2023年7月 アーカイブ
2023年7月31日 13時47分54秒 (Mon)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート10)
珍しく午前中で入荷している仕事は全部終了したでゲス。
なので午後からは仕事はありませんナ。
明日の午前中に次のが入荷してくるので、ソレ迄は自由時間?でゲス。
んで、ココからは前回の続きのUpですナ。
「リッキー・ネルソン」

が「ヴァーヴ」レーベルから「インペリアル」レーベルに移籍して・・・。
ってなところ迄でしたが、移籍した「インペリアル」レーベル社長の「ルイ・チャッド」が自ら制作する「カントリー・ミュージック」部門と「ロックンロール」部門ってのがあるんだけど、”外部制作”の「リズムンブルーズ」部門ってのもあって、制作工房はニューオリンズを拠点としていて、ソノ中で1番のヒットメーカーは、
「ファッツ・ドミノ」

で、デビューは1950年の、
「THE FAT MAN」
何だか自分のテーマ・ソングみたくな曲でゲス。
「リズムンブルーズ・チャート」で2位で、コノ後もジャンジャンジャカジャカとヒット曲を連発していって、1955年の、
「AIN’T THAT A SHAME」
が、「リズムンブルーズ・チャート」1位になって、
「パット・ブーン」

のカヴァー盤、
が「ポップ・チャート」で1位になったので、”ココ”で初めて「ファッツ」も「ポップ・チャート」に登場して10位迄上がったので、以降「ファッツ」は「ポップ・チャート」の常連にもなった訳ですナ。
「ボブ・ルーマン」、「リッキー・ネルソン」、「ファッツ・ドミノ」のコレ等は皆LAの「インペリアル」レーベルからリリースされていたんでゲス。
LAにゃぁ「インペリアル」レーベル以外にも「リズムンブルーズ」専門のレーベルが沢山あって、「スペシャルティ」レーベルってのもそんな中の1つで、先出の「インペリアル」レーベル同様制作工房はニューオリンズで、レコード・スタジオも同じ「コジモ・スタジオ」っていって、経営者はエンジニアを兼ねていた、
「コジモ・マタッサ」

っていう人物でしたナ。
んでネ、”ニューオリンズ・サウンド”の殆ど全てがコノ「コジモ・スタジオ」で制作されていて、特徴としては”サックス・アンサンブル”なんだけど、「ロックンロール」史上注目すべきは、
”ドラム・サウンド”
なんでゲス。
先出の「ファッツ・ドミノ」の「ファット・マン」や「エルヴィス」がカヴァーした「ロイド・プライス」の「ローディ・ミス・クロウディ」等でドラムを演っていたのは、
「アール・パーマー」

で、彼はニューオリンズ系のアーティストの殆どを叩いていて、特に強力だったのが、
「リトル・リチャード」

とのコンビですナ。
「インペリアル」レーベルのNo.1の売れっ子が「ファッツ・ドミノ」だったけど、「リトル・リチャード」は「スペシャルティ」レーベルのNo.1だったでゲス。
んでネ、「リトル・リチャード」はサ、当時ネ、
”異常な人気”
で、
”「エルヴィス」を肉迫するのは「リトル・リチャード」だけ”
みたくな事を言われていた様ですナ。
1956年暮れに公開された映画の、
「THE GIRL CAN’T HELP IT」(邦題「女はそれを我慢できない」)


の主題歌を「リトル・リチャード」が唄っていて、他にも2曲の計3曲唄っているでゲス。
「THE GIRL CAN’T HELP IT」
「READY TEDDY」
「SHE'S GOT IT」
でゲス。
監督は、
「フランク・タシュリン」

ってな主に「コメディ映画」を撮っている監督で、勿論”コレ”も「コメディ映画」で、音楽シーンもふんだんに盛り込まれた作品になってますナ。
「リトル・リチャード」以外に「ファッツ・ドミノ」、「ザ・プラターズ」、「ジーン・ヴィンセント」、「ザ・トリニアーズ」、「エディ・フォンテーン」、「アビー・リンカーン」、「ジュリー・ロンドン」等が作品中で唄っていて、殆どがヒット曲を持っているんだけど、ソノ中に当時は全く無名の若者が作品中のTVで唄っているシーンで登場するんでゲス。
”ソレ”が17歳の、
「エディ・コクラン」

ですナ。
あのネ、1956年の4月「エルヴィス」は未だ「ハートブレイク・ホテル」が「ポップ・チャート」1位になってない頃、チャートを上がっている頃なんだけど、ハリウッドの「パラマウント」社でスクリーン・テストを受けるってな事を以前の、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話 (パート9)”
にUpしたんだけど、カラーで「ブルー・スエード・シューズ」の当て振りをしているんだよネ。
プロデューサー「ハル・B・ウォリス」

の前で演ったみたいで、元々「パラマウント」社で「ハル・B・ウォリス」の下で仕事をしていた「フランク・タシュリン」は”コノ”「エルヴィス」の映像を観たみたいで、どうやら「エルヴィス」を「女はそれを・・・」に出演させたかったらしいんでゲス。
んが、「エルヴィス」のマネージャー「パーカー」大佐は、
”可成り高額のギャラを要求した”
みたいで、んで話は流れて・・・・・そういえば、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話 (パート12)
のところでUpした、映画「やさしく愛して」に続いて「ジェーン・マンスフィールド」と共演の「コメディ映画」の「THE LOVE MANIAC」ってのがあったけど実現しなかったでしょ、色々と熟考を重ねて結果、コノ「女はそれを・・・」を制作して「エルヴィス」を出演させたかったけどギャラ問題で無理だったので、誰か「エルヴィス」の代わりに・・・って事で、「エディ・コクラン」に白羽の矢が立ったんじゃぁないかと思うんですナ。
っていうのもネ、「エディ・コクラン」の出演シーンが「エルヴィス」のスクリーン・テストに何となく似てるんですヨ。
比較してみましょう。
先ず「エルヴィス」
んで、次は映画の「エディ・コクラン」
チョイと画質が悪いですが、どちらもカーテンの前で丸くライトが当たっていてサ。
考え過ぎかなぁ。
んで、折角映画で唄った「トゥエンティ・フライト・ロック」はシングル・カットされなくって、次にレコーディングした曲がスタッフの評判が良かったので”ソレ”をリリースして「エディ・コクラン」にとって最初のヒット曲になったでゲス。
映画公開から約3ヶ月後にリリースの、
「SITTIN' IN THE BALCONY」(邦題「バルコニーに座って」)
出た!!!!!
「フィードバック・エコー」
「ジーン・ヴィンセント」といい「エディ・コクラン」といい2人共「フィードバック・エコー」の使い方が上手いなぁ。
1957年3月初登場で「ポップ・チャート」18位、「リズムンブルーズ・チャート」7位迄上がって可成りのヒットですナ。
ソノ後「エディ・コクラン」は、
「SUMMERTIME BLUES」
1958年7月にリリースされて「ポップ・チャート」8位、「リズムンブルーズ・チャート」11位と、「エディ・コクラン」の”代表曲”になったでゲス。
コノ曲の注目点は”ドラム”なんですナ。
先程”ニューオリンズ・サウンド”のところで「アール・パーマー」を紹介したんだけど、コノ「サマータイム・ブルーズ」のドラムも叩いているでゲス。
1957年に「アール・パーマー」はLAに移って来ていて、「ボブ・ルーマン」でも何曲か叩いているそうですナ。
続いてのヒット曲も「アール・パーマー」のドラムでゲス。
「C'MON EVERYBODY」
10月にリリースされて「ポップ・チャート」35位ってな事だったんだけど、先出の「サマータイム・・・」と同じ様な低音弦を響かせるサウンドは、
”新しい「ロックンロール」サウンド”
っていう風になって、徐々に”コレ”が、
”ウエストコースト・サウンド”
ってな事で広がっていった訳ですナ。
そうそう、レコーディングしたスタジオは、
「ゴールド・スター・スタジオ」
で、エコーも”ココ”のエコーでゲス。
後に、
「フィル・スペクター」

が”フィル・スペクター・サウンド”として有名になった”アノ”エコーですナ。
「エディ・コクラン」が先に使っていたでゲス。
さて、今回はココ迄ですナ。
んじゃぁ、コレにて。








なので午後からは仕事はありませんナ。
明日の午前中に次のが入荷してくるので、ソレ迄は自由時間?でゲス。
んで、ココからは前回の続きのUpですナ。
「リッキー・ネルソン」

が「ヴァーヴ」レーベルから「インペリアル」レーベルに移籍して・・・。
ってなところ迄でしたが、移籍した「インペリアル」レーベル社長の「ルイ・チャッド」が自ら制作する「カントリー・ミュージック」部門と「ロックンロール」部門ってのがあるんだけど、”外部制作”の「リズムンブルーズ」部門ってのもあって、制作工房はニューオリンズを拠点としていて、ソノ中で1番のヒットメーカーは、
「ファッツ・ドミノ」

で、デビューは1950年の、
「THE FAT MAN」
何だか自分のテーマ・ソングみたくな曲でゲス。
「リズムンブルーズ・チャート」で2位で、コノ後もジャンジャンジャカジャカとヒット曲を連発していって、1955年の、
「AIN’T THAT A SHAME」
が、「リズムンブルーズ・チャート」1位になって、
「パット・ブーン」

のカヴァー盤、
が「ポップ・チャート」で1位になったので、”ココ”で初めて「ファッツ」も「ポップ・チャート」に登場して10位迄上がったので、以降「ファッツ」は「ポップ・チャート」の常連にもなった訳ですナ。
「ボブ・ルーマン」、「リッキー・ネルソン」、「ファッツ・ドミノ」のコレ等は皆LAの「インペリアル」レーベルからリリースされていたんでゲス。
LAにゃぁ「インペリアル」レーベル以外にも「リズムンブルーズ」専門のレーベルが沢山あって、「スペシャルティ」レーベルってのもそんな中の1つで、先出の「インペリアル」レーベル同様制作工房はニューオリンズで、レコード・スタジオも同じ「コジモ・スタジオ」っていって、経営者はエンジニアを兼ねていた、
「コジモ・マタッサ」

っていう人物でしたナ。
んでネ、”ニューオリンズ・サウンド”の殆ど全てがコノ「コジモ・スタジオ」で制作されていて、特徴としては”サックス・アンサンブル”なんだけど、「ロックンロール」史上注目すべきは、
”ドラム・サウンド”
なんでゲス。
先出の「ファッツ・ドミノ」の「ファット・マン」や「エルヴィス」がカヴァーした「ロイド・プライス」の「ローディ・ミス・クロウディ」等でドラムを演っていたのは、
「アール・パーマー」

で、彼はニューオリンズ系のアーティストの殆どを叩いていて、特に強力だったのが、
「リトル・リチャード」

とのコンビですナ。
「インペリアル」レーベルのNo.1の売れっ子が「ファッツ・ドミノ」だったけど、「リトル・リチャード」は「スペシャルティ」レーベルのNo.1だったでゲス。
んでネ、「リトル・リチャード」はサ、当時ネ、
”異常な人気”
で、
”「エルヴィス」を肉迫するのは「リトル・リチャード」だけ”
みたくな事を言われていた様ですナ。
1956年暮れに公開された映画の、
「THE GIRL CAN’T HELP IT」(邦題「女はそれを我慢できない」)


の主題歌を「リトル・リチャード」が唄っていて、他にも2曲の計3曲唄っているでゲス。
「THE GIRL CAN’T HELP IT」
「READY TEDDY」
「SHE'S GOT IT」
でゲス。
監督は、
「フランク・タシュリン」

ってな主に「コメディ映画」を撮っている監督で、勿論”コレ”も「コメディ映画」で、音楽シーンもふんだんに盛り込まれた作品になってますナ。
「リトル・リチャード」以外に「ファッツ・ドミノ」、「ザ・プラターズ」、「ジーン・ヴィンセント」、「ザ・トリニアーズ」、「エディ・フォンテーン」、「アビー・リンカーン」、「ジュリー・ロンドン」等が作品中で唄っていて、殆どがヒット曲を持っているんだけど、ソノ中に当時は全く無名の若者が作品中のTVで唄っているシーンで登場するんでゲス。
”ソレ”が17歳の、
「エディ・コクラン」

ですナ。
あのネ、1956年の4月「エルヴィス」は未だ「ハートブレイク・ホテル」が「ポップ・チャート」1位になってない頃、チャートを上がっている頃なんだけど、ハリウッドの「パラマウント」社でスクリーン・テストを受けるってな事を以前の、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話 (パート9)”
にUpしたんだけど、カラーで「ブルー・スエード・シューズ」の当て振りをしているんだよネ。
プロデューサー「ハル・B・ウォリス」

の前で演ったみたいで、元々「パラマウント」社で「ハル・B・ウォリス」の下で仕事をしていた「フランク・タシュリン」は”コノ”「エルヴィス」の映像を観たみたいで、どうやら「エルヴィス」を「女はそれを・・・」に出演させたかったらしいんでゲス。
んが、「エルヴィス」のマネージャー「パーカー」大佐は、
”可成り高額のギャラを要求した”
みたいで、んで話は流れて・・・・・そういえば、
”1950年代の「ELVIS」のレコーディングの話 (パート12)
のところでUpした、映画「やさしく愛して」に続いて「ジェーン・マンスフィールド」と共演の「コメディ映画」の「THE LOVE MANIAC」ってのがあったけど実現しなかったでしょ、色々と熟考を重ねて結果、コノ「女はそれを・・・」を制作して「エルヴィス」を出演させたかったけどギャラ問題で無理だったので、誰か「エルヴィス」の代わりに・・・って事で、「エディ・コクラン」に白羽の矢が立ったんじゃぁないかと思うんですナ。
っていうのもネ、「エディ・コクラン」の出演シーンが「エルヴィス」のスクリーン・テストに何となく似てるんですヨ。
比較してみましょう。
先ず「エルヴィス」
んで、次は映画の「エディ・コクラン」
チョイと画質が悪いですが、どちらもカーテンの前で丸くライトが当たっていてサ。
考え過ぎかなぁ。
んで、折角映画で唄った「トゥエンティ・フライト・ロック」はシングル・カットされなくって、次にレコーディングした曲がスタッフの評判が良かったので”ソレ”をリリースして「エディ・コクラン」にとって最初のヒット曲になったでゲス。
映画公開から約3ヶ月後にリリースの、
「SITTIN' IN THE BALCONY」(邦題「バルコニーに座って」)
出た!!!!!
「フィードバック・エコー」
「ジーン・ヴィンセント」といい「エディ・コクラン」といい2人共「フィードバック・エコー」の使い方が上手いなぁ。
1957年3月初登場で「ポップ・チャート」18位、「リズムンブルーズ・チャート」7位迄上がって可成りのヒットですナ。
ソノ後「エディ・コクラン」は、
「SUMMERTIME BLUES」
1958年7月にリリースされて「ポップ・チャート」8位、「リズムンブルーズ・チャート」11位と、「エディ・コクラン」の”代表曲”になったでゲス。
コノ曲の注目点は”ドラム”なんですナ。
先程”ニューオリンズ・サウンド”のところで「アール・パーマー」を紹介したんだけど、コノ「サマータイム・ブルーズ」のドラムも叩いているでゲス。
1957年に「アール・パーマー」はLAに移って来ていて、「ボブ・ルーマン」でも何曲か叩いているそうですナ。
続いてのヒット曲も「アール・パーマー」のドラムでゲス。
「C'MON EVERYBODY」
10月にリリースされて「ポップ・チャート」35位ってな事だったんだけど、先出の「サマータイム・・・」と同じ様な低音弦を響かせるサウンドは、
”新しい「ロックンロール」サウンド”
っていう風になって、徐々に”コレ”が、
”ウエストコースト・サウンド”
ってな事で広がっていった訳ですナ。
そうそう、レコーディングしたスタジオは、
「ゴールド・スター・スタジオ」
で、エコーも”ココ”のエコーでゲス。
後に、
「フィル・スペクター」

が”フィル・スペクター・サウンド”として有名になった”アノ”エコーですナ。
「エディ・コクラン」が先に使っていたでゲス。
さて、今回はココ迄ですナ。
んじゃぁ、コレにて。








2023年7月23日 23時10分54秒 (Sun)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート9)
ルイジアナ州シュリーブポートで演奏活動を続けている、
「デイル・ホーキンス」

から話は始まりますヨ。
「デイル」と一緒に活動していた、
「ジェームズ・バートン」

は、ベースの「ジェームズ・カークランド」と共に、
「リッキー・ネルソン」

の下に行ってしまったので次のギタリストを探さなくてはならなくなった「デイル」は以前からの知り合いだった「ジョー・オズボーン」に声を掛けて「ルイジアナ・ヘイライド」で一緒だったドラマーの「D.J.フォンタナ」と共に、「スージーQ」のレコーディングをしたラジオ局の「KWKH」局で、
「LAーDOーDADA」
をレコーディングして、続いて今度はラジオ局じゃぁなくって、シカゴの「チェス」レーベルのスタジオで、
「MY BABE」
をレコーディングしたでゲス。
コノ時のギターは、
「ロイ・ブキャナン」

が演ってますナ。
さて、LAにやって来た、
「ボブ・ルーマン」

は、「ルイジアナ・ヘイライド」で一緒に演っていて映画にも一緒に出演した「ジェームズ・バートン」と「ジェームズ・カークランド」を「リッキー・ネルソン」に引き抜かれた後どうなったかというと、地元シュリーブポートでメンバー探しをするんですナ。
んで、候補になったのが、先出の「ロイ・ブキャナン」と「ジョー・オズボーン」で、「ブキャナン」がギターを担当して「オズボーン」はベースの担当って事で、「リッキー・ネルソン」にゃぁ負けちゃぁいられない「ボブ・ルーマン」は2人をリクルートしてLAに呼んでセッションをしたのが、
「BOOM BOOM BOOM YIPPY YI YA」
何かねぇ、「ジョー・オズボーン」のベースがさぁ、ベースなのかギターなのか?ってな特徴が出た曲でゲス。
結局「ボブ・ルーマン」は「インペリアル」レーベルじゃぁヒットが出なくって、コノ後「ワーナー・ブラザース」レーベルに移籍して1960年に初ヒットが出るんですナ。
結果的にゃぁ「ジェームズ・バートン」と「ジョー・オズボーン」をLAに移動させたのは「ボブ・ルーマン」だったって事になって、ココで又「リッキー・ネルソン」の登場でゲス。
「リッキー」は「バートン」と一緒に引き抜いた「ジェームズ・カークランド」を切って「ジョー・オズボーン」をベースに加入させたんですナ。
んで、レコーディングしたのが、
「MILK COW BLUES」
で、「バートン」&「オズボーン」のコンビが完成したんでゲス。

ってなところで今回はココ迄ですヨ。
んじゃぁ又。





「デイル・ホーキンス」

から話は始まりますヨ。
「デイル」と一緒に活動していた、
「ジェームズ・バートン」

は、ベースの「ジェームズ・カークランド」と共に、
「リッキー・ネルソン」

の下に行ってしまったので次のギタリストを探さなくてはならなくなった「デイル」は以前からの知り合いだった「ジョー・オズボーン」に声を掛けて「ルイジアナ・ヘイライド」で一緒だったドラマーの「D.J.フォンタナ」と共に、「スージーQ」のレコーディングをしたラジオ局の「KWKH」局で、
「LAーDOーDADA」
をレコーディングして、続いて今度はラジオ局じゃぁなくって、シカゴの「チェス」レーベルのスタジオで、
「MY BABE」
をレコーディングしたでゲス。
コノ時のギターは、
「ロイ・ブキャナン」

が演ってますナ。
さて、LAにやって来た、
「ボブ・ルーマン」

は、「ルイジアナ・ヘイライド」で一緒に演っていて映画にも一緒に出演した「ジェームズ・バートン」と「ジェームズ・カークランド」を「リッキー・ネルソン」に引き抜かれた後どうなったかというと、地元シュリーブポートでメンバー探しをするんですナ。
んで、候補になったのが、先出の「ロイ・ブキャナン」と「ジョー・オズボーン」で、「ブキャナン」がギターを担当して「オズボーン」はベースの担当って事で、「リッキー・ネルソン」にゃぁ負けちゃぁいられない「ボブ・ルーマン」は2人をリクルートしてLAに呼んでセッションをしたのが、
「BOOM BOOM BOOM YIPPY YI YA」
何かねぇ、「ジョー・オズボーン」のベースがさぁ、ベースなのかギターなのか?ってな特徴が出た曲でゲス。
結局「ボブ・ルーマン」は「インペリアル」レーベルじゃぁヒットが出なくって、コノ後「ワーナー・ブラザース」レーベルに移籍して1960年に初ヒットが出るんですナ。
結果的にゃぁ「ジェームズ・バートン」と「ジョー・オズボーン」をLAに移動させたのは「ボブ・ルーマン」だったって事になって、ココで又「リッキー・ネルソン」の登場でゲス。
「リッキー」は「バートン」と一緒に引き抜いた「ジェームズ・カークランド」を切って「ジョー・オズボーン」をベースに加入させたんですナ。
んで、レコーディングしたのが、
「MILK COW BLUES」
で、「バートン」&「オズボーン」のコンビが完成したんでゲス。

ってなところで今回はココ迄ですヨ。
んじゃぁ又。





2023年7月21日 10時19分29秒 (Fri)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート8)
7月16日に「YUICHI & THE HILLTONE BOYS」のLiveに行ってきたでゲス。

一体どれ位ぶりのLive鑑賞だったろう?
大変楽しい夜だったなぁ。
いつも声を掛けてくれる「KING OGAWA」殿にゃぁ感謝、感謝、感謝でゲス。
んで、”コレ”も久し振りに食べた、
”ステーキ・ボウル”

も美味かったなぁ。
んなところで本題に入りましょうネ。
前回、ルイジアナ州シュリーブポートで開催されている「ルイジアナ・ヘイライド」に1954年10月16日から出演していた「エルヴィス」が56年12月16日を最後に出演しなくなるって事で、ソノ事が56年春にゃぁ分かっていた「ルイジアナ・ヘイライド」側は「エルヴィス」無き後の観客動員数をキープする為に、
”第2の「エルヴィス」”
を探さないといけなくなって、んで”白羽の矢”が立ったのが、
「ボブ・ルーマン」

だったんでゲス。
「ボブ・ルーマン」は既に、
「ザ・フォー・ダイアモンズ」

ってなグループで「ルイジアナ・ヘイライド」にゃぁ出演していたんだけど、主催者側は「ボブ・ルーマン」単独で別にバック・バンドを付けて、”「エルヴィス」っぽく”演出したんですナ。
バック・バンドのメンバーにゃぁ、”コレ”も以前から「ルイジアナ・ヘイライド」に出演していた”ギタリスト”の、
「ジェームズ・バートン」

がいて、「ボブ・ルーマン」達のステージを観て契約を申し込んできたのがLAの「インペリアル」レーベル社長の、
「ルー・チャッド」

で、彼は新人探しによく「ルイジアナ・ヘイライド」へ来ていたみたいで、んで「ボブ・ルーマン」と契約をしたんゲス。
「インペリアル」レーベルと契約を交わした「ボブ・ルーマン」に早速映画出演の話があって、作品タイトルは、
「CARNIVAL ROCK」

っていうので、低予算の”B級映画”ですナ。
まぁ、契約間もない「ボブ・ルーマン」は全米規模じゃぁ未だ無名なので、彼が出演しても問題無いって事だったんでゲス。
ウエストコーストの”B級映画”っていったら、泣く子も黙る、
「ロジャー・コーマン」

ですナ。
コノ作品も「ロジャー・コーマン」のプロデュース、監督の作品でゲス。
あのネ、「ロジャー・コーマン」の工房からは「フランシス・フォード・コッポラ」や「マーティン・スコセッシ」、「ジャック・ニコルソン」等など後に有名になった映画関係者が沢山いますナ。
んで、映画「カーニバル・ロック」なんだけど、「ボブ・ルーマン」は作品中で3曲ばかり演っているんだけど、ソノ中の1曲をUpしますネ。
「THIS IS THE NIGHT」
どうしたモノか、画質があんまりでゲス。
せっかく映画で唄ったのにシングル・カットはされなかったんですナ。(何でだろう?カッチョイイのにネ。)
んで、別の曲がリリースされたんだけど全くヒットしなかったんでゲス。
とはいえ、田舎のルイジアナ州シュリーブポートから大都会のハリウッド暮らしになった「ボブ・ルーマン」達はもう帰れないんですヨ。
1957年っていったら「エルヴィス」が映画撮影の為にハリウッドに滞在していたでしょ、ってな訳でLAにゃぁジャンジャン、どしどし、「ロックンロール」ミュージシャンが集まって来たんでゲス。
話は変わって、コノ57年の4月にTVのホーム・ドラマで人気があった16歳の青年がレコード・デビューするんですナ。
彼は12歳からTVにゃぁ出ていて全米中が彼の成長過程を知っているんでゲス。
彼の父親は「オジー・ネルソン」といって、元バンド・リーダーで、WW2前にゃぁ全米1位のヒット曲もありましたナ。
んで、母親は女優の「ハリエット・ネルソン」でゲス。

先出のTVホーム・ドラマってのは、
「THE ADVENTURES OF OZZIE AND HARRIET」


っていうので、青年の名前は、
「リッキー・ネルソン」

で、曲は、
「I'M WALKIN'」
ですナ。
ギターは「ウエストコースト・ジャズ」の名手の、
「バーニー・ケッセル」

が弾いてましたナ。
おそらく父親「オージー・ネルソン」の関係からの起用だったんじゃぁないかと思うんだけど、「ファッツ・ドミノ」のカヴァー曲で、1957年5月にリリースされて「ポップ・チャート」4位、「リズムンブルーズ・チャート」10位になるヒットで、特にB面の、
「TEENAGER’S ROMANCE」
の方が「ポップ・チャート」で2位っていう大ヒットで、”両面ヒット”だったでゲス。
「リッキー・ネルソン」はTVの知名度もあって最初から人気が爆発したんですナ。
「リッキー」は未だ高校生だったんだけど、ココら辺から本格的な、
”ティーンエイジ・アイドル時代”
が始まったし、メディアの主役がラジオからTVに移っていった時代でゲス。

「ヴァーヴ」レーベルからデビューして早々にヒットをかっ飛ばした「リッキー」は、ロイヤリティの問題で「ヴァーヴ」レーベルから「インペリアル」レーベルに移籍して以降45年間の契約を結ぶんですナ。
「インペリアル」レーベル移籍第1弾シングル盤は、
「BEーBOP BABY」
で、「ポップ・チャート」3位、「リズムンブルーズ・チャート」5位で、ギターを弾いていたのは「ジョー・メィフィス」でゲス。
B面の、
「HAVE I TOLD YOU LATELY THAT I LOVE YOU?」
もヒットで、こういった感じで「リッキー」の初期のレコードは殆ど”両面ヒット”なんでゲス。
レコーディングされたのはLAの「マスターズ・サウンド・スタジオ」で、先出の「ボブ・ルーマン」もLAに来てからは「マスターズ・サウンド・スタジオ」を使っていたので、「リッキー」は同じスタジオを使っている「ボブ・ルーマン」のレコーディング・セッションを観て「ボブ・ルーマン」のバックを演っているギターとベースの2人、つまり「ジェームズ・バートン」と「ジェームズ・カークランド」を気に入って、おそらくなんだけど、”音楽業界の大物”の父親に掛け合ってもらってギター「バートン」、ベース「カークランド」を引き抜いたんだと思いますナ。
んで、「バートン」と「カークランド」がレコーディングに参加した曲が、
「STOOD UP」
でゲス。
「ジェームズ・バートン」のギターがイイなぁ。
コーラスを演っていたのは「ザ・ジョーダネアーズ」で、”コレ”もおそらくなんだけど父親に頼んでコーラスを付けるなら「エルヴィス」のコーラスを演っている「ザ・ジョーダネアーズ」を・・・ってな事だと思うでゲス。
ってのも、先にもUpしたとおり1957年は「エルヴィス」が1年間ハリウッドにいて、「ラジオ・レコーダーズ・スタジオ」でセッションを演っていて「ザ・ジョーダネアーズ」も何度もLAに来ていたので、案外簡単に頼めたみたいですナ。
んで、コノ「ストゥード・アップ」も「ポップ・チャート」2位の大ヒットで、ココからバック・バンドのメンバーが、
ギター・・・「ジェームズ・バートン」
ベース・・・「ジェームズ・カークランド」
ドラム・・・「リッチー・フォレスト」
が固定化されるでゲス。

さて、今回はココ迄ですヨ。
続きは次回でゲス。
ではコレにて。









一体どれ位ぶりのLive鑑賞だったろう?
大変楽しい夜だったなぁ。
いつも声を掛けてくれる「KING OGAWA」殿にゃぁ感謝、感謝、感謝でゲス。
んで、”コレ”も久し振りに食べた、
”ステーキ・ボウル”

も美味かったなぁ。
んなところで本題に入りましょうネ。
前回、ルイジアナ州シュリーブポートで開催されている「ルイジアナ・ヘイライド」に1954年10月16日から出演していた「エルヴィス」が56年12月16日を最後に出演しなくなるって事で、ソノ事が56年春にゃぁ分かっていた「ルイジアナ・ヘイライド」側は「エルヴィス」無き後の観客動員数をキープする為に、
”第2の「エルヴィス」”
を探さないといけなくなって、んで”白羽の矢”が立ったのが、
「ボブ・ルーマン」

だったんでゲス。
「ボブ・ルーマン」は既に、
「ザ・フォー・ダイアモンズ」

ってなグループで「ルイジアナ・ヘイライド」にゃぁ出演していたんだけど、主催者側は「ボブ・ルーマン」単独で別にバック・バンドを付けて、”「エルヴィス」っぽく”演出したんですナ。
バック・バンドのメンバーにゃぁ、”コレ”も以前から「ルイジアナ・ヘイライド」に出演していた”ギタリスト”の、
「ジェームズ・バートン」

がいて、「ボブ・ルーマン」達のステージを観て契約を申し込んできたのがLAの「インペリアル」レーベル社長の、
「ルー・チャッド」

で、彼は新人探しによく「ルイジアナ・ヘイライド」へ来ていたみたいで、んで「ボブ・ルーマン」と契約をしたんゲス。
「インペリアル」レーベルと契約を交わした「ボブ・ルーマン」に早速映画出演の話があって、作品タイトルは、
「CARNIVAL ROCK」

っていうので、低予算の”B級映画”ですナ。
まぁ、契約間もない「ボブ・ルーマン」は全米規模じゃぁ未だ無名なので、彼が出演しても問題無いって事だったんでゲス。
ウエストコーストの”B級映画”っていったら、泣く子も黙る、
「ロジャー・コーマン」

ですナ。
コノ作品も「ロジャー・コーマン」のプロデュース、監督の作品でゲス。
あのネ、「ロジャー・コーマン」の工房からは「フランシス・フォード・コッポラ」や「マーティン・スコセッシ」、「ジャック・ニコルソン」等など後に有名になった映画関係者が沢山いますナ。
んで、映画「カーニバル・ロック」なんだけど、「ボブ・ルーマン」は作品中で3曲ばかり演っているんだけど、ソノ中の1曲をUpしますネ。
「THIS IS THE NIGHT」
どうしたモノか、画質があんまりでゲス。
せっかく映画で唄ったのにシングル・カットはされなかったんですナ。(何でだろう?カッチョイイのにネ。)
んで、別の曲がリリースされたんだけど全くヒットしなかったんでゲス。
とはいえ、田舎のルイジアナ州シュリーブポートから大都会のハリウッド暮らしになった「ボブ・ルーマン」達はもう帰れないんですヨ。
1957年っていったら「エルヴィス」が映画撮影の為にハリウッドに滞在していたでしょ、ってな訳でLAにゃぁジャンジャン、どしどし、「ロックンロール」ミュージシャンが集まって来たんでゲス。
話は変わって、コノ57年の4月にTVのホーム・ドラマで人気があった16歳の青年がレコード・デビューするんですナ。
彼は12歳からTVにゃぁ出ていて全米中が彼の成長過程を知っているんでゲス。
彼の父親は「オジー・ネルソン」といって、元バンド・リーダーで、WW2前にゃぁ全米1位のヒット曲もありましたナ。
んで、母親は女優の「ハリエット・ネルソン」でゲス。

先出のTVホーム・ドラマってのは、
「THE ADVENTURES OF OZZIE AND HARRIET」


っていうので、青年の名前は、
「リッキー・ネルソン」

で、曲は、
「I'M WALKIN'」
ですナ。
ギターは「ウエストコースト・ジャズ」の名手の、
「バーニー・ケッセル」

が弾いてましたナ。
おそらく父親「オージー・ネルソン」の関係からの起用だったんじゃぁないかと思うんだけど、「ファッツ・ドミノ」のカヴァー曲で、1957年5月にリリースされて「ポップ・チャート」4位、「リズムンブルーズ・チャート」10位になるヒットで、特にB面の、
「TEENAGER’S ROMANCE」
の方が「ポップ・チャート」で2位っていう大ヒットで、”両面ヒット”だったでゲス。
「リッキー・ネルソン」はTVの知名度もあって最初から人気が爆発したんですナ。
「リッキー」は未だ高校生だったんだけど、ココら辺から本格的な、
”ティーンエイジ・アイドル時代”
が始まったし、メディアの主役がラジオからTVに移っていった時代でゲス。

「ヴァーヴ」レーベルからデビューして早々にヒットをかっ飛ばした「リッキー」は、ロイヤリティの問題で「ヴァーヴ」レーベルから「インペリアル」レーベルに移籍して以降45年間の契約を結ぶんですナ。
「インペリアル」レーベル移籍第1弾シングル盤は、
「BEーBOP BABY」
で、「ポップ・チャート」3位、「リズムンブルーズ・チャート」5位で、ギターを弾いていたのは「ジョー・メィフィス」でゲス。
B面の、
「HAVE I TOLD YOU LATELY THAT I LOVE YOU?」
もヒットで、こういった感じで「リッキー」の初期のレコードは殆ど”両面ヒット”なんでゲス。
レコーディングされたのはLAの「マスターズ・サウンド・スタジオ」で、先出の「ボブ・ルーマン」もLAに来てからは「マスターズ・サウンド・スタジオ」を使っていたので、「リッキー」は同じスタジオを使っている「ボブ・ルーマン」のレコーディング・セッションを観て「ボブ・ルーマン」のバックを演っているギターとベースの2人、つまり「ジェームズ・バートン」と「ジェームズ・カークランド」を気に入って、おそらくなんだけど、”音楽業界の大物”の父親に掛け合ってもらってギター「バートン」、ベース「カークランド」を引き抜いたんだと思いますナ。
んで、「バートン」と「カークランド」がレコーディングに参加した曲が、
「STOOD UP」
でゲス。
「ジェームズ・バートン」のギターがイイなぁ。
コーラスを演っていたのは「ザ・ジョーダネアーズ」で、”コレ”もおそらくなんだけど父親に頼んでコーラスを付けるなら「エルヴィス」のコーラスを演っている「ザ・ジョーダネアーズ」を・・・ってな事だと思うでゲス。
ってのも、先にもUpしたとおり1957年は「エルヴィス」が1年間ハリウッドにいて、「ラジオ・レコーダーズ・スタジオ」でセッションを演っていて「ザ・ジョーダネアーズ」も何度もLAに来ていたので、案外簡単に頼めたみたいですナ。
んで、コノ「ストゥード・アップ」も「ポップ・チャート」2位の大ヒットで、ココからバック・バンドのメンバーが、
ギター・・・「ジェームズ・バートン」
ベース・・・「ジェームズ・カークランド」
ドラム・・・「リッチー・フォレスト」
が固定化されるでゲス。

さて、今回はココ迄ですヨ。
続きは次回でゲス。
ではコレにて。








2023年7月7日 16時01分32秒 (Fri)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート7)
前回(昨夜)は途中で眠たくなって終わっちゃったので、今回は続きのUpでゲス。
ソノ前に、今日お袋ちゃんの元気が無かったので昼飯に、

”鰻弁当”
を買ってきてあげたでゲス。
勿論、自分のも買ってきて食べましたナ。
スナップじゃぁ上手く写ってないけど、大変に美味しかったでゲス。
さて、本題ですヨ。
「ジェリー・リー・ルイス」が2曲連続で”3部門制覇”を出したってところだったですネ。
兎に角コノ頃の「ジェリー・リー・ルイス」の人気は”爆発的”なもので、彼が唄った曲がタイトルになった映画も制作されて、オープニングじゃぁ「ジェリー・リー・ルイス」自身がレコード・プロモーションっていう設定でトラックの後ろにピアノとバンド・メンバーを乗せて自らタイトル・ナンバーを唄うシーンがあるでゲス。
カッチョイイ!!!!!
やっぱ、「ジェリー・リー・ルイス」は最高だなぁ。
1957年は「ジェリー・リー・ルイス」にとって”ゴールデン・イヤー”だったんでゲス。
さて、「サン」レーベルにゃぁ他にも沢山のアーティストがいたんだけど、そんな中から”サックス・プレイヤー”の、
「ビル・ジャスティス」

の、
「RAUNCHY」
ってなインストゥルメンタル曲が大ヒットして、「ポップ・チャート」2位、「カントリー・ミュージック・チャート」6位、「リズムンブルーズ・チャート」なんと1位ってな、”3部門制覇”になりましたナ。
又「サン」レーベル(正しくは同系「フィリップス」レーベル)から”3部門制覇”の曲が出たんだけど、まさか社長の「サム・フィリップス」もこんなに大ヒットするとは思わなかったみたいでゲス。
翌58年からインストゥルメンタル曲のブームが始まるんだけど、コノ「ロンチー」って曲が火付け役になったといえますナ。
沢山のカヴァー曲がリリースされて、当時の「ロックンロール」ファンじゃぁなくても大勢の人が知っている曲だったんでゲス。
そんな「サン」レーベルは正に、
”「ロックンロール」の故郷”
だったんですナ。
さて、話はガラッと変わって、ルイジアナ州シュリーブポートが舞台でゲス。
1954年10月16日に「エルヴィス」が初出演した「ルイジアナ・ヘイライド」は、いよいよ56年12月16日に「エルヴィス」最後のステージとなるんですナ。
コノ日はラスト・デーってな事で、「冷たくしないで」や「やさしく愛して」、最後に「ハウンド・ドッグ」の全10曲も唄うサービスぶりだったんだけど、こうやって「エルヴィス」は「ルイジアナ・ヘイライド」を巣立っていった訳でゲス。

「ルイジアナ・ヘイライド」があったシュリーブポートっていう町にゃぁ幾つかのラジオ局があって、一番有名なのは「ルイジアナ・ヘイライド」を放送していた「KWKH」局で、コノ局は深夜に低料金でスタジオを開放していたんですナ。
”ソコ”へ昼間はレコード店員、夜はバンドを演りながらデモ・レコードを作るってな事をしている若者がいたんでゲス。
んで、作ったデモ・レコードを働いていたレコード店の店主に聴かせたら、コレはイイ!って事でシカゴの「チェス」レーベルに送ったところ、トントン拍子に話が進んで1956年6月に”ソレ”がリリースされましたナ。
若者の名前は、
「デイル・ホーキンス」

曲は、
「SEE YOU SOON BABOON」
で、
「ボビー・チャールズ」

が既に、
「SEE YOU LATER, ALLIGATOR」
を、1955年にヒットさせていて、「ボビー・チャールズ」と「デイル・ホーキンス」が友達だった事もあって、友達が大ヒットをかっ飛ばしたので、第2弾って感じで「シー・ユー・スーン・バブーン」をリリースしたんでゲス。
まぁ、残念ながらヒットはしなかったですナ。
先出の「シー・ユー・レイター・・・」は、
「ビル・ヘイリーと彼のコメッツ」

にカヴァーされて、1956年に「ポップ・チャート」6位「リズムンブルーズ・チャート」2位の大ヒットだったでゲス。
本家「ボビー・チャールズ」盤も「リズムンブルーズ・チャート」14位だったですナ。
元々「シー・ユー・レイター・・・」は、
「ファッツ・ドミノ」

に「ボビー・チャールズ」が作った曲なんだけど、アッ、そうダ! 「ボビー・チャールズ」についてもUpしておこうと思うでゲス。
「ボビー・チャールズ」を「チェス」レーベル社長の、
「レナード・チェス」

に紹介したのもLAのレコード店の店主だったんですナ。
1950年代の「ロックンロール」時代っていうのは、ラジオ局のDJやレコード店の店主ってな人達が大活躍した時代でもあったんでゲス。
んで、「ファッツ・ドミノ」が取り上げてくれなかった「シー・ユー・レイター・・・」を「ボビー・チャールズ」自ら電話で唄って「レナード・チェス」に売り込んだそうですナ。
ソノ時若干15歳だったでゲス。
んで、「レナード・チェス」は気に入ってニューオリンズでのレコーディングの費用を出してくれたそうですナ。
さて、「デイル・ホーキンス」に話を戻しましょう。
先出の「シー・ユー・スーン・・・」が不発に終わったので、以前にデモ・テープを作っていた曲を第2弾にしようという事になって「KWKH」局のスタジオで再レコーディングしたのが、
「SUSIE−Q」
で、現在では”「ロックンロール」クラッシック”となっている曲でゲス。
印象的な”リード・ギター”を弾いていたのは「ルイジアナ・ヘイライド」の同僚の、
「ジェームズ・バートン」

ですナ。
コノ曲は1957年5月に登場して「ポップ・チャート」じゃぁ27位止まりだったのに「リズムンブルーズ・チャート」だと7位迄ランクされて、一躍「デイル・ホーキンス」は「リズムンブルーズ」界の人気者になったんでゲス。
んが、”「ロック」史”としちゃぁ、「デイル・ホーキンス」よりもギターを弾いていた「ジェームズ・バートン」の存在がより大きくなっていくんですナ。
「スージーQ」でハンド・クラッピングで参加していた「マイロン・ハンフリーズ」っていう「ジェームズ・バートン」の従兄がいて、彼のバックでも「ジェームズ・バートン」のギターが炸裂しているでゲス。
「WORRIED ABOUT YOU BABY」
カッチョイイ!!!!!
「アーサー”ビッグ・ボーイ”クルダップ」がオリジナルの曲のカヴァーですナ。
オリジナルは、
こんな感じで、「エルヴィス」が取り上げた「ザッツ・オール・ライト・ママ」や「マイ・ベイビー・レフト・ミー」と同じ曲調でゲス。
1956年12月16日を最後に「エルヴィス」の「ルイジアナ・ヘイライド」での出演は終了したという事は先程Upしたんだけど、コノ事は春頃にゃぁ分かっていたみたいで、以降の客の動員をキープする為に主催者側は何とか”第2の「エルヴィス」”を探さなきゃって事になりましたナ。
さて、コノ続きは次回でゲス。
今回はココ迄ですヨ。
んじゃぁ、又。





ソノ前に、今日お袋ちゃんの元気が無かったので昼飯に、

”鰻弁当”
を買ってきてあげたでゲス。
勿論、自分のも買ってきて食べましたナ。
スナップじゃぁ上手く写ってないけど、大変に美味しかったでゲス。
さて、本題ですヨ。
「ジェリー・リー・ルイス」が2曲連続で”3部門制覇”を出したってところだったですネ。
兎に角コノ頃の「ジェリー・リー・ルイス」の人気は”爆発的”なもので、彼が唄った曲がタイトルになった映画も制作されて、オープニングじゃぁ「ジェリー・リー・ルイス」自身がレコード・プロモーションっていう設定でトラックの後ろにピアノとバンド・メンバーを乗せて自らタイトル・ナンバーを唄うシーンがあるでゲス。
カッチョイイ!!!!!
やっぱ、「ジェリー・リー・ルイス」は最高だなぁ。
1957年は「ジェリー・リー・ルイス」にとって”ゴールデン・イヤー”だったんでゲス。
さて、「サン」レーベルにゃぁ他にも沢山のアーティストがいたんだけど、そんな中から”サックス・プレイヤー”の、
「ビル・ジャスティス」

の、
「RAUNCHY」
ってなインストゥルメンタル曲が大ヒットして、「ポップ・チャート」2位、「カントリー・ミュージック・チャート」6位、「リズムンブルーズ・チャート」なんと1位ってな、”3部門制覇”になりましたナ。
又「サン」レーベル(正しくは同系「フィリップス」レーベル)から”3部門制覇”の曲が出たんだけど、まさか社長の「サム・フィリップス」もこんなに大ヒットするとは思わなかったみたいでゲス。
翌58年からインストゥルメンタル曲のブームが始まるんだけど、コノ「ロンチー」って曲が火付け役になったといえますナ。
沢山のカヴァー曲がリリースされて、当時の「ロックンロール」ファンじゃぁなくても大勢の人が知っている曲だったんでゲス。
そんな「サン」レーベルは正に、
”「ロックンロール」の故郷”
だったんですナ。
さて、話はガラッと変わって、ルイジアナ州シュリーブポートが舞台でゲス。
1954年10月16日に「エルヴィス」が初出演した「ルイジアナ・ヘイライド」は、いよいよ56年12月16日に「エルヴィス」最後のステージとなるんですナ。
コノ日はラスト・デーってな事で、「冷たくしないで」や「やさしく愛して」、最後に「ハウンド・ドッグ」の全10曲も唄うサービスぶりだったんだけど、こうやって「エルヴィス」は「ルイジアナ・ヘイライド」を巣立っていった訳でゲス。

「ルイジアナ・ヘイライド」があったシュリーブポートっていう町にゃぁ幾つかのラジオ局があって、一番有名なのは「ルイジアナ・ヘイライド」を放送していた「KWKH」局で、コノ局は深夜に低料金でスタジオを開放していたんですナ。
”ソコ”へ昼間はレコード店員、夜はバンドを演りながらデモ・レコードを作るってな事をしている若者がいたんでゲス。
んで、作ったデモ・レコードを働いていたレコード店の店主に聴かせたら、コレはイイ!って事でシカゴの「チェス」レーベルに送ったところ、トントン拍子に話が進んで1956年6月に”ソレ”がリリースされましたナ。
若者の名前は、
「デイル・ホーキンス」

曲は、
「SEE YOU SOON BABOON」
で、
「ボビー・チャールズ」

が既に、
「SEE YOU LATER, ALLIGATOR」
を、1955年にヒットさせていて、「ボビー・チャールズ」と「デイル・ホーキンス」が友達だった事もあって、友達が大ヒットをかっ飛ばしたので、第2弾って感じで「シー・ユー・スーン・バブーン」をリリースしたんでゲス。
まぁ、残念ながらヒットはしなかったですナ。
先出の「シー・ユー・レイター・・・」は、
「ビル・ヘイリーと彼のコメッツ」

にカヴァーされて、1956年に「ポップ・チャート」6位「リズムンブルーズ・チャート」2位の大ヒットだったでゲス。
本家「ボビー・チャールズ」盤も「リズムンブルーズ・チャート」14位だったですナ。
元々「シー・ユー・レイター・・・」は、
「ファッツ・ドミノ」

に「ボビー・チャールズ」が作った曲なんだけど、アッ、そうダ! 「ボビー・チャールズ」についてもUpしておこうと思うでゲス。
「ボビー・チャールズ」を「チェス」レーベル社長の、
「レナード・チェス」

に紹介したのもLAのレコード店の店主だったんですナ。
1950年代の「ロックンロール」時代っていうのは、ラジオ局のDJやレコード店の店主ってな人達が大活躍した時代でもあったんでゲス。
んで、「ファッツ・ドミノ」が取り上げてくれなかった「シー・ユー・レイター・・・」を「ボビー・チャールズ」自ら電話で唄って「レナード・チェス」に売り込んだそうですナ。
ソノ時若干15歳だったでゲス。
んで、「レナード・チェス」は気に入ってニューオリンズでのレコーディングの費用を出してくれたそうですナ。
さて、「デイル・ホーキンス」に話を戻しましょう。
先出の「シー・ユー・スーン・・・」が不発に終わったので、以前にデモ・テープを作っていた曲を第2弾にしようという事になって「KWKH」局のスタジオで再レコーディングしたのが、
「SUSIE−Q」
で、現在では”「ロックンロール」クラッシック”となっている曲でゲス。
印象的な”リード・ギター”を弾いていたのは「ルイジアナ・ヘイライド」の同僚の、
「ジェームズ・バートン」

ですナ。
コノ曲は1957年5月に登場して「ポップ・チャート」じゃぁ27位止まりだったのに「リズムンブルーズ・チャート」だと7位迄ランクされて、一躍「デイル・ホーキンス」は「リズムンブルーズ」界の人気者になったんでゲス。
んが、”「ロック」史”としちゃぁ、「デイル・ホーキンス」よりもギターを弾いていた「ジェームズ・バートン」の存在がより大きくなっていくんですナ。
「スージーQ」でハンド・クラッピングで参加していた「マイロン・ハンフリーズ」っていう「ジェームズ・バートン」の従兄がいて、彼のバックでも「ジェームズ・バートン」のギターが炸裂しているでゲス。
「WORRIED ABOUT YOU BABY」
カッチョイイ!!!!!
「アーサー”ビッグ・ボーイ”クルダップ」がオリジナルの曲のカヴァーですナ。
オリジナルは、
こんな感じで、「エルヴィス」が取り上げた「ザッツ・オール・ライト・ママ」や「マイ・ベイビー・レフト・ミー」と同じ曲調でゲス。
1956年12月16日を最後に「エルヴィス」の「ルイジアナ・ヘイライド」での出演は終了したという事は先程Upしたんだけど、コノ事は春頃にゃぁ分かっていたみたいで、以降の客の動員をキープする為に主催者側は何とか”第2の「エルヴィス」”を探さなきゃって事になりましたナ。
さて、コノ続きは次回でゲス。
今回はココ迄ですヨ。
んじゃぁ、又。





2023年7月6日 23時44分21秒 (Thu)
「エルヴィス」登場の影響と波及 (パート6)
暑い!!!!!
あんまり暑いので目が覚めて寝れないゾ!!!!!
なので眠たくなる迄コチラをUpするとしますナ。
エッと、「ノーマン・ペティ・スタジオ」で「ザ・リズム・オーキッズ」や「ザ・クリケッツ」(バディ・ホリー)がヒット曲を出していた頃、未だヒットを出していない、
「ロイ・オービソン」

は、「ザ・ティーン・キングス」のバンド活動は続けていて、ソノ時にツアーで来ていた、
「ジョニー・キャッシュ」

と知り合って、彼から「サム・フィリップス」を紹介されたんでゲス。
「エルヴィス」が去った後の「サン」レーベルと「ロイ・オービソン」は契約をして、3度目の、
「OOBY DOOBY」
をレコーディングしてリリースする運びとなりましたナ。
しぶとい!!!!!
んで、執念?の甲斐があって、「ポップ・チャート」59位にランクされたんでゲス。
同週「ポップ・チャート」2位は「ハートブレイク・ホテル」だったので、59位とはいえ「エルヴィス」と同じ週にチャート・イン出来たのは「ロイ・オービソン」としては嬉しかった事でしょうネ。
ところが「ウービー・ドゥービー」以降全くヒットが続かず、コノ後「ロイ・オービソン」がチャートに登場するのは4年後になるんでゲス。
さて、1955年暮れに「エルヴィス」を手放した「サン」レーベルなんだけど、「カール・パーキンス」の「ブルースエード・シューズ」が大ヒット、先出の「ジョニー・キャッシュ」も安定的なヒットを飛ばしていて、”ソコ”へ「ロイ・オービソン」が加入してきて、経営も何とかなるかと思っていたら頼みの「ロイ・オービソン」がソノ後にヒット曲が出ないって事で困っていたら、”救世主”が登場するんですナ。
「ジェリー・リー・ルイス」

でゲス。
デビュー曲は、
「CRAZY ARMS」
で、コノ曲はヒットしなかったんだけど、歌は上手いし、「サン」レーベルにとっては貴重な”ピアノ・プレイヤー”だったので、セッション・マンとして随分沢山参加していますナ。
んで、ソノ間クラブなんかで演奏していた時に同じ”ピアノ・プレイヤー”の、
「ロイ・ホール」

と知り合って、教えてもらったのが、
「WHOLE LOTTA SHAKIN’ GOIN’ ON」
で、コノ曲を「ジェリー・リー」は自分のスタイルでカヴァーしたのが、
でゲス。
「ポップ・チャート」3位、「カントリー・ミュージック・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」共に1位と大ヒット!!!!!
「フィードバック・エコー」がイイなぁ。
「エルヴィス」の「ケンタッキーの青い月」ん時よか”エコー成分”が多くて「ジェリー・リー」の声にピッタリでゲス。
前年に、
「ジーン・ヴィンセント」

が、
「BE−BOP−A−LULA」
で「フィードバック・エコー」を上手く使って成功したし、「ジェリー・リー」の声にも相っていたので結果こういった音になったんでしょうナ。
そういったところもエンジニア上がりの「サム・フィリップス」のセンスは流石でゲス。
「カール・パーキンス」の「ブルースエード・シューズ」に次ぐ「サン」レーベルじゃぁ2曲目の”3部門制覇”になりましたナ。
突如登場したニュー・スターを映画界も見逃さなくって、映画出演の声が「ジェリー・リー」にかかるんでゲス。
「JAMBOREE」

っていう作品で、DJでTVでも人気があった、
「ディーク・クラーク」

が中心になって、DJが大勢出てきて其々曲を紹介するってな構成になっていて、出演も、
「カール・パーキンス」

「バディ・ノックス」

「ファッツ・ドミノ」

等々が登場する作品で、「ジェリー・リー」の曲の作者は「冷たくしないで」の「オーティス・ブラックウェル」が起用されて、「オーティス・ブラックウェル」曰く、かなり急がされたらしく、やっつけ仕事みたくな感じで出来た曲なんだそうですナ。
っていっても、もうネ、コノ曲は「ジェリー・リー」の為に存在した、「ジェリー・リー」以外に表現者はいないっていう、正にピッタリの曲が出来上がったんでゲス。
「GREAT BALLS OF FIRE」(邦題「火の玉ロック」)
タマランですナ。
コノ曲も「ポップ・チャート」2位、「カントリー・ミュージック・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」3位ってな”3部門制覇”したんでゲス。
突然ですが、ゴメンナサイ眠たくなってきましたナ。
なので、ココ迄にしますネ。
続きは次回でゲス。
んじゃぁ、オヤスミナサイ。





あんまり暑いので目が覚めて寝れないゾ!!!!!
なので眠たくなる迄コチラをUpするとしますナ。
エッと、「ノーマン・ペティ・スタジオ」で「ザ・リズム・オーキッズ」や「ザ・クリケッツ」(バディ・ホリー)がヒット曲を出していた頃、未だヒットを出していない、
「ロイ・オービソン」

は、「ザ・ティーン・キングス」のバンド活動は続けていて、ソノ時にツアーで来ていた、
「ジョニー・キャッシュ」

と知り合って、彼から「サム・フィリップス」を紹介されたんでゲス。
「エルヴィス」が去った後の「サン」レーベルと「ロイ・オービソン」は契約をして、3度目の、
「OOBY DOOBY」
をレコーディングしてリリースする運びとなりましたナ。
しぶとい!!!!!
んで、執念?の甲斐があって、「ポップ・チャート」59位にランクされたんでゲス。
同週「ポップ・チャート」2位は「ハートブレイク・ホテル」だったので、59位とはいえ「エルヴィス」と同じ週にチャート・イン出来たのは「ロイ・オービソン」としては嬉しかった事でしょうネ。
ところが「ウービー・ドゥービー」以降全くヒットが続かず、コノ後「ロイ・オービソン」がチャートに登場するのは4年後になるんでゲス。
さて、1955年暮れに「エルヴィス」を手放した「サン」レーベルなんだけど、「カール・パーキンス」の「ブルースエード・シューズ」が大ヒット、先出の「ジョニー・キャッシュ」も安定的なヒットを飛ばしていて、”ソコ”へ「ロイ・オービソン」が加入してきて、経営も何とかなるかと思っていたら頼みの「ロイ・オービソン」がソノ後にヒット曲が出ないって事で困っていたら、”救世主”が登場するんですナ。
「ジェリー・リー・ルイス」

でゲス。
デビュー曲は、
「CRAZY ARMS」
で、コノ曲はヒットしなかったんだけど、歌は上手いし、「サン」レーベルにとっては貴重な”ピアノ・プレイヤー”だったので、セッション・マンとして随分沢山参加していますナ。
んで、ソノ間クラブなんかで演奏していた時に同じ”ピアノ・プレイヤー”の、
「ロイ・ホール」

と知り合って、教えてもらったのが、
「WHOLE LOTTA SHAKIN’ GOIN’ ON」
で、コノ曲を「ジェリー・リー」は自分のスタイルでカヴァーしたのが、
でゲス。
「ポップ・チャート」3位、「カントリー・ミュージック・チャート」、「リズムンブルーズ・チャート」共に1位と大ヒット!!!!!
「フィードバック・エコー」がイイなぁ。
「エルヴィス」の「ケンタッキーの青い月」ん時よか”エコー成分”が多くて「ジェリー・リー」の声にピッタリでゲス。
前年に、
「ジーン・ヴィンセント」

が、
「BE−BOP−A−LULA」
で「フィードバック・エコー」を上手く使って成功したし、「ジェリー・リー」の声にも相っていたので結果こういった音になったんでしょうナ。
そういったところもエンジニア上がりの「サム・フィリップス」のセンスは流石でゲス。
「カール・パーキンス」の「ブルースエード・シューズ」に次ぐ「サン」レーベルじゃぁ2曲目の”3部門制覇”になりましたナ。
突如登場したニュー・スターを映画界も見逃さなくって、映画出演の声が「ジェリー・リー」にかかるんでゲス。
「JAMBOREE」

っていう作品で、DJでTVでも人気があった、
「ディーク・クラーク」

が中心になって、DJが大勢出てきて其々曲を紹介するってな構成になっていて、出演も、
「カール・パーキンス」

「バディ・ノックス」

「ファッツ・ドミノ」

等々が登場する作品で、「ジェリー・リー」の曲の作者は「冷たくしないで」の「オーティス・ブラックウェル」が起用されて、「オーティス・ブラックウェル」曰く、かなり急がされたらしく、やっつけ仕事みたくな感じで出来た曲なんだそうですナ。
っていっても、もうネ、コノ曲は「ジェリー・リー」の為に存在した、「ジェリー・リー」以外に表現者はいないっていう、正にピッタリの曲が出来上がったんでゲス。
「GREAT BALLS OF FIRE」(邦題「火の玉ロック」)
タマランですナ。
コノ曲も「ポップ・チャート」2位、「カントリー・ミュージック・チャート」1位、「リズムンブルーズ・チャート」3位ってな”3部門制覇”したんでゲス。
突然ですが、ゴメンナサイ眠たくなってきましたナ。
なので、ココ迄にしますネ。
続きは次回でゲス。
んじゃぁ、オヤスミナサイ。





プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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