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2026年6月7日 13時53分16秒 (Sun)
ユニークな芸名
前回の
”考察と仮説”
のところで登場した、
「ラリー・パーンズ」
が、1959年頃になるとイギリスの「ポップ・ミュージック」シーンで本格的「ブリティッシュ・ロックンロール」の盛況を演出した重要人物として語られるでゲス。
見た目のイカした男声シンガーを発掘してシーンに送り込むんだけど、「ラリー・パーンズ」の得意技(?)ってなったのが、インパクトのある”芸名”でデビューさせるってな手法でしたナ。
元々イギリスのエンターテインメント社会じゃぁ芸名(ステージ・ネーム)を付けるのは常套手段で、既に1956年にロンドン生まれの貿易船員だった「トーマス・ヒックス」っていう10代の若者を、母方の姓の”STEEL”を基に”STEELE(スティール)”としてデビューさせたのが、
「トミー・スティール」
で、彼はコンスタントにヒット曲をチャートに送り込んでいって、一躍スターの座に就いたのをキッカケに「ラリー・パーンズ」は次々と発掘していったんでゲス。
次に発掘したのはロンドン生まれの長身青年「レジナルド・スミス」でウエスト・エンドのコーヒー・バーで唄っていた時にスカウトされて、
「マーティ・ワイルド」
の名前で1958年にデビューして翌59年TVショー「オー・ボーイ!」のレギュラーに抜擢されて人気を得ていますナ。
「ラリー・パーンズ」が手掛けたパッケージ・ショーでイギリス各地を回っていた際のリバプール公演の時に「ロナルド・ワイチェリー」ってな17歳の青年がスカウトされたて与えられた芸名が、
「ビリー・フューリー」
で、直ぐに先出のTVショー「オー・ボーイ!」に起用されて、ソノ不良っぽさを伴ったルックスで人気を集めたでゲス。
他にも「ラリー・パーンズ」傘下からのデビューが相次いでいて本名「リチャード・ネラー」が、
「ディッキー・プライド」
本名「クリス・モリス」が、
「ランス・フォーチュン」
本名は不明なんだけど、
「ダフィー・パワー」
「ヴィンス・イーガー」
「ジョニー・ジェントル」
っていった様に「ラリー・パーンズ」が手掛けたアーティスト達は、「ワイルド」(野生)、「フューリー」(激情、怒り)、「プライド」(誇り)、「フォーチュン」(幸運)、「パワー」(力)、「イーガー」(切望)、「ジェントル」(穏やか)等のユニークな芸名が与えられましたナ。
「クライヴ・パウエル」っていう青年に当初「フォーチュン」ってな名前が与えられる予定だったんだけど、彼より先にデビューした先出の「ランス・フォーチュン」に与えてしまったので「フェイム」(名声)と命名されたのが、
「ジョージ・フェイム」
だったってなエピソードも残っているでゲス。
そうそう、「トミー・スティール」の「スティール」ってのも”STEAL”(盗む)から由来して地名や人名の際にゃぁ「STEELE」が使われるそうですナ。
他にも1959年にゃぁ「ラリー・パーンズ」傘下の「ブリティッシュ・ロック」の重要シンガーのニュー・カマーも数多く登場していて、例えばロンドン生まれでアメリカのLA育ちの17歳の青年の、
「ヴィンス・テイラー」
や、ロンドン生まれの18歳の、
「ジョニー・キッド」
なんかもいるんだけど、今回は「ラリー・パーンズ」が名付けたユニークな芸名を持った男声シンガーっていった括りでのUpだったので、こういったところとなったでゲス。
以上、オシマイですヨ。
では又。
”考察と仮説”
のところで登場した、
「ラリー・パーンズ」
が、1959年頃になるとイギリスの「ポップ・ミュージック」シーンで本格的「ブリティッシュ・ロックンロール」の盛況を演出した重要人物として語られるでゲス。
見た目のイカした男声シンガーを発掘してシーンに送り込むんだけど、「ラリー・パーンズ」の得意技(?)ってなったのが、インパクトのある”芸名”でデビューさせるってな手法でしたナ。
元々イギリスのエンターテインメント社会じゃぁ芸名(ステージ・ネーム)を付けるのは常套手段で、既に1956年にロンドン生まれの貿易船員だった「トーマス・ヒックス」っていう10代の若者を、母方の姓の”STEEL”を基に”STEELE(スティール)”としてデビューさせたのが、
「トミー・スティール」
で、彼はコンスタントにヒット曲をチャートに送り込んでいって、一躍スターの座に就いたのをキッカケに「ラリー・パーンズ」は次々と発掘していったんでゲス。
次に発掘したのはロンドン生まれの長身青年「レジナルド・スミス」でウエスト・エンドのコーヒー・バーで唄っていた時にスカウトされて、
「マーティ・ワイルド」
の名前で1958年にデビューして翌59年TVショー「オー・ボーイ!」のレギュラーに抜擢されて人気を得ていますナ。
「ラリー・パーンズ」が手掛けたパッケージ・ショーでイギリス各地を回っていた際のリバプール公演の時に「ロナルド・ワイチェリー」ってな17歳の青年がスカウトされたて与えられた芸名が、
「ビリー・フューリー」
で、直ぐに先出のTVショー「オー・ボーイ!」に起用されて、ソノ不良っぽさを伴ったルックスで人気を集めたでゲス。
他にも「ラリー・パーンズ」傘下からのデビューが相次いでいて本名「リチャード・ネラー」が、
「ディッキー・プライド」
本名「クリス・モリス」が、
「ランス・フォーチュン」
本名は不明なんだけど、
「ダフィー・パワー」
「ヴィンス・イーガー」
「ジョニー・ジェントル」
っていった様に「ラリー・パーンズ」が手掛けたアーティスト達は、「ワイルド」(野生)、「フューリー」(激情、怒り)、「プライド」(誇り)、「フォーチュン」(幸運)、「パワー」(力)、「イーガー」(切望)、「ジェントル」(穏やか)等のユニークな芸名が与えられましたナ。
「クライヴ・パウエル」っていう青年に当初「フォーチュン」ってな名前が与えられる予定だったんだけど、彼より先にデビューした先出の「ランス・フォーチュン」に与えてしまったので「フェイム」(名声)と命名されたのが、
「ジョージ・フェイム」
だったってなエピソードも残っているでゲス。
そうそう、「トミー・スティール」の「スティール」ってのも”STEAL”(盗む)から由来して地名や人名の際にゃぁ「STEELE」が使われるそうですナ。
他にも1959年にゃぁ「ラリー・パーンズ」傘下の「ブリティッシュ・ロック」の重要シンガーのニュー・カマーも数多く登場していて、例えばロンドン生まれでアメリカのLA育ちの17歳の青年の、
「ヴィンス・テイラー」
や、ロンドン生まれの18歳の、
「ジョニー・キッド」
なんかもいるんだけど、今回は「ラリー・パーンズ」が名付けたユニークな芸名を持った男声シンガーっていった括りでのUpだったので、こういったところとなったでゲス。
以上、オシマイですヨ。
では又。
2026年5月7日 20時22分13秒 (Thu)
考察と仮説
久しぶりに愛知県常滑市にある、
「かねふく めんたいパーク とこなめ」

へ、お袋ちゃんと行って来たでゲス。
天候に恵まれてイイ感じの青空だったんだけど結構気温が高くなって久しぶりに汗を掻きながらのドライブでしたナ。
さて、本題にするでゲス。
俺ネ、
「ジーン・ヴィンセント」

が大好きでゲス。
んでネ、「ジーン・ヴィンセント」について色々と調べたりしたんだけど、所詮俺如きが調べたところでハッキリとした答えが出ていない事が色々とあったりするんですナ。
そんな中の1つが、
”イギリスにおいての「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」の人気が異常に高い”
って事なんだけど”コノ”事について、あくまでも俺の考察による”仮説”をUpしてみようかと思うんでゲス。
勿論、全く違うかもしれませんが、取り敢えずって事でネ。
1950年代中頃アメリカじゃぁ、
「エルヴィス・プレスリー」

の登場で、”「ロックンロール」が大ブーム”になってましたナ。
勿論、日本でもアメリカと全く同じじゃぁなかったモノの「ロッカビリー」ってな形で流行っていたでゲス。

当然の事ながら、そんな事情はイギリスだって一緒でしたナ。
んでネ、当時のアメリカじゃぁコンサートやTVで「ロックンロール」パフォーマーの”動く姿”を観る事が出来ても、イギリスだとラジオやレコードを聴いて雑誌で姿を見るくらいしか情報が入って来ない訳で、そんな1956年に「エルヴィス」の映画が上映されるゾ!!!ってな事で、当時のイギリスの若者達は”大期待”をしていたんでゲス。
”ソノ”映画は、
「LOVE ME TENDER」(邦題「やさしく愛して」)

で、映画を観た「ロックンロール」ファンの若者達は作品中で「エルヴィス」は唄うシーンがあるモノの”激しい「ロックンロール」”を全く唄わないし、最後にゃぁ・・・ってな事でガッカリだったみたいでしたナ。
そういった状況の直後に上映された映画が、
「THE GIRL CAN’T HELP IT」(邦題「女はそれを我慢できない」)

で、先出の「やさしく・・・」は白黒作品だったのに「女はそれを・・・」はカラー作品で色々な「ロックンロール」が登場したので大ヒットしたそうでゲス。
中でも注目されたのが「ジーン・ヴィンセント」の、
「BE − BOP − A −LULA」
と、「エディ・コクラン」の、
「TWENTY FLIGHT ROCK」
だったそうですナ。
そんな状況のイギリスに1960年1月24日から4月16日迄の約10週間に亘ってナント「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」が”UKツアー”を行ったんでゲス。
”コノ”ツアーは、
ブリティッシュ・ロック・シーンに大きな影響を残した。
って言われていて、きっかけは前59年にイギリスのTVショーのプロデューサーの、
「ジャック・グッド」

が始めた番組の「ボーイ・ミーツ・ガール」でアメリカの「ロックンロール」シンガーを起用する事になって、「ジーン・ヴィンセント」に白羽の矢が立ったんでしたナ。
「ジャック・グッド」は「ジーン」にブラック・レザーの上下を着せて”反抗的なイメージ”を作り上げる事に成功したでゲス。

コノ時のプロモーターの、
「ラリー・パーンズ」

が先に行った”「ジーン・ヴィンセント」UKコンサート”(1959年12月)のツアーを大成功に終えて、翌年1月に再度のツアーが決定されて、”ココ”から「エディ・コクラン」がツアーに参加する事になったんでしたナ。
パッケージ・ツアーにゃぁ「ラリー・パーンズ」がマネージメントをしていた、
「ジョージ・フェイム」

「ジョー・ブラウン」

「トニー・シェリダン」

も帯同したでゲス。
「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」はユニオンの問題でイギリス人のバック・バンドを使わなきゃぁならなかったんだけど、バックを務めたイギリスのバンド・メンバーの腕前も中々のモノだったので大成功に終わったでゲス。
んで、ツアー終了直後に「エディ・コクラン」はイギリスで交通事故で亡くなったんだけど、そういった事もあって余計に”カルト視”される様になりましたナ。
イギリスに「リズムンブルーズ」、「ブルーズ」のブームが起きるのは1963年頃の事なので、ソノ直前にイギリスに上陸した2人の「ロックンロール」シンガー(パフォーマー)の影響の大きさは無視出来なかったと思うでゲス。
こういった事から「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」の人気が異常に高かったんじゃぁないかってな風に考えるんだけど、どうでしょうかネ。
今回はココ迄でゲス。
イヤイヤ、違うヨ。
ってな意見があったら、是非教えて下さい。
ご意見待ってます。
んじゃぁ、又。


(左から「ジョン・バリー」、「エディ・コクラン」、「アダム・フェイス」、「ジーン・ヴィンセント」)




(左「ヴィンス・イーガー」、中央「ジーン・ヴィンセント」、右「エディ・コクラン」)






(左「ビリー・フューリー」、中央「エディ・コクラン」、右「ジョー・ブラウン」)

(「エディ・コクラン」と「クレイグ・ダグラス」右)




「かねふく めんたいパーク とこなめ」

へ、お袋ちゃんと行って来たでゲス。
天候に恵まれてイイ感じの青空だったんだけど結構気温が高くなって久しぶりに汗を掻きながらのドライブでしたナ。
さて、本題にするでゲス。
俺ネ、
「ジーン・ヴィンセント」

が大好きでゲス。
んでネ、「ジーン・ヴィンセント」について色々と調べたりしたんだけど、所詮俺如きが調べたところでハッキリとした答えが出ていない事が色々とあったりするんですナ。
そんな中の1つが、
”イギリスにおいての「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」の人気が異常に高い”
って事なんだけど”コノ”事について、あくまでも俺の考察による”仮説”をUpしてみようかと思うんでゲス。
勿論、全く違うかもしれませんが、取り敢えずって事でネ。
1950年代中頃アメリカじゃぁ、
「エルヴィス・プレスリー」

の登場で、”「ロックンロール」が大ブーム”になってましたナ。
勿論、日本でもアメリカと全く同じじゃぁなかったモノの「ロッカビリー」ってな形で流行っていたでゲス。

当然の事ながら、そんな事情はイギリスだって一緒でしたナ。
んでネ、当時のアメリカじゃぁコンサートやTVで「ロックンロール」パフォーマーの”動く姿”を観る事が出来ても、イギリスだとラジオやレコードを聴いて雑誌で姿を見るくらいしか情報が入って来ない訳で、そんな1956年に「エルヴィス」の映画が上映されるゾ!!!ってな事で、当時のイギリスの若者達は”大期待”をしていたんでゲス。
”ソノ”映画は、
「LOVE ME TENDER」(邦題「やさしく愛して」)

で、映画を観た「ロックンロール」ファンの若者達は作品中で「エルヴィス」は唄うシーンがあるモノの”激しい「ロックンロール」”を全く唄わないし、最後にゃぁ・・・ってな事でガッカリだったみたいでしたナ。
そういった状況の直後に上映された映画が、
「THE GIRL CAN’T HELP IT」(邦題「女はそれを我慢できない」)

で、先出の「やさしく・・・」は白黒作品だったのに「女はそれを・・・」はカラー作品で色々な「ロックンロール」が登場したので大ヒットしたそうでゲス。
中でも注目されたのが「ジーン・ヴィンセント」の、
「BE − BOP − A −LULA」
と、「エディ・コクラン」の、
「TWENTY FLIGHT ROCK」
だったそうですナ。
そんな状況のイギリスに1960年1月24日から4月16日迄の約10週間に亘ってナント「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」が”UKツアー”を行ったんでゲス。
”コノ”ツアーは、
ブリティッシュ・ロック・シーンに大きな影響を残した。
って言われていて、きっかけは前59年にイギリスのTVショーのプロデューサーの、
「ジャック・グッド」

が始めた番組の「ボーイ・ミーツ・ガール」でアメリカの「ロックンロール」シンガーを起用する事になって、「ジーン・ヴィンセント」に白羽の矢が立ったんでしたナ。
「ジャック・グッド」は「ジーン」にブラック・レザーの上下を着せて”反抗的なイメージ”を作り上げる事に成功したでゲス。

コノ時のプロモーターの、
「ラリー・パーンズ」

が先に行った”「ジーン・ヴィンセント」UKコンサート”(1959年12月)のツアーを大成功に終えて、翌年1月に再度のツアーが決定されて、”ココ”から「エディ・コクラン」がツアーに参加する事になったんでしたナ。
パッケージ・ツアーにゃぁ「ラリー・パーンズ」がマネージメントをしていた、
「ジョージ・フェイム」

「ジョー・ブラウン」

「トニー・シェリダン」

も帯同したでゲス。
「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」はユニオンの問題でイギリス人のバック・バンドを使わなきゃぁならなかったんだけど、バックを務めたイギリスのバンド・メンバーの腕前も中々のモノだったので大成功に終わったでゲス。
んで、ツアー終了直後に「エディ・コクラン」はイギリスで交通事故で亡くなったんだけど、そういった事もあって余計に”カルト視”される様になりましたナ。
イギリスに「リズムンブルーズ」、「ブルーズ」のブームが起きるのは1963年頃の事なので、ソノ直前にイギリスに上陸した2人の「ロックンロール」シンガー(パフォーマー)の影響の大きさは無視出来なかったと思うでゲス。
こういった事から「ジーン・ヴィンセント」と「エディ・コクラン」の人気が異常に高かったんじゃぁないかってな風に考えるんだけど、どうでしょうかネ。
今回はココ迄でゲス。
イヤイヤ、違うヨ。
ってな意見があったら、是非教えて下さい。
ご意見待ってます。
んじゃぁ、又。


(左から「ジョン・バリー」、「エディ・コクラン」、「アダム・フェイス」、「ジーン・ヴィンセント」)




(左「ヴィンス・イーガー」、中央「ジーン・ヴィンセント」、右「エディ・コクラン」)






(左「ビリー・フューリー」、中央「エディ・コクラン」、右「ジョー・ブラウン」)

(「エディ・コクラン」と「クレイグ・ダグラス」右)




2026年4月21日 14時43分59秒 (Tue)
「THE KALIN TWINS」

「ハロルド」と「ハーバード」の双子のデュオ「ザ・カリン・ツインズ」についてのUpでゲス。
1934年2月16日ニューヨーク州ポートジャービス生まれで、後に彼等の家族はワシントンD.C.に移りましたナ。
1957年作曲家の「クリント・バラード・Jr.」に見出されて「デッカ」レーベルからデビューする事となるんでゲス。
翌58年にリリースした2ndシングルの、
「WHEN」
が全米「ポップ・チャート」5位、イギリスじゃぁ1位!!!の大ヒットとなりましたナ。
”フィンガー・スナップ”が効果的なコノ曲での若々しいノリの良さがヒットした要因じゃぁないかと思うでゲス。
続いてリリースした、
「FORGET ME NOT」
も「ポップ・チャート」12位と健闘しましたナ。

あとネ、
「バリー・マン」

が作曲した、
「COOL」
や、
「ジャック・ケラー」

が作曲した、
「THREE O’CLOCK THRILL」
ってな興味深い作品もあるでゲス。
まぁネ、何だかんだって言っても「ホエン」が1等賞に好きですナ。
今回はこんな感じでオシマイでゲス。
んじゃぁ、又。





2026年4月7日 19時10分15秒 (Tue)
現在じゃぁこういったタイトルは無理でゲス。
「松山容子」さん

ってな女優さんをご存じでしょうかネ。
”コノ” ホーロー看板の女性でゲス。
↓

アァ、コノ人ネ・・・でしょ。
コノ「松山容子」さんサ、現在”視覚障害者”の事を当時としちゃぁ普通に世間で言われていて普通にメディアでも使用されていた”めくら”をタイトルに入れた、
「めくらのお市」

っていう「時代劇」を昭和46年(1971年)に「日本テレビ」局系列でTVドラマ全25話の主役「お市」として出演していましたナ。
俺ネ、物凄く薄っすらな記憶なんだけど、何話かは観た様な・・・でゲス。
んでネ、”コノ”「めくらのお市」ってのは、TV放映よりも2年前に「松竹」社が「松山容子」さん主演で映画として、
「めくらのお市物語 真っ赤な流れ鳥」昭和44年(1969年)


おそらく作品がヒットしたからでしょう、続編が3作制作されてますナ。
「めくらのお市 地獄肌」昭和44年(1969年)


「めくらのお市 みだれ笠」昭和44年(1969年)


「めくらのお市 命貰います」昭和45年(1970年)


映画の方は全作観た事があるでゲス。(どれがドレだか全く覚えてないなぁ。)
時代劇で主役が視覚障害者で仕込み杖っていったら、
「座頭市」シリーズ

ですナ。
主役の名前も同じ「市」でゲス。
あとネ、1等賞に大好きな、
「綾瀬はるか」さん

が主演作品の、
「ICHI」平成20年(2008年)
としても映画化されてますナ。
もう1つ、「北野武」監督、「ビートたけし」主演で、
「座頭市」平成15年(2003年)
ってな作品で主役の「市」が持っている仕込み杖が”赤色”だったのは、「松山容子」さんの「市」へのオマージュだったんでしょうかネ。
ハイ、以上、ココ迄でゲス。
では、では。








ってな女優さんをご存じでしょうかネ。
”コノ” ホーロー看板の女性でゲス。
↓

アァ、コノ人ネ・・・でしょ。
コノ「松山容子」さんサ、現在”視覚障害者”の事を当時としちゃぁ普通に世間で言われていて普通にメディアでも使用されていた”めくら”をタイトルに入れた、
「めくらのお市」

っていう「時代劇」を昭和46年(1971年)に「日本テレビ」局系列でTVドラマ全25話の主役「お市」として出演していましたナ。
俺ネ、物凄く薄っすらな記憶なんだけど、何話かは観た様な・・・でゲス。
んでネ、”コノ”「めくらのお市」ってのは、TV放映よりも2年前に「松竹」社が「松山容子」さん主演で映画として、
「めくらのお市物語 真っ赤な流れ鳥」昭和44年(1969年)


おそらく作品がヒットしたからでしょう、続編が3作制作されてますナ。
「めくらのお市 地獄肌」昭和44年(1969年)


「めくらのお市 みだれ笠」昭和44年(1969年)


「めくらのお市 命貰います」昭和45年(1970年)


映画の方は全作観た事があるでゲス。(どれがドレだか全く覚えてないなぁ。)
時代劇で主役が視覚障害者で仕込み杖っていったら、
「座頭市」シリーズ

ですナ。
主役の名前も同じ「市」でゲス。
あとネ、1等賞に大好きな、
「綾瀬はるか」さん

が主演作品の、
「ICHI」平成20年(2008年)
としても映画化されてますナ。
もう1つ、「北野武」監督、「ビートたけし」主演で、
「座頭市」平成15年(2003年)
ってな作品で主役の「市」が持っている仕込み杖が”赤色”だったのは、「松山容子」さんの「市」へのオマージュだったんでしょうかネ。
ハイ、以上、ココ迄でゲス。
では、では。








2026年3月7日 16時01分42秒 (Sat)
「手前ぇら人間じゃぁねえや、叩っ斬ってやる!」
イヤァ、2月は色々何かと大忙しだったなぁ。
なので2月は1度も休みが取れずコチラへのUpも出来なかったでゲス。
3月に入ってやっと今日、仕事休みが出来ましたナ。
久し振りに心と体をのんびりと休ませているでゲス。
さて、本題にしましょうネ。
小学生の頃、TVで観ていた「時代劇」に、
「破れ傘刀舟 悪人狩り」

ってなのがあったでゲス。
1974年10月1日 ~ 1977年3月29日迄「NETテレビ」局(現「テレビ朝日」局)系列で全131話放映された「TV時代劇」ですナ。
江戸時代の天保期が舞台で、主人公は長崎で医学を修めて江戸郊外の千住宿外れにある「瑞光院」ってなボロ寺(通称「棺桶寺」)に住んでいて、診療等をしていて特に外科手術が得意な”蘭学医”の「叶 刀舟(萬屋錦之介)」でゲス。
「刀舟」は医学以外にも剣術「無外流抜刀術」の達人でもありましたナ。

医術の腕は確かなんだけど、大の”酒好き”で朝晩問わず酒を喰らって酔っ払って寝込んだり、夜に呑み歩いて住まいに帰って来ない事も多いでゲス。
貧しい町人や農民の患者からは治療費や薬代は受け取らないんだけど、時折、治療費や薬代の代わりにと患者の家族から薦められて安酒を呑ませてもらったり、商い物や野菜を受け取る事がありますナ。
なので2月は1度も休みが取れずコチラへのUpも出来なかったでゲス。
3月に入ってやっと今日、仕事休みが出来ましたナ。
久し振りに心と体をのんびりと休ませているでゲス。
さて、本題にしましょうネ。
小学生の頃、TVで観ていた「時代劇」に、
「破れ傘刀舟 悪人狩り」

ってなのがあったでゲス。
1974年10月1日 ~ 1977年3月29日迄「NETテレビ」局(現「テレビ朝日」局)系列で全131話放映された「TV時代劇」ですナ。
江戸時代の天保期が舞台で、主人公は長崎で医学を修めて江戸郊外の千住宿外れにある「瑞光院」ってなボロ寺(通称「棺桶寺」)に住んでいて、診療等をしていて特に外科手術が得意な”蘭学医”の「叶 刀舟(萬屋錦之介)」でゲス。
「刀舟」は医学以外にも剣術「無外流抜刀術」の達人でもありましたナ。

医術の腕は確かなんだけど、大の”酒好き”で朝晩問わず酒を喰らって酔っ払って寝込んだり、夜に呑み歩いて住まいに帰って来ない事も多いでゲス。
貧しい町人や農民の患者からは治療費や薬代は受け取らないんだけど、時折、治療費や薬代の代わりにと患者の家族から薦められて安酒を呑ませてもらったり、商い物や野菜を受け取る事がありますナ。
基本的に自ら進んで裕福な武家や商人なんかの治療は受けないんだけど、偶々出会った怪我人や病人の手当を行ったりはする事もあるでゲス。
腕のイイ「刀舟」に裕福な武家や商人の家族を診てくれと無理を言われて治療や手当なんかをした場合は多額な治療費を請求する事もありますナ。

酒を呑む分以外に金にゃぁ頓着していなくって、手元にある金は貧しい患者に施したりしているでゲス。
町医者として活動している事もあって、色々と巻き起こる様々な出来事に無関心ながら、関連した事に関わっていたりもして何等かの大きな事件や問題に巻き込まれたりする事も多いですナ。
理不尽に弱い民達が斬殺や蹂躙された事を知った時、「刀舟」は怒りの表情を見せて朱塗りの鞘の”同田貫”1本を携えて大名屋敷だろうと奉行屋敷だろうと構わず土足で上がり込んで、悪党を前に、
「喧しいや、コノ野郎!」
って怒気交じりに制しつつ奴等の理不尽な罪状(事の顛末)を言った上で、
「手前ぇら人間じゃぁねえや、叩っ斬ってやる!」
って”決め台詞”と共に戦いを挑んで悪人達を全員斬り倒して、悪人全員が命を落とすってな終わり方が多いのが特徴の作品でゲス。
主役の「叶 刀舟」を演じた「萬屋錦之介」の他にも主要出演者として、千住の外れにあるボロ寺「瑞光院」の寺男の、
「仏の半兵衛」(桂 小金治)

や、「刀舟」の医術の弟子で剣術にも長けている、
「伊庭弥九郎」(織田あきら)

(左「刀舟」と弟子「伊庭弥九郎」)
や、言葉少ない”女壺振り師”の、
「むっつりお竜」(ジャネット八田)

や、”口入れ”、”仲裁”、”示談”、”取り立て”等のよろず相談を受けて手数料を取って商売をしている、
「稲妻のお蘭」(江波杏子)

なんかが出ていて、中でも「お竜」役の「ジャネット八田」さんと「お蘭」役の「江波杏子」さんが大好きなので嬉しいですナ。
あとネ、”時代だなぁ。”って観ていて思ったのが、出演している女優さんメイキャップが”殆ど全員1970年代仕様”なんだよネ。(笑)
他にも「刀舟」の「エルヴィス」とも「尾崎紀世彦」殿とも違った”モミアゲ”とか、服装(コスチューム)がサ、ボトム(ズボン?)が”パンタロン”なんでゲス。


”時代”ですナ。
今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ、又。





腕のイイ「刀舟」に裕福な武家や商人の家族を診てくれと無理を言われて治療や手当なんかをした場合は多額な治療費を請求する事もありますナ。

酒を呑む分以外に金にゃぁ頓着していなくって、手元にある金は貧しい患者に施したりしているでゲス。
町医者として活動している事もあって、色々と巻き起こる様々な出来事に無関心ながら、関連した事に関わっていたりもして何等かの大きな事件や問題に巻き込まれたりする事も多いですナ。
理不尽に弱い民達が斬殺や蹂躙された事を知った時、「刀舟」は怒りの表情を見せて朱塗りの鞘の”同田貫”1本を携えて大名屋敷だろうと奉行屋敷だろうと構わず土足で上がり込んで、悪党を前に、
「喧しいや、コノ野郎!」
って怒気交じりに制しつつ奴等の理不尽な罪状(事の顛末)を言った上で、
「手前ぇら人間じゃぁねえや、叩っ斬ってやる!」
って”決め台詞”と共に戦いを挑んで悪人達を全員斬り倒して、悪人全員が命を落とすってな終わり方が多いのが特徴の作品でゲス。
主役の「叶 刀舟」を演じた「萬屋錦之介」の他にも主要出演者として、千住の外れにあるボロ寺「瑞光院」の寺男の、
「仏の半兵衛」(桂 小金治)

や、「刀舟」の医術の弟子で剣術にも長けている、
「伊庭弥九郎」(織田あきら)

(左「刀舟」と弟子「伊庭弥九郎」)
や、言葉少ない”女壺振り師”の、
「むっつりお竜」(ジャネット八田)

や、”口入れ”、”仲裁”、”示談”、”取り立て”等のよろず相談を受けて手数料を取って商売をしている、
「稲妻のお蘭」(江波杏子)

なんかが出ていて、中でも「お竜」役の「ジャネット八田」さんと「お蘭」役の「江波杏子」さんが大好きなので嬉しいですナ。
あとネ、”時代だなぁ。”って観ていて思ったのが、出演している女優さんメイキャップが”殆ど全員1970年代仕様”なんだよネ。(笑)
他にも「刀舟」の「エルヴィス」とも「尾崎紀世彦」殿とも違った”モミアゲ”とか、服装(コスチューム)がサ、ボトム(ズボン?)が”パンタロン”なんでゲス。


”時代”ですナ。
今回はココ迄でゲス。
んじゃぁ、又。





プロフィール

- 自己紹介
- WW2以降1970年代迄の”映画”、”音楽”、”ファッション”等などが大好きな、
”「BEAT」野郎”
で、特に1950年代が大好物でゲス。
岐阜で「MEMPHIS」っていうアメカジ店を2010年1月末日迄やってましたが、現在は家業をついで”製帽業”をしてますヨ。(「CA4LA」、「ポール・スチュアート」、「ザ・スコッチ・ハウス」、「コムサ・デ・モード」等より仕事を頂いているでゲス。)
他にも個人的に「MEMPHIS工房」として”帽子”製作、販売していますヨ。(コチラは出来上がり次第「作品集」のコーナーに随時Upしますのでご覧くださいませ、ませ。 詳細のお問い合わせ承りますので、お気軽にどうぞ。)
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