2026年5月 アーカイブ
2026年5月7日 20時22分13秒 (Thu)
考察と仮説
久しぶりに愛知県常滑市にある、
「かねふく めんたいパーク とこなめ」

へ、お袋ちゃんと行って来たでゲス。
天候に恵まれてイイ感じの青空だったんだけど結構気温が高くなって久しぶりに汗を掻きながらのドライブでしたナ。
さて、本題にするでゲス。
俺ネ、
「ジーン・ヴィンセント」

が大好きでゲス。
んでネ、「ジーン・ヴィンセント」について色々と調べたりしたんだけど、所詮俺如きが調べたところでハッキリとした答えが出ていない事が色々とあったりするんですナ。
そんな中の1つが、
”イギリスにおいての「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」の人気が異常に高い”
って事なんだけど”コノ”事について、あくまでも俺の考察による”仮説”をUpしてみようかと思うんでゲス。
勿論、全く違うかもしれませんが、取り敢えずって事でネ。
1950年代中頃アメリカじゃぁ、
「エルヴィス・プレスリー」

の登場で、”「ロックンロール」が大ブーム”になってましたナ。
勿論、日本でもアメリカと全く同じじゃぁなかったモノの「ロッカビリー」ってな形で流行っていたでゲス。

当然の事ながら、そんな事情はイギリスだって一緒でしたナ。
んでネ、当時のアメリカじゃぁコンサートやTVで「ロックンロール」パフォーマーの”動く姿”を観る事が出来ても、イギリスだとラジオやレコードを聴いて雑誌で姿を見るくらいしか情報が入って来ない訳で、そんな1956年に「エルヴィス」の映画が上映されるゾ!!!ってな事で、当時のイギリスの若者達は”大期待”をしていたんでゲス。
”ソノ”映画は、
「LOVE ME TENDER」(邦題「やさしく愛して」)

で、映画を観た「ロックンロール」ファンの若者達は作品中で「エルヴィス」は唄うシーンがあるモノの”激しい「ロックンロール」”を全く唄わないし、最後にゃぁ・・・ってな事でガッカリだったみたいでしたナ。
そういった状況の直後に上映された映画が、
「THE GIRL CAN’T HELP IT」(邦題「女はそれを我慢できない」)

で、先出の「やさしく・・・」は白黒作品だったのに「女はそれを・・・」はカラー作品で色々な「ロックンロール」が登場したので大ヒットしたそうでゲス。
中でも注目されたのが「ジーン・ヴィンセント」の、
「BE − BOP − A −LULA」
と、「エディ・コクラン」の、
「TWENTY FLIGHT ROCK」
だったそうですナ。
そんな状況のイギリスに1960年1月24日から4月16日迄の約10週間に亘ってナント「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」が”UKツアー”を行ったんでゲス。
”コノ”ツアーは、
ブリティッシュ・ロック・シーンに大きな影響を残した。
って言われていて、きっかけは前59年にイギリスのTVショーのプロデューサーの、
「ジャック・グッド」

が始めた番組の「ボーイ・ミーツ・ガール」でアメリカの「ロックンロール」シンガーを起用する事になって、「ジーン・ヴィンセント」に白羽の矢が立ったんでしたナ。
「ジャック・グッド」は「ジーン」にブラック・レザーの上下を着せて”反抗的なイメージ”を作り上げる事に成功したでゲス。

コノ時のプロモーターの、
「ラリー・パーンズ」

が先に行った”「ジーン・ヴィンセント」UKコンサート”(1959年12月)のツアーを大成功に終えて、翌年1月に再度のツアーが決定されて、”ココ”から「エディ・コクラン」がツアーに参加する事になったんでしたナ。
パッケージ・ツアーにゃぁ「ラリー・パーンズ」がマネージメントをしていた、
「ジョージ・フェイム」

「ジョー・ブラウン」

「トニー・シェリダン」

も帯同したでゲス。
「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」はユニオンの問題でイギリス人のバック・バンドを使わなきゃぁならなかったんだけど、バックを務めたイギリスのバンド・メンバーの腕前も中々のモノだったので大成功に終わったでゲス。
んで、ツアー終了直後に「エディ・コクラン」はイギリスで交通事故で亡くなったんだけど、そういった事もあって余計に”カルト視”される様になりましたナ。
イギリスに「リズムンブルーズ」、「ブルーズ」のブームが起きるのは1963年頃の事なので、ソノ直前にイギリスに上陸した2人の「ロックンロール」シンガー(パフォーマー)の影響の大きさは無視出来なかったと思うでゲス。
こういった事から「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」の人気が異常に高かったんじゃぁないかってな風に考えるんだけど、どうでしょうかネ。
今回はココ迄でゲス。
イヤイヤ、違うヨ。
ってな意見があったら、是非教えて下さい。
ご意見待ってます。
んじゃぁ、又。


(左から「ジョン・バリー」、「エディ・コクラン」、「アダム・フェイス」、「ジーン・ヴィンセント」)




(左「ヴィンス・イーガー」、中央「ジーン・ヴィンセント」、右「エディ・コクラン」)






(左「ビリー・フューリー」、中央「エディ・コクラン」、右「ジョー・ブラウン」)

(「エディ・コクラン」と「クレイグ・ダグラス」右)




「かねふく めんたいパーク とこなめ」

へ、お袋ちゃんと行って来たでゲス。
天候に恵まれてイイ感じの青空だったんだけど結構気温が高くなって久しぶりに汗を掻きながらのドライブでしたナ。
さて、本題にするでゲス。
俺ネ、
「ジーン・ヴィンセント」

が大好きでゲス。
んでネ、「ジーン・ヴィンセント」について色々と調べたりしたんだけど、所詮俺如きが調べたところでハッキリとした答えが出ていない事が色々とあったりするんですナ。
そんな中の1つが、
”イギリスにおいての「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」の人気が異常に高い”
って事なんだけど”コノ”事について、あくまでも俺の考察による”仮説”をUpしてみようかと思うんでゲス。
勿論、全く違うかもしれませんが、取り敢えずって事でネ。
1950年代中頃アメリカじゃぁ、
「エルヴィス・プレスリー」

の登場で、”「ロックンロール」が大ブーム”になってましたナ。
勿論、日本でもアメリカと全く同じじゃぁなかったモノの「ロッカビリー」ってな形で流行っていたでゲス。

当然の事ながら、そんな事情はイギリスだって一緒でしたナ。
んでネ、当時のアメリカじゃぁコンサートやTVで「ロックンロール」パフォーマーの”動く姿”を観る事が出来ても、イギリスだとラジオやレコードを聴いて雑誌で姿を見るくらいしか情報が入って来ない訳で、そんな1956年に「エルヴィス」の映画が上映されるゾ!!!ってな事で、当時のイギリスの若者達は”大期待”をしていたんでゲス。
”ソノ”映画は、
「LOVE ME TENDER」(邦題「やさしく愛して」)

で、映画を観た「ロックンロール」ファンの若者達は作品中で「エルヴィス」は唄うシーンがあるモノの”激しい「ロックンロール」”を全く唄わないし、最後にゃぁ・・・ってな事でガッカリだったみたいでしたナ。
そういった状況の直後に上映された映画が、
「THE GIRL CAN’T HELP IT」(邦題「女はそれを我慢できない」)

で、先出の「やさしく・・・」は白黒作品だったのに「女はそれを・・・」はカラー作品で色々な「ロックンロール」が登場したので大ヒットしたそうでゲス。
中でも注目されたのが「ジーン・ヴィンセント」の、
「BE − BOP − A −LULA」
と、「エディ・コクラン」の、
「TWENTY FLIGHT ROCK」
だったそうですナ。
そんな状況のイギリスに1960年1月24日から4月16日迄の約10週間に亘ってナント「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」が”UKツアー”を行ったんでゲス。
”コノ”ツアーは、
ブリティッシュ・ロック・シーンに大きな影響を残した。
って言われていて、きっかけは前59年にイギリスのTVショーのプロデューサーの、
「ジャック・グッド」

が始めた番組の「ボーイ・ミーツ・ガール」でアメリカの「ロックンロール」シンガーを起用する事になって、「ジーン・ヴィンセント」に白羽の矢が立ったんでしたナ。
「ジャック・グッド」は「ジーン」にブラック・レザーの上下を着せて”反抗的なイメージ”を作り上げる事に成功したでゲス。

コノ時のプロモーターの、
「ラリー・パーンズ」

が先に行った”「ジーン・ヴィンセント」UKコンサート”(1959年12月)のツアーを大成功に終えて、翌年1月に再度のツアーが決定されて、”ココ”から「エディ・コクラン」がツアーに参加する事になったんでしたナ。
パッケージ・ツアーにゃぁ「ラリー・パーンズ」がマネージメントをしていた、
「ジョージ・フェイム」

「ジョー・ブラウン」

「トニー・シェリダン」

も帯同したでゲス。
「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」はユニオンの問題でイギリス人のバック・バンドを使わなきゃぁならなかったんだけど、バックを務めたイギリスのバンド・メンバーの腕前も中々のモノだったので大成功に終わったでゲス。
んで、ツアー終了直後に「エディ・コクラン」はイギリスで交通事故で亡くなったんだけど、そういった事もあって余計に”カルト視”される様になりましたナ。
イギリスに「リズムンブルーズ」、「ブルーズ」のブームが起きるのは1963年頃の事なので、ソノ直前にイギリスに上陸した2人の「ロックンロール」シンガー(パフォーマー)の影響の大きさは無視出来なかったと思うでゲス。
こういった事から「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」の人気が異常に高かったんじゃぁないかってな風に考えるんだけど、どうでしょうかネ。
今回はココ迄でゲス。
イヤイヤ、違うヨ。
ってな意見があったら、是非教えて下さい。
ご意見待ってます。
んじゃぁ、又。


(左から「ジョン・バリー」、「エディ・コクラン」、「アダム・フェイス」、「ジーン・ヴィンセント」)




(左「ヴィンス・イーガー」、中央「ジーン・ヴィンセント」、右「エディ・コクラン」)






(左「ビリー・フューリー」、中央「エディ・コクラン」、右「ジョー・ブラウン」)

(「エディ・コクラン」と「クレイグ・ダグラス」右)




プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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