビリー」系のバンドへと変わっていったんでゲス。
1952年になると、又「リズムンブルーズ」のカヴァーをレコーディングしますナ。
「ROCK THE JOINT」
コノ曲は”リード・ギター”に、
「ザ・エスクァイヤー・ボーイズ」

の「ダニー・セドロン」を使用したんだけど、正式なメンバーじゃぁなかったみたいでゲス。
オリジナルは、
「ジミー・プレストン & ヒズ・プレストニアズ」
ですナ。
「ロケット88」が1951年、「ロック・ザ・・・」が52年、翌53年に遂にオリジナルの大ヒットが出るんでゲス。
ソノ曲は、
「CRAZY MAN CRAZY」
「ポップ・チャート」12位の大ヒット!!!
んで、コノ頃になるとバンド名も「ザ・サドルメン」から「ザ・コメッツ」を名乗りだしますナ。
動画があるのでUpしますネ。
未だオリジナル・メンバーの”リード・ギタリスト”がいないでゲス。

さて、コノ「クレイジー・マン・・・」が大ヒットしたのでコノ路線を続けようってな事で、1954年に「デッカ」レーベルに移籍して6月7日「リズムンブルーズ」のカヴァーをニューヨークでレコーディングするんですナ。
「SHAKE, RATTLLE & ROLL」
オリジナルは、
「”ビッグ”ジョー・ターナー」
でゲス。
「”ビッグ”ジョー・ターナー」の「シェイク・ラトル・・・」は、「リズムンブルーズ・チャート」1位、「ポップ・チャート」22位と大ヒットして、「ビル・ヘイリー」ヴァージョンも「ポップ・チャート」7位迄上がって、54年は「シェイク・ラトル・・・」の年になりましたナ。
「シェイク・ラトル・・・」のレコーディング前の4月12日にレコーディングされた先出の、
「ROCK AROUND THE CLOCK」(今回2度目)
も、カヴァー曲でオリジナルは、
「ソニー・ディ & ヒズ・ナイツ」
でゲス。
1954年にリリースした頃にゃぁ全くヒットしなかったんだけど、翌55年に公開された映画の、
「BLACKBOARD JUNGLE」(邦題「暴力教室」)

のイントロ(オープニング)とアウトロ(エンディング)に使われて、映画の内容が”学級崩壊”っていうインパクトから作品が大ヒットして、曲も注目されて大ヒットになりましたナ。
「ポップ・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」3位になったんだけど、「ビル・ヘイリー」って元々「カントリー・ミュージック」演っていたのに、コノ「ロック・アラウンド・・・」って「カントリー・ミュージック・チャート」にゃぁ全く影も形もなかったんだよネ。
”ココ”が面白いところでゲス。
んで、「ロック・アラウンド・・・」が、とんでもなく超ウルトラ・スーパー・ビッグ・ヒットしちゃったもんだから、天下の「エド・サリヴァン・ショー」に出演する事となりましたナ。
滅茶苦茶嬉しいんだけど、困った事が1つあったんでゲス。
バンドに”リード・ギター”がいない!!!!!
いや、以前に手伝ってもらった「ダニー・セドロン」に頼べば・・・。
なんて俺は思ったんだけど、前54年に不慮の事故(階段から落下)で「ダニー」は亡くなっていたんですナ。
慌ててギタリスト探しが始まるんでゲス。
んで、白羽の矢が立ったのが当時「ベニー・グッドマン」達と「ビ・バップ」を演っていた、
「フラニー・ビーチャー」


で、何とか「エド・サリヴァン・ショー」に出演出来たんでしたナ。
「フラニー・ビーチャー」加入前にも「ミルトン・バール・ショー」に出演していて、コノ時は”リード・ギター”はいないでゲス。(かなり画質が悪いけどご了承下さい。)
上手く少し離れたところから「ビル・ヘイリー」がソレっぽく演ってる様なキャメラ・ワークで誤魔化してましたナ。
”コレ”結構好きな動画なので綺麗な画質で観たい動画でゲス。
さて、「ビル・ヘイリー」ってか「ロック・アラウンド・ザ・クロック」についてはココ迄で、続いて、
「カール・パーキンス」

ですヨ。

「カール」最初のレコーディングは、1954年10月、既にバンドを演っていてメンバーと車で旅をしている最中にメンフィスで”レコーディング・サービス”の看板のあるスタジオを見つけて、レコーディングをしに入るんでゲス。
”ソコ”が「サン・スタジオ」で、曲は、
「HONKY TONK BABE」
で、所謂”「ハンク・ウィリアムズ」スタイル”ですナ。
コノ時「カール」は「サン」レーベルに「エルヴィス」が在籍していた事は知らなかったみたいでゲス。
「カール」はコノ時のレコーディングがキッカケで「サン」レーベルと契約して、最初にリリースしたシングル曲は、
「MOVIE MAGG」
コノ曲も”「ハンク・ウィリアムズ」スタイル”でゲス。
第2弾シングルとしてリリースしたのは、
「LET THE JUKEBOX KEEP ON PLAYING」
で、コノ曲も”「ハンク・ウィリアムズ」スタイル”ですネ。
確かに1953年1月1日に「ハンク」が亡くなって、”ポスト「ハンク・ウィリアムズ」”争奪戦ってな市場があったので、”ソレ”を狙ってのリリースだったんでしょうナ。
さて、一体「カール」は何処から「ブルー・スエード・・・」の様なスタイルに変わっていったのかとゆうと、実はコノ「レット・ザ・ジュークボックス・・・」のB面なんでゲス。
曲は、
「GONE, GONE, GONE」
で、後から思えば「ゴーン・ゴーン・・・」をA面にしておけば・・・ってな事なんだろうけど、1955年2月辺りじゃぁ、未だ「ハンク・ウィリアムズ」みたくな曲調をシングルA面にする様な、そんな時代だったんですナ。
んで、55年夏になって先出の「ロック・アラウンド・・・」が大ヒットするので、ああいった「ロックンロール」、「ロカビリー」曲をA面にといった流れとなって、第3弾シングル曲として、「ブルー・スエード・・・」をリリースしたという事でゲス。
「ポップ・チャート」、「カントリー・ミュージック・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」でも大ヒットしたんだけど、コノ事が偶々メジャー・デビューを控えていた「エルヴィス」よりも1ヶ月早く大ヒットしたっていう事ですナ。
「エルヴィス・プレスリー」、「カール・パーキンス」2人共「サン」レーベルに関りがあったってのが不思議な縁でゲス。

さてさて、今回はココ迄ですヨ。
では、又。











なので、いつもの如く大型連休は仕事をしていますナ。
んでも、今日は月に2回の”仕事休み”の日なので、こうやってコチラのUpが出来るんでゲス。
さて、以前4月7日にUpした、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話(パート9)”
のところで「エルヴィス」の、
「HEARTBREAK HOTEL」
が、ゴールド・ディスク、そして「ポップ・チャート」1位、「カントリー・ミュージック・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」3位ってな、
”3チャート制覇”
をしたっていう事をUpして、んでも、コノ”3チャート制覇”は「エルヴィス」よりも先に「カール・パーキンス」が、
「BLUE SUEDE SHOES」
で、やってのけた(「ポップ・チャート」2位、「カントリー・ミュージック・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」2位)ってな事もUpしたんだけど、今回はコノ「カール・パーキンス」が「ブルースエード・・・」に至る迄、そして、「エルヴィス」と「カール」の前に「ポップ・チャート」に白人で「ロックンロール」の1位を出した「ビル・ヘイリー」の、
「ROCK AROUND THE CLOCK」
の、コレ又”ソレ”以前の「ビル・ヘイリー」についてUpしようと思いますナ。
んじゃぁ先ず、
「ビル・ヘイリー」

なんだけど、最初のレコーディングは1946年1月で、
「ザ・ダウン・ホーマーズ」

の、
「BOOGIE WOOGIE YODEL」
で、唄っているのは「ビル」じゃぁないですナ。
んで、続いて、
「ビル・ヘイリー & フォア・エイセス・オブ・ウエスタン・スウィング」

ソノ後に、
「ビル・ヘイリー & ザ・サドルメン」

になって、ソレ迄は「カントリー・ミュージック」の中の「ウエスタン・ソング」を演っていたんだけど、全くヒットしなくってイメージ・チェンジを図って「リズムンブルーズ」に挑戦するんでゲス。
1951年の事で、選んだ曲は、
「ROCKET 88」
オリジナルは、
「ジャッキー・ブレンストン & ヒズ・デルタ・キャッツ」
で、コノ「ジャッキー・ブレンストン・・・」のオリジナル・ヴァージョンは1951年「リズムンブルーズ・チャート」1位になって、結構白人でも知っていた曲だったみたいですナ。
んで、コノ曲で「ビル・ヘイリー」は「カントリー・ミュージック」バンドから「ロックンロール」、「ロカビリー」系のバンドへと変わっていったんでゲス。
1952年になると、又「リズムンブルーズ」のカヴァーをレコーディングしますナ。
「ROCK THE JOINT」
コノ曲は”リード・ギター”に、
「ザ・エスクァイヤー・ボーイズ」

の「ダニー・セドロン」を使用したんだけど、正式なメンバーじゃぁなかったみたいでゲス。
オリジナルは、
「ジミー・プレストン & ヒズ・プレストニアズ」
ですナ。
「ロケット88」が1951年、「ロック・ザ・・・」が52年、翌53年に遂にオリジナルの大ヒットが出るんでゲス。
ソノ曲は、
「CRAZY MAN CRAZY」
「ポップ・チャート」12位の大ヒット!!!
んで、コノ頃になるとバンド名も「ザ・サドルメン」から「ザ・コメッツ」を名乗りだしますナ。
動画があるのでUpしますネ。
未だオリジナル・メンバーの”リード・ギタリスト”がいないでゲス。

さて、コノ「クレイジー・マン・・・」が大ヒットしたのでコノ路線を続けようってな事で、1954年に「デッカ」レーベルに移籍して6月7日「リズムンブルーズ」のカヴァーをニューヨークでレコーディングするんですナ。
「SHAKE, RATTLLE & ROLL」
オリジナルは、
「”ビッグ”ジョー・ターナー」
でゲス。
「”ビッグ”ジョー・ターナー」の「シェイク・ラトル・・・」は、「リズムンブルーズ・チャート」1位、「ポップ・チャート」22位と大ヒットして、「ビル・ヘイリー」ヴァージョンも「ポップ・チャート」7位迄上がって、54年は「シェイク・ラトル・・・」の年になりましたナ。
「シェイク・ラトル・・・」のレコーディング前の4月12日にレコーディングされた先出の、
「ROCK AROUND THE CLOCK」(今回2度目)
も、カヴァー曲でオリジナルは、
「ソニー・ディ & ヒズ・ナイツ」
でゲス。
1954年にリリースした頃にゃぁ全くヒットしなかったんだけど、翌55年に公開された映画の、
「BLACKBOARD JUNGLE」(邦題「暴力教室」)

のイントロ(オープニング)とアウトロ(エンディング)に使われて、映画の内容が”学級崩壊”っていうインパクトから作品が大ヒットして、曲も注目されて大ヒットになりましたナ。
「ポップ・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」3位になったんだけど、「ビル・ヘイリー」って元々「カントリー・ミュージック」演っていたのに、コノ「ロック・アラウンド・・・」って「カントリー・ミュージック・チャート」にゃぁ全く影も形もなかったんだよネ。
”ココ”が面白いところでゲス。
んで、「ロック・アラウンド・・・」が、とんでもなく超ウルトラ・スーパー・ビッグ・ヒットしちゃったもんだから、天下の「エド・サリヴァン・ショー」に出演する事となりましたナ。
滅茶苦茶嬉しいんだけど、困った事が1つあったんでゲス。
バンドに”リード・ギター”がいない!!!!!
いや、以前に手伝ってもらった「ダニー・セドロン」に頼べば・・・。
なんて俺は思ったんだけど、前54年に不慮の事故(階段から落下)で「ダニー」は亡くなっていたんですナ。
慌ててギタリスト探しが始まるんでゲス。
んで、白羽の矢が立ったのが当時「ベニー・グッドマン」達と「ビ・バップ」を演っていた、
「フラニー・ビーチャー」


で、何とか「エド・サリヴァン・ショー」に出演出来たんでしたナ。
「フラニー・ビーチャー」加入前にも「ミルトン・バール・ショー」に出演していて、コノ時は”リード・ギター”はいないでゲス。(かなり画質が悪いけどご了承下さい。)
上手く少し離れたところから「ビル・ヘイリー」がソレっぽく演ってる様なキャメラ・ワークで誤魔化してましたナ。
”コレ”結構好きな動画なので綺麗な画質で観たい動画でゲス。
さて、「ビル・ヘイリー」ってか「ロック・アラウンド・ザ・クロック」についてはココ迄で、続いて、
「カール・パーキンス」

ですヨ。

「カール」最初のレコーディングは、1954年10月、既にバンドを演っていてメンバーと車で旅をしている最中にメンフィスで”レコーディング・サービス”の看板のあるスタジオを見つけて、レコーディングをしに入るんでゲス。
”ソコ”が「サン・スタジオ」で、曲は、
「HONKY TONK BABE」
で、所謂”「ハンク・ウィリアムズ」スタイル”ですナ。
コノ時「カール」は「サン」レーベルに「エルヴィス」が在籍していた事は知らなかったみたいでゲス。
「カール」はコノ時のレコーディングがキッカケで「サン」レーベルと契約して、最初にリリースしたシングル曲は、
「MOVIE MAGG」
コノ曲も”「ハンク・ウィリアムズ」スタイル”でゲス。
第2弾シングルとしてリリースしたのは、
「LET THE JUKEBOX KEEP ON PLAYING」
で、コノ曲も”「ハンク・ウィリアムズ」スタイル”ですネ。
確かに1953年1月1日に「ハンク」が亡くなって、”ポスト「ハンク・ウィリアムズ」”争奪戦ってな市場があったので、”ソレ”を狙ってのリリースだったんでしょうナ。
さて、一体「カール」は何処から「ブルー・スエード・・・」の様なスタイルに変わっていったのかとゆうと、実はコノ「レット・ザ・ジュークボックス・・・」のB面なんでゲス。
曲は、
「GONE, GONE, GONE」
で、後から思えば「ゴーン・ゴーン・・・」をA面にしておけば・・・ってな事なんだろうけど、1955年2月辺りじゃぁ、未だ「ハンク・ウィリアムズ」みたくな曲調をシングルA面にする様な、そんな時代だったんですナ。
んで、55年夏になって先出の「ロック・アラウンド・・・」が大ヒットするので、ああいった「ロックンロール」、「ロカビリー」曲をA面にといった流れとなって、第3弾シングル曲として、「ブルー・スエード・・・」をリリースしたという事でゲス。
「ポップ・チャート」、「カントリー・ミュージック・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」でも大ヒットしたんだけど、コノ事が偶々メジャー・デビューを控えていた「エルヴィス」よりも1ヶ月早く大ヒットしたっていう事ですナ。
「エルヴィス・プレスリー」、「カール・パーキンス」2人共「サン」レーベルに関りがあったってのが不思議な縁でゲス。

さてさて、今回はココ迄ですヨ。
では、又。











プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
最近の記事一覧
カテゴリー
アーカイブ
携帯用QRコード
- アクセス数

- ページビュー数
